三つの鍵の一つ
監察局は関税騒ぎの帳簿を王都へ運ぶことを決めた。証拠箱には三つの錠が付けられ、鍵はリュシア、町会書記、衛兵長が別々に預かる。輸送日は公表されない。シオンは修繕依頼で役所へ出入りするうち、箱の木組みを見た。
三つの鍵を奪う必要はない。箱の底板には職人が使う細い釘があり、同じ形の釘を外せば中身に触れられる。シオンは仕立て道具の小さな鑿で試せると知った。その知識が恐ろしくも甘いものに感じられた。自分の技術が、人の築いた安全を裏側から崩せる。
しかし箱に触れれば、正式な調査が遅れる。関税の返金を待つ商人も、処分を待つ書記の家族も宙ぶらりんになる。シオンはそれを理解したまま、役所の閉まる時刻を調べた。かつてなら途中で退いたかもしれない。今回は違った。自分で選んだ悪の結果を引き受けてみたかった。
翌日、ネラが彼の工房へ来て、輸送箱の留め具を補強する職人を知らないかと尋ねた。監察局が事前の点検を始めたのだ。シオンは紹介先を答えたが、箱の弱点は告げなかった。
帳簿を運ぶ人足は、箱の重さを確かめて縄を二重に巻いた。封印の印ばかり見ていた役人と違い、彼は木目の弱さに気づいていた。ところが補修の依頼は翌日の予定に回された。予算と人員の不足が理由だ。隙が生まれるのは、誰かが愚かだからと限らない。シオンは自分がそこにつけ込もうとしていることを明瞭に理解しながら、工房で使っていた小さな鑿を研いだ。
役所の灯が消える頃、彼は外套を着た。美しく見えるかどうかではなく、寒さを防げるかを確かめる。黒花の印を胸にしまい、誰にも告げず橋を渡った。




