数字を読む女
ネラの帳付け小屋は市場の裏、パン焼き場の煙が届く場所にあった。シオンが二日続けて訪ねると、彼女は椅子を勧めずに言った。「昨日の紙、あなたでしょ」。否定しようとしても、机の上には例の警告文の下書きが置かれていた。彼が算盤の横に忘れていったものだ。
ネラは問屋を庇わなかった。ただ、革の供給が止まれば靴職人の注文が遅れ、北辺へ向かう運搬隊が冬前に出発できない、と説明した。帳簿の数字は一人の主人の悪事で終わらない。現場にどれだけの人間が繋がっているかを示す線でもある。シオンは初めて、脅しの結果を数えようとした。
「偉大な悪なら、全員を従わせるべきだろう」と彼が言うと、ネラは顔も上げずに笑った。「それができるなら税役所で働きな。あそこは毎日やってる」。返す言葉がなく、シオンは相手の算盤をじっと見た。
その午後、革問屋は一部の補償金を出すと発表した。被害者の代表は署名したが、満額にはほど遠い。問屋は同時に三人の職人を解雇し、入手先を変える算段を始めた。ネラはそれを聞き、古い売買契約を探し出した。
ネラは彼に、一枚の帳簿から嘘を見抜けても、嘘をついた理由までは分からないと教えた。問屋には問屋の借金があり、借金先には港への仕入れ契約がある。だから責任が消えるわけではない。むしろ関係者が増えるほど、誰が損を押しつけられたかを見失いやすくなる。シオンは数字の端に、小さく人の名前を書き添えた。
シオンは暗い外套を着て彼女の背後に立った。「私を恐れないのか」「仕事を片付けない客のほうが怖い」。町の北では薪の値が上がっていた。彼女の卓上には問屋の件以外にも、冬を越すための数字が積み重なっていた。




