水路沿いの空き家
安宿の代金は三日で底をついた。シオンは水路沿いの空き家を借り、屋根の穴を布で塞いだ。元は荷運び人の集会所だったが、橋の架け替えで人の流れが変わって以来、使われていない。窓からは水音が聞こえ、夜は寒さで目が覚めた。
家主は敷金を安くする代わりに、二か月分を前払いさせた。シオンは持っていた幻灯具と余った銀糸を売り、ようやく金を揃える。黒い花を映す道具を手放すとき、少しだけ指が止まった。印を残す方法は、灯がなくてもあるはずだと思い直す。
仕立ての腕を頼りに、彼は市場で小さな修繕仕事を請けた。ミラの工房と競うつもりはないが、元弟子の噂はすぐ広まり、客は少なかった。雇ってくれたのは荷車の幌を修理したい老馬丁だった。支払いは現金と干し肉半分ずつ。
ネラは彼の転居を知っても訪ねてこなかった。帳場から伝言だけ寄越した。『借りた帳面は返して』。シオンは慎重に包んで届け、礼を添えず帰った。相手は今も仕事を続け、自分の失敗に巻き込まれる義理はない。
水路沿いの家には、古い木札が壁に残っていた。荷運び人が会費を払った日付が並び、途中から何枚かの札が抜けている。橋が完成し、集まる必要がなくなったのだろう。シオンは札を捨てず、屋根の補修に使う寸法を裏へ記した。以前そこにいた者たちも、自分たちの都合で場所を移した。空き家は誰かの没落を飾る舞台ではなく、町の仕事の流れが変わって生まれたものだった。
夕刻、雨が屋根の穴から滴った。シオンは濡れた床に布を敷き、針で裂け目を縫った。街角の英雄も悪王も、この家にはいない。ただ寒さと、食べるための仕事と、明日をどう生きるかという問いだけがあった。




