誰も死なぬ脅迫
シオンは初めて、目的のはっきりした脅迫状を書いた。相手は穀物商会主でも税役所でもない。町会議長だった。要求は一つ。半年分の会議記録を公開し、誰がどの予算を動かしたか町民に示すこと。従わなければ議長の私的な商談記録を明かすと告げた。
資料は以前の仕立て仕事で得たものだった。議長が工房でこぼした商談先を覚え、公開資料を照合した。違法な取引の証拠ではない。だが議長が反対派と密かに会っていた事実は、町会の勢力争いを荒らすには十分だった。
議長は脅迫状を燃やさず、監察局へ提出した。翌日、ヨエルは花印の筆跡と紙質を確かめ、議長の外套を作った工房を訪ねた。ミラは仕事の記録を見せたが、弟子の名を軽々しく差し出さなかった。契約上、依頼主の情報は守るべきだからだ。
シオンは自分の狙いが外れたと感じた。議長は公に怯えず、制度を通じて対処した。しかし公開請求の声は市民から上がり、町会は過去の議事録を調べ始めた。彼の文面が誰の手へ届いたかは分からない。
脅迫状に使った紙は、工房の納品書の端を切ったものだった。シオンは外へ出す前に何度も読み直したが、そこに自分の出自を示す繊維が残っているとは考えなかった。ミラの針箱や裁断台と同じように、日々の仕事には痕跡が残る。誰も気に留めない小さな物が、相手の記憶へ道を開く。紙を封じるとき、彼は自分の手が期待ではなく緊張で濡れていることを確かめた。
工房へ戻ると、ミラはただ一言尋ねた。「誰かに迷惑をかけたかい」。シオンは答えなかった。初めて明確な要求と不利益を突きつけた夜、その重さを隠すのは自分にも難しかった。




