影の持ち主
港外れの酒場で、ギルモの下請け人が黒花の札を見せびらかしていた。男は客を脅し、相手が金を払えばそれでよいと豪語する。シオンは隣に座り、札を見せてほしいと頼んだ。六枚の花弁は太く、中央の線は曲がっている。つくった者に美意識などないらしい。
「これを使えば、大抵の奴は黙る」と男が言った。シオンは札を机へ返し、自分の花を押した小さな紙を取り出した。「黙るのは、あんたが怖いからじゃない」。男は笑い、誰が作ったかなど関係ないと答えた。
酒場の柱には、以前酔客が彫った名前がいくつも残っていた。店主は新しい傷を付ける者から修繕代を取り、古いものはそのままにしている。シオンは隣の男が黒花の札を机へ置いた瞬間、柱の傷を見つめた。自分の名も、誰かの悪ふざけと同じように残るだけなのか。
男の仲間は先に立ち上がり、面倒に巻き込まれるのを嫌がった。彼らは恐喝を語る時こそ大声だったが、相手が名を明かして立つと急に商売の話へ戻る。シオンは相手を追わなかった。名乗った後の沈黙が、どんな暴力よりも重く感じられたからだ。店主が床を拭き、酒の匂いはすぐ薄れていった。
店主は二人の声が大きくなるのを嫌い、外で話せと告げた。シオンは席を立ち、男の前へ出る。顔を隠すつもりはなかった。「私はシオンだ。その印を使って何をしたか、私の前で言え」。低い声だったが、店内の数人が振り向いた。
男は一瞬だけためらい、それから笑って銭を机へ置いた。剣を抜くでもなく、なじるでもなく、仲間を呼んで帰ってしまう。シオンは名乗っただけで何かが変わると思っていた自分を嘲った。だが酒場の誰かが、その名前を覚えたことも確かだった。




