針金の輪
青墨の男は、荷物を受け取る時だけ指に細い針金の輪を巻いていた。合図なのか傷を隠すためなのか、シオンには分からない。市場で声を掛けると、男は知らないふりをして果物屋へ入った。黒衣の青年を恐れるような素振りは見せない。
シオンは後ろから腕を掴み、輪を見せろと迫った。男は叫び、周囲の店主が二人を引き離した。広場の目はすぐシオンへ向かう。人の名で恐怖を売りたい男が、知らない相手に暴力を振るおうとする姿だけが見えていた。
果物屋の主人は乱暴な声を嫌い、二人へ水を差し出した。リェスは怒りで手が震え、針金の輪を外そうとして落とした。拾った少年はそれを古い銀貨だと思い、母親へ見せる。主人は危ないから返しなさいと注意した。小さな輪一つで、こんなに大人が言い争うのが信じられないらしい。
シオンが謝りそびれている間に、店の客たちは別の屋台へ流れた。果物屋は品を抱え直し、傷んだ実を分ける。午後の商いを取り戻すには、二人の事情がどうであれ働かねばならない。リェスは腕を押さえながら仕事へ戻り、シオンは石畳に残った水の染みを踏まぬよう歩いた。正しさを確かめる前に手を出したことが、これほど安っぽく感じられるとは思わなかった。
男はリェスと名乗り、運送屋の手伝いだと説明した。針金は壊れた指輪の代わりで、仕事で箱を数える時の目印だという。本当かどうかは分からない。シオンは手を離したものの、謝る言葉を口へ出せなかった。
その夜、リェスの雇い主が詰所へ訴えを出した。シオンが無関係の人間を脅し、仕事を妨げたという。バルトは双方を呼び、事情を聞くことにした。悪人を見つけたいという欲望は、一度相手を間違えればただの暴力になる。シオンには、その可能性を知らぬとは言えなかった。




