取り返せない一箱
南市場の薬種商が、北辺の診療所へ送る包帯を誤って売り払った。帳簿上は届けたことになっており、診療所の支払いだけが残った。買い手はラウルの取引相手で、荷は既に別の町へ向かっている。シオンはその話を聞き、取り戻せば相手に借りを作れると考えた。
彼はラウルに取引の取消しを迫った。黒い花の印を押した文を送り、拒めば市場の全契約を暴くと脅す。ラウルは短い返事を寄越した。『その荷はもう私の手を離れた』。シオンは嘘だと決めつけ、夜中に仲介人の倉庫へ忍んだ。
倉庫には薬品、毛布、陶器があったが包帯はない。見張りとの小競り合いで棚が倒れ、陶器が幾つも割れた。シオンは逃げ切ったものの、翌日には倉庫の人足二人が責任を問われた。ラウルの取引先も補償を要求する。
包帯の買い手が隣町の産婆組合と分かったのは、さらに二日後だった。彼女たちも冬の備えに必要として買ったのだ。荷を取り返しても別の町の暮らしが苦しくなるだけだった。薬種商は自分の誤記を認め、診療所向けの新しい荷を準備する。
割れた陶器の中には、港町の職人が一枚ずつ絵を描いた皿もあった。ラウルは運送契約の規定に従って弁償し、陶工へ次の注文を出すか迷っている。人足の一人は責任を問われた日のうちに宿へ戻り、妻へ仕事を失うかもしれないと告げた。皿が割れる音は一瞬でも、その知らせを聞く家族の夜は長い。シオンは後になって、失敗を大きな言葉で飾ることの空しさを知った。
シオンは割れた陶器の代金を匿名で置いた。それは償いというより、望まぬ借りを残すことへの嫌悪だった。それでも二人の人足が仕事を失った事実は消えず、彼の印を見た者の中には、静かに怒りを深める者が生まれていた。




