北窓の合図
シオンが買った幻灯具は、油の匂いが強かった。屋根裏の窓に映した黒い花の影は風で歪み、遠くから見るとただの煤に見えた。彼は何度も紙を切り直し、花弁が開く形を作った。町へ自分の印を残すためだった。
最初の合図に選んだのは、町会の倉庫。議長が違約金を出し渋ったことを思い出し、深夜に外壁へ黒い花を映した。夜警が見上げ、見物人が集まる。だが人々は火事の前触れと勘違いし、桶を運び始めた。灯を落とす頃には消防組の半分が呼び出されていた。
その夜、街道の旅人が宿の竈で軽い火傷をした。消防組の手当て役が倉庫へ向かったため、宿の女将が自分で薬を塗った。たいした傷ではなかったが、翌朝、夜警は町会へ苦情を出した。シオンの印は恐怖より迷惑として広まった。
ネラは壁に残った煤の形を見て、花だと気づいた。彼女は何も言わず、シオンに火事の費用を載せた帳簿を見せた。出動した人員、使った油、空になった水桶。シオンは自分の見栄に値札がついているのを知る。
消防組は出動後の器材点検を翌朝まで続けた。油に濡れた縄を乾かし、消耗した布を交換し、水桶の金具を締め直す。救護係は宿屋へ遅れて向かったことを謝った。シオンはその様子を物陰から見た。自分は灯を消せば終わりだと思っていたのに、相手の夜はそこから始まっていた。恐怖の演出が見える範囲だけで完結するという考えは、ひどく幼かった。
それでも花を捨てる気にはならなかった。むしろ形を磨き、誰も間違えようのない印にすると決めた。悪の名を語る前に、人がそれを何と呼ぶかを知らねばならない。屋根裏には切り損ねた黒い花が幾つも溜まった。




