染料の匂い
秋祭りの翌日、ミラの工房へ大口の注文が入った。王都から来る商談使節に備え、町会の役員が外套を新調するという。シオンは黒染めの桶を任され、袖口へ銀糸を通す作業を手伝った。夜の稽古より地味だが、失敗すれば家賃にも響く。
注文主の町会議長は、仕立ての途中で生地を変えるよう要求した。約束した代金では足りない。ミラが追加料金を告げると、議長は町会への納品実績を盾に値切った。シオンは議長の首に寸法紐を掛けながら、一瞬強く引くことを想像した。しかしミラの視線を受け、紐を緩めた。
翌日、議長の使いが注文を取り消しに来た。違約金は払わないという。ミラは激怒せず、納品台帳を取り出して契約の条項を読んだ。署名の写しと材料費の明細を見せると、使いは青くなって帰った。翌朝には半額の支払いがあった。
シオンは、自分が暴れれば一時の満足しか残らなかっただろうと思う。それでもミラの手法を善として称える気にはならない。彼が羨んだのは、声を荒げずに相手の逃げ道を塞いだ点だった。
工房で余った赤い糸は、貧しい家の子供用の手袋に使われた。ミラは色を揃えるより、縫い目を頑丈にすることを優先した。シオンは仕上がりが不格好だと口を出したが、子供の母は厚い縫い目を喜び、代金を払った。使う者の願いと作る者の趣味は違う。そんな小さな違いが、彼にとっては意外に飲み込みにくかった。
工房の窓からは、祭りの幕を片付ける一座の馬車が見えた。アーデは最後に礼をして町を出る。シオンは木箱の中に幻灯具をしまい、まだ誰にも見せないまま次の夜の計画を練り始めた。




