黒衣の手帳
シオンは悪王伝を読み直し、英雄に倒された者の記録へ印を付けた。強大な軍を持ちながら小さな裏切りで死んだ王。敵を恐れさせたが誰にも名前を覚えられなかった盗賊。最後まで戦い、自分を討つ者の名を呼んで散った魔術師。
美しい悪に必要なのは、ただ勝ち続ける力ではない。自分を否定する者が現れ、なおその者と向き合える覚悟だ。シオンは昔の自分が黒い布一枚で恐れられようとしたことを思い出し、少し笑った。
手帳の前半には、昔の名乗りの練習が残っていた。橋の上で叫ぶ順序や、外套を翻す向きまで細かく書き込んである。いま読み返せば恥ずかしいが、その頁を破く気にはなれなかった。あの滑稽な若者も、今日ここで針を持つ自分と同じ人間だ。彼が望んでいたのは悪の姿ばかりで、悪が残す痛みを数えていなかった。知った後に夢を捨てないことが、立派だとは限らない。それでも彼は、捨てる選択をしなかった。針箱の中には、最初の外套を縫った時の曲がった針も残っていた。
だが英雄を欲するだけなら、彼は英雄の人生を道具にしてしまう。エルクの真面目な瞳を思い浮かべ、すぐその名を手帳から消した。若者が何者になるかは、若者自身が決める。シオンが名指して運命を与えることはできない。
彼は代わりに、自分がしてきた悪事を書き出した。脅迫、偽りの噂、偽の警告、見知らぬ人の暮らしの妨害。美しい言葉で飾るほど、実際の行いはひどく小さく、汚れて見えた。
夜、手帳の最後に一文を書いた。『いつか私を止める者を、私自身が心から尊敬できますように』。祈りに似た文章だった。彼はその頁を折らずに閉じ、翌朝の仕事のため灯を消した。




