5話 夏月姫が"こう"なった理由
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「ごめん遅れた!」
額に汗を滲ませながら、ドアを勢いよく開ける。手も汗をかいているのか、金属の冷たさをいつもより感じた。
“話したいことがある。明日の放課後、3Dに来てほしい”
そう夏月姫からLINEがあったのは、昨日の21時過ぎだった。
明日の体育に備えて早く寝ようと自室の電気を消し、完全に入眠しそうだったところにその連絡が来て、俺は飛び起きて返信したし、何なんだろうと考えすぎて寝ついたのは日付が変わる頃だった。そのせいで今日の体育では散々な目に遭ってしまった、思い出すのも嫌だから何も言わないけど。
まあそんなことはともかく、夏月姫が他のどこでもない、3Dに呼び出したということはかなり重大な話なんだろう、と俺は身構えていた。
3Dとは、3年D組の教室、という意味だ。
この学校の第一校舎は、職員室や保健室などがある一階、一年の教室が二階、二年が三階、三年が四階という何ともわかりやすい構造になっている。そして毎年のクラス替えによって一クラスの人数が決定し、その人数によって教室をいくつ使うかが変わる、なんていう仕組みになっているため、クラスの数によっては空き教室がたくさん出ることもある。今年は三年は三クラスしかないから、すなわちD組の教室は全く使われていないということだ。
部室や会議室として使うことは禁止されていて、通常は入ることすらも禁止になっているのに、なぜか空き教室を使って告白したという話を聞くことが多い。
その結果、空き教室に呼び出されると告白される、なんていう俗説が学校中に広がっていた。
だから連絡が来た時は、相手が夏月姫だとわかっていながらも一瞬ドキッとした。
でも俺はすでに夏月姫と付き合っているから、もう一度告白されるなんてことはあり得ない。ということはつまり、告白と同じぐらい重大な話、別れ話なんじゃないか、と勘繰っていた。
「待ってたよ拓斗くん。ありがと、来てくれて」
「! 夏月姫」
ネガティブなことを考えている時の方が柔軟に動く頭で熱心に考えてしまっていると、教卓前の机に腰かけた夏月姫がひらひらと手を振りながら話しかけてきた。俺は思わずびっくりした声をあげ、さっきまでの思考が彼方に飛び去る。
これから起こるであろう展開を考えるとどうにも心が落ち着かず、体はそわそわと揺れて心臓はバクバクと音を立てる。
「ほんと、遅れてごめん」
「……こっちこそ、急に呼んじゃってごめんね? 迷惑、だったでしょ? こんな突然……」
はやる鼓動を抑えられないまま再度謝罪をすると、なんと夏月姫の方もごめんね、と言ってきた。小首を傾げてニコッと優しく笑ったかと思えばすぐに下を向いて、埃が舞う床を見つめながらそんなことを言う。
夏月姫の言うことには何一つ理解ができなかった。だって、迷惑だなんて、夏月姫と付き合ってからそんな感情を感じたことは一度もない。
「迷惑だなんて、夏月姫と付き合ってからそんな感情を感じたことは一度もない」
「え?」
「……え」
夏月姫のか細い声が聞こえて、俺ははっと意識を戻す。
え、嘘。今の、声に出てました……?
「っふふ……何それ」
とんでもない失言に口をぱくぱくとさせていると、夏月姫はふにゃりと顔をほころばせて笑った。
良かった、たぶんギリギリ気持ち悪いと思われてない。まあたとえ思われていたとしても、夏月姫の肩の力を抜くことができたのなら良いさ。
そうやって安堵していると、緊張がほぐれたのか、夏月姫が口を開いた。
「…………私、私ね。実は、腐女子なの」
そして、ぽつりぽつりと言葉を発した。一度声に出したことで止められなくなったのか、それとも俺に何か言われるのが怖いからか、夏月姫は俺が口を挟む間もないほどに、ペラペラと話し続けた。
「男の人同士が絡んでると嫌でも興奮しちゃうし、そういうドラマも漫画もたくさん見てきたし。…………何なら、最近は、拓斗くんを妄想に使っちゃってる時もある。拓斗くんって、ほんとに私のタイプど真ん中なんだよね。優しくて、誠実で、ちょっと臆病で弱気になる時もあるけど、すごく一生懸命で。そんな子が、俺様だったりヤンデレだったり、そういうのに攻められてるのが大好きなの。もちろん、それだけが付き合ってる理由って訳じゃないよ。だけど、多かれ少なかれ、そこも好きなところには入ってるんだ。……ごめんね、引いた、よね。まさかこんな気持ち悪い人間と付き合ってただなんて、思いもしなかったでしょ。……”結論”は、拓斗くんが出してくれていいから」
その言葉を最後に、夏月姫は黙った。話し終わる最後まで俺を全く見ずに、ひたすらに床を見つめて、両手を強く握りしめて。
結論とは、おそらく別れるか別れないか、のことだろう。それを俺が選択する側だったことにも驚きだけど、何より驚いたのは、夏月姫が告白した内容だ。
(…………それ、だけ?)
不覚にも、俺はそう思ってしまっていた。
いや、夏月姫の表情や立ち振る舞いを見れば、この告白がどんなに勇気のいるものだったことか、容易にわかる。そして夏月姫の告白が、人にあまり明かしたくないような内容であることも、重々承知している。
しかしさっき言った通り、俺は夏月姫に振られるのだろうと予想していた。いや予想どころか、それしか頭に浮かんでいなかったのだ。蓋を開けてみればまったくの杞憂だった訳だが……今はその事実を、素直に喜びきれない。
(振られなかったことには喜ぶとして……なんて、言えばいいんだろうか)
先ほどから沈痛な面持ちでいる夏月姫を、いかにして明るくするか。目下俺が頭を悩ませているのはそれだった。
ここはやはり、ドラマに出てくるようなスマートな男を演じた方が良いのだろうか。「勇気を出して話してくれてありがとう」と言うとか、何も言わずにそっと抱きしめるとか。
(微妙だな)
思い浮かんだ案はいくつもあったけど、どれもピンとこなかった。それどころか、その後の対応がわからずより無様になりそうな気さえする。
(………………いっか、答えるのは俺だから。俺が思う正解でいこう)
長く長く考えた末、俺はそう結論づけた。すると不思議と覚悟が決まったので、すう、と短く息を吸った後、勇気を出して俺は口を開いた。
「いや、全然いいんじゃない?」
……わかる。みんなが言わんとしてることはすごくわかる。この台詞のどこがかっこいいんだよ、って話だよな。
でも、いざ口にするとなるとこれしか出なかったんだ。ごめん。夏月姫を含め全員に謝る。
た、ただな? これで終わりって訳じゃないんだ。ここからが俺なりの励まし方。”あれ”を話すのは少々気が引けるけど、夏月姫のために初めて口を割ることにしよう。
「ただ一方的にいいって言ってる訳じゃなくて、ちゃんと理由があるんだ。実は、話してなかったけど、俺には姉貴がいるんだ。そんで、姉貴も夏月姫と同じ腐女子ってやつで、そういう漫画とかドラマとかすげー見てて。俺はそういうのに対して、別に差別的な見方をしてる訳じゃないけど、でも興味があるって訳でもなかったんだ。でも、半年ぐらい前からかな。姉貴が猛烈に語ってくるようになったんだよ。こことここの関係性が尊い! とかリーマンものしか勝たん! とか、色々。結論から言うと、それは『毎年やってるBL漫画ランキングに自分の推し作品をランクインさせたかったから』らしいんだけどさ、にしても短期間ですごい知識を詰め込まれたんだよね笑」
姉貴との関係性を話しながら、その時のことを思い出した。突然俺の部屋に飛び込んできてこれを読め! と強制的に漫画を読まされるわ、試験前だから勉強したいって言った矢先にリビングに連れ出してドラマを延々見させられるわ……うん、よく耐えてたな俺。すごい、ほんとにすごいと思う。
「姉貴の圧がとにかくすごくて、魅力が100%伝わったかって言われると微妙なんだけど、そうやって熱弁したくなるぐらい魅力的なものなんだなってのは、ちゃんと伝わってきた」
一応言うと、知識は備わった。と思う。
なんでそんな微妙な言い方をするかというと、姉貴はただ押しつけてくるだけじゃなくて、面倒なことに、どこが面白かったか、萌えたか、逆にどこがつまらなかったか、などを徹底的に聞いてくるからだ。
だから読んでるフリ、見てるフリは絶対にしてはいけない。もう一回見させられる羽目になるし、何よりこの作品がいかに推せるかの長尺プレゼンもおまけでついてきてしまう。
だからしっかり読んだ。しっっっかりだ。変な知識ばかりついて本来つけるべきの知識が頭に入らなくなることを恐れつつ、とにかくインプットにインプットを重ねた。……ほとんど忘れてしまっていることは口が裂けても言えないけど。
「だから、夏月姫のそういう趣味を否定するつもりは毛頭ないよ」
正直、夏月姫が俺を妄想の餌に使っていることはかなり衝撃だった。男っぽい役ならまだしも、俺が他の男に攻められる側だなんて、考えただけでも鳥肌が立つ。
でもまあなー……それが夏月姫の日々を彩ってくれてるのであれば、真っ先に否定するのもどうかと思ってしまう。
だから、許可はするけど、詳しい内容は意地でも聞かないでおこう。きっと俺の自尊心がボロボロに砕かれる。
「それに、何を好きかなんて人それぞれだしさ、それについてとやかく言うぐらい、俺は心の狭い男じゃないよ」
「……拓斗、くん」
夏月姫の震えるような声が聞こえた。
これは……やってしまったな。慰めるつもりが長々と自分語りをしていたことに終盤で気がつき、どうにか挽回したいという意を込めて言ってみたはいいものの、完全にミスった。これはカッコいい訳ではない、中途半端にカッコつけようとしてる一番ダサい男だ。
「……なんて、ね! ごめんな、急にキモいこと言って。全然、忘れていいから。夏月姫への想いは変わらないからさ、その、俺的には良ければこれからも、よろしくお願いしたいんだけど……」
わかってるさ、ここではぐらかすのが一番ダサいってことを。でもどうにも居た堪れない空気だったんだ、誤魔化すしか方法がなかった。
(だとしても今の誤魔化し方はないよなあ……。夏月姫も気まずそうに下を向いちゃってるし)
己の気弱さが嫌になる。自問自答しながら己を責め続けていた俺は、気づかなかった。
夏月姫が過去の出来事を思い出していたことも、その瞳から雫が一滴こぼれ落ちたことも。知る由もないのだ。
「……がとう」
「え?」
「ありがとう拓斗くん……好き」
「え……お、俺も好き!」
「え?」
「えっあっ」
夏月姫に目を向けると、夏月姫は潤ませた瞳で俺を見つめながら感謝を口にした。その言葉に、脳が考えるより先に、俺の口が返答をしていた。
その哀れなほどの必死さに夏月姫はまたもふにゃりと笑う。俺は恥ずかしさを隠そうと、ひたすら頭をぽりぽりと掻いていた。




