マデリンの場合
マデリン・ベルフローレはドラグナール王国の筆頭公爵家に産まれた、待望の姫だった。
ドラグナール国は背を切り立った山脈に守られ、港を有する海にも恵まれた豊かな国。
ベルフローレ家は数代前に王家から輿入れした姫を迎え、筆頭公爵家として他の貴族家の頂点として君臨する。
だが、力を持ちすぎた。
権力が分散すると国は荒れる。権力をまとめるために、王家に忠誠を示す必要があった。
だからマデリンの誕生に国中の人々は湧いた。
王家もベルフローレ家も、他の貴族たちも、全ての民がマデリンの誕生を祝福した。
これで数代はこのまま混乱もなく、安定した時間が保てる。
今、国が欲していたのは争いによって版図を広げるのではなく、国の安寧を礎に発展を重ね、豊かな文化を育むこと。
……と、マデリンはそう教えられて育った。
だからマデリンは蝶よ花よと大切に大切に育てられ、文字通り姫として育った。
マデリンは姫なので、もし手を滑らせてカップを壊しても、勝手に落ちたカップが悪いのだし。
マデリンは誰よりも大切にされるべき存在なので、気分でなかったら王宮にも行かないし、気分になったら喜んで出迎えるべきなのだし。
準備が足りないのは不出来な使用人を使っている者が悪いのだし。
マデリンは誰よりも愛らしいので、自分の好きな色を他の者が着るなんてありえない無作法だった──
珍しく気分がノッたお茶会で、また自分と同じ色のドレスを着ている令嬢がいた。
しかも銀髪だ。マデリンは、その輝く銀髪のお人形のような少女を見て、不愉快になった。
マデリンは自分の金髪がとても気に入っている。みんな褒めるので、至上の色だと理解している。
だけど、やけにその少女の髪の色がとても目立って見えたし、皆の視線がその少女へ向いていることが気に食わなかった。
いつも周囲の少年少女たちはマデリンのことを、姫として褒めそやす。
なのに、銀髪の少女へは月明かりでも見るように、不思議な目でそちらを見るのだ。
お茶会に顔を出したとたんに取り囲まれるわけでも、少しでもお話したくて順番を待っているわけでもない。それなのに、自然とみんなの視線がぼうっとそちらに向くのだ。
マデリンの中で、それは間違っている行為だった。
だからマデリンは言ってやった。
『そのドレスの色、あなたには似合わないわね』
だって、その色はマデリンの色だったのだし。
彼女の銀髪には青系の色が似合うと思った。
だから、そう言っただけなのに。
銀髪の子はマデリンの話を無視しているのか固まって動かなくなってしまうし。
マデリンはお姫様なので、自分の言葉に反応が返ってこないという事態は初めてのことだった。
もうっ。ちゃんと聞きなさい! と、マデリンが伸ばした手は、黒髪の少年にはたき落とされるし。
そう。無礼にもマデリンの手を叩いた無礼者がいたのだ。
あっけにとられたマデリンをかばう者もいなかった。
マデリンは意地悪な子ではない。蝶よ花よと大切にされたお姫様なのだ。
悪意の悪の字も知らない、へりくだり方も知らない、他人の事情や背景や感情なんて眼中にないお姫様だったのだ。
『な、なにをするの! 無礼者!』
『無礼者はお前だ。ナタリアに何を言った。覚えておけ』
少年の声に、びくりと勝手に身体が硬直した。
マデリンは怒られたことも、怖いと思ったこともなかった。初めてだったのだ。
本物の敵意を浴びたのが。
言葉を失ったマデリンを見て、興味を失ったとばかりに黒髪の少年は固まったままの銀髪の少女をどこかに連れて行った。
あの後だ。
あの黒髪の少年が第一王子のアルフレッドで、銀髪の少女が彼の婚約者のナタリア・ヒューズだと知ったのは。
ついでにマデリンの婚約者は第二王子の方で、たびたびお茶会で周囲をうろちょろしていた金髪の少年だったのだ。
周囲の予定では立太子予定の第一王子の方にマデリンを娶せるつもりだったのだが、どうしてそうなったのか選ばれたのはヒューズ公爵家の令嬢だった。
マデリンとしては、あんな恐ろしいアルフレッドという王子が婚約者でなくてよかったと思った。
それに比べてマデリンの婚約者のエドワードは彼女を上位の存在として認識しているのか、関わることが苦痛ではなかった。面白みに欠ける、足りない存在だと思っていたが、アルフレッドの灰汁の強さを認識してしまった後は不満はない。むしろ安心すら感じたほどだ。
それなのにマデリンの周囲は目まぐるしく変わる。
王妃が崩御すると同時に、側妃だったエドワードの母が王妃として立后した。
それに伴いマデリンの婚約者であった第二王子エドワードは、第一王子になるし。
まあ、そういうものか。
政争なんて気にも留めなかったマデリンは、王宮にてまたアルフレッドに再会してしまったのだった。
『──お前、ナタリアはどこか知ってる?』
『……っ、しら、ない! わたくしが知るわけないじゃない!』
ナタリア──アルフレッドが肩を抱いていた、あの銀髪の少女のことだとピンと来た。
だけど、マデリンはあの少女の話は気にもしてなかった。
にこやかに近づいてきたアルフレッドに追い詰められるまで、全く思い出しもしなかった。
『そうだよな、マデリンはそういうやつだ。何も知らないし、知ろうともしない』
『わたくしに知らないことなんて……!』
ない、とは言い切れない。
だってマデリンは、マデリン以外のことについてなんて考えてこなかった。
それを見透かすようにアルフレッドが鼻で笑った。
『マデリンが悪いんじゃないさ。そうやって何も知らない、操縦しやすい人形に育てられたんだからしょうがない』
『しょうがない……?』
『しょうがないだろう。マデリンがそのままでいいと望むなら』
そう言い捨てたアルフレッドはまた興味を失ったように目を逸らして、マデリンを視界から追い出した。
緊張の糸が切れ、ヘナヘナと座り込んだマデリンは、人生で初めてみっともなく床に手をついた。
マデリンは悪意の悪の字も、敵意の敵の字も知らないお姫様だ。
だが馬鹿ではなかったので、敵意の塊のアルフレッドに『マデリンは悪くない』と嘲笑われて、文字通り受け取るはずが無かった。
第二王子に繰り下がったアルフレッドに、馬鹿にされたのだ。
『愚かなままでいいはずがないでしょう? このマデリン・ベルフローレが』
そう思わず言い返して、アルフレッドのニヤリとした顔で気付く。
あぁ、手の内で転がされたのだと。この、マデリン・ベルフローレが。
この時、マデリンは自分より上位の存在に気づいた。
だからアルフレッドに『ナタリアの情報を持ってこい』と命じられたら、別に言うことを聞くつもりは無かったが、なんとなく気にしてしまうようになった。
まあ、もう怖い思いはしたくないし。情報を渡せばアルフレッドは大人しくなるから、仕方なく情報を渡すこともあった。
程なくして、マデリンは他人や物事にも事情や背景があることに気づいた。
カップを割ったのはマデリンなのに、担当していたメイドが罰を受けていることを初めて知った。それはおかしいとマデリンの顔は初めて曇った。
客人をもてなすには人員や食事の準備もあるし、何より使用人には主人に喜んでもらいたいと張り切る可愛らしいところがあるらしい。それは可哀想なことをしたとマデリンは初めて心が動いた。
それに、色を独占するのはちょっとワガママだし、誰もマデリンの心は見えないので今日は何色の気分かなんてわかりはしないのだ。マデリンは初めて少しだけ昔の自分に恥ずかしさを覚えた。
それに、マデリンはあの銀髪の少女──ナタリアと、もっと話してみたかった。彼女に似合う色やドレスのことだとか。
マデリンは情報を集めながら、自分の至らない部分に気づき始めた。
ある意味、アルフレッドに脅されたおかげでマデリンは淑女として成長したともいえる。
あのまま成長したら、傲慢で手のつけられない怪物になっていただろう。
気位の高さは健在だが。
マデリンはどんどん陰鬱さを増していくアルフレッドに、同情する余裕すら出てきていた。
痛々しいほど、彼の醸し出す雰囲気は棘を増していく。
ナタリアと再会できなかったら、アルフレッドは国を壊すのではないかと思ってしまうほど、よからぬ目をし始めた頃。
──ナタリア・ヒューズはのほほんと戻ってきた。
ついでにアルフレッドの表情も人間に戻ってきたし、時たまあざとい仕草を見せるので気色悪いが、国に平和が戻ったのならなんでも良かった。
マデリンは苦難の末、思慮深く、下々の者の事情にまで心を配れるほどの見識を身につけた。エドワードを支えるだけの教養を身につけたのだった。
まあ、その婚約者のエドワードはいつの間にかマデリンをお姫様のように崇めることをやめ、似合わない粗野な態度が目立つようになったし。
アルフレッドはナタリアの気を引くためにマデリンを使うし。
問題は山積みだった。




