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「だ、だめです!」
「・・・・・・ダメ?」
だめに決まっているでしょうが! イノチ、ダイジ!
それに素敵なコートなのでシワになってはもったいない。
袖をほどき、いそいそと袖に手を通せば、これでいい。
着てしまえば肩から落ちないだろう。
少し、いや、かなり大きいけれど着れないことはない。
着てみて気付いたが、殿下の黒いコートには銀の縁取りがほどこされていて、胸には金の飾りがついている。やはり王族の持ち物。近距離で見ても繊細な手仕事だ。
「これでどうですか?」
「す────」
ナイスアイディアだと思ったのだが、アルフレッド殿下は固まってしまった。呼吸が止まってやいないか?
まあ、絞め殺されないならいいのだ。
「──じ、実は犯人に心当たりがあります!」
「──なんだって。君自身が現場を目撃したのか?」
観客はごっそりといなくなったが、ここで急展開。
なんと男爵令嬢は犯人について何か知っているらしい。
こんな陰湿なことをしたのは、いったい誰なのだろう。
人間関係が希薄すぎて、全く何もピンと来ない。
じらすようにタメる男爵令嬢に、今か今かと答えを待つ令息たち。そして物陰の私までつい前のめりになってしまう。
ごくり。
「─────~~~~~っっ、ごくイイ」
「えっ、なんですか。静かにしてください」
急にしゃべり始めたらびっくりするじゃないですか。
しーっ、と指を口の前に持って行こうとしたが、袖が長すぎて指先が出ない。
でろんでろんと袖を振っていると、アルフレッド殿下は大人しくなったので問題ない。
ちょっと凝視されすぎて怖いが、まあ問題ない。
「──あ、いえ、実際に見たわけではなくて・・・・・・っ」
「──そうか。では、心当たりについては書類に候補をまとめてくれ」
妙に緊張感のテンポがずれたのは、あちらもらしい。
令息たちは興味を失ったような、事務的な顔に戻った。
「──えっ、でも」
「──今日はドレスや楽器の運搬で荷物検査を行っても結果は怪しい。ひとまず、あなたは準備を進めた方がいいだろう」
てきぱきと撤収しようとする令息たちに対して、桃色の髪の男爵令嬢は衝撃を受けたような顔でひきつっている。
まあ、わかりますよ。
乙女の感覚で言えば冷たく事務的な対応に感じますよね。
大丈夫? だとか、傷ついた私の心は放置で、準備を進めろって言われたらショックでしょうね・・・・・・
と、乙女心がわかる私は同情的になっていたのだが。
彼女の次の発言で、私の天秤はもう一方に傾くことになる。
「──マデリン様です! 私のドレスを切ったのは、彼女に間違いありません!」
「──マデリン・ベルフローレ嬢が?」
「は?」
「ナタリア、そんな低い声も出るの? かわいいねっ」
地にめり込むほどの傾き具合である。同情心は全て消えた。
当初よりも周囲を取り囲んでいた生徒の人数は減っているが、ここは音楽会会場の入場口付近である。ちらほら残っていた生徒もいれば、新たに通りかかった生徒もいる。
その生徒たちが耳にしたのは、マデリン様の悪評。
まさか、と囁くような声がどこからともなく広がっていく。
マデリン様がそんなことをするはずがない。それは私が一番よく知っている。
「──彼女が・・・・・・でも、確証はないのだろう?」
「──でも、そうとしか考えられないのです! だって」
男爵令嬢は、居合わせた周囲にも聞かせるように説明を重ねていく。
以前からたびたびマデリン様に嫌がらせを受けていた経緯があり、この件だけは例外とは考えにくいと理論立てて。
聞く者が聞けば、それは筋が通っているように聞こえてしまうのが不思議だ。
「違うのに・・・・・・」
マデリン様はそんなことをしない。
それを知っているのに、私はまだ物陰から出ることができなかった。
大切な方のことを誤解されているというのに、私は小さく縮こまって独り言を呟いている。
悔しくて悔しくて、喉が熱くなる。今にも飛び出して違うと叫びたいのに、足は震えて力が入らないのだ。
そんな自分は嫌なのに。
「大丈夫? 震えてる」
固まった背中が、ふわりとあたたかくなる。
縮こまっていた肩も、腕も、全部が包み込まれたようにあたたかい。
「大丈夫だよ。ナタリアはそのままで」
耳元で囁かれる声は、まるで子守歌のように優しい。
今の私の弱さを肯定し、受け入れてくれる。
弱い自分を否定ばかりしていたが、そのままでいいと言ってくれるのだ。
はく、と口は音のない息を震えて出し、涙の膜が視界を塞ぐ。
「大丈夫、大丈夫。怖かったね。これから俺がいっぱい甘やかしてあげるから」
優しく頭を撫でられ、耳に流し込まれる声は甘い。
私をすっぽりと抱きしめる身体は確かに大きくて、力を抜いてもたれかかってもびくともしないだろう。
戸惑う私の頬に添えられた手にやんわりと押され、視線を上げる。
「ね?」
そう言って、私の顔を覗き込むアルフレッド殿下の顔は、とても幸福そうに笑んでいる。
その天使のようなお顔に、一瞬だけコクリと頷きそうになり──
手を徐々に接近してきていた殿下の顔の前に出す。
余った袖がブオンと殿下の顔に当たったが、不可抗力です。
「いやいやいやいやいやいやいや。結構です」
「あ、正気になっちゃった」
「ずっと正気です」
「でも流されそうだったよね」
そんなことを言い合っている間に、主役のお出ましだ。
「──わたくしが、何か?」
立ち止まっていた生徒たちがずわりと動く。
人だかりが左右に分かれてできた道の中央を歩くのが、マデリン様だ。
本日のドレスは誰よりも美しく、決して華美ではないのに太陽よりも輝いている。
「──お前たち、何をしているんだ? そろそろ始まるぞ」
そのマデリン様をエスコートしているのが、マデリン様の婚約者のエドワード殿下だ。
「お二人とも装いにお互いの色を取り入れているのね。羨ましい」
「んんんっ、あれ-? ナタリアのドレスの色、誰の色かなー?」
アルフレッド殿下は顔面を叩かれたことは気にしていないのか、何やらモジモジ照れ始めた。よかった、怒ってなくて。なんとかなった。
それにしても羨ましい。私もマデリン様の瞳の色のものを持ちたい。




