主役を煌々と照らすはずの照明を奪われた
某月某日。天気は小雨。
今日はいよいよ音楽会本番。
準備はばっちり。瞳はバキバキ。脚力上々。
私の両手も、脚力も、仕上がっている……!
私はギュムッと、戦いに挑む騎士のつもりで拳を握りしめた。
こういうのは自己イメージが大切。
そう。今日の私は、ひと味違う。いつものモブではないのだ。
顔も少し濃くなっているに違いない。
本日はいつもの標準的で改造していない初期装備(制服)を脱ぎ去り、深い青の光沢が上品なドレスを身に纏っているし。
ひと味どころか、ふた味も、み味も違うに決まっている。
こほん。
まあ、私だけではなく、本日の学園全体がパーティー仕様となっているのだけれど。
音楽会は学園最初の行事。己の能力を魅せるチャンスと言って良い。
特別な催し物としてドレスコードも決まっており、生徒たちは思い思いのドレスや礼服でふわふわと浮き足立っている。
普段と違う一面が見えて、ドキドキしますよね。わかりますよ。
私も今日のドレスが映えるように、いつもより気持ち胸を反らしてみた。
先月お父様が用意してくださったと聞いていたドレスは、ライムグリーンだった気がしたのだけど、この深い青の大人っぽいドレスも素敵。
ま、まるでデキルお姉様のように見えるのでは……?
お父様も、私がいつまでも子どもでないとやっと理解したのだろう。うんうん。
いつまでも影に隠れていたり、カーテンの目を数えたり、雲を数える子どもではないのだ。うんうん。
推しを輝かせるためなら、私、頑張れる……!
今日はマデリン様と同じ舞台に上がり、マデリン様のためにピアノを演奏するのだ。
全ては推しのために。オールフォア推し! 推しはみんなの光り! ヤーッ!
「ナタリア、大丈夫? 緊張するね」
「エッ、アッ、ハイ」
鼻息荒く拳を固くしていると、アルフレッド殿下が楽しそうに話題を振った。
そういえば馬車止めからずっと周囲をウロウロしていらしたが、暇なのだろうか。
「たくさん練習したから大丈夫だよ。頑張ろうね。終わったらお祝いにケーキを食べに行こうよ」
「エッ……大丈夫デス……」
「ケーキは好きじゃない? ではクッキーがいいかな。たくさん用意したから好きなものがあったら教えてね」
んんんーーー? 頭を傾げすぎて、首がぴきりと鳴った。
おやおや。どうしてかな。行く前提で話が進んでるんですけど……?
「マデリンにも声をかけたから、アンサンブル仲間としてお疲れ様会だね」
「……!?」
話が通じない恐怖から生じていた震えがピタリと止まった。なんだって。
仲間と、お疲れ様会、だって……!?
最大限視線をずらしていたが、ぐるんとバッチリ照準を合わせた。
アルフレッド殿下は私の反応に気を良くしたのか、ニコニコとかわゆくコテリと顔を傾けている。あざとい。怪しさ満点だ。何を企んでいるのか。
と、警戒しているそぶりを装っているものの、本当は”お疲れ様会”に飛びつきたくなっている。で、でも、さっきは断ったのに、マデリン様がいらっしゃるとわかったら態度を変えるなんて、はしたないと思われるわ!
ごくりと喉を鳴らし、一応、罠ではないかとじりじりと間合いを計る視線を投げても、殿下は頬を染めて照れ始めるばかり。
うん。気にしてなさそう。
そういえばアルフレッド殿下は、推しを見守る気持ちを理解し合える仲間(仮)なのだから、建前は不要だった。
成功者曰く、チャンスは前髪しかないのだ。さらば掴むしかない。この前髪!
「あ、ありがとうございます。参加します」
仲間(仮)、もといアルフレッド殿下は、フッと満足そうに頷いた。
この笑顔は、見ようによっては簡単に罠に飛び込んできた贄を笑ったものにも見えたが、きっと警戒心が見せた幻だろう。うんうん。
「──チョロくて可愛いナタリアも俺が守るから安心してね」
とっても良い笑顔で何やら言ったようだが、私に負けず劣らずの小声は周囲のざわめきに紛れてしまった。
ざわめきの発生源、会場となる講堂の入り口には人だかり。
騒ぎの輪の中に、ぽつんと頼りない小さな影がある。群衆の隙間から、桃色の髪がきらりと見えたような気がして。
なんとなく、物陰に隠れるように姿勢を低くした。
「ナタリア、どうしたの?」
「あ、いえ、あのッ。先に行っててください、私は」
ここで見てます、と言おうとしたが。
アルフレッド殿下はスチャッと隣に隠れた。
あ、一緒に見るんですね。はいはい。見るのはこっちじゃなくて、あっちですからね。
視線の先には、やはり桃色の髪。
あの図書館の日にマデリン様の御み足に触れた男爵令嬢ではないか。
色とりどりのドレスの輪の中心で、普段と同じく制服をまとった彼女はひどく浮いて見えた。
『──私の大切なドレスがこんなことになってしまって……っ、これじゃあ音楽祭に出られません!』
男爵令嬢はドレスだったという布きれを握りしめ、涙をぱらぱらと次から次へとこぼした。
『──これはナイフで切られた跡じゃないか?』
そう唸るように言ったのは、エドワード殿下の護衛騎士見習い。
厳しい顔で布を検分しているのは、同じくエドワード殿下の側近の令息だった。
会場入りしようとしていた生徒たちは何事かとどんどん足を止めていく。
それに比例して、男爵令嬢のすすり泣く声は大きさを増していった。
『──ドレスの保管は女子寮で?』
『──はい……っ、女子寮の共同衣装室に保管していました。私は身分が低いので一番最後に着替えることになっていて、やっと順番が回ってきたと思ったらっ』
男爵令嬢は続けて、今日という日をどれだけ楽しみにしていたのかを涙ながらに語り始めた。
期待に胸躍らせた分、落差はより悲壮感を増しただろう。
感情を揺さぶるソプラノは、輪の外側にいる私達にも明朗に届く。
これは負けられない。
彼女の喉は、仕上がっている。本番前でコレとは。恐ろしい子……っ。
私も遅れをとらないよう指を温めておこうと、小さくニギニギしておいた。
『──つまり、女子寮内にナイフを持ち込んだ女子生徒がいるということか。持ち物検査を実施するか』
『──今から行うのは現実的ではない。持ち物検査を行うなら、本日の帰寮時だろう』
『──では、寮の管理人に言伝てよう。あとは報告と』
男爵令嬢から聞ける情報は全て聞き取ったと判断した、令息たち。
令嬢を輪から外してポンポンとこれからについて意見を交わしている。
さすが王族の側近。処理能力が高い。
てきぱきと状況を確認し、実行していく手腕は見事なものだ。
次々と展開される包囲網に周囲は目が離せなくなっている。
男爵令嬢が涙を堪え語っていた時は悲劇だったが、場はすっかり腕力と知性のデコボコバディが事件を解決する演劇になっている。
主役を煌々と照らすはずの照明を奪われたような形になった男爵令嬢は「え?」「あのっ」「まって」と戸惑っている。
だがしかし! このまま主役の座を奪われるわけにはいかないと男爵令嬢は勢いを取り戻した!
『──ま、待ってください! わたし、怖かったんです』
どーん! と派手な効果音(幻聴である)と共に、ズイッと話題の主導権を取り返しに行く男爵令嬢。
『──恐怖を覚えた……つまり、切りつけられたのか!?』
『──それは話が変わる。緊急度を上げる必要があるだろう』
『──えっ、いえ、別に……でも、ドレスがこんなことになってわたしっ……もうどうすればいいか!』
別に自分自身が切りつけられたわけではないが、大切なドレスを傷つけられ、彼女の心も傷付いたのだ。
とたんに空気は悲劇に引き戻される。
情感たっぷりに歌い上げられる怯えと不安感。折れてしまいそうなほど傷付いた彼女は、誰かに支えてほしいと手を伸ばすのだった。
令息たちは難しい顔で腕を組み、彼女の訴えに耳を傾けている。
涙を誘う彼女の不遇さに、周囲に立つ令嬢たちは同情し視線を落とした。
そして彼女の訴えに口を挟まず最後まで聞き終えた令息たちは、やっと口を開いた──
『──こちらの布は証拠として回収してよいだろうか』
『──そういうことじゃありません! こういう時は慰めてください!』
演目二回分の喉を使った後だというのに、キレの良い返事だった。
これが生まれ持った喉の強さ……才能ってことなのか。ごくり。
男爵令嬢は泣いたり怒ったりと表情がコロコロと変わって、様々な差分を見せてくれる。
一般的に貴族は表情を保つことを良しとされているため、彼女の感情を真っ直ぐ表現する仕草や表情は貴族として珍しいタイプだ。
それを間近で浴びた彼等は少し動揺したように、『あ、あぁ……気を確かにな』と声をかけた。
彼等は事故処理能力は群を抜いて高いが、対乙女に必須の共感力は低いのかもしれない。
まあ、緊急時に「えーナニソレこわーい!」「えーかわいそうすぎるー!」と慰め合っても、何も解決しないし進展しないですしね。
彼女の勢いに、思わず笑ってしまった周囲の声に反応して、徐々に緊迫していた空気が崩れていく。野次馬の輪から『彼女は新しいドレスをおねだりしているのですよ』『抱きしめて安心させて差し上げては』『騎士のように"あなたに指一本も触れさせません"とおっしゃって!』など口々に囃し立て、中心にいる主役たちは苦笑いやら照れ笑いを浮かべている。
「滑稽な喜劇だったね。さて、そろそろナタリアも会場に向かおう」
アルフレッド殿下は興味なさげに息をついた。
彼の視点では全部まとめて喜劇だったようだ。滑稽寄りの。
劇とは言い得て妙。
女子寮で切り裂かれたドレスの切れ端を、この講堂前の広間という一番人通りの多い場所まで持ってきて、涙を流すのはいささか不自然──たしかに劇のようだ。
先ほどまで何事かと周囲を取り囲んでいた生徒たちは、催し物が一段落ついたと判断してそれぞれ動き始めた。
皆、ここで野次馬をしている暇はないのだ。
それもそのはず。
──音楽祭は学園内の交流会という名目ではあるが、その実態は生徒会役員選出に向けたアピールの場だからだ。
生徒会
学園に通う生徒のための、生徒による運営、自治を担っている組織。
王立学園という団体がデビュー前の未成年が社交界を学ぶ場だとしたら、生徒会は未成年が組織を動かす政治を学ぶ場である。
その生徒会役員には選ばれし生徒──将来、国を動かす令息・令嬢たち──が集められるという。
定期考査やイベントでの活躍で爪痕を残して、生徒会へ入ることができれば。
中枢機関へのコネクションや有望株との縁が掴めて大逆転! ということらしい。
みんな将来のことまで考えていてえらい。
「私も将来を見据えて行動しなければなりませんね」
「……っ、ああ! 一緒に考えよう!」
アルフレッド様がずいっと私の視界に入ってきた。
一緒にと言われても、私の今期の目標はマデリン様と視線を合わせての挨拶なのだけれど。
マデリン様は光量が強いから、アルフレッド様がたまに醸し出す闇のオーラで調整してくれるとでもいうのだろうか。アッ、スミマセン、値踏みするような目で見て。
観客が減ってきたので、私たちも物陰に移動する。
アルフレッド殿下がポテポテついてきたので、ついでに一緒に隠れることにした。
ちょっと。ただでさえ大きいのですから、もっと気合を入れて隠れてください。
姿勢を低く、サッとしゃがみ込んだと同時に、アルフレッド殿下の上着が肩にかけられた。
「あ、え、ありがとうございます……?」
「素敵なドレスを隠すのは惜しいけど、背中が無防備すぎるから。我慢してね」
コートからはふわりとアルフレッド殿下の香りがした。
先ほどまで着用されていたからか、コートからは体温も感じる。
他人のものなのに、それらを受け容れている自分に気付いた。
そばにいることが最近多いから、慣れたのだろうか。
殿下のコートは私には大きくて、すべり落ちそうになった肩に彼の熱い手が触れた。
ビリッと何かが私の身体の中を素早く走った。
驚いたのは私だけではないようで、アルフレッド殿下も同じ顔をしていた。
それがなんだか恥ずかしく感じて、勢いよく視線を下げる。
殿下は一拍の後、ゆっくりとコートを私にかけ直した。
今度は触れないようにしていることがわかる、丁寧な手つきで。
肩から落ちないようにしたいのか、コートの袖を持って迷っている手が可愛らしい。
思わずふふっと笑ってしまって、空気が漏れる。
その手を辿りながら、逸らした視線をゆっくりと彼に戻す。
だって、なぜかアルフレッド殿下から力強い視線を感じたから。
視線が繋がり、離れなくなった。
耳の中で鼓動の音が強くなる。
制御を失った私の身体は徐々に不思議と鼓動を大きくしていく。
駆けるように速さを増す鼓動が、視界が揺れそうなほど大きく激しくなっていくのはなぜだろう。
も、もしかして、これが、殺されそうな恐怖……?
コートの両袖で拘束するようにギッチギチに結んで来る殿下の顔が怖い。
ししし絞め殺すつもりですか!?




