アルフレッドの場合
アルフレッドは夢の中にいた。
良い夢だ。
何年も何年も探し続けた少女が成長して、彼の元に帰ってくる夢。
警戒を隠そうともしない子リスのような彼女が、ほにゃりと柔らかく笑いかける夢。
絡まない視線が、彼をしっかりと正面から見つめ返してくる夢。
かわいい唇が、彼のために動く夢。
徐々に浮上してくる感覚が、それは夢だと痛いほど知らせてくる。
まぶたを通して入る光を遮ってみたが、もう彼女──ナタリアは彼の夢に現れない。
「落ち着かれましたか。アルフレッド殿下」
従僕がちらりと一度だけ視線をよこし、問題ないと判断したのか作業に戻った。
礼儀をわきまえない態度だが、それによってここには従僕とアルフレッドの二人きりだということがわかった。
「……ナタリアは?」
「もう帰られましたよ。当たり前じゃないですか」
念のため聞いてみたが、やはりここにはいないらしい。
もしかしたら付き添っているのではと淡い期待をしたが、ナタリアがアルフレッドに付き添うはずがない。
──ナタリアは、アルフレッドのことをすっかり忘れてしまっているのだから。
苦い事実を思い出したアルフレッドだが、同時に良いことも思い出した。
「結婚するのだからもう一緒に住めば良いじゃないか」
「ついに妄想と現実の区別がつかなくなりましたか」
お労しい、そう棒読みで話を流そうとする従僕を尻目に、アルフレッドはもう一度夢の続きが見られないかと目を閉じてみた。
──ナタリア・ヒューズが帰国した。
その情報を掴んだのは、学園で行われる入学式典の前日だった。
アルフレッドは突然姿を消した愛しい彼女を、何年も何年も探した。
そう、何年も、だ。
母のいない王子が生きるには、王宮は冷たい場所だった。
ただナタリアがそばにいてくれれば、頑張れたのに。
孤独な王子の心を守ってくれるナタリアを、彼女自身を守る力がアルフレッドには無かったのだ。
だから消えたナタリアを取り戻すために、アルフレッドは自己憐憫の居心地のよい闇から這い上がった。
決して第一王子に据えられた弟のエドワードの敵にはならないと立場を貫き。
王宮内での立場を確立し、協力者を増やし、邪魔者の力を削いでいく。
地道に、着実に、虎視眈々と力をつけていった。冷たく居心地の悪い王宮を、利用するように。
ある意味、ナタリアが彼の前から消えてしまったおかげで、無知で弱い王子から少しは成長したとアルフレッドには自負があった。
それでも尚、ナタリアを見つけることはできなかった。
手がかりが見つかったと期待して、それがデマだったと気づき絶望する
それを何度繰り返しただろうか。
ヒューズ公爵や父親である国王の他に、ナタリアを隠している者がいた。
そこまでわかっているのに、あと一歩踏み込むには自分の身分が邪魔をした。
大切な人を隠された絶望は、俺の願望も、執着も、野心も色濃くした。
努力して努力して、もがいて。
それなのに何度も手からこぼれ落ちる。
そんな日々に、アルフレッドは限界が来そうだった。
心の中心からナタリアが消えてしまったという現実を受け入れられず。
もう全てがどうでもよくなって、そして──
──という絶望の日々は、あっさりと終わった。
彼女が学園の入学式典にトコトコ無防備に現れたことで。そんな散歩みたいに。
ナタリアが消えていた時間の絶望は深く、深く、光の届かない闇だった。
その闇が一瞬で晴れた。ナタリアはすごい。
あれだけ会いたいと願っていたナタリアに再会するのは、少し緊張した。
思い出の中のナタリアはまだほんの少女のまま、成長を止めていたから。
さらさらと華奢な背を流れる銀の髪が、誘うように揺れていた。
思い出の中の少女も、同じリズムで歩いていた。
──あぁ、そこにいる。
苦しいほど胸が締め付けられた。どくどくと脈動する音が頭の奥をかき乱す。
嬉しいのに涙がこぼれ落ちそうになるのはなぜだろう。だが、それはナタリアのように澄んだ涙に違いない。
そして、この胸に広がる正の感情の強さと同じぐらい、邪魔なもの全てに同じ苦しみを味わわせてやりたい負の感情がうねる。そんな二種類の感情が混ざり、今回は若干“正”の方が勝った。
そんなことに時間を割くよりも、今はナタリアとの距離を縮める方が先だった。
幼なじみのマデリンは常々、ナタリアがいなかったら俺は国を滅ぼしていたかもしれないと言っていた。おもしろい冗談だけれど、それほど限界が近づいていた気もしている。
全国民、ナタリアに感謝した方がいいのではとアルフレッドは思った。真剣に。
前をふわふわ歩くナタリアは、歩みを止めない。
振り向いてくれないだろうかと期待して、追いかけそうになる。
その彼女に、アルフレッドより先に、話しかけようとしたやつがいたが。
目が合うと下がっていった。
自分より先に会話をするのは許せなかった。
彼女は少しだけふらふらと可愛らしい頭を揺らしたが、すとんと席に座った。
その様子を夢でも見ているように噛みしめていたら、横をマデリンたちが通過した。
邪魔だ。見えない。
アルフレッドがナタリアを探し続けていることを、嫌というほど、骨身に染みて理解しているマデリンも彼女の存在に気付いた。
ひどく驚いた顔で話しかけようとしていたが、エドワードの機転で事なきを得た。
使えない、同い年の“弟”だが、褒めてやろう。
だが、待望の再会は思うように始まることはなかった。
想像以上に美しく、可憐に、そして無感情な人形のように成長したナタリア。
彼女ととにかく視線が合わないのだ。
かわいい、かわいいナタリア。
早くアルフレッドのことを思い出してと願うのに、上手くいかない。
あろうことか、彼女はマデリンばかりを見つめていた。
それならばとマデリンを餌にして接触を試みたが、感触はよくない。
それでもゆっくりゆっくり時間をかけて接触回数を重ね、慣れてもらうことに成功した。
冷たい目が期待に変わり、強張った頬は雪解けのように柔らかく変わった。
そして、やっと。やっと仲間という称号も得ることができた。そう、敵じゃない。仲間だ。
次は恋人で、家族だ。昔彼女に贈った子犬のロータスと、かわいいナタリア似の子どもたちが遊ぶ庭にブランコを造ろう。
「いくつか段階が飛んでますよ」
「盗み聞きか?」
「口に出てましたよ」
心底気色悪いと思っているという顔を隠すそぶりのない従僕は、珍しく腕を組んでこめかみを揉んだ。
これは従僕である彼の、言いにくいことを忠言する時の仕草だ。
面倒だが言うしかないとでも思っているのだろう。
「殿下、改めての確認ですが……」
「わかっているさ。ヒューズ公爵との約束は違わない」
ナタリアが思い出すまで、アルフレッドとの関係は伝えない。
──婚約者を忘れてしまった彼女に、また選んでもらわなくては。俺を
ヒューズ公爵家を後ろ盾に、次期王太子の座を有力視されていた過去。
害されたのはアルフレッドではなく、婚約者だったナタリアだった。
王宮での心安まるお茶会で倒れたナタリアは、つらい出来事と共に婚約者のことも忘れてしまった。彼女につらい思いをさせたくないとヒューズ公爵は厳しい顔でそう言った。
長い努力と孤独と絶望を引き換えに、ヒューズ公爵からは条件を出された。
一つ、後継者争いにナタリアを巻き込まないこと。
一つ、婚約者だと名乗り、婚約を押しつけないこと。
一つ、ナタリアの幸せを守ること。
彼女は毒を受けて性格が変わってしまい引っ込み思案になったらしく、それでも彼女が幸せになれるならと。
それをもってナタリアがアルフレッドを選ぶなら、婚約を続けて良いと。
約束を違えば、婚約は破棄。一生ナタリアを手に入れることができなくなる。
そんなことはわかっている。
今度はヒューズ公爵も陛下にも、後れをとることはしない。
むしろ使ってやればいいのだ。
使えるものは全て使おう。権力でも、マデリンでも。なんでも。
「だから口から出てますって。公爵令嬢を使うっておっしゃいました? 聞き捨てなりませんね。いくら幼馴染みとはいえ、彼女は第一王子殿下のご婚約者様で」
「聞くな。耳を閉じろ」
「そんな横暴な!」
アルフレッドは、もう幼い彼女を守れなかった孤独な王子ではないのだ。
「──待っててね、ナタリア。君は俺しか選べなくなる」
「怖いですって」
そして厄介な王子になっていたのだった。




