イ、イエ、名乗ルホドノ者デハ
某月某日。晴れ。雲は少し多め。
今日のマデリン様は、一人で物憂げに中庭のガゼボで休憩中だ。
その表情の意味を知らない私ではない。
最近耳にした噂では、マデリン様の婚約者である第一王子殿下は、とある男爵令嬢と親しげに交流しているともっぱらの噂である。
一介の男爵令嬢が王族と親しい顔をするなんて! と、止めに入った令嬢たちもいたそうだが、エドワード殿下は「学園は身分差なく平等である」と意にも介さなかったとか。
と、王子殿下がおっしゃったとて。尊い身である第一王子エドワード殿下が全ての下級貴族と親しくできないのは明らかで。
お気に入りの依怙贔屓ではないかと行き場のなくなった不平不満を落ち着かせるために奔走したのは、婚約者であるマデリン様だ。
あぁ、なんて苦労人なマデリン様。
本来、お世話される側の方だというのに。
高まるマデリン様の株。下がるエドワード殿下の株。
婚約者の評判が下がるというのも、頭が痛い問題だろう。
以上が、食堂や教室での盗み聞きの成果である。
あれ、雨かな? 快晴なのに。
マデリン様とエドワード殿下のご婚約は政略的なものだろう。
高位貴族は幼い頃に婚約が調う場合が多い。
だからなのか、ちょうどこの時期に婚約者以外に仲の良い異性のオトモダチができることもあるかもしれない。ないかもしれない。
婚約とは家同士の契約。
婚約者の他に仲の良い異性のオトモダチがいたとしても、簡単に破棄できるものではない。
契約だろうが政略だろうが、誠実に向き合わなければ信頼関係は深まらない。
はたして、どうなることやら。
あぁ憂うマデリン様も美しい。
時として主人公とは困難に直面して、成長するもの──。
マデリン様を曇らせるエドワード殿下もまた、準主役として大切な役割を担っているのかもしれない。
ガセボが見える木陰の向こう。私は一人、ぐっと拳を握った。
「──どうしたの?」
突然、耳元で囁かれる声。
ヒッッッと反射的に息を飲み込み、そのままコロリとよろけてしまった。
緊急事態になると仮死状態を装い、見逃してもらおうとする動物がいると辞書で読んだことがある。
きっと私の前世もそのような小動物だったに違いない。仮死状態を装ったまま、これ幸いとそのまま美味しくいただかれる不憫な糧。ざんねんすぎる。
「だ、大丈夫?」
幸いにも私の背後をとった方は、そんな意図ではなかったようで。
戸惑うことなく草むらに膝をついて、背を支えてくださったのはいつかの黒髪の青年だった。
マデリン様と親しくお話ししていた、あの黒髪の青年である。
わ、わぁ。画面の向こう側から飛び出してきたぁ。
「アッ、アッ……」
「急に話しかけて驚かせてしまったね」
ちなみに、今回のアッはありがとうございます、のアッである。
学園で発声しない時間が長すぎて、お礼すらも言えなくなっている。ゆゆしき事態だ。
「木陰で座っていたから体調でも崩しているのかと……」
私の恩知らず挙動不審ムーヴを気にした様子のない黒髪の青年は、爽やかな笑顔で私を立たせると一歩距離を開けた。
その気遣いにほっと肩の力を抜く。
なんだ、ただの優しい人じゃないか。
ふうと息をつき、気合いを入れて向き直る。
私も公爵家の端くれ。ここでお礼を言えずに、どこで言うのか。
……まぁ、木陰でマデリン様を盗み見ていたことを誤魔化したい下心もある。
「ありがとう存じます。少し、日差しが強くて。休んでいたのです」
人と話す機会が乏しすぎて、想定より小さな声になってしまったが聞こえただろうか。
盗み見と声の小ささを誤魔化すように、笑みを足してみたのだが。
途端にずわりと黒髪の青年が纏う空気が変化した。
「……?」
おや? 天気でも崩れたのかと、空を見上げてみるが変化はない。
変わらず穏やかな陽気だ。あ、鳥も気持ちよさそう。
カタリと小さな音につられて視線を地上に戻せば、マデリン様が深刻そうな顔で立ち上がろうとしているところだった。
そこに手を差し伸ばしたのが、目の前の黒髪の青年だ。
彼は何かを堪えるように片手で顔を覆いながら、もう片方の手をマデリン様の方に伸ばしている。
その手は静止するようにも見えるし、何か目には見えない能力を放出する術士にも見える。
いったい彼は何をしているのか。
状況を理解する前に、マデリン様はゆっくりと腰を下ろし、そして空を見上げた。わかります。今日はいい天気ですよね。
一拍。
いよいよ変な間に、顔を隠したまま俯いてしまった彼の方こそ心配になってきた。
「……あの、大丈夫ですか?」
「あ、あぁ。こちらは問題ないよ。あまりの威力に取り乱しそうになってしまって」
今度は両手で顔を覆った青年は、スーハースーハーと手の隙間から深呼吸を繰り返している。非効率的だ。手を下ろした方が、より多くの酸素を取りこめるのでは?
まぁ、私の不審者行動は今のところ誤魔化せたのではなかろうか。
よし、撤退だ。
善は急げと下がろうと思ったのだが、がしりと腕を掴まれた。
「ヒッ」
「……さきほど倒れた時に怪我をさせてしまったかもしれない。名前を教えてもらえるだろうか」
やはりなんとかならなかったか、と再び仮死状態になる寸前。
振り返れば、彼の顔面が目前に迫る。
10dpiの解像度でも美形だな、とは思っていたがここまでとは。
意志の強そうな目元の印象を爽やかにするのは、鮮やかなコバルトブルーの瞳。
まさに主役級の顔面だった。
主役が、なぜ私の腕を……!?
あなた、こんな木陰でモブを捕まえている場合じゃないでしょうに!
本当はメインストーリーの方でやることがあるのではないの?
いえ、絶対あるわ。
マデリン様を慰めるだとか。そういう展開方面の!
「イ、イエ、名乗ルホドノ者デハ」
「知りたいんだ」
黒髪の青年は麗しい顔を俯かせた。
そんなに食い下がられても困る。
一度隠したせいで、もったいぶったようになってしまった。
引っ張るような情報でもなかったのに! ひえん!
さて、どうやって逃げようかと視線をうろつかせた瞬間。
うるうると涙の膜が張り付いたような瞳が視界に入る。
「だめ、かな……」
なおも食い下がる黒髪の青年は、先ほどとは打って変わって眉を下げて情けない顔でこちらを見た。
そう。情けなくて、可哀想で、可愛くて。
ぐっと言葉につまる。私の腕からは力が抜け、足先が彼の方に向く。
身体は正直だ。
だって、私は彼に、彼の情けない表情に。
愛犬を重ねて見てしまったから──!
子犬から育てた、私の心の友である愛犬。
甘えんぼうで可愛いロータス。
ちょうど黒い毛並みも似ている始末。
くぅーんと幻聴まで聞こえてくる。末期だ。
「ナタリア、です」
「ッ────」
愛らしいわんちゃんに絆されるかたちで、うっかり名乗った瞬間に幻覚は霧散した。
目の前の青年の瞳孔がぶわりと広がったのだ。
あれ……? 私のロータスは、こんな闇属性ではないが?
「ヒエッ」
「……ナタリア・ヒューズ?」
そうだね? そう深い深い闇のような目で確認されて、とぼけられるような者がいたら代わってほしい。
「アッ、ハイ」
「やっぱり……君なんだね」
何がやっぱりなのか聞く間もなく、両手で肩を掴まれた。
「ッッッ───!!」
えっ、こわ、はわ。わわわ。
「──アルフレッド。そこまでよ」
この混沌とした場面に現れたのが、救世主・マデリン様である。後光が見えた。
「マデリン、邪魔をするな」
「いつまで待たせるのかと思ったら、かわいそうに。顔色が悪いわ」
「本当だ。今すぐ連れ帰ってあたためてあげないと」
「ちょっと! 物騒なことを言わないで。監禁だなんておやめなさい」
何やら頭上で交わされる言葉の応酬をよそに、私の意識は本当に仮死状態気味だった。
スヤァ
正義の味方・マデリン様が私の手を握ってくださったところまでは覚えているが、目覚めたら我が家だったというわけ。
いやぁ、今日も濃い一日だった。
今度は幻覚ではない、本物の愛犬を撫で繰り回し。
推しに救出されるという大型イベントは終わりを迎えたのだった。




