第二楽章 2
「絵茉ちゃんのスケジュール聞いてみますね。音弥さんはいつでもいい?」
「大丈夫。そっちに合わせるよ」
元々カフェの仕事は趣味のようなもの。
店を使うのは厭わない姿勢だ。
ましてやそれが音楽に感じてならば尚のこと。
音楽に重きを置いている音弥らしいと、奏は小さく笑った。
「笑い事じゃないだろ」
それに気づいたのか、音弥が軽く顔を顰めている。
「その学校、確かコンクールの編成カツカツだろう?」
「そうなんです。一年生も入れたフルメンバーでなんとか33人」
「だったら早いうちにフルートの子が吹けるようにならないと」
「そうなんですよね」
一人の音が欠けるだけで先輩はおろか同級生のあたりも強くなるという事を、かつて吹奏楽の指導の現場にいたこともある音弥はよく知っている。
それで部活から足が遠のき、あまつさえ、学校にも来れなくなった生徒を見てきた。
音楽が原因で人生を諦めて欲しくない。
音弥は自分の名刺とショップカードを取りだし、それを奏へと向けた。
「その子の親と話をしたい。無理なら顧問でもいいし、その二者を混じえて本人とも話をしたい。勿論奏も居て」
前向きになった音弥は心強い。
楽譜を書いてくれた時点で分かっていたが、改めて言葉にされると胸が踊る。
それはFが姿を現した事で、音弥が関わるのはほぼ確定事項だった。
それでも奏にとっては嬉しかった。
奏はショップカードを受け取ると、ありがとうごさいますと頭を下げた。
一年生部員が入部した頃、奏はあるシーンに遭遇した。
部員たちが必死の形相でコンクール曲に向き合う中、絵茉は楽しそうに譜読みをしていた。
元々ピアノを習っていたこともあり、楽譜を読むのは得意だったようだ。
奏はそんな絵茉を見て、音楽を楽しむ事の出来る少女なんだなと思わず口元に笑みを浮かべた事がある。
だが今の絵茉はどうだ。一人で寂しそうにフルートと向き合う姿は、見ているだけで心が痛む。
「自信がないならつけさせてやればいい」
奏の心を見透かしたように音弥が声をかけてきた。
それは奏も思っていた事。
けれど自分はただの雇われ講師。
子供たちと話す事はあれど、深入りはしていない。
以前、自分の先輩が女子中学生と揉めた事を知っているからだ。
多感な女子中学生との関わりは難しい。
特に若い男性講師の場合は。
音弥のような第三者が入ってくれれば話の展開も変わってくるかもしれない。
ましてや音弥の経歴は奏以上に申し分のないものだ。
本人はコンクールの経歴を差程気にしない上に、むしろひけらかす事を嫌う。
けれど音楽家である以上、信用を得るために手っ取り早いものの一つがコンクールでの評価だ。
音弥も例外でなく、普段は自分から話す事はないが、名刺の裏面にはそれらの経歴を書いたバージョンも用意している。
奏に渡したのは正にそれだ。
いきなりカフェの店長から「娘さんにうちの店で演奏して欲しい」と言われた所で不信感しかないだろう。だがプレーヤーである事を示した上で、その経歴も知らせれば納得してくれるはずだ。
早速楽譜を顧問に見せて相談しようと、受けとった楽譜とショップカードをファイルへとしまい込んだ。
「本当に助かります」
礼を言いながらコーヒーを飲み終えると、バッグから財布を取り出しコーヒー代金を音弥の前にだした。
音弥はそれを受け取りながら小さく顎をすくう。
「礼はまだ早い。とにかくここに連れてきてくれないと話は始まらない」
そうだろ?と視線を誰もいないはずのカウンターへと向けた。
つられて奏もチラリと横を見ると、先日見かけたFの姿が見えた。
少しだけ先日よりも表情が和らいで見えるのは、突破口が見えたからだろうか。
何にせよ、音弥はお膳立てをしてくれた。
ここからは自分の役目だと、奏は立ち上がるともう一度音弥に礼を言ってから学校へと向かった。
その足取りはいつもよ少し大股で、気合が入っているように見える。
そんな奏の姿を見送りながら、空回りするなよと小さく激励を送る音弥だった。




