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第六楽章 1

ピアノの前に三人が並ぶ。

店内は暖かい空気のまま、拍手に包まれた。


硬いクラシックコンサートとは違い、客たちも町内イベント感覚で、笑顔で三人を迎えている。


それでも絵茉と母親にとっては否が応でも緊張するステージだ。

一度裏で解れた表情が再び固まってしまっている。


不意に客席から「頑張れー」と声援があがった。

見ると一人の男性客が優しい笑顔で頷きながら拍手を送っている。

その声につられるように、他の客たちからも「リラックス、リラックス」やら「笑って」などと声がかけられた。


固くなっていたピアノ付近の空気が一気に和らぐ。


奏は最初に声を掛けてくれた初老の男性に小さく会釈をした。


よしと小さく呟き、わざとらしく深呼吸をする。

それからそれを母親や絵茉にも促し、もう一度、今度は二人にも聞こえるように「よし」と声を発した。


いける?とアイコンタクトを送ると、まずは母親が頷いた。

それから絵茉。


リラックスできた母親と違い、絵茉の表情はまだ強ばっている。

よく見ると口元には力が込められていて、これでは優しい音色が出せそうにない。


やばいと思いながら奏はキッチンの中にいる音弥に視線を向けた。


音弥もそれに気付いているようで、眉間を寄せたまま小さく頷いた。


音弥は海月を手招いてなにやら耳打ちをする。

海月は一度迷惑そうな顔をしたが、更に何かを言われると絶対ですよと音弥に返してからクルリと振り向いた。


「みなさーん」


海月の声に客たちがカウンターの方を一斉に振り向く。海月は笑顔で一度パンッと手を叩いた。


「演奏前にすいません。ちょうどクッキーが焼きあがったので、出来たての美味しいクッキーを召し上がりませんか?音弥さんが時間配分を間違ってこんな時間に焼きあがっちゃいました。奏さん、絵茉ちゃん、それとお母さん、邪魔しちゃってごめんね?でも文句言うなら私じゃなくて音弥さんにお願いします」


海月の明るい声に、客たちが一斉に笑い始めた。


「焼きたてクッキーには敵わないよな」

「当然マスターのサービスだろ?」


客たちからそう声があがると、カウンターから顔を出した音弥が「勿論です」と言いながらバスケットを海月に差し出した。


バスケットの中には件の焼きたてクッキー。

ドロップタイプのクッキーが山盛りに入っていて、海月がそれを各テーブルを回って配り始めた。


渡りに船とばかりに思わず奏は音弥を見た。

視線が合い、一つ頷いてくれる。


ほんの少しだが、インターバルがとれそうだ。


今のうちに絵茉の緊張を解こう。

そう思った奏だが、如何せん、何をすればいいのだろうと迷いが生じた。


一度バックに戻った方がいいのだろうか。

けれどもう一度ここに戻った時には同じ事になりかねない。

ではこのままここにいる方が得策かといえば、それでは何も出来ない。


どうしようと奏の脳内が焦りを生み始めた。


それに気付いたのは顧問だ。


彼女は絵茉たちを支える為に絵茉と母親の髪を整えたり、チューニングを手伝ったりと文字通り縁の下の力持ちを演じていた。

どうやらここでも彼女の出番らしい。


顧問はカウンター席から立ち上がって絵茉の方へと足を進めようとした。


だがそれは一歩で止まってしまった。


別の足が絵茉へと近づいたからだ。


その人物は窓際に座っていた少女だった。


彼女は海月から貰ったクッキーを乗せた小皿を手に、真っ直ぐ絵茉へと向かっていく。


絵茉の顔が強ばった。

絵茉の優しそうな細い目と眉がみるみる下がっていく。


「佳那、ちゃん…」


小さな声で発したのは、恐らくその子の名前だろう。


佳那と呼ばれた少女は、まず奏に小さく頭を下げた。

奏も会釈を返す。


絵茉と同じ吹奏楽部に属していて、奏もよく見知った子だ。


そして佳那は、仮入部で絵茉よりも上手くフルートを吹いた、件の一年生。


「どうして佳那ちゃんが…」


そう声を漏らしたのは顧問だ。


佳那は普段の成績もよく音楽知識も豊富で、部内でもリーダーシップを発揮している。

一年生内だけでなく先輩受けもよく、常に彼女の周りには人が集まっている、所謂人気のある優等生だ。


けれど絵茉とはあまり仲のいい印象がないのは、フルートの件で因縁があるからだろうか。


少し不安そうな視線を向ける顧問と同じように、絵茉の瞳も揺れている。


けれどここで問題を起こすような子ではないはずだ。


それは顧問同様、奏も感じている。


二人の少女の間になんとも言えない空気が流れている。

大人たちは固唾を飲んで見守るしかなかった。

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