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第三楽章 6

ようやく店内が和やかになって来た。


奏は安堵に息を吐き出すと、音弥がそんな奏を労うように肩をポンと叩いた。

それから音弥はプレーヤーに向かい、レコードの針を動かしてメヌエットを頭から流し直す。


そこで一息吐くと、くるりと振り向いて絵茉にまた笑みを向けた。


「絵茉ちゃん、すごいね。俺はチョコレートにあうのはバナナとオレンジだと思ったけど、絵茉ちゃんは自分でイチゴをチョイスした。それが新しい解釈だよ」


突然音弥に褒められ、面食らったのは絵茉である。運んだフォークを咥えたまま首を傾げるも、また母親から行儀を咎められるのを恐れて慌てて口から離して口の中身を飲み込んだ。


「新しい解釈?」


それから音弥にきちんと尋ねると、音弥や大きく頷いた。


「絵茉ちゃんが美味しいと思ったからイチゴを選んだんでしょ?結果、どうだった?」

「え…美味しかった…です」

「じゃあ正解だ。それに先生」

「え?はい!」


突然声をかけられた顧問が思わず姿勢を正した。

恐らく今まで見た事がないであろう顧問のそんな姿に、絵茉がふふっと小さく笑うと、顧問はバツが悪そうに笑う。


「先生はキャラメルをかけてますけど、バナナと合いました?」

「へ?あ、それは勿論!キャラメルとバナナはテッパンです」

「じゃあイチゴは?」

「それも美味しいです。キャラメルが甘くてイチゴが酸っぱく感じるけど、その差がまたいいというか…」

「ですね」


音弥が頷いた。そしてま絵茉へと向き直る。


「好みと合致すれば不正解なんてない。その中に、人によっては明らかな不正解もあるだろうね。でもそれは誰かの正解なんだよ。じゃあ絵茉ちゃんにもう一つ質問」


音弥の言葉に絵茉は短く頷く。


「フルートは好き?」


突然出てきた本題に、大人たちが一瞬にして息を呑んだ。

すぐに絵茉からの返答もなく、緊張に満ちた空気が流れる。


絵茉はフォークとナイフから手を離し膝の上に置くとそれをキュッと小さく握った。

微かにその手が震えている。

同時に唇も結ばれ、すでに出ている答えを閉じ込めているように感じられた。


「俺はね」


決して絵茉の返事を焦らせているわけではないと、音弥が声を発した。


「俺はオーボエ吹きだけど、特別好きなわけじゃない」

「えぇ?!」


驚きの声をあげたのは奏だ。

うるさいと音弥から咎められると、すいませんと首を竦める。


だが奏の驚きも尤もだ。

音大には、親や周囲から勧められるままにその楽器を選択した人もいる。

だが音弥は、在学中にオーボエ専攻から指揮学へと転科した経歴がある事から、自分の意思はしっかりもっているものだと思っていた。


音弥はそんな奏に、驚くのも当然かと苦笑を浮かべてから顎に触れて唇の下を撫でた。

これは音弥の癖だ。

自分の解釈を演奏者に伝える時など、考えを口にする前によくやる仕草。


子供の絵茉にも伝わるように言葉をチョイスしている。二度、三度と唇の下を撫で、少し考えてから再度口を動かした。


「特別、と言ったのはね、オーボエだけが好きなわけじゃないからだよ。俺は音楽が好きなんだ。オーボエが好きでクラリネットが好きで、ホルンが好きでバイオリンが好き。勿論フルートも好きだよ。だから、元々はオーボエ吹きだけど、選んだのは指揮者だ。指揮者は全部の楽器を奏でられるからね。指揮台に立って棒を上げると、全部の楽器がスタンバイされる。棒を振り上げ、下ろした瞬間は至上の瞬間だ」


手元で指揮棒を動かす仕草をしながら恍惚の表情を浮かべる音弥には、オケの音が聞こえているかのようだ。


それを受けて奏も頷いてから口を開いた。


「俺はオーボエが大好きだよ」


皆の視線が音弥から奏へと移る。


「知ってる?オーボエってね、オーケストラに一番最初に入った管楽器なんだよ」


へー!と声を感嘆の声をあげたのは顧問の先生だ。

オーボエ専攻ならともかく、知らないのも無理はない。

奏は少し得意気に話を続けた。


「オーボエはとても古い楽器なんだ。だから実は音域はすごく狭いし、難しい楽器なんだよ。それでも俺がオーボエを好きなのは、何よりも音色が好きだから。人間の声に例えられる事もあるけど、すごく俺の感情を表現してくれる気がするからね。俺は子供の頃はピアノをやってたんだ。でも大きくなるにつれて周りは女の子ばかりになって、恥ずかしくなってきた。もう辞めようかななんて思い始めた時にね、ピアノ教室の先生が俺のピアノに合わせてオーボエを吹いてくれたんだ。それがすごく楽しくて、いつの間にか俺はオーボエに夢中になってた。ピアノの時は馬鹿にして来た友達たちが、オーボエだと『かっこいい!』って言ってきたんだ。それも嬉しくて、俺はオーボエと一緒の道を選んだ。あの時ピアノをやめていたら、オーボエにも出会わなかったし、きっと音楽も辞めてたと思う」


音楽家二人の話を聞いて、絵茉の表情も少し変わってきた。

憂いはまだ残っていたが、少し和らいだ様子で顧問の先生へと顔を向けた。


「先生は?」

「私?」


突然話を振られた顧問は数回瞬きを返したが、すぐに自分の話も聞きたいんだなと理解して、カフェラテを飲んでから姿勢を正す。


「私は声楽専攻だよ。歌うのが大好きだったからね。でも大学で副科…声楽以外の授業を受けなくちゃいけなくて、それでトロンボーンを選んだの。今もたまにみんなと吹いてるでしょう?」


そう尋ねると絵茉は一度頷いた。


「あの時は面倒だなーなんて思ってたけどね、今はやっていてよかったと思ってる。みんなと一緒に吹けるのがすごく楽しいから。大学の時もそうだったな。トロンボーンの練習はあまり好きではなかったけど、合奏でみんなと合わせるのは大好きだったよ。みんなの音が合って遠くまで飛ぶ感覚が好きだったな。だから今はトロンボーンも大好き」


楽器への想いが伝わる、本当に楽しそうな表情でトロンボーンのスライドを動かす仕草をして見せると、絵茉もクスッと笑った。


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