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「――では、この村もあと少し軌道に乗れそうだな」

 頭に毛糸の帽子をかぶり、口元まで隠した毛糸のマフラーをもごもごさせてディムは言った。

「はい。今年の収穫量次第では、新たに牛や馬を買おうかという意見も出ています」

 隣にいる人物はにこにこと微笑みながら頷く。

 全部で三十戸ほど、総人口百人ほどの村は、作付けのピークを迎えていた。掘り起こした土を畝の形に整え、そこに種を撒き苗を植える。早いものなら一ヵ月、長くても三カ月ほどで収穫の時期を迎える。彼らを手伝うため、私有軍の兵士も各地に派遣されていた。

 ディムと村長は畑全体を見渡せる場所で、その作業を見守っていた。

「すまないな、こんな忙しい時に」

「いえいえ、滅相もありません」

 村長が首を振る。

「領主さまこそ、お忙しいでしょうに。わざわざこのような小さな村にまで来ていただくなんて」

「それが俺の仕事だ。前の領主のようなことはしない。先々代の頃にまで戻してからが本番なんだ」

「……ベネディクト様、ですか」

 村長がくしゃりと顔を歪める。

「あの御方は、聡明でした。……聡明すぎたのです。もう少し時期を見れば、あのような……」

 そこまで言って、慌ててディムの方を見やる。

「いえ、決してベネディクト様が悪いわけでも、ましてや領主さまが悪いわけでも……!」

「いい」

 一言、斬り捨てるようにディムは言った。

「……いいんだ。先々代が亡くなったのは俺が原因なんだ」

 ディムの視線は、畑でにこやかに笑いながら作業する村人たちに注いでいる。しかしその目は、そこにいない人物を探して彷徨っていた。

「どれだけ詰られてもいい。誹りも受けよう。だけど、先々代を悪く言うのだけは、どうかやめてくれないか」

「……領主さまの仰せのままに」

 村長は帽子を取り、深々と頭を下げた。

「ところで、日はまだ高いのですが、お食事はいかがなされますか?」

「ありがたいが、あと二カ所ほど回らなければならない。他に困りごとがあれば、役所に文を出してくれ」

「はい」

 村長が頷いたのを見て、ディムはマフラーをぐいと下げる。

「おぉーい!!」

 畑に向かって放たれた声は良く伸び、作業に集中していた村人たちが顔を上げた。

「今年の畑作、期待しているぞー!!」

 村長の隣に並ぶ青年が領主だとわかると、全員が慌てて地に伏せて最上級の礼を取った。兵

士たちは直立不動で敬礼している。

「あー……」

 それを見たディムは苦い顔になった。

「できれば手を振ってもらいたかったんだが……」

「まだまだ慣れません故」

 村長がくつくつと笑う。

「応援しておりますぞ、領主さま」

「……ああ」

 マフラーを巻きなおし、ディムは頷いた。


◆   ◆    ◆


 怒涛の一週間だった。

 子どもたちからの嫌がらせに耐え、薬がないからと放置して悪化させた怪我を片っ端から治し、少しでも遅れまいと参考書を読み込む。

 最後の三日ほどは睡眠不足と闘いながら、ウェンディは慣れた道を歩いて屋敷に戻った。

「お疲れ」

「お疲れ様ですー」

 いつものように門番と挨拶を交わしたところで、立ち止まる。

 正面玄関に馬車が停まっていた。

「ああ、ついさっき領主さまが帰ってきたんだよ」

 ウェンディが立ち止まったことに気付いた門番が、親切に教えてくれる。

 鈍っていた思考が生き返り、視界が明瞭になる。

「領主さまもお疲れだから……あれっ?」

 門番の言葉はもう頭に入ってこなかった。

 自分でもびっくりするほどの速さでロータリーを駆け抜け、両開きの扉に手をかける。

「ディムさん、おかえりなさいっ!」

 バターン、と勢い良く開いた先には、

「…………」

 誰もいなかった。


「あははははっ! あははははははははっ!」

 食堂にアンネの笑い声が響く。

「アンネさん、笑いすぎです」

 リュミスが窘めるが、笑いをこらえようとして変な顔になっている。

「だって……だってさあ! どんだけ領主さまのこと待ってたのって話よ!」

 笑いすぎて目に涙を浮かべるアンネは、嬉々としてウェンディの失態を語る。

 あの時、エントランスホールに誰もいないと思ったのは一瞬で、実際はアンネにばっちりと見られていたのだ。それを止める間もなく屋敷中に告げ口して回ったので、ウェンディは今も公開処刑の真っ最中である。

 さすがに料理長やメイド長まで来るとポーカーフェイスが板についているのか、アンネを無視して粛々と食事を進めている。それがウェンディにとって多少の救いだった。

「ちょ……っとま……」

 そして、巻き込まれたディムはかろうじてカトラリーをゆっくりと置いた。

「待て……待って……」

 さすがにムッとしたウェンディが抗議しようとして、固まった。

 ディムの口元にはこらえきれない笑みが浮かんでいた。

 学生時代、不機嫌のポーカーフェイスと揶揄されていた彼が、肩を震わせて笑っている。そのままうずくまってテーブルの下に隠れてしまったが、同時にこんなにも感情豊かだったのかと思った。

 ウェンディの知っているディムは、不機嫌そうに、苛立たしそうに、そして焦っているように見えた。なにものにも動じず、淡々と、けれど確固たる何かを持って生きていた。

 今、一緒に食事をとっている彼は、とても自然体のように見える。

 そもそも、先々代の領主と縁があったという彼が、なぜ平民の学校に来たのか。

 上級学園に入れない理由でもあったのか?

「おい、いつまで笑ってんだよ」

 思考の海に沈みかけたウェンディの耳に、オズワルドの声が飛び込んできた。見れば、彼はすでに自分の分を食べきっていた。オズワルドもそこそこ笑っていたはずなのだが、いつの間に。

「一戦交えるって約束、忘れてねーよな?」

「…………ああ、もちろん」

 深呼吸しながら浮上したディムが頷く。

「明日、練兵場を借りよう。ルールは今まで通りでいいか?」

「おう」

「では、明日の予定はいかがなさいます?」

 すかさず、スケジュールを管理しているメイド長が話に割り込む。

「早便は予定通り出してくれ。午前のものは全部キャンセル。あとの微調整は試合後に決める」

「かしこまりました」

「っしゃあ!」

 ばしん、とオズワルドが右の拳を左の手の平に打ち付ける。

「久々の模擬戦だ。手ェ抜くなよ?」

「抜けるか、阿呆」

 ようやく食事を再開したディムがそんな言葉を零す。

「ちなみに、俺がいない間は特に問題はなかったか?」

「はい。病院の方々からも、孤児院の皆さんからも感謝の言葉を頂きました」

「こちらも助かりました。うちの新人たちも気合が入ったって、団長が嬉しそうにしていました」

 リュミスと警備隊長がそれぞれ答える。

「そうか」

 ディムは静かに笑みを浮かべ、パンをスープに浸して食べた。


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