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領主さまは救世主  作者: 長久保いずみ


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8

 翌朝は、いつもより少しだけ暖かかった。


 それでも吐く息は白く濁り、遠い空には黒い雨雲が見える。


「一雨来る前にとっととやるぞ」


「おう!」


 屋敷のほぼ裏側にある練兵場。普段は私兵しかいないこの場所に、ウェンディやリュミスなどの部外者がいた。普段は立ち入りが制限されているが、この日はディムが仕事をある程度免除すると宣言したため、食事の仕込みがある料理長を除いた全員が集まっていた。


 学生時代に武力で一、二を争った二人が数カ月ぶりに剣を交える。その話を聞いた兵士たちもこの日は土木工事への出張を渋り、将軍に怒られていた。結果、百五十人いる兵の中で残ったのは非番の二十人と新兵の三十人だけ。


「では、改めてルールを説明する」


 審判を買って出たのは私有軍大将のフレノールだ。


「一つ、攻撃はそれぞれが手にしている木剣のみ。二つ、魔法による身体能力の強化は有効。三つ、どちらかが降参、または気絶、あるいは剣が手から離れた時点を決着とする」


 ルールは学生時代にも使われていたものだ。まだ魔力操作が不安定な子どもたちは、魔法の使用を大きく制限される。特定の授業以外での魔法は使用を禁止されていたため、ウェンディたちは限られた時間で魔力をコントロールしようと必死だった。


「両者、異論がなければ位置について」


 寒冷地仕様の軍服に着替えたディムとオズワルドが、それぞれの位置で向かい合う。


「それでは……はじめっ!!」


 合図と同時にフレノールが飛びのき、ディムとオズワルドが駆け出した。


 三歩踏み出せば間合いに入る距離。いち早く懐に飛び込み、剣を振るったのはオズワルドだった。


「速い……!」


 リュミスが目を見開く。


「えっ、すごい速いんだけど!?」


 驚くアンネにウェンディは頷く。


 あのスピードについていける者をウェンディは知らない。純粋な脚力で言えばディムも追いつけないのだ。


 最初から全速力で肉薄し、予想外の速さに面食らっている間に一撃を見舞われる。それがオズワルドの戦法だった。


 振り抜いた剣がディムの胴を薙ぐ前に受け止められる。


 ニィ、とオズワルドの顔が歪む。


「やっぱ、こうでなくっちゃなあ!!」


 力を込めて押し込めば、ディムが後ろへ飛び退る。すかさず剣を構え直した両者が再びぶつかり、激しい打ち合いになる。


「すげえ……」


 呆然と警備隊長が呟いた。


「領主さまもなかなかの腕だったけど、それに追随できるあの子もすげえ」


「……そういえば、ディムさんはこちらで剣を習っていたんですか?」


 ふと浮かんだ疑問をウェンディは投げかけた。


 ディムは王都の学園に来るまでクィエルにいた。そこで剣を学んでいたのだとしたら、こうした駐屯地か道場だろう。


「ああ。団長とベネディクト……先々代様がよく教えていたよ」


 警備隊長が懐かしそうな表情で答える。久しぶりに聞いた単語に、ウェンディは胸の奥がちりと痛くなる。


「……その、先々代の領主さまって、どんな方だったんですか?」


「とても良い方だったよ。勉強熱心で、誰よりも早く起きて、誰よりも遅くに寝ていた。……本当に、惜しい方だったよ」


 本当に尊敬していたのだろう。警備隊長の目がかすかに水の膜を張ったのを、ウェンディは見ないフリをした。


 離れた場所では、変わらずにディムとオズワルドが剣を交えている。力量は互角なのか、一進一退の攻防が続いている。


「あのオズワルドっていう子は、軍人志望かい?」


「そうだと聞いています」


 警備隊長の問いにウェンディは頷いた。


「軍に入隊したと言っていました」


 ディムという接点がなければ、ウェンディとオズワルドはそれほど親しい間柄ではない。登城要請で三カ月ぶりに顔を合わせた時に、お互いの近況を少し伝え合った程度だ。


「そうか。あれほどの実力者なら、すぐにでも隊長格に抜擢されそうだな」


「そんなにですか?」


 ウェンディが驚いて聞き返すと、警備隊長は頷いた。


「ああ。身体能力は申し分ないし、剣の筋もいい」


 引き抜けないか相談しようかな、と呟いている。


 たしかにオズワルドは昔から強かったが、それほどの腕があるとは思っていなかった。ただ、細かい事務仕事が苦手だったはずだ。実際、座学の試験ではいつも赤点ギリギリ。この時ばかりはディムに泣きつき、三人で図書室にこもって勉強していた。隊長格になればそうした仕事もこなさないといけないはずだが、彼にそれが務まるのか疑問だ。


 いっそ斬りこみ隊長だったらなれるかも、と思ったウェンディの前で、ディムとオズワルドが同時に息を吐いた。


 吐く息が白い。寒さの中で二人とも滝のような汗を流し、けれどその顔には疲労以上の興奮が読み取れる。


「……腕を上げたな」


「へへっ、トーゼン」


 ディムの称賛にオズワルドは口角を持ち上げる。


「雑用の合間も特訓してたからな。なんなら呼び出しの前に隊長から一本取ったんだぜ?」


「ほう、そいつはすごい」


 ディムが目を見開いた。


 隊長と言っても小規模から大隊まで幅が広い。それでも一定の実力を持つ者に勝ったのだ。素直な賞賛にオズワルドも胸を張る。


「だから、今回は俺が勝つ!」


「だから、じゃない」


 駆け出したオズワルドに嘆息し、ディムは剣を構えて出方を窺う。


 そのオズワルドがディムの眼前に現れた。


「!?」


「え!?」


「なっ!?」


 驚いたのは、オズワルド以外の全員だった。


 最初の突進の比ではない。


 歩幅にして十歩分はあったはずの距離を、三歩分の足で縮めてきたのだ。その速さはまさに瞬間移動!


「っ!」


 ディムが咄嗟に身をひねってリーチの外に動こうとするが、


「もらったあ!!」


 それ以上のスピードでオズワルドが剣を突き出す。


「ひっ……!」


 リュミスが思わず目をつぶる。


「ディムさん!!」


 ウェンディの悲鳴が響き、剣先がディムの肩を抉った。


 ――ように見えた。


「……え?」


 オズワルドが間の抜けた声を出す。


 あったはずの手応えがない。


「え……」


 それは、ウェンディをはじめとした観客たちも同じだった。


 ついさっきまで、ディムはオズワルドの剣の範囲内にいた。


 なのに、


「ぶはぁ!」


 ディムは今、オズワルドの横で大きく息を吐き出している。


「あ……っぶねえ」


 先ほどとは違う汗を流しながらディムは息を整える。


「え……は?」


 オズワルドは真横に現れたディムと、突き出したままの剣先を交互に見やる。


 オズワルドの不意打ちがなければ、あるいはそちらへ踏み出していたのかもしれない。


 だが、絶対に受けるしかない不可避の領域からディムは脱出してみせた。


 あり得ない光景だった。


「いや、すまん。咄嗟だった」


 汗をぬぐい、息を整えたディムは謝罪する。


「お前がそこまで風魔法を極めているとは思わなかった」


「……え?」


 オズワルドが別の意味で目を瞬く。


「風魔法? 俺が?」


 剣を下ろし、空いている手で自分を指さすオズワルドに、「相変わらず自覚なしかよ……」とディムはごく小さな声で呟く。


 実際、オズワルドは風の加護を持っている。だが彼には魔法の才能がなかった。だから剣の実力を示せる軍に入ったのだが、ディムの口ぶりではどうも違ったらしい。


「お前、風魔法で身体能力を上げてるんだよ。それも無意識のうちに」


「……はい?」


 素っ頓狂な声を上げたのはフレノールの方だった。


「ほ、本当ですか、領主さま!?」


「ああ。言ったところで無駄だろうと思って黙ってたんだけど、さすがにこの成長は予想外だった」


 死ぬかと思った、とディムは左肩を撫でた。


 いくら木剣でも、あの突きをまともに受けたら骨折していたかもしれない。真剣じゃなくてよかったと、この時ほど感謝したことはなかった。


「えー……俺が?」


 当のオズワルドは自分の体を見回しているが、身体能力の強化は自分自身にしかわからない。目に見えないものを見ようとしても無理だった。


「じゃあ、さっきのもお前が身体強化したのか?」


「いや、ちょっと違う」


 真っ先に生まれた可能性を、ディムは否定した。


「本当は墓場まで持っていくつもりだったんだけどな……」


 そうひとりごちて、彼は「あー」だの「うー」だの呻いて頭を掻く。


「……なんだよ」


「いや……うん」


 気の短いオズワルドが痺れを切らしそうになる。ディムは一際乱暴に頭を掻くと、いきなり軍服の襟を開いた。


「闇魔法、って知ってるか?」


「は?」


 唐突な問いにオズワルドは眉を寄せる。


 口を開こうとした彼を手で制し、ディムは襟の左側を開ける。


「失われた……いや、奪われた魔法」


 そこにあるものがよく見えるよう、彼は首をかしげる。


「認識阻害……簡単に言えば、相手の目を錯覚させる魔法だ」


 ウェンディは目を大きく見開く。


「俺は、それを使ったんだ」


 ディムの首には、「5R11X1」の英数字が刻まれていた。


 クィエルに来て一週間。その間、一度も見なかった、王都では見慣れていた光景。


 それは、祝福されざる者の証。国が所有する奴隷。人の姿をした家畜。


「……番号札(ナンバーズ)……?」


 おぞましいものを見たかのような声が、ウェンディの口から零れ出た。


「な……んで……?」


「なんで、と言われてもな」


 襟を戻したディムが肩をすくめる。


「生まれた時にこいつを刻まれたからな。豚と一緒に育てられて、歩けるようになったら労働だ」


 番号札(ナンバーズ)は様々な労働に従事している。厳しいものでは鉱山での採掘や海での漁、耕作、引っ越しなどで重い家財道具を運搬する際にも使われる。軽いものなら公共施設の清掃や客引き、それにごく安価だが、夜の街で売られることもあるという。


 見目の良い番号札(ナンバーズ)は貴族の玩具として可愛がられるという話もある。ディムは顔立ちが整っていたから、そちらの方だったのかもしれない。


 先々代の領主との縁もそこで出来たのだろうか。だが、そこから飛び出してわざわざ学園に通う必要も、ましてや剣を教えてもらう必要もない。いや、そもそも番号札(ナンバーズ)が名前を持っている時点でおかしい。


 矛盾と疑問が頭の中を埋め尽くす。


「さっきのも、闇魔法で認識阻害……俺の影をその場に残して、同時に魔力で底上げした足で脱出したんだ。さすがにあそこから無傷で出られるかは賭けだったけど」


 ディムが何か言っているが、ウェンディにはもうほとんど届いていなかった。


「――へぇ」


 オズワルドが楽しそうな声を出した。


「いろいろ言いたいことはあるけど、お前をただの奴隷にしておくなんてもったいねえ」


『は……っ!?』


 全員が驚愕に目を見開く中、ウェンディは思わず叫んだ。


「な、にを言ってるの、オズワルド! 番号札(ナンバーズ)に肩入れするの!?」


 ただの道具である番号札(ナンバーズ)を擁護するような発言は、国への遠回しの侮辱になる。良くて罰金や数日の強制労働。最悪の場合、処刑されてしまう。


「あ? んなこと言ってねーだろ」


 だが、オズワルドは首をひねってちょっとだけウェンディを見ると、すぐにディムに視線を戻した。


「俺はこいつと会って、負けて、もっと強くなれた。でなきゃここまで強くなれなかった。そんな才能あるやつが埋もれてたのが信じらんねーよ。一体どうやったんだ?」


「…………。先々代に拾ってもらって、稽古を付けてもらった」


「そうか。んじゃ、その先々代にも感謝しねーとな」


 びしっ、と木剣の先がディムに定められる。


「俺のサイッコーのライバルを生んでくれたんだからな」


 ディムが不安げに眉を寄せる。


「……気にしないのか?」


「あ? なにが?」


「俺が番号札(ナンバーズ)だってこと」


「そーいうのは他の連中の仕事」


 いっそ清々しいくらいオズワルドは言い切った。


「俺は国一番の武人になる。そのためのライバルがお前だったってだけだ」


 そういえば、学生時代もそんなことを言っていたなと、ウェンディは頭の片隅で思い出した。


 でも。だけど。


「ありえない……」


 ディムが番号札(ナンバーズ)なんて。


 それを受け入れてしまうなんて。


「仕切り直すぞ」


「いいのか?」


 今度こそ本気で驚いたようにディムが聞き返した。


「まだ決着ついてねーんだ。さっきのはノーカンでいいからよ」


「……ああ」


 ディムは泣き出しそうな笑顔を浮かべたが、まばたきの後にはいつもの彼になっていた。


「次で決めるぞ」


「おっしゃ!」


 互いに距離を取り、再びオズワルドが駆け出す。


 先ほどと同じ、一瞬の接近。


 大上段からの振り下ろしを、ディムはステップを踏むように躱した。


 そのまま軸足をひねって体を回転させ、遠心力を乗せた剣をオズワルドの胴に叩き込む。


「ぐっ!」


 もろに受けたオズワルドが倒れ、その手から剣が転がり落ちた。


「一回見た技は通用しない」


 起き上がろうとするオズワルドの首筋にディムは剣先を突き付ける。


「学生時代に山ほど経験しただろうが」


「ぐぅ……」


 オズワルドは悔しそうに呻いて、地面に大の字で転がった。


「あー、もう! やっと一本とれると思ったのにー!」


 それが、彼の降参宣言だった。


「勝者、領主さま!」


 フレノールの宣言であちこちから歓声が沸き、練兵場に兵士たちが殺到する。


 ディムの手を借りて起こされたオズワルド共々もみくちゃにされ、なぜか二人そろって胴上げされている。


 そんな異様な光景に、ウェンディの頭はついに限界を迎えた。


「ウェンディさん……!?」


 リュミスの声が遠い。視界が暗くなる。手足からゆっくりと力が抜け、立っていられなくなる。


「ありえない」


 その言葉は、果たして声になっただろうか。


 確かめる術もないまま、ウェンディの意識は闇に沈んだ。

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