直視させられる現実
ホテルのベッドの上で、転がり笑っている。
もう、笑いすぎて言葉が出ない。
ようやく辿り着いた駅前のホテルで爆笑していた。
疲れて壊れたというのも決して間違いではない。
原因は、好奇心。
結局、俺は夕飯もそこそこに読んでしまった。
最後の手荷物。
マスターピースとなり得る可能性が高い雑誌を捲る。
ごく最初期から比較すると、どうしてこうなったレベルに乖離のある写真や文章で構築されている。飼っていたうさぎの話からこの雑誌になるまで約30年。どう考えても常識的に同一人物像にはならない。
「歳月は人を変える」。
変わりすぎである。そんな雑誌の記載。ヴォーカリストへのインタビューの中に「50を超えた男が声高に夢とか語っても気持ちが悪い」という主旨の発言があった。
追撃。もう声が出ない。
このインタビューは今から約10年前。この雑誌が発行されてから、3年後にこのカリスマなヴォーカリスト様は実質引退してしまう。
そう、もう「いない」方だ。
そして、当てこすられたと思わしきもう片方。
俺は約1か月後のギタリストのコンサートチケットを持っていた。
破れ鍋に綴じ蓋と瞬時に叩き出した俺は、やはり彼らのファンではないのだろう。
バンドを解散して成功するアーティストは少ない。一度得た名声以上に活躍するなど、まずいない。だから休止や再結成をする。
別ジャンルや他業種ならあり得るだろう。「彼ら」なら俳優などだろうか。現にギタリストの2人目のヴォーカリストはメイン職業を俳優に変更している。
しかし、このバンドは2人も「生き残った」。音楽家として。通常ならあり得ない。しかも現代において「彼ら」は時代の転換点扱い。それこそファンにしてみれば、1ジャンルを築いたとかそういう感覚だろう。
更にヴォーカリスト様はバンドを数字的にも超えられている。非常に負けず嫌いかつ、実際にいろいろと木っ端微塵にする。意味不明なレベルで大変、強い。この方が油断していたとはいえ、よく刃向かったなとしかいえない。
該当時点での「名声値」「知名度」というパラメータからもヴォーカリストが生き残るのは、プレッシャーを別にすれば比較的にせよ容易であったのは想定される。
もうお一方は「名声値」が大きく劣る。「誰も俺のギターを聞いてない」など該当時点で愚痴っている。ギターは聞いてないかもしれないけど、視界には確実に入っていたと思う。当時の平均身長的に。
現在から過去を振り返ると、非常に複雑に見える。
構築された当時の「常識」という背景から考えても、異常なのは「こちらの方」。
平成を代表するアーティストですら作曲家は作詞家を探している。現にギタリストも2人目のヴォーカリストを探している。ご自身の力量が足りなかったとして。
で、最終的に自分で歌う。初めから酷評である。
データを見ていて、泣けてくるほど容赦ない。
だが
ギタリストは「生き残った」。
ヴォーカリストが「気持ち悪い」と切って捨てた「夢」を追いかけて、今。
携帯電話に映る「チケット」は、構成されている。




