躊躇いなく蹴り上げられた扉
今の俺の「顔」は間違いなく、険しい。
大体、俺は「スター」なんてものは大嫌いである。
群れることも、誰かと共にあることすら、嫌いな俺は自分自身の遺伝子を残すことすら、嫌いである。他人も嫌いだが、俺は全力で俺が嫌いだ。
だから自分自身のことでもないのに、さも嬉しそうに語る「ファン」ってやつが気に食わないだけだ。
ため息しか浮かばない。好奇心に完全に負けた。
ある意味で「布教活動」成功である。あー、マジでダメだ。
別の意味で「失敗じゃない?」とは思う。
なんとなく、買ってしまった「ギタリスト」のチケット購入画面。最近はデジタルチケットらしい。本当に「無機質」な「チケット」。なら、もう全部デジタル配信でよくない?
案外、簡単に買えてしまった。凄まじい脱力感。あの頃とは違う。「月日は百代の過客」。そんなもんなんだろう。
もう諦める。ある程度、好奇心を満たせれば、それでいい。
・・・誰かに「何か」を託す。気に入らない。
自分自身で生きていないなら意味がない。
なんでこんなことになるんだろう。
あの「風水本」が、怖すぎる。仕方ない。焼くか。
捨てたら祟られそうだ。
まあ、最近、転職活動や昇進昇格試験を受け続けていたからか、夢やら将来をやたらと聞かれた。きっとそのせいだろう。
まあ、嫌いではない。「彼」のアルバムもまだ持っている。
捨ててもいないし、叩き割ってもいない。好きな曲もあった。
ネット評価はいまいちだし、押し付けがましいといえばそうだろうが、歌詞カードには書かれていない「自分は変わることができる」と最後に歌った曲は、確かに共感した。なら、変わったのかを「現地・現物・現場」で見てみるのも、まあ、アリか。
改めて、片付け直す。衝動的に開いてしまった段ボール箱。
寂しさを、感じている。録音された音は、「彼」の死後も変わらない。綺麗なまま、誰かのドアを叩いている。
変わらない、止まった時間。「顔」の見えないアバターのような「ヴォーカリスト」。着ぐるみの方がまだマシな触感だろう。何者かすらわからない、遠い昔の「誰か」。
今、現実的に美容師はいた。
そして美容師なりに、ここまで努力を重ねてきただろう。
ならば、美容師の「宝物」を使った結果は今の俺の髪型だ。
間違っても、あの「壊れかけた見たことのないカセットテープらしき何か」に録音された聞かなかったことにしておきたい「音」ではないはずだ。
同じように俺は俺でしかなく、俺は俺自身を磨き続ける。
なのに、夢やらなんやらをさまざまな角度から、問われ続け、相当イライラしていたんだろう。
だから、あの「顔」が見えなかった「死神」のような美容師の話が気に入らなかった。
だから、興味が湧いた。一体、どんな「人」なのかと。
それとも「人」ですらないのか、と。




