85.すぐ傍の戦争
ショウリュウの都、志吹の宿。そこにはロロ、瑞葉、ハクハクハク、そして宿の主人である崎藤と看板娘のミザロが集まっている。彼らは先程までは戦争の前線から戻って来たミザロから現在の状況を聞いていたところだが、それがひとしきり終わったところでロロが立ち上がり、
「俺、戦争を終わらせたいんだ」
そう言った。それはたかが四等星の冒険者に過ぎない一個人が述べるにはあまりにも馬鹿げた夢で、まるで現実味の無い物語。瑞葉もそれに対してどんな反応をすべきか悩み、怒りなのか困惑なのか呆れなのか、それらが入り混じった複雑な表情を見せている。
「……何言ってんの?」
ようやくその言葉が出て来た時、それはその場にいる皆の心の代弁だったのかもしれない。もしもここにいるのがそこらの誰かなのであれば言われたその言葉にそうだよな、などと言い笑って終わる話だったのだろう。
だがロロはこのような場で冗談を言うような性格ではない。
「俺達は凍湖シンシンの軍と戦ったりしたわけじゃないけど、ショウリュウの都でも戦争は始まってるんだ。魔物が増えてたくさんの人が襲われたり、不安になった人たちが普段ならやらないような抗議も始めて、食べ物の流通だって減ってるし。たくさんの、俺には分からないぐらいたくさんの事が起こってる」
それはこの半年ほどの間に誰もが肌で感じている様々な変化だ。見えるところから見えないところまで徐々に何かが変わってしまっている。
「もしかしたら時間がその状態を当たり前にしてくれるのかもしれない。慣れてしまえばそういうものなんだって、それで済ませられることなのかもしれない」
戦争が始まった事に対して人々は大きな不安を抱えているが、それだって直接的な被害が無ければいずれは慣れてしまうのだろう。不安の火種を抱えていてもそれを気にすることなく生活することは出来るのだろう。
「でもさ、俺、それは嫌なんだ」
しかしロロはそれをはっきりと否定した。
「俺が冒険者になったのはそういうのを当たり前にしない為なんだと思うんだ」
彼の思うかっこいい冒険者とは、彼が思う理想の姿とは、その状態を良しとはしない。人々が心の内のどこかに不安や憂いを抱えたまま過ごす事を彼はどうしたって認められない。
「だから俺は、戦争を終わらせたい」
ロロの演説が終わり、誰もが次の言葉に悩んでいた。これをそんなことできるわけが無いと一蹴するのは簡単だ。しかし瑞葉ですらその言葉を飲み込んで黙り込む。それはロロがどこまでも本気で今日この時まで考え続け、その結果としてこの結論を出したという事が表情や態度からはっきりと伝わって来たからだろう。
しかし戦争を終わらせるなどただの一個人には不可能だ。それは国と国とが交渉して行うものであり、現状ではどの国も譲る気は無いだろう。山河カンショウと虎狼ホンソウは一方的に土地を侵略されただけで終わってしまうし、逆に宣戦布告も無く攻め入った凍湖シンシン側が突如考えを変える可能性もあり得ない。
ロロの真剣さが伝わって来るからこそ、誰も否定も肯定も出来ないのだ。
そう、だったのだが。
「もし、一つだけ方法があるとしたら」
ミザロが不意に口を開いた。その時の彼女の瞳はどこまでも深く、冷たく、見ているだけで飲み込まれそうで。
「その為に命を懸ける事は出来ますか?」
そこにある死を想像させた。
志吹の宿を出たロロ、瑞葉、ハクハクハクの三人はしばらく誰も何も話す事は無かった。それは最後にミザロに言われたことについて考えていたからなのだろう。
命を懸ける、という言葉の意味を分からない者はいないだろう。しかしその一方で実際に死ぬかもしれないと思っている者は少ない。ほとんどの者が自分だけは大丈夫だと妙な勘違いをしてしまうものだ。しかし先程のミザロの瞳を前に三人は死をはっきりと感じた、或いはその場で殺されてしまうのではないかとすら思ったほどだ。
故に彼らは何も言えなかった。
「明日」
そのまま黙って突っ立っていても何も始まらない事に気付いたのだろう。瑞葉が震えそうな声で呟く。
「明日、また、ここで……。その時に決めるとか……」
「……俺はそれでいいぜ」
「わ、私、も」
「じゃあ」
「うん」
「ああ」
自然と三人はそれぞれの速さで歩き始める。普段ならばロロと瑞葉は家がほぼ同じ場所にあるのだから一緒に帰るのに、今日ばかりは各々の速度で帰って行く。まるでそれは彼らが皆違う考えを抱いている事を示しているようだった。
ロロは普段と変わらない。歩く速度も家に着いてからの様子もその他の何もかもが彼にとってのいつも通りだ。戦争を終わらせたいとその願いを持ち、ミザロに命を懸けてそれを賭すつもりがあるのかと問われてもそこには不安や迷いは一切無いように見える。それは既に彼の心が決まっている事を表しているのだろう。
「どうしようかな」
しかし唯一迷っていたのは、今は働きに出ていた家にいない父の事だ。本当に命を懸ける事でこの戦争を終わらせられるかもしれないのであれば、ロロは迷わずその方法に賭けるだろう。しかしそれを父が喜ぶかと言えば、決してそうとは言えないだろう。ロロは皆を守るかっこいい冒険者に憧れそれになる為に努力をして来たが、だからと言ってその為に父が望まぬ事をして悲しませるのは不本意だ。
悩むのは、自分がする事を言うべきか黙っておくべきか。ただそれだけだった。
瑞葉は畑の中にある道を一人とぼとぼと歩く。地面を見つめる彼女の頭の中では様々な思考がぐるぐると渦巻いていた。
「命を懸ける……」
よくよく冷静に考えてみれば、それはさして珍しい事ではない。魔物を倒すのだって命懸けだ、油断すれば死ぬという前提はいつだって変わらない。しかしミザロがわざわざ念を押してそれを三人に伝えたのは、間違いなく死ぬ可能性の方が遥かに高いからという事なのだろう。
「死、ぬ、かぁ……」
瑞葉は始祖の魔獣討伐の時の事を思い出す。あの時は本当に死を覚悟するような出来事が何度もあった。しかし実際には彼女は生き延びて今もここに立っている。それは運が良かっただけだと分かっているのだが、あれを潜り抜けたのだからどうにかなるかもしれないと希望が芽生え。
しかし直後に先程ミザロが向けて来た視線を思い出す。あの瞳からは余りにも強く、深く、そして身近に死を感じられた。今もそれを思い出すだけで鳥肌が立つほどに恐ろしく身震いしてしまう。改めて思い返してみれば彼女は始祖の魔獣討伐の時でさえ本当の死の傍にいたことは無い。ロロやハクハクハクはたった一人で巨大な落とし子に立ち向かうような事もあったのだが瑞葉は常に傍に誰かが居た。自らの肉体に爪や牙を向けられた事は無かったのだ。
「私は、怖いんだ」
彼女は死が恐ろしい。
自らに降りかからんとする死を恐れ逃げ出すのは当然の事なんだ。どうして命を懸けてまで戦争を止める必要があるんだ、たとえ火種が燻っているのだとしてもそれが遥か遠くで自分たちの生活に大きく関わるわけじゃない。自警団の人も、冒険者も、全員で無いにしろ帰って来たんだ。これから都は良くなっていく。
「良くなっていくんだよ……」
それらは、本来なら彼女があの場でロロに言いたかったことなのかもしれない。しかしなぜか彼女はそれを口に出す事が出来なかった。どこまでも真剣な目をするロロの邪魔を出来なかったからだろうか。それとも何か別の理由があったのだろうか。
彼女は一人悩みとぼとぼと歩き続ける。
ハクハクハクは一人街中を歩き居候する古物商の元へと向かう。フードを深く被り顔を隠すその姿はまるで後ろ暗い事でもあるかのようだが、それはただ単に丙族である事を隠す為に普段からしている仕草に過ぎない。彼女にとってそうすることはとうに慣れたものであるし今更どうとも思わない。しかし最近は街中で因縁を付けられるている丙族の姿を見る事も以前より多くなってしまったと少し残念に思う。
ショウリュウの都は丙族への差別は比較的穏やかな場所だ。それが厳しい所に行けば彼女はまかり間違っても自身が丙族であることを明かす事など出来はしない。しかし今は、都ですら丙族の人々に生き辛い場所になりつつある。
以前、ハクハクハクはその身を賭して強大な魔物を倒す事で英雄となる事を目的としていた。丙族が命を捨てて皆を守ったという事実が後に生きる人々から丙族への差別的な意識を取り除き皆が同じ人として生きて行けるだろうと思っての事だ。彼女はその礎になれれば十分だと思っていた。
しかし今の彼女は違う。命を捨てずとも共に生きていける事を理解し、そして彼女にはまだまだ生きていたい理由もある。
の、だが。
「……このままだと、どうなるんだろう」
今の状況が続いた未来を想像し彼女は思う。このままではいけない、と。
翌朝、志吹の宿にロロ、瑞葉、ハクハクハクの三人が集う。宿の前に集まった三人はまるで牽制するように互いに見つめ合い何も言おうとはしない。三人共理解しているのだ、自分たちの決断が同じ方向を向いているとは限らないと。
そしてこんな時口火を切るのはいつだってロロだった。唐突に前に一歩出て口を開く。
「俺は、戦争を終わらせる方法があるのなら一人でも止めに行く。だからわざわざ二人が危険に首を突っ込むことは無いぜ」
彼の口から出たその言葉は強い決意と二人への思いやりだ。自分がやるつもりだからと言って二人にも同じ道を歩ませるつもりは無いという、そういう言葉だ。瑞葉はちらりとハクハクハクの方を見た。彼女は少しの間俯いていたが、やがて顔を上げるとその瞳には強い決意を宿していた。
「私も、やるよ」
その決断を意外に思うべきなのかそれとも当然の事だとみなすべきなのか、ロロも瑞葉もそれは分からない。しかし彼女の決断に何も口を出す事は出来そうもないとただ頷く。
そして自然と視線は残る一人、瑞葉の方へと集まる。瑞葉はその視線を受けて、二人の決意を見て、これから先に待ち受ける命の危険を感じて、ただ呆れたように息を吐く。
「二人共向こう見ずだから、私が付いてないとすぐ死んじゃうでしょ」
その言葉は彼女も付いて行くという意味に他ならない。そしてその言葉にロロもハクハクハクも内心の驚きは隠せなかったらしく呆気に取られたように目を見開く。常に慎重な彼女であれば必ずや二人の事を止めるだろうと思っていたのだ。しかしこの場において彼女は二人の決断を後押しするように手を貸すという。
「あ~、いいのか?」
「良いのか、って何? やっぱ止めるって?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
瑞葉に睨まれてロロは頭を掻いた。
実のところ瑞葉は宿に来るまで完全に心を決めていたわけではない。というよりは彼女は最初から判断の基準を彼女自身の中に設けていなかったと言うべきか。冒険者になる当初こそ彼女は自身の理想をロロと同じようなものなのだと信じ切っていたが、今の彼女は誰も彼も守りたいとまでは思っていないことを理解している。身近な人の平穏と笑顔こそが彼女の守るべきものだ。
故に昨晩、彼女は母と義父にそれとなく尋ねる事に決めた。
「そういえばさ、今日ミザロさんが都に帰って来てたんだよ。他にも自警団とかザガ十一次元鳳凰の人とかも帰って来たんだって」
「そうなの? じゃあこれで少しは安心できるのね」
「前線は大丈夫なのかい? 新聞はずっと膠着状態だと言っているけど、僕らは実際の状況を見てもいないしね」
「ミザロさんが言うには本当に膠着状態だって。向こうも攻めて来ないけどこっちからも中々攻めれなくて長引きそうだって」
「そう……」
瑞葉の母、樹々はその事実を聞き思う所があるかのように顔を伏せた。
「どうかしたの?」
すかさず、瑞葉は問い質す。
「……戦争なんて、早く終わればいいんだけどね」
国家間の戦争というのは以前に起きたのがあまりにも昔でもはや今を生きる誰の記憶にも無いような時代の事だ。しかし相手が国家でなければ大きな戦いが一つあり、それは多くの人々の心を今も縛り続けている。
魔王大戦。ほんの二十年程前に起こったその争いには多くの人々が巻き込まれ、その残滓が今尚人々を蝕み続けている。
「魔王大戦の時も、友人や知人が大勢戦いに出て行って、大怪我を負って戻って来て、中には帰って来なかった人も少なくないわ」
瑞葉は母がそのように魔王大戦の時の事を語るのは初めて聞いたかもしれないと思う。おそらくは、辛い記憶ばかりで思い出さないようにしていたのだろう。過去を語る樹々の表情は険しく涙が滲みそうになっている。
「あの頃は本当に悲惨な事がたくさんあったわ。どこにいてもいつ何が襲って来るか分からない、戦いに行った人の無事を祈っても、あちこちから聞こえて来る悪い知らせにただただ涙を流してね……」
「お母さん……」
ミザロから聞いた話が事実であれば今はどの国も積極的に攻めようとはしておらず、魔王大戦の時のような悲惨な結果にはならないのかもしれない。しかし戦争状態が続くと言うのは、常にその可能性を孕んでいるという事なのだ。
瑞葉の義父、上代は樹々の背中をさすりながら自分もまた語り出す。
「僕の友人は軍に入っていてね、魔王大戦の時に砦の守護をしていたけれどついぞその砦では大きな戦いも無く大戦は終わったらしいよ」
「そういう事もあるんですね」
「でもいつ襲われるか不安で眠れない日が続いて、大戦が終わった後もそれは変わらなくて結局軍を続ける事は出来なかったって」
瑞葉はその結末を聞き押し黙る。
「戦争って言うのは何も直接的に人を殺すだけじゃないんだ。こんなことは早く終わって欲しいものだね」
人が傷付くというのは決して物理的な怪我だけが原因とは限らない。寧ろ心を傷付ける事の方が遥かに手段が多いとさえ言えるのかもしれない。瑞葉はこのまま戦争が続くことは二人にとってその原因となり得るのだと気付く。否、他の者にとってもそうだ。たとえ都が前線からは遠く離れているのだとしても、ロロの言う通りここもまた戦争の現場なのである。
眠る前、もしも本当に戦争を終わらせる方法があるのなら、と、瑞葉は夢想する。そうだとすれば、ロロとハクハクハクの二人共が行くと言ったなら、その時は二人を助ける為に自分も行こう。そんな事を思うのだった。
宿の前、腕を組んでふんぞり返りロロを説教する瑞葉の姿がそこにある。
「どうせ二人だけだと何かあってもすぐに対応できないでしょ? 私がいなかったらどうするつもり?」
ロロはそれに対してろくな反論も思い付かず困ったようにハクハクハクの方を見る。しかしハクハクハクの方もまた反論できなかったのだろう、すぐに目を逸らした。
「何か言いたそうにしてるね?」
「いや、まあ……、俺達が行くからって別に……」
段々と小声になって行くそれは瑞葉にとって図星になる言葉だったが。
「何か言ったぁ?」
その点に関して彼女はとうに開き直っている。人に左右されて物事を決めるのは間違っていると聞いたこともあったが、その手の届く範囲の人々こそが彼女にとって最も大切なのだ。
「大体何で私にばっかそんな何か言いたそうなわけ? ハクはどうなの?」
突然話を振られてハクハクハクは困惑した表情を浮かべる。
「わ、私は……」
しかしすぐにその表情も消えそこには決意に満ちた表情があった。
「私も、戦争を終わらせたい、から」
ハクハクハクの決意は固い。彼女は昨日帰ってからもすぐに心の内を決めてさして悩むことは無かった。命を捨てて英雄となる道は既に彼女の中に存在しないが、だとしても丙族への差別が無くなるような、誰もが同じ人として暮らせる日々を目標の中に置いている事には変わりない。このまま戦争が続けば人々はその鬱憤の捌け口として丙族への差別感情をより大きく揺さぶり同じ都に暮らす人々の中でさえ分断が起こるだろう。
ハクハクハクはそれを止めたいと願っている。
「……まあ、そこまで言うならいいけど」
瑞葉はなぜそこまで固い意志を持っているのか問い質したい所だったが、自分もろくに語っていない事を思い出しそれを止める。それにどうせ聞いたところでやる事は変わらないのだから。
「ロロは……、ナバスさんに止められたんじゃない?」
「……樹々さんは?」
子供の事に関してあまり干渉しないナバスに対して樹々は常に瑞葉に何かあったらと心配している。要するに、瑞葉の言ったことはそのまま自分に強く当てはまる事なのだ。それに気付いていたのだろう、彼女はロロからそう返された時既に視線を逸らして聞こえないふりをしていた。
「……まあいいけどさ。父さんは特に何も言わなかったよ」
ロロは昨晩の事を思い返す。
ナバスが家に帰るとロロが寝室に籠って何やら唸っているのが聞こえて来る。それは珍しい事ではあるがしかし彼は部屋に向かいはしない。息子が何か悩んでいるのなら手を差し伸べるのも親の役目なのかもしれないが、自分自身で考えさせるのもまた親の役目なのだろう。
彼は何か尋ねられでもしたら答えようと思うだけで、夕飯の準備を始めるのだった。
幸いな事に戦争の最中でもショウリュウの都には豊富な食料がある。元々多くの畑を持ち、周囲は山に囲まれ山の幸や獣なども多く生息し、更には大きな川がすぐ傍を流れ魚も豊富に取れる。少なくとも前線がより近付いて来ない限りは食糧不足の心配はないらしい。
適当に野菜を切り、以前にロロが獣の討伐の際に貰って来た肉を幾らか取り出して炒める。簡素な食事ではあるがこの親子はその事をさして気にすることはない。夕飯の匂いに釣られて部屋から出て来たロロはどこか心ここにあらずと言った様子だった。ふらふらと歩き、食卓に着く。食事の準備はすぐに終わるだろう。
「いただきまーす」
目の前の肉野菜炒めを口に入れながらもロロは変わらず心ここにあらず。余程大きな悩みがあるのだろう。ナバスはそれを悟り、口を開く。
「何かあったのか?」
ロロの事を最も長く見て来た者が誰かと問われればナバスか瑞葉かであろう。そして二人の大きな違いと言えばロロに対しての向き合い方だろうか。瑞葉は幼馴染であり自分を引っ張ってくれる人として見ているが、ナバスにとってはあくまでも子供だ。それはいつまで経っても変わらず、それ故にロロの悩みに関してはある程度想像がついていた。
「どうせお前の事だ、困っている人を見て何かしようとしてるんだろう」
「……まあ」
無論、それが戦争を終わらせようとするなどと言うあまりにも大きな願いである事など知りはしないが、そもそも事の大小はナバスの興味の埒外であった。
「お前が事を為したいと思うならすればいい。だが周りとは相談しておけ」
「……あ~、つまり?」
「お前は頭が悪いからな。何が正しいかをきっちり考えてから動けという事だ」
「正しいと思ったならそれが何であれしていいって事?」
「正しいと思っても間違いだったなんてことは山ほどある」
ナバスはそこまで言って一度野菜炒めを口に運ぶ。その間に目を閉じて次の言葉を頭の中で練り上げているのだろう。やがてそれを飲み込み、目を開いた。
「だが、まあ、お前ならそう間違う事は無いだろう」
ロロは間違いなく、馬鹿だ。大勢の人がそう評している。しかし彼は多くの人に好かれてもいる。それは要するに、彼が自身の良心に従って行動しているのが誰の目にも明らかだからなのだろう。
「やるなら、気張ってこい」
「……うん」
ロロは胸のつかえがとれたのか勢いよく目の前の料理を平らげる。そして空になった皿を見て、今度は凍湖シンシンの特産品を入れてもらおうと決意したのだった。
結局ロロには父であるナバスが何もかもを見通した上であのような事を言ったのか、それとも単に悩んでいる素振りを見てそれとなく道を示してくれただけなのかは分からない。分からなかったが、彼にはそれで十分だった。
「ま、父さんはいつだって俺の事を応援してくれてるみたいだから」
「何それ」
そんな風に宿の前で色々と話をしていると不意に扉が開く。
「いつまで外で話すつもり?」
とっくに来ているのには気付いていたのだろう、痺れを切らしたミザロが中へ入るよう促しに来たのだ。彼らは頭を掻きながら宿の中へ足を踏み入れる。
中は、静かだった。しかしそこには既に数人に冒険者がいる。
「よう、お前ら」
「ザガさん!」
ショウリュウの都で誇る冒険者集団、ザガ十一次元鳳凰のザガその人に加え竜神とツバサまでいる。三人の共通点を挙げるならば同じチームに所属している事と二等星である事が数えられるだろう。
「皆さん戻ってたんですね」
「まあな。前線は都からは天柳騎の三人が行ってるからよ、お前らは都周辺の掃除をして戻って来いときたもんだ。全く人使いの荒い連中だぜ」
「そうだったんですね」
ザガはそこから前線での自分の武勇伝を語ろうと鼻息荒く声を上げようとしていたのだが、それを竜神が手で遮る。その瞳には怒りが満ちており、その行く手は三人を連れ入ったミザロに向けられていた。
「ミザロ、まさかこいつらを待ってたわけじゃないよな?」
その言葉の裏には、はい、などと答えようものなら何をするか分からないと思わせるだけの圧が込められていた。いたのだが、
「そうです。彼らを待っていました」
ミザロは躊躇いなくその返事をした。直後、床板を踏み抜かんばかりの音を立てた踏み込みと共にミザロの鳩尾を目掛けて竜神の拳が放たれる。ロロ達三人にはその動きの全容こそ見えなかったがその結果だけは誰の目にも明らかだ。
「竜神さん、落ち着いてください」
「落ち着いていられると思うか?」
何事も無かったかのように話を続けるミザロは竜神の拳を最小限の動きで躱していた。竜神は変わらず怒りを顕わにしたまま追撃を仕掛けようとしていたが、唖然としつつもこの喧嘩を止めようとしているロロ達を見て舌打ちをしつつも手を引いた。
「ひとまず、話ぐらいは聞いてやる」
彼女はどっかりと椅子に座り不貞腐れたような顔をしている。ロロ達は話も見えずなぜ今のような出来事が起こったのかもまるで分からない。
「まあ安心してください。話を聞いた上でどうするかは彼らが決める事ですから」
ミザロの瞳が怪しく光る。それは昨日も見た、死の恐怖を呼び覚ます瞳だ。三人は思わず喉を鳴らしたが、一歩も引くことは無かった。
「……昨日、この戦争を終わらせる方法は無いかと尋ねましたね」
「ああ、うん」
「一つ、簡単な方法があります」
「え!? あるのか!?」
「はい」
ロロはその言葉に目を輝かせていたが、瑞葉とハクハクハクはどこかその言葉にきな臭いものを感じていた。まるである種の詐欺師のような嘘はついていなくとも隠している事があるような。それは次のミザロの言葉ではっきりとした形となる。
「凍湖シンシンの王を暗殺します」
三人はその言葉の意味が一瞬理解できなかった。それは余りにも自分たちが生きて来た世界とかけ離れた言葉が出たからというのもあるだろう。しかし暗殺というその言葉の意味ぐらいは当然知っている。すぐに、それを理解して、息を呑んだ。
戦争が始まっておよそ半年。凍湖シンシンの王、アルザード16世の暗殺計画が始動する。それが後の歴史に与える影響は、これから決まるのだろう。




