84.不穏な平穏
ショウリュウの都、街中。人々は暗い表情で溜息をつく回数が増えている。彼らをそうさせるものが何なのか、それは言うまでもない事なのだが、戦争だ。
凍湖シンシンの国が引き起こした戦争は既に始まってから半年近く経ってしまった。その間、前線では何度か小競り合いが起こったようだが大規模な戦いは発生していない。
「凍湖シンシンは新兵器を開発したって噂だが本当か?」
「馬鹿言えよ、だったら今頃もっと攻めて来てるだろ」
「いつまで続くんだこの戦争は?」
「私が知るわけないでしょ。とっとと働いて来な」
「働くったってなぁ……」
長引く戦争は半年経っても膠着状態のまま動きが見えない。前線から遠く離れたショウリュウの都では嘘か真かもわからないような噂が飛び交うばかりで、先の見えない現状では日々の生活に疲弊するだけだ。
いや、疲弊するだけならそこまで問題は無かっただろう。
「いい加減魔物をどうにかして欲しいわ……」
「この前魚を獲りに行ったら川辺にまで魔物が近付いて来やがった。今まではそんなこと無かったのに」
「木材を取りに行くのに冒険者の護衛が必須だ。でもあいつらも手が足りないってよ」
「新聞ではずっと膠着状態だって書いてあったしいい加減戻って来て欲しいわね」
「本当だよなぁ」
元々都の外の川や山に生活の糧を得ていた者達は増加する魔物によってそれを脅かされている。冒険者たちは精力的に活動する者も多いがそれに対応し切れていない。
「宿に直談判しに行くか? 魔物の数をどうにかしてくれって」
「それより自警団の方が良いんじゃないか? 冒険者たちは結構頑張ってるしよ、あいつらが近くだけでも討伐してくれりゃあ少しは俺らも楽になるだろ」
「いやいや、あんたら馬鹿言ってんじゃないよ。国がもっとちゃんとしてくれればいいだけだろう? 国王様に嘆願書でも書いたらどうだい? そうすりゃみんなが楽になるじゃないか」
不満の矛先は彼らの元へと向かいつつある。と言ってもこれはまだましな方だ。苦しい時に力ある誰かにこの状況を変えて欲しいと願うのはそうおかしなことではないのだから。
しかし少し路地を進み普段ならばひと気のないような場所まで行けば頭を抱えるような主張を巡らす者達も見えて来る。
「聞けっ、今のこの我々の苦境は全て丙族が仕組んだことだ! 奴らは魔王に与し我々の家族友人を殺したばかりか今度は凍湖シンシンの国に根を張り我々を根絶やしにしようとしているのだ!」
中央に立ち演説を行う者とそれを囲む聴衆の輪がそこにはある。
「この場に集まった我が友人たちの中にはあまりに唐突な主張に困惑している者もいるだろう。しかし、私は確かな情報筋からとある情報を得たのだ。それは最初に町が襲撃された際の事だ。凍湖シンシンの軍はそこに住む人々を捕え捕虜としたのだが、その際に丙族とそれ以外に分けて連れていかれたのだと」
ざわつく聴衆。その中にはそんな噂を聞いた覚えがあるというような声も混じっており、若干信じている者の方が多いようにも感じる。それを見た演説を行う彼は満足そうに頷き更に続きを話す。
「奴らは凍湖シンシンを中心に丙族の王国を作ろうとしているのだ。そしてその王国では私たちのような人間はどうなるか分かるか?」
その問いに聴衆の一人が声を上げる。
「まさか奴隷とか!?」
その打てば響くような返答の早さや極端な思考には普段ならば一部の人は違和感を覚えたかもしれない。だが戦争の中で疲弊した精神や集団だからこその思考の薄れが彼らにそうした疑問を忘れさせその言葉を無意識の内に受け入れていた。
「そう、君達は丙族の奴隷にされようとしているのだ!」
この集団の行き付く先は考えるだけで恐ろしい。丙族への恐怖と憎しみに煽られた彼らはいずれショウリュウの都で普通に暮らしている丙族をも襲い始めるのだろう。それは戦争への不安を一時消し去り正義に酔いしれる事が出来るのかもしれないが、その後は牢獄で酔いが醒め無為な日々を送ったことを後悔するのかもしれない。
幸いながら、今回はそうならないのだが。
「そこまでだ!」
そこに現れたのは自警団のカクラギだ。否、彼だけではなく周囲を囲むように幾人かの自警団が姿を現している。その様子を見て先程まで恐怖と不安を煽る演説に聞き入っていた民衆は狼狽え思わず演説を行っていた者への道を空けた。
「我々の正当な抗議活動を邪魔する気か!」
「自警団は純粋な抗議活動を邪魔するつもりはない。しかし徒に人々への不安と憎しみを煽るだけの行為に対しては相応の処置が取られるべきだろう」
「ちぃっ!」
演説を行っていた男はすぐさま逃げ出そうとしたがどの道にも自警団が待ち構えており為す術も無くそのまま捕らえられ連行されて行く。その一部始終を見届けた民衆たちはただ呆然とするばかりだ。そしてそんな彼らをこのまま放置しておくわけにもいかないだろう、カクラギは咳払いを一つして。
「あー、我らがショウリュウの都に住まう皆様」
その声に皆の注目が集まる。カクラギはその一人一人の様子を見た。誰もが同じように瞳を震わせ落ち着きなく指先を弄っている。最近は町を歩いているだけでもこうした様子の人を見る事が多い。
「あなた方の不安は我々自警団も理解しております。言葉で安心してくださいと言うのは簡単ですが、それを信じるのも難しい事でしょう。しかし自警団は確かにここに存在し、都を守り続けています。魔物の増加を不安視する声も届いておりますが、我々もようやくそれに対応する目途が立って来たところです。いずれは元のように町の間を行き来する事も難しくなくなります。どうか心穏やかに、過激な言説や出処不明の噂に惑わされぬようお願いします」
その言葉を聞いた民衆はしばらくはその場で互いにひそひそと何やら話し合っていたが、やがて納得したのかその場をそそくさと離れて行く。残されたカクラギはただ溜息をつき、近くの同僚は彼の肩を叩いた。
「お疲れ様。ひとまずはあの対応で間違ってないと思うぞ」
「それは分かってるが……、実際、この先どうなると思う? 実際の所我々にもこの先どうなるかなんて分かりはしないだろう?」
「まあな、魔物の討伐にだって行けるかどうか……」
先ほどカクラギが魔物の増加に対応する目途が立ったなどと言っていたが、それは事実ではない。自警団の中でもそれに対して戦力を割くべきだという意見は多くあるが、戦争にかなりの人数が持っていかれた現状ではどこまで出来るか分からない。
更に言えばそもそも人々の不安は魔物の増加では無く長引く戦争とその影響こそが最も大きな原因である。魔物の討伐が実際に行われたとてそれは根本的な原因を取り除く事にはならず、単なる対症療法に過ぎないのだろう。
「戦争は、どうなるんだろうな……」
彼らは遠い戦争の前線に目を向ける。そこで日々緊張の糸を弛ませる事無く相手の出方を窺う軍を、自警団を、そして冒険者たちを。
「しばらくは動かないつもりのようです」
「え?」
そして彼らはその場にいるはずのない者の声を聞いた。
魔物の討伐を終えて宿に帰還する三人の冒険者、ロロ、瑞葉、ハクハクハクだ。
「三人共お帰り……。疲れてるみたいだね」
崎藤が三人の様子を一目見るや否やそう言った。どこかぐったりとした様子で足取りも重い彼らはひとまずは魔物の討伐は無事に終わったことを告げる。
「今日も凄かったですよ。想定より魔物は多かったし、都に戻れば変な団体が広場に集まってるし、絡まれそうになったから走って逃げて来ました」
「ああ、最近は多いよね」
生活が苦しくなって来た民衆はその内に怒りの炎を燃やす。その矛先が向けられるのは本来なら戦争を引き起こした凍湖シンシンの国であるべきなのだろう。しかし彼らの怒りをそこへ届けるにはあまりにも遠すぎる。結果、身近な自警団や冒険者、或いは丙族を相手にその怒りが向けられてしまうというどうにもやるせない事態が起こっているのだ。門の傍にある広場に集まっている団体は入り口で防備を固めている自警団に対して何らかの抗議を行っていたのだろう。
「魔物だけだったらまだ気分的には楽なんですけどね。ああいうのを見てると、こう、気分が沈むというか」
「気持ちはわかるよ」
この苦境に喘ぐ民衆とは本来彼らにとって守るべき対象のはずだ。しかしそれが怒りをどこかずれた形で噴出させているのを見ると、なぜそんなことをしてしまうのか、なぜこんなことになってしまったのかと無力感が渦巻くのを感じる。
瑞葉はこの巨大な戦争という脅威を前に自分には何も出来ないのだろうかとただただ肩を落としていた。
「さ、最近、は、丙族へも、その、前より当たりが……」
珍しくハクハクハクも声を上げた。
「そういえば丙族が戦争を始めたんだなんて陰謀論を語る人もいたね。どこから聞いたのかわからない噂を真に受けたのか妙な事を言っていたのを覚えてるよ」
「この前、追いかけられて、ちょっと怖かった」
「そうなの!? 早く行ってよ、大丈夫なの!?」
「う、うん……。私の方が、足、速かったから」
ハクハクハクがその気になれば一般人から逃げる事などわけないことだ。何せ彼女はその膨大な魔力によって直線であれば三人の中で最も速く動けるのだ。或いは屋根の上まで飛び跳ねて逃げてしまうのもいい。しかし元々丙族を嫌っている人物と言うのは少なくはない。冒険者の中にだっているだろう。都の多くの人々が丙族の敵に回ってしまえば、彼女はここで暮らす事すら難しくなってしまう。
「何にせよ、中々良い知らせっていうのは流れて来ないものだね」
暗くどんよりとした雰囲気が宿の中に流れる。戦争に勝利した報告とまでは行かずとも、可能ならば一部の冒険者や自警団の人員が治安維持の為に戻って来てくれるだけでも状況は変わりそうなものだが、中々上手くは行かない。
「せめてミザロちゃんだけでも帰って来てくれたらねぇ」
崎藤がそう呟いた時、宿の扉が開く。
「呼びましたか?」
そこに立っていたのはたった今崎藤が口にした戦争の前線にいるはずの人物。四人は目を丸くして驚き、目を擦って彼女の顔を改めて確かめた。
「ミザロちゃん!?」
「ええ、そうですね」
「み、ミザロさん、その、戦争で、あれ?」
「一時帰還しました。私の他にも何人か戻っています。今頃町を回っているのでしょうけれど、その内戻ってきますよ」
門の傍の広場では自警団に対し抗議を起こそうとしていた集団の元に前線から帰って来た一部の自警団員が話をしている。周辺の魔物増加の話を聞き彼らは翌日より人員を割いて安全を確保していくとの約束をしたようだ。
店が立ち並ぶ都の中央部ではザガ十一次元鳳凰の面々が様々な店に顔を出していた。二等星擁する彼らの帰還に安堵の表情を浮かべる者は少なくない。商人の中には早速他の都との大口の取引を準備し始める者もいたほどだ。
そしてミザロはたまたまカクラギ達を出くわした後にここ志吹の宿へ戻ってきたところである。そして現状についてその場にいた者に共有し始める。
「聞き及んでいるかもしれませんが前線は完全に膠着状態です。何か月も睨み合いが続いています」
「お互い攻めようとはしないんですか?」
「凍湖シンシンの考えは完全には分かりませんが、彼らも今回の戦争にはかなり困惑しているようです」
「困惑?」
瑞葉が首を傾げるのも無理はない。戦争を引き起こした側が戦争に困惑しているというのは一見意味不明だ。しかし。
「国と言うのは様々な人が集まります。しかし我ら山河カンショウの国もそうですが、彼らには幾つかの規則に従う事を理由に国の庇護下に入るのですよ」
「えっと……?」
「法を守るとかそういう話です」
「ああ」
「そしてその中には王の命令には従う、という事もあるでしょう」
三大国は全て王国だ。故に王命に逆らうという事が何を意味するかは誰もが良く知っている。
「つまり凍湖シンシンの王様が戦争を起こすように命令した」
「ええ。そして我々が捕らえた者のほとんどはなぜ突然戦争を起こしたのかは分からず本音では戦いたくないと思っている者までいました」
曰く、凍湖シンシンでは青天の霹靂のように突如戦争のお触れが出され、戦える人々は出兵しそうでない人も食料や金属などを供出することになったのだという。そしてそれに反発した者は見せしめのように現れた大勢の軍によって捕縛され牢に入れられ、それにも抵抗した者は数の暴力により痛め付けられぼろぼろになった姿で町中を引き摺られたという。初めにその話を聞いた時こそ半信半疑だったものの捕らえた者が皆そのような事を言い、中にはこれで戦わずに済むと涙を流して喜んだ者までいたのだとか。
「凍湖シンシンの内部は相当混乱してるみたいだね」
「そうですね。当初こそ電撃作戦で幾つかの町を奪ったものの、その後更に攻め込んで来ないのは純粋に士気が低いからという事なのかもしれません。流石に前線までは王様も出張って来ませんから」
これまでロロ達は凍湖シンシンの国の者は戦争を引き起こした加害者だとばかり思っていたが、その話を聞き及ぶと一体あの国に何が起こっているのかとただただ疑問が立ち並ぶばかりだ。
「あ、あの」
その中でハクハクハクが手を挙げて言う。
「し、士気が低い、なら、こっちから攻めたら、簡単に、その、終わらせられたりは?」
彼女の言う事も一理ある。兵士の士気が低いのであれば一気呵成に攻め込んでしまえばあっという間に制圧することも難しくは無いのではないか、その疑問は至極真っ当なものだ。
「何度かそれも提案はしましたが、残念ながら意見は通りませんでした」
「それは……?」
「突然戦争を起こした凍湖シンシンに対しての警戒が三割と言ったところですか」
「残りは?」
「戦争を終わらせるには凍湖シンシンの国内部へ攻め入る必要が出て来るでしょう。ですが、それを誰もやりたくないのですよ」
「なぜ?」
「簡単です、圧倒的にこちらに不利だからですよ」
ミザロはなぜ攻め込まないのか、或いは攻め込めないのかを淡々と語り出す。
「純粋に地の利があちらにあります。細かな地形までは把握していませんし、戦争に際して国内には砦などの建築も行われている事でしょう。迂闊に攻め込めば我々は大きな被害を受けるかもしれず、それは敵に隙を晒す事にもなりかねません。それに」
「それに?」
「我々は雪中での戦いなどしたことがありませんからね」
凍湖シンシンで年中降る雪、それは山河カンショウの国には北方の一部の地域で一年の僅かな時期にのみ降る程度のものだ。それも足が埋まる程に深く雪が降る事はない。しかし凍湖シンシンの国に攻め入ればそのような場所がほとんどだ。雪の中での戦闘に慣れた軍隊とその経験が無い軍隊が戦えば結果は明らかだろう。
「な、成程……。確かに」
瑞葉も雪深い場所など行った事すらない。そこでの戦いなど想像すらも出来ないのだ。
「虎狼ホンソウの方は? 何か情報は入って無いの?」
「あちらもおそらくは似たような考えでしょうね。情報交換はしていましたが攻め込まず静観の構えです」
「つまり長期戦の消耗戦が狙いなのかな」
「そのようです」
崎藤の言葉にミザロは頷く。
「どういうことですか?」
「元々予想は出来てたんだよね。凍湖シンシンは三大国の中では最も資源に乏しい国だ。しかしこちらから攻め入れば手痛い反撃を喰らうかもしれない。ならばこのまま戦線を維持することで消耗させれば先に音を上げる事になるのは僕らでは無く」
「凍湖シンシンの側……」
「一部の冒険者や軍が帰って来たのも要するに相手の戦力を測り終えたって事でいいのかな? いい加減魔物が増えてみんな迷惑してたし必要な戦力以外は町に戻して人心の安定を図るってわけだねぇ」
要するに大規模な戦闘によって多くの命が失われるのを避けて確実に勝利を収める為には、国境沿いの守りを固めて戦闘状態を維持したまま放置すればいい。それが山河カンショウ及び虎狼ホンソウの考えだという事だ。後は不測の事態さえ起こらなければ何も問題はない。
「それなら僕の方で何もする必要は無さそうで良かったよ。火薬で爆弾を作って魔物退治に出向こうかと思ってたたぐらいでねぇ」
「危ないので止めてくださいね」
何はともあれ戦争が落とす影はこれから小さくなるのだろう。一部とはいえ冒険者や軍が戻ってくれば魔物の討伐も進み街道も以前のように安全に通れる日がまた来るはずだ。戦争が続いているという不安は残ってしまうかもしれないが、それもじきに慣れて来るだろう。
今後前線に赴くことの無い人々にとって戦争の話はこれで終わり―――。
「あのさ」
不意に、ロロが手を挙げた。珍しく、話の間に一言も喋らなかった彼が突然声を上げたので皆目を丸くしている。
「どうかしましたか?」
「うん」
彼は立ち上がり、皆の表情を見る。そしていつものように、気負うことなく当然のように。
「俺、戦争を終わらせたいんだ」
ただの一個人には過ぎた夢を語った。




