79.無謀
虎狼ホンソウの国、辺境。戦場を離れていたミザロ率いる六人は見た。再び上がった巨大な前脚を、そしてそれが振り下ろされ大地が沈んで行くのを。
「……そんな」
誰もが絶望的な表情で言葉を失う。
先程までは軍の魔法が落とし子を順調に減らしているのが見えていた。ミザロは戦場を離れる際にこの作戦は失敗したとはっきり言っていたが、まだ勝利の目が残っているのかもしれないと思われるような戦いが行われていたのだ。
しかし今の一撃は、もはや遠目にしかそれらを見る事が出来ない彼女たちにも吹き飛ばされるかと思う程の衝撃を生み出し、そして先程まで戦っていた皆を砕けた大地の中へと飲み込んでしまったのだ。不安か、恐怖か、絶望か、思わず足を止めて立ち尽くす。
その中でミザロは一人近くの岩に登り状況を確認して降りて来る。
「落とし子が地中を進んでいたのかもしれませんね」
そしてただただ冷静にその評価を伝える。。
「先の一撃に比べて地面が砕けた範囲が異常に広く、またまるで狙ったように軍の部隊を飲み込んでいます。おそらく事前に地盤を破壊していたのでしょう。彼らがあれだけで全滅するとは考え難いですが、しかし地下で待ち受けるのは落とし子の群れでしょうしどうなるかはわかりませんね」
軍が壊滅したとなれば本当にこの作戦は失敗したと言わざるを得ないだろう。未だ狼王と見紛う程の大きさの落とし子すら残っているのがたった今確認されている。軍の魔法を欠いてはそれを倒すのは難しい。
「では、皆さんは行ってください」
故にミザロはそう言った。
「……皆さんは、って?」
空天赤坂が問い返す。
「私は向こうに戻ります。ここより先は落とし子の危険性も無いでしょう。あなた方なら無事に町に辿り着けるはずです」
「あなたは……」
「私はここからは救助活動に回ります。今の一撃でどの程度生き残っているかはわかりませんが」
思えば彼女は初めからこのつもりだったのだろう。町へ辿り着ける実力を持つ者を安全な場所まで送り、その後に自分一人戦場へ戻る。いくら彼女が巨体の魔物を相手にするのが得意でないと言ったところでその実力があれば役に立てる場面は多い。
「では、任せましたよ」
ミザロが地面を蹴った、そう思った次の瞬間には彼女の姿はそこから消えていた。残された者達はただ呆然として立ち尽くす。しかしすぐに動き出す事だろう、彼らは皆、その身に使命感を抱き冒険者に身をやつしたのだから。
地下、崩れた瓦礫で埋め尽くされたその空間ではもはや生き残った者など居ないのだろうか。
ガラッ。
音を立てて砕けた岩片が転がって行く。それが元あった場所には一本の腕が生えていた。その腕は幾らか右往左往したかと思うとすぐ傍の岩を押し退けてその下から体が起き上がる。
「ふう、なんとかなったな」
彼は牛鬼、三等星の冒険者だ。衝撃波の爆心地からはある程度離れたところにいたことが幸いし、地面が崩れこそしたものの然程大きな怪我は負っていないようだ。
「先の一撃よりも弱かったな、狼王も弱っているのか?」
今の前脚は狼王ではなくその落とし子によるものであったがほとんどの者は勘違いしているようだ。とはいえ、あまりに大き過ぎて多少大きさが変わっている事など気付かないのは無理も無い。牛鬼は軽く服をはたくと眼下に広がる瓦礫の山を見つめる。
「安川、ロロ! 無事か!?」
「無事だ!」
呼び声に応え安川の声が響く。
「ただ外に出れそうもない!」
「少し待っておれ、掘り起こす」
牛鬼は声が聞こえた辺りの瓦礫を素早くどけていく。そうして掘り進めた先には安川とロロの姿があった。
「……ロロは」
「生きてる。少し気を失ってるだけだ」
「そうか」
衝撃波が三人を襲い瓦礫の山に飲まれて行く中でロロは安川の前に出て飛んで来る瓦礫からその身を守った。結果、安川は大した怪我も無く生き残っている。しかしロロの方は無事とは行かない。直接瓦礫を受け止めた腕の骨は折れているしそれ以外の場所でも何か所も出血が見られる。
「応急処置だけして行こう」
「どこに行くんだ?」
「そうだな……。周囲から戦闘音は聞こえるか?」
安川はロロと包帯を牛鬼に渡すと集中して周囲の音を拾い始める。僅かな音も聞き漏らすまいと陥没した大地を精査するようにその耳を澄ます。瓦礫が崩れる音、人の話し声、地中で蠢く何か、慟哭、咆哮、剣を掲げる声。
「……幾つか、ある」
「誰か分かるか?」
「方角からして軍のいた辺りだ」
「軍の……? いや、成程そうか」
「何かわかったのか?」
「地下を伝っていた落とし子の狙いは軍だったのだ」
「あ~? ……あぁ、成程」
三人は地下を突き進む落とし子の群れの存在を確認していた。その時は純粋にあれほどの数がそこにいる事に驚きを覚えるばかりでその先まで考えが至っていなかったのだが、事ここに至ってようやくその目的に勘付く。
軍の魔法は彼らにとって脅威であるし、そうでなくとも狼王の首を切り落とし更には多くの落とし子を貫いた彼らには怒りの対象である。しかし戦場の離れたところで陣取っている彼らの元へ行くには前線を維持していた冒険者たちが邪魔だ。
故に地下から攻める事にした、そして準備が整ったところで大地を砕く一撃を喰らわせることで冒険者も軍もまとめて倒す。
「となると、どうする?」
「軍が壊滅すれば我々に勝利は無い。そちらに向かう、が」
牛鬼は気絶しているロロを見つめる。
「……安川。お前はロロを連れて逃げろ」
「……いいのか?」
「どのみち勝ちの目は薄くなっている。お前の魔法は戦闘にはあまり役に立たんからな」
安川は何か反論したいところであったが口を噤む。それは自身が役立たずであるという事を認めたわけではなく、それがこちらを慮っての事であると理解できたからだろう。それに、地面に倒れている若い冒険者を見つめる。
善良な心を持つ若い冒険者を見捨てるのも寝覚めが悪い。安川はロロを背負うと、
「死ぬなよ」
それだけ言って戦場から離れるべく走り出す。
残された牛鬼は一人、大きな溜息をつく。
「この刀がどこまで通じるか」
自身の持つちっぽけな刀を眺める。これまでに幾度となく戦場を共に駆けて来た戦友もこの時ばかりは頼りなく感じていた。それでも彼は走り出す。己が為すべきこと為すために。
混迷を極める戦場の中で最も早く戦闘が始まったのは軍がいた周辺だ。そこは大きく地面が陥没し軍の部隊が丸ごとそれに飲み込まれはしたが、しかしながら衝撃波自体の威力は距離もあってそこまで大きくは無い。すぐに彼らは行動を再開できたのだが、
「落とし子!?」
地下には落とし子の群れがいた。それらは降って来る瓦礫に巻き込まれこそしたがそんなことは気にもせず落下し混乱冷めやらぬ軍や周囲にいた冒険者たちに襲い掛かる。
「総員、迎撃!」
しかし彼らも黙ってやられはしない。指揮官を務める琳は即座に状況を把握すると剣を構えて落とし子へ突撃を仕掛ける。
ショウリュウの都で自警団の団長を務める琳は然程強力な攻撃手段を有してはいない。実力自体は疑うべくもなく、二等星並の戦力として数えられてはいるものの、彼の扱える魔法の多くは初心者でも扱えるようなものばかりだ。
ただし、それでも団長を任せられているのは当然に訳がある。彼は今のように軍を率いて立つ時に最も力を発揮する。
「落とし子を殲滅するぞ!」
「「「「「応っ!」」」」」
琳の声に応えるように皆が声を上げる。そして彼らは気付くだろう、普段よりも力が沸き上がって来ることに。ある者は巨大な落とし子の前脚を受け止めて仲間を守り、ある者はその胴体に剣を振り抜いて一刀両断する。彼らは自分たちの戦果に驚きつつもその成果に勢いづいて更に前へ出る。
この窮地にあって全身に力を漲らせるそれは琳の魔法によるものだ。彼は自身一人でいる時には大した魔法を使えないが、その一方で周囲の皆の力を引き上げるという特殊な魔法を扱う事が出来る。故に大人数で敵に向かう際にはその力を個人とは別の次元で考えるべき存在だ。狼王という未知の脅威に対してわざわざショウリュウの都より彼が派遣されたのはそう言った面も考慮しての事だろう。
「四肢を切り落とし、首を切れ! 奴らが再生するよりも早く奴らが再生できないほどに切り刻む!」
「「「「「応っ!」」」」」
圧倒的な数を誇る落とし子の群れも無限ではない、彼らの猛攻を前に次々と数を減らして行きやがては血肉の海が出来上がって行く。周辺の落とし子をひとまず退けた彼らは返り血に塗れた顔を拭って息を整える。
「何人やられた」
傍にいた者に琳が尋ねる。
「分かりませんが、誰も彼も万全ではありません」
落とし子の襲撃の際、琳の判断は早かったがそれに全ての者が付いて行けたわけではない。一部は瓦礫にもまれて気を失っていたり、混乱冷めやらぬまま無防備に攻撃を喰らった者もいる。その後の戦いでも数と質量に任せた攻撃を前に押し切られ負傷した者は少なくない。
軍は壊滅はしていない、が、彼らの持つ戦力は確実に減っている。
「消耗戦を仕掛けられたらどうなると思う?」
「……あまり望ましくはありませんね」
落とし子一体一体の強さは彼らにはあまり脅威とは思えない。しかし狼王の肉体がどの程度残っているのかが今だ未知数だ。みたび地中より伸びた前脚が地面を砕くような事があれば、この場に残っている人員が全滅する事すらあり得る。
「前線の様子を知りたいな」
「少し様子を探って来ましょうか」
「いや、感知系の魔法を使える者がいないか調べてくれ。前線の様子は知りたいが……、そちらに戦力を送る余裕は無いだろう」
既に琳は即時撤退も視野に入れつつ次の手を考えている。既にこの戦いでは大きな戦力を失っている、元々の目的を果たせるかは怪しく、前線に立っていた二等星達がいないのであればここもいずれ落とし子の群れに襲われる可能性は高い。
いつ撤退の判断を出すか、その決断が近付いているのだろう。
多くの者が気にしている最前線。そこは先の一撃による被害は最も大きく、地面の陥没などよりも巻き起こった衝撃波による破壊の影響が凄まじい場所だ。そこにいた多くの落とし子は避ける間も無く犠牲となり、冒険者たちもまた巻き込まれ多くの死傷者が出ている。
「げほっ、げほっ」
瓦礫の中で血反吐を吐いている彼女、竜神もまたその一人と言えるだろう。
「竜神さん、無茶しましたね……」
彼女は今、同じチームの仲間であるツバサに支えられて何とか立っている状態だ。その身体、外傷は然程大きく目立った傷は無いのだが身体の中は既にぼろぼろである。
落とし子の前脚が振り下ろされる直前、彼女は自身の持ちうる限りの魔力を本来の限界を超えて行使し壁を作り出した。その壁は本来ならば衝撃波に巻き込まれ生きていられたかどうかも分からない多くの者を救ったが、それと引き換えに彼女の魔臓は限界を超えてもはや動く事もままならない。
「ほ、他は、どうなってる?」
今の竜神は魔力の限界に加えて直後に砕けた岩壁の破片をもろに食らったせいで意識も混濁しかけおり、ツバサはいっそのこと気絶してでも休んで欲しいと思っているが彼女にはそんな気は無いだろう。
「もう戦えない者も多いでしょうが大勢生きてはいますよ。落とし子の攻撃は一旦、止んでいます」
「そう、か」
二等星以上の者達にも戦いに支障が出る程の傷を負った者は少なくない。それでも竜神の作り出した壁が無ければそもそも死んでいた可能性の方が高かったことを考えればまだましな方ではあるが。しかし、これ以上の戦闘ははっきり言って厳しいと言うのが多くの者の共通認識だ。
「今回は……、負けを認めて逃げ帰るべきでしょうね」
「……そう、だな」
戦闘を続けて全滅するよりは今生きている者だけでも逃げ延びて再び力を蓄えるべきだ。少なくとも狼王の首を切り落とし、幾体もの巨大で手の付けられそうもない落とし子を葬り去った成果はある。今以上の部隊を整えて再び遠征に向かえば勝機は十分にあるだろう。
一部の好戦的な者を除きこの場を退く考えが場を支配していく。だが、敵がそれを許してくれるとは限らない。
地中より、瓦礫の山を掻き分けて生まれ出る、落とし子。
「しつこいな……」
大きさは様々だがそれらは冒険者たちを囲うようにして現れ彼らを決して逃すまいとしているようだ。
「竜神さんは寝ててくださいよ」
ツバサは竜神を地面に下ろし剣を抜く。他の冒険者たちも次々に戦闘の準備を始めていた。そして開戦の狼煙を上げたのは、
「突破口を開く!」
戦場に響き渡る大声と共に自らの魔力で作った手で前方にいた落とし子を引き裂く。彼こそは一等星、ギガヘッド。その身体は先の一撃を受けて血に塗れていたが、それでも彼は前に出る。
「全員、生きて帰るぞ!」
その声に皆の意志が固まる。なんとかこの窮地を脱し生きて帰るのだ。
砕けた地面に飲み込まれた者が誰も彼もすぐに動けるようになるわけではない。瓦礫に足を挟まれ動けない者、頭を打って気を失っている者、或いはもはや命尽きてしまったものもいるだろう。
目を覚まし立ち上がったハクハクハクは何が起こったのかは把握できていなかったが自分がすべきことは把握していた。
「……助けないと」
彼女は足元も覚束ない状態なのに傍にある瓦礫を引っ繰り返し始める。共にいた三人がいない、どこかに消えたのだとすればそれは目の前に広がる瓦礫の山の下なのだろう。どこにいるかは分からない、それでも、彼女は助けなければとその思いに駆られて動き続ける。
魔法を使えば場所が分かるのではないかと気付いたのは少し経ってからの事だ。幸いにも杖は壊れておらず手元にあり、すぐに感知の魔法を使い始める。
自身を中心とした魔力の円を生み出す。そこにある生物の動きを感知する。どこにいるのかを精密に、詳細に、逃すことなく。
「いた!」
彼女はその気配を察知すると再び動き出す、瓦礫の山から共にいた三人組を助け出すのだ。彼女の信じる英雄の姿は彼らを見捨てるようなことはしない。
やがて三人を瓦礫の中から助け出した時、彼女の身体はぼろぼろだった。顔面は蒼白、手の皮はめくれ血が滲み、明らかに焦点の合っていない目はもはやその精神の正気すら疑われる。
「ふ、また助けられたな。ありがとう」
しかし三人組の長身の男がそう言うと彼女の濁った眼に僅かに光が戻る。しかしその目に目の前の冒険者の腕が、瓦礫に巻き込まれた際に右腕が折れたのかだらんと垂らしたままのそれが目に入る。中背の女もハクハクハクに礼を言ったがその身体は五体満足とは言い難いだろう。
「また丙族なんかに助けられるなんて……、最悪だ」
もう一人の小柄な男は小声でそう呟いていた。おそらくは独り言のつもりだったのだろうが、ハクハクハクはその声を聞き及んでいる。彼女の瞳の中の光は再び消えて、その言葉を聞かなかったことにした。
「しかしこれ以上は無理だな」
ひとしきり落ち着いたところで長身の男がそう言った。
「俺達はこれ以上は無理だ。合流も何も諦めて戦場を離脱しよう」
「そうね。私もちょっと戦うのは厳しいわ」
「君はどうする?」
ハクハクハクは自身にその問いが投げ掛けられた時ほとんど反射的に、
「まだ、戦う」
と答えていた。彼らは少し驚いた表情を見せたがその後に少し間をおいて再び口を開く。
「そうか。止めはしない。だが向こうに行く前に少しだけ力を貸してくれないか? 見ての通り俺達はこれ以上戦うのが難しい、安全な場所に行くまでに落とし子が現れたら代わりに戦って欲しいんだ」
その言葉にハクハクハクは迷いを見せた。本音を言えば、彼女はこのまま前線に向かいたい。自身の望む英雄になる機会が巡って来たのだと、喜び勇んでそちらに走り出したいぐらいだ。しかしそれを彼らを見捨ててやってしまえば、それは。
英雄の姿に傷がついてしまうのではないだろうか?
「わか、りま、した」
「ありがとう、助かるよ」
そして一行は動き出す。戦場からの離脱を目的として。
戦いの音から遠ざかるべく彼らは歩く。とかく危険と関わらぬよう遠くへ遠くへ。瓦礫の山を登り、どうにか陥没したこの大地からの脱出を図るのだが。
「だめだ、こっちも登れそうもない」
中々上手くは行ってないようだ。事前に落とし子の群れが作り上げた地下の空洞はかなり深く、万全の状態でも彼らでは上に登れたかどうかわからない。ハクハクハクであればその魔法の威力で無理矢理に上る事も不可能では無いが、下手に刺激すれば更なる崩落が起こる可能性もある。そうなれば怪我を負っている彼らの無事は全く保証できないものとなるだろう。
そういうわけで安全な道を探し求め歩き回るが今の所成果は上がっていない。
「何だってこんな深い空洞になってるんだ?」
彼らは落とし子が地下を移動していた事など知らず、ただただ愚痴を漏らすことしか出来ない。そして気付いていないようだがそんな彼らの元には今も危険が差し迫っている。
「急がないと次は何が起こるか……」
「流石にこの状態で落とし子なんか出て来たらまずいわよ」
ズゥン。
そんな噂をしてしまった時だ、彼らは地響きのような音を耳にした。それは徐々に彼らの元へと近付いて来て、段々と足元から揺れすらも感じ取れるような状態へと変わって行く。
「何か来るぞ!」
「どうする!?」
「とりあえず隠れよう!」
三人の指示でハクハクハクは瓦礫で物陰を作りその裏に全員で隠れる。その直後、彼らが来た方向から巨大な落とし子が姿を現す。
「でかいっ……」
「あんなのどうしようもないぞ!?」
「息を殺せ、見つからないようやり過ごすんだ」
その大きさは二等星達が相手したような巨大さでは無いが、今の怪我をしている彼らにはあまりに荷が重い。ハクハクハクも一撃で仕留め切る自信を持てるほどではなく、この場は黙ってやり過ごす事に決め込む。
予定だったのだが。
「……おい、止まったぞ」
落とし子が足を止める。その動きはまるで獣が匂いを嗅いで周囲の様子を窺っているような。
「あれって、狼だったな……」
彼らはその化け物じみた生命力のせいで忘れていたが、狼王やその落とし子は三つ首の狼、当然その能力の大部分は狼に共通しているものがある。例えば物陰に隠れようとその鼻で見つけ出すことなど訳もない程度には。
三つ首の狼がぎろりとその瞳で彼らが隠れている瓦礫を睨む。
見つかった。
その場の四人がそれを理解した瞬間、ハクハクハクは魔力を練り魔法の準備を始めていた。
そして他の三人。
トッ。
「え?」
小柄な男がハクハクハクの背を押した。思わず彼女が振り返ると、その瞳と目が合う。それはまるで害虫を見つめるような、冷酷さと不快感の混じった様な、彼女が見慣れた瞳の色。
「行くぞ!」
「ああ!」
三人は息ぴったりに走り出す。こうなった時の事は元々想定していたかのように。何かあればハクハクハクを囮にして逃げ出すと決めていたかのように。
「そこで死んでろ、丙族が!」
聞こえた罵声は、なるほどハクハクハクには耳馴染みのあるもので、だからこそ彼女は即座に冷静さを取り戻していた。
「……私もそう思うよ」
呟きと共に彼女の魔力が膨れ上がる。襲い来る落とし子の顔が迫る。大口を開けて、彼女を噛み砕かんとするそれが。
「でも今じゃない」
その口を目掛けて彼女は魔法を放った。
ハクハクハクは自身が囮として置いて行かれたことはどうでも良かった。彼女はどうであろうと自身が為すべき事を為せればそれでいい。ほんの少しの悲しみこそあったが、それも大した問題ではない。息絶え彼女の上に覆いかぶさった落とし子に魔法で穴を空けるとゆっくりとその穴から彼女は這い出て来る。全身が血に塗れているがそれが自身のものかそうでないのかの区別はつかなかった。再生しようと蠢く落とし子を魔法で念入りに破壊し終えるとふらふらと覚束ない足取りで彼女は歩き出す。
「……行かないと」
全身を襲う鈍い痛みも気にすることなく、戦いの起こっている前線へ。
彼女は物語の英雄になりたかった。それこそが正しい道だと知っていた。
彼女は尊敬する父母のようになりたかった。彼らは正に物語の英雄を体現した存在だ。
彼女は死に場所を求めている。その死が人々を照らし英雄として祭り上げられるような死に場所を。
苦境に喘ぐ人々を、自らの命と引き換えに救い上げ、誰も彼もがその死に感謝する。父母は丙族が疎まれ排斥されていた村を命懸けで救い、その結果丙族に対する悪感情を和らげる事に成功していた。
どこに行ってもふとした瞬間に向けられる嫌悪の視線は彼女を幾度となく自身が丙族であることを思い出させてくれる。丙族は疎まれ、嫌われ、死ぬべきなのだろうか。ハクハクハクはずっとその事を自問自答して来た。
彼女は思う。違う、そんなはずは無い。
しかし現実は辛く、厳しく、ただただ生きるのも苦痛だ。丙族の事など気にしない人々も少なくは無いが、それが彼女が負った傷を無かったことにすることはできない。
彼女は望んだ、誰も傷付くことの無い世界を。丙族が丙族であると言うだけで傷付けられることの無い世界を、街中を額にある丙の字も手首の石も胸元の文様も何一つ隠すことなく歩くその光景を。
そして彼女は夢を見た。どこにでもあるような絵本のような、嫌われ者が人々を救いその結果として人々に受け入れられるそんな夢物語を。丙族が人々を救い、誰もが彼らを受け入れる、そんな夢物語。それは、図らずも、彼女の両親によって叶えられた。
強大な魔物を命を懸けて倒す事によって。
「私も……、二人みたいに……」
彼女は願う。
「みんなを助けて……」
自らの死が。
「私たちが普通に生きられるように……、するんだ」
多くの人々を救えますように。
ズウゥン。
彼女は、地響きと共に現れた落とし子に杖を向ける。
「ハクハクハク!」
そんな彼女の耳に聞き慣れた声が響いた。
ロロを背負ってこの場からの脱出を図る安川はしかしそれが上手く行っていない事に薄々勘付いていた。いくら走り回ったとて彼にはこの陥没した大地から脱出する手段が無いのだ。
「……しまった。なんであそこで上に連れて行ってもらわなかったんだ?」
そして気付く、牛鬼であれば、彼の見えない足場を作り出す魔法であればすぐにこの場を脱出できていたことに。今思えば二人して冷静さを欠いていたという事なのだろうが、この失敗はあまりにも痛い。彼はいっそのこと牛鬼を探しに戻るのがいいだろうかとすら考え足を止める。
が、
「いや、先にこっちか」
前方から聞こえる音に不穏な気配が混じるのを彼は感じた。かなり近くで、落とし子とそれに追われる足音が聞こえるのだ。
「助けになれるか?」
安川の使う魔法は威力が然程ない。突然耳元で爆音を鳴らし一時的に注意を引きつつ平衡感覚を狂わせる事は出来る。しかし決定打と呼べるほどの威力を持たせることは出来ない。近付いて剣で切り裂いたり鈍器で殴ったりすることは可能だが、音から察するにこの落とし子はその一撃で仕留め切れるかはわからない。それに今は背中にロロがいる。
「……どうするか」
とはいえ簡単に見捨てられるほど彼は冷酷にもなり切れなかった。悩みつつも少しずつ前進を始めている中で、耳元で音を鳴らし一瞬気を引くことが出来れば逃げる時間ぐらいは、などと考え出している。息を呑む、奇妙な緊張感と共に、少しずつ近付く距離。
「く、くそっ、何でこっちに来んだよ!」
その声が聞こえ覚悟を決めた瞬間。
「ん?」
ロロが目を覚ます。
安川はその小さな呟きでロロが目を覚ました事には気が付いていたが現状を説明するほどの精神的な余裕は彼には無く、またかなりの怪我を負っている彼が戦闘に参加できるはずも無いのだからその必要も無いと判断する。後は頼むからそのまま大人しくしていてくれと願ったぐらいだ。
しかしそんな願いは叶うはずも無い。
ロロは自分の耳に聞こえた声を夢現の頭の中で一音一音理解していく。その言葉の意味をはっきりと理解していく。それが恐れ逃げ惑う人の声だと気付いた瞬間、彼は黙ってなど居られない。
「安川さん、下ろしてくれ!」
「はぁ!?」
それは唯一考えたそれが実らなかったという小さな怒りと、その傷だらけの身体で何を考えているんだと言う大きな怒りの二つの混じった声だ。しかしロロはそれに怯むことなく、
「いいから!」
安川の目を見てただそう言った。安川は不満げな様子をまるで隠す事も無く、なんなら舌打ちを一つしてからはっきりとお前のやる事に賛同する気は無いと意見表明をした上でロロを地面に下ろした。
「ありがとう!」
ロロはそう言って、身体を伸ばし軽く飛び跳ねる。
「……は?」
その姿を見て安川は思わず唖然とした。ロロが先の戦いで負った傷は軽いものでは無かった。おそらく腕の骨は折れ、他の部位も多くの怪我を負いまともには動けないだろうと思えるものだったのだ。しかし今の彼は普通に身体を動かし戦いの準備をしている。
そんなことがあり得るのか?
「安川さん、援護よろしく!」
「あ、おい!」
しかしそんなことを考えている暇などない。まるでロロは普段通りの様子で走り出し、剣を手に声の方へと向かってしまったのだから。
「くそっ!」
安川もその後を追う。
前方からやって来たのは既に身体中ぼろぼろでろくに戦う事は出来ないであろう男二人、女一人の冒険者。見事に身長差があるのが特徴的な三人組だ。そしてその向こうにはおよそ彼らには手に負えそうもない、家程の大きさもある落とし子がいる。
ロロは迷うことなく落とし子へ向かって行く。その大きさは先に自分が手痛い目にあった相手と然程変わらないと言うのに。恐怖は無いのかと安川は思ったが、今更そんなことを考えても仕方が無いというものだ。行ってしまったのであれば、どうにか生き延びさせなければならない。
向かって来る冒険者を見つけた落とし子はその瞳に暗い輝きを浮かべ、前脚を無慈悲に高く上げた。或いは一撃で仕留めてやろうという慈悲すら籠っているのかもしれないその攻撃、しかしロロは当然にそんな慈悲を受け取りはしない。地面に叩き付けられた前脚、砕けた地面、破片がロロの頬を切って血が流れたが彼はそんなこと気にはしない。落とし子の三つ首はそんな彼の動きを見つめ次の手を打とうとしている。
そのせいでもう一人の動きには全く気付いていなかった。
「大気も震う破壊者の咆哮よ」
その声と共に安川の手から魔力が放たれる。その中を彼の放った魔法が、大音量の爆発音が伝い、落とし子の頭上へと届けられる。
「ヴォゥ!?」
突如頭上で鳴り響いた爆音は完全に落とし子の意識の外からの攻撃だ。新たな敵か、或いは天井が崩れでもしたのかと思わずそちらに注目が集まり、しかしそこには何もない事にすぐ気が付くだろう。その瞬間、ロロの事は意識の外へ消えていた。
「喰らえ!」
剣が前脚を切り裂く。痛みからか落とし子が咆哮を上げたがロロは止まらない。そのまま身体の下を走り抜けて後ろ脚をも斬り付ける。そちらは切断までは至らなかったものの一時的に機能を低下させるには十分だ。振り向き睨む三つ首に彼は剣を構えて自らも睨み付ける。
一人と一匹の足が止まる。ロロはどう攻めるべきかを悩み、落とし子は傷の回復に必要な時間を稼ぐ。当然その静寂を切り裂くのは、安川だ。
再び落とし子の頭上で爆音が響く。二度目という事もあり先程に比べれば効果は低いが一瞬、怯んだのが見えた。ロロはその機を逃すまいと動き出し、それを読んでいた落とし子も三つ首で迎撃へ向かう。
「風よ、螺旋を描き貫け!」
その瞬間、声と共に風の槍が飛ぶ。安川は音の魔法を得意としているが別に他の魔法が全く使えないわけではない。迎撃の為に足を止めた落とし子の後ろ脚、先にロロが切り付けたが再生されつつあるその脚に風の槍が突き刺さる。
「ヴァゥッ」
それに伴い落とし子の体勢が崩れ視界が揺れる。揺れた視界に二本の脚が傷付いたその状態ではたとえ三つの首があろうとロロの動きを捉え切れない。
喉元を剣が切り裂く。
しばらくして、そこにあるのは落とし子だったもの、荒い息のまま剣を構えどこかに蠢く肉塊が残ってはいないかと目を皿にして探す二人の冒険者。やがて安川が大きく安堵の息を吐いて剣を納める。ロロもそれに倣って肩の力を抜いた。
「安川さん、大丈夫?」
そして心配そうにそう尋ねる。それを聞いた安川は思わず青筋を浮かべる。
「大丈夫じゃねえ!」
「わっ!」
「お前、あんな大怪我しといてどんだけ跳ね回ってんだ! 状況考えろ、お前が言う台詞かそれは!?」
言いながら安川は疑問に思う。なぜロロはあれほどに動けたのか、と。確かに腕の骨が折れていると思ったがそれは気のせいだったのか、しかしそれを抜きにしてもかなりの重傷だったはずだが。常識的に考えれば、無理矢理にあんな風に動かせば間違いなく今頃全身激痛でのんきにこちらに大丈夫かなどと聞く余裕があるはずない。
「……お前、怪我はどうした? さっき落とし子にぶっ飛ばされたばっかだろ」
「ああ。あれならもう治ったぜ」
「治った? 馬鹿言え、あんなの完治するのに一か月はかかるだろ。前に骨折った時に分かっただろ、その事は」
「いや、本当に治ったんだって」
そう言ってロロは折れていたはずの腕をぐるぐると回す。正気の沙汰では無い行動だが、彼の表情は普段と変わらず痛みを我慢している様子はまるでない。安川は思わず気持ち悪い物でも見るかのような目で彼を見た。
「はあ……? どうなってんだ?」
「前に骨が折れただろ」
「ああ」
「だから慣れたんだな。治し方がなんとなくわかってさ」
何を馬鹿な事を言っているんだ、安川はその言葉を飲み込む。これ以上こんな場所で余計な言い合いに時間を使いたくはなかったからだろう。ついでに変に突っ込んだ話をしても頭が痛くなるばかりだという事は想像に容易かったのもある。
「……あー。そうだな。じゃあ、ひとまずは戦力に計算していいんだな」
「もちろん!」
「じゃあ……、どっちに行くかな」
落とし子が来た方へ行くべきか、それとも逃げて行った三人組を追うべきか。
「あの三人は無事かな?」
「ちょっと待て、音を拾う」
安川はその言葉と共に集中して周囲の音を拾い始める。先に逃げて行った三人の足音はどこまで行っただろうか、或いは彼らが走って来た方角には何があるのだろうか。その全てを探るべく魔法の制御とその解析に全力を尽くす。
「……多分、あの三人は無事だな。三人分の足音が聞こえる」
「おお」
「あいつらが走って来た方角、こっちは……、安全かどうかわからない」
「何か聞こえるのか?」
「ああ、たぶんこれは、落とし子……、それに、誰かいる?」
「じゃあそっちだ!」
ロロが駆け出す。
「あ、こら馬鹿!」
安川は少し迷ったが、まさか見捨てて自分だけ逃げるわけにもいかないだろうと後を追った。
説明も聞かずに走り出したロロはすぐにその耳に音が聞こえて来る。陥没した大地の中を反響する音、激しい戦闘音。その規模は、少なくともロロのようなちっぽけな冒険者にどうにか出来るものとは思えない。だが、それで彼が立ち止まる事は無い。
「こっちだ!」
ただ音のする方へ走る、走る、走る。恐怖は無いのか、怯え竦むことは無いのか、かれにそのような感情は存在していないのか、そう疑いたくなる程に迷いなく。
そして彼は見るだろう、大きく穴の空いた巨大な落とし子とその前に佇む一人の少女を。
「ハクハクハク!」
彼女の上に体勢を維持することも出来なくなった落とし子がゆっくりと落ちて行く。ロロはそれを見て、地面を力強く蹴った。
ズウゥン。
地響きが大地を伝う、その振動の元へ辿り着いた時、安川が見たのは上がる土煙とその中に横たわる落とし子の姿だけだ。
「おいおいおい、あいつはどこ行ったんだ?」
先に行ったロロがどうなったのかはわからない、しかし彼の耳は確かに彼がハクハクハクの名を呼ぶのを聞いた。つまりは、この落とし子を倒したのは彼女なのだろう。それが地面に崩れ落ちていて、二人の姿が見えないと言うのはつまり。
「まさか潰されたんじゃないだろうな」
彼は呼吸を整え魔法を使う。音だ、人の動く音を、呼吸、筋肉の蠢き、血管を流れる血、脈打つ鼓動を、何でもいいからとにかく二人が生きているという確かな証を探し出す。
「くそ、落とし子め、邪魔だぞ」
落とし子の再生は既に始まっていてその蠢く肉塊の音がうるさい。このままここに長居すれば自分も危ないだろう。しかしどうにか、二人がいる場所を突き止め、助け出さなければならない。邪魔な音を選り分け人が鳴らす音を、二人を探す。
「……いた!」
安川は自分の聞いた音の元へ走り出す。それは三つ首の下側、おそらく二人はその下敷きになっているのだろう。剣を抜き、その首を切り刻む。
が、
「くそ、間に合うか!?」
安川は元々その手の事は得意としていない。一応、剣を携帯して来たものの彼に巨大な三つ首を切り裂き退けるだけの技量と力は無いのだ。それでも必死に剣を突き立てどうにかして二人を救わんと力を込める。
「……お前は、まだ、死んでいい奴じゃ、ないだろ!」
必死の形相で、本当に必死になって、彼はその手に力を籠めるが、突き刺さった剣はびくとも動かない。硬い頭蓋に突き刺さりうんともすんとも言わないのだ。
「はぁ、はぁ……、くそっ!」
彼は剣を諦めその手で首を押し退けようとするが、その巨大な首はまるで動く気配が無い。それを何度も繰り返し、繰り返し、自分は死ぬまでこれを繰り返すのだろうかと思わず自問したほどだ。そして彼は答える、死ぬとしてもそれは、この二人を助け出してからだと。
「う、ご、けっ……!」
しかしどれほど強く願ってもそれで動くほど世界は甘くない。ただ単に力が足りない、その一事を念ずるだけで引っ繰り返す事は出来ない。
「うわっ!」
先に剣を突き刺した場所から流れ出た血がいつの間にか地面に溜まっている。彼は足元が滑りその場に転んだ。それは彼の無力感をより強く、強く、感じさせることになるだろう。
「くそっ!」
地面に拳を叩き付け嘆いたところで、彼に二人を助け出す力は無い。彼の力では三人纏めて落とし子の餌になる以外の未来を作り出す事は出来ないだろう。
「どいてください」
そう、彼の力では。
無数の剣閃が走りどうにもすることが出来ないと思われた落とし子の肉塊が無数に切り刻まれる。流れ出る血が周囲を赤く染め、彼女の為の赤い絨毯を作り出した。
「ミザロ!?」
「その下に誰かいるのでしょう?」
「っ、ああ!」
安川にはたとえそこが赤一色に染まろうとその下にいる彼らがどこにいるのかはすぐにわかる。邪魔な肉塊を退けてその下に手を入れた。ミザロも近くの肉塊を己が手が血で染まるのも気にせず退けていく。ロロとハクハクハクが助け出されるまでそう時間はかからなかった。
「……真っ赤ですね」
「息はしてる。こうも血で染まると誰の血だかわからんが……」
ひとまずその場を離れて二人を横に寝かせる。そしてそれぞれ怪我が無いかを調べたのだが。
「どうやらハクハクハクは大した怪我はしていないようです」
「……こっちもだ」
「あの落とし子の下敷きになったのにですか?」
「正直、俺も困惑している。だが見たところ大した怪我は無い」
若干の疑問を残しつつもひとまず二人が無事だったことに安堵の息を漏らす安川。そして彼はミザロに目を向ける。
「なぜここに? てっきり前線にいるんだと思ってたが」
「私は剣で切るしか能が無いもので、応援を呼ぶ為、或いは守りを固めさせる為に近隣の町へ数人送り込んで戻って来たところです」
「ああ、まあもうそういう段階か……」
狼王との戦い、彼らが最も感じている恐ろしさは、終わりが見えないという事だ。いつになれば落とし子を倒し切れるのか、そもそも彼らは巨大な狼王がまだ生き残っているのかどうかも分かっていないのだ。首を一つ切り落としてもその後に前脚の一撃で部隊が半壊し、更にダメ押しのもう一発だ。そしてみたびそれが起こらないとは誰にも言えない。
「今は救助の方を手伝おうかと。幸い後方は軍の部隊はある程度無事なようです。前線の二等星達を可能な限り拾って帰ろうかと」
「成程な」
ひとまずミザロの目的を理解した、その時。
「ミザロさ~ん」
後方から一人の少女が姿を現す。
「速いですって……。そんな走られたら追い付けないですよ」
「急を要すると言ったのはあなたでしょう?」
「……瑞葉?」
瑞葉だ。本来ならば彼女は町へと逃げ戻り、そこで次の戦いに備えてもらうはずだったのだが、今の彼女はここにいる。
街へ向かう空天赤坂達。しかしミザロが再び戦場に戻る姿を見ていた瑞葉は、どうしてもそれと一緒に行く気になれなかった。
「……み、瑞葉さん。行きましょう」
すぐにそれに気付いた空天赤坂はそう声を掛けたが。
「……ごめんなさい。私は残ります」
「危ない、ですよ?」
「分かってます。それでも……」
彼女の頭の中で幾度となく声が聞こえる。その声が誰の物なのかは考えるまでも無い。それは彼女自身の声なのだから。
「私は、今苦しんでる人たちを見捨てられないんです……」
空天赤坂は他の者達を見て少し考える。様々な事柄を天秤にかけて、そして判断を下す。
「……わかりました。私たちだけでも町へ行くぐらいは可能ですから。行ってください」
「ありがとうございます!」
瑞葉は駆け出す。ミザロの後を追って。その場に残された冒険者たちはその背を見送り、心配そうな表情を見せている。
「良いんですか?」
この場では年長の男が尋ねた。町へ戻ればひとまずは命が助かるのは確実だ。この戦場に戻り瑞葉が無事に戻って来れる保証など何も無い。或いは、今の決定は一人の若い冒険者が命を投げ出すのを見送った事になるのかもしれないだろう。
しかし、
「私だって、残りたい、気持ちはあります」
空天赤坂はそう呟く。彼女とて、本来であればこの場に残り救助活動でも落とし子との戦闘でも、やれることをやって一人でも多くの人を助けたいという思いがある。しかし、客観的に見てそれが今の自分がすべきことでは無いともわかっている。
「彼女も、危険性は理解している、ようでしたから……。無茶をするのは、若者の特権です」
その言葉を聞き皆が瑞葉が消えて行った方角を見た。そしてただ彼女の無事を祈る。
「では行きましょう。我々が急げば彼女が助かる可能性も上がります」
その場の皆が頷き、それと共に空天赤坂を先頭に走り出す。彼らは戦場を背に街へ向かう、それが彼らの戦いなのだから。
瑞葉は空天赤坂達と別れ、走った。ミザロに追い付くのは案外早く、瓦礫をどかしまだ生きていた冒険者の救助をしているその姿を見つける。そして追って来た彼女を見てミザロはあからさまに渋い顔を見せた。
「……瑞葉、あなたどうして」
「とりあえずその人を助けましょう。それに、その奥にもう一人いるみたいです。私はミザロさんみたいに強くないけれど、少しは魔法が使えますから。役に立ちますよ」
「……まあ、そうね」
ミザロは色々と言いたいことがあったのだがそれを飲み込む。珍しくこんな危険な場所に残ると言う大胆な選択をしたその決意に、或いは少しは心動かされたのかもしれない。ついでに言えばミザロは今奥にもう一人いる事には気付いておらず、純粋に感知系の魔法を使える相方と言うのは必要なものでもあったからだろう。
助け出した二人はまだまだ動けるから周辺の救助は自分たちに任せてくれと言い、もっと激しい戦闘が行われている場所へとミザロ達を送り出した。彼らのいた辺りは落とし子の気配もなく、衝撃波で吹き飛ばされた瓦礫があるばかり。近辺の救助を任せ更に先へ、先へ。
そして二人は陥没地帯へ辿り着く。そこでは軍が落とし子との戦闘を行っていた。
「助けに」
「行きませんよ」
しかしミザロはそれを見ても助けに向かわない。
「良いんですか!?」
「あそこには琳さんもいますから、我々の出番はありません。それよりも足止めされている彼らに代わり最前線付近の様子を探りに行きます」
「……わかりました」
瑞葉は最前線へ赴く緊張で少し肩が震えていたがミザロは敢えてそれを指摘しなかった。たとえ恐怖に震えていようとついて来ると決めているのなら連れて行く。そう決めていたのだ。
その少し後、落とし子の傍で叫んでいた安川を発見した二人は彼の元へと駆け付ける事になる。
ロロとハクハクハクを地面に寝かせ瑞葉はその様子を見ている。二人は気を失っているものの、そう大した外傷はなく呼吸も安定している。直に目覚めるだろう。
そして三人から少し離れた場所で安川とミザロが小声で話をする。
「ここであなたに会えたのは幸運でした。音の魔法があれば周囲の探索を行うには十分ですからね。あの三人はここに置いて前線に向かいたいと思います」
「俺の意見を聞く気は?」
「まさか子供たちを危険な場所に連れて行くのを是とするとは思いませんでした」
ミザロは皮肉っぽい言葉を口にしたが、実際には安川もそれを望んでいないだろうと考慮しての事だ。そしてその想像通り、安川とて危険地帯に彼らを連れて行きたくなどない。
だが。
「ハクハクハクは知らんが、ロロの方は前線に行く気満々だったぞ。あれは止めても無視して突っ込んで行きかねん」
ここにロロを置いて行ったところで目が覚めれば勇み足で前線へと駆け付ける事だろう。この場で帰るように言い含めたところでそれを聞き入れるとも思えない勢いだ。
「それは……、困りますね」
「だろうな。瑞葉に説得させるのはどうだ?」
「……本来なら町に送り届けてもらう予定だったのですが、彼女は自分の意志でこちらについて来ましたからね。説得できるかどうか」
「とはいえロロよりは与しやすいだろう」
その言葉に納得し二人は瑞葉の元へ。
「瑞葉、私たちは前線へ向かいます。二人の事を見ていてもらえますか?」
「……私も」
「しかしあなたがここを離れれば二人はどうなりますか?」
瑞葉は押し黙る。静寂の中、遠くから地響きが聞こえた。
「そもそもお前は前線に行きたいのか? あっちは危険だ、戻って来られる保証はない」
「瑞葉、あなたはなぜこの戦場に戻ろうと思ったのですか?」
ミザロのそれは深い意図の無い問いだった。ただ、人を助ける為だとか、そういう答えが出て来て、それならばロロ達が目覚めたら三人でこの近辺で生き残っている冒険者たちを助けろと、そんな話をするつもりだっただけだ。
しかし瑞葉はその問いの答えを、自身の行動の意味を、考える。
彼女は自身が衝動的にこの戦場へ戻って来た事を理解している。空天赤坂に言った苦しんでいる人を見捨てられないというその言葉だけで全てを言い表せているとは思えない。彼女は問う、臆病でいつも不安に苛まれている自分はどうしてこの場所に戻って来たのだろうか、と。
頭の中では今も声が響いている。それは自分自身の声だ。それは判然としない言葉の羅列だけれども、確かに彼女を突き動かしこの戦場へと戻って来させた。しかし彼女は思う、この先に進むにはその中身をはっきりと理解する必要があるのではないだろうか、と。
ミザロと安川が出発する。瑞葉はじっと立ち尽くしてその背を見送った。




