80.撤退戦
虎狼ホンソウの国、辺境。そこは戦場だ、戦場なのだが、苛烈な戦闘は徐々に過去のものへとなりつつある。
最前線、血に塗れた冒険者や軍の隊員が落とし子の壁へと突撃を繰り返す。彼らは一点にその戦力を集中し包囲に穴を空けんとしていた。
「吹き飛べ!」
先陣を切るザガを目の前の落とし子に拳を突き刺すとそこを中心に爆発が巻き起こる。その爆発は巨大な落とし子に大穴を空け、それを見たまだ余力のある者達がその先へと突撃を仕掛ける。
「行け、行け! 全員生きて帰るぞ!」
後方からやって来る落とし子の群れを一等星、ギガヘッドを中心に数人の者が抑えその間に次々と彼らは前へと進む。余力のある者が道を開き、戦う力の残っていない者は動く事も出来ぬ者を背負って走る。前線はその位置を徐々に下げている。落とし子達はその速度に付いて行けず徐々に遠く向こうへ置いて行かれつつあった。前方に残る壁も薄く、突破は難しくないと思われた。
そこに地面を砕き、巨大な前脚が前方にいた落とし子を吹き飛ばしつつ現れる。
「またか!?」
三度目ともなると彼らもそれが来るかもしれないと言う腹積もりぐらいは出来ている。しかし想定よりも明らかに小さな、道を塞ぐ程度でしかない前脚に、
「こんな程度か!」
無数の攻撃が一斉に突き刺さり、それが更に二発、三発と続くとあっという間に道を塞いでいた前脚が崩れ落ちて行く。とはいえ巨大な前脚が落ちて来ればその衝撃を防ぎ切れない者もいるが。
「ギガヘッド!」
「任せろ!」
後方からギガヘッドが手を伸ばす。彼の作り上げた魔力による巨大な手が落ちて来るそれを支え、皆がその下を通り抜ける時間を稼ぐ。
「行ったか!?」
「全員通ったぞ!」
「よしっ!」
前脚を持ち上げていた手が不意に消失する。支えを失ったそれは彼らを追っていた落とし子の上に情け容赦なくただただ重力に従って落下する。これまで敵を襲っていたはずの巨大な質量が、今度は彼ら自身へと襲い掛かるのだ。
巨大な地響き、大地が割れる衝撃、しかしそれが通り過ぎればその場に残ったのはただ静寂であった。その場にいる皆が今の衝撃で負った傷は少なくないが、道は塞がれ落とし子もすぐには追って来られないだろう。
「今の内に急ぎ撤退だ!」
「よっしゃ、走れ走れ!」
包囲を抜けた彼らは治療もそこそこに走り出す。未だここは戦場だ、どこに危険が潜んでいるかはわからない。既にこの戦闘は本来の目的である狼王および落とし子の殲滅から生きて帰る事へと目的を変えている。彼らは生き延びる、その為に立ち止まらず走るのだ。
そこから少し離れた位置ではミザロと安川が前線へと向かっていたのだが、一度立ち止まり周囲の状況を精査しているところだ。というのも、先の巨大な前脚が上がったのと、それが落ちて行くところは彼らにも見えていた。その下で何が起こっているのか、それを分からずに突撃するのは自殺行為に等しいと感じていたのだ。安川は先の前脚が上がっていた地点を中心に音を拾い集めようと目を閉じ集中している。
「……人の声だ。大勢、たぶん、ザガもいる」
「という事は彼らはまだ無事なのですね」
「何言ってるかまでは聞き取れないが、比較的明るい様子に聞こえるな」
「……成程、ではさっきの前脚が、道を塞いでいるのでしょう。落とし子達がこちらへ来る道を」
その言葉に安川は前脚の向こうへと音の拾う範囲をずらして行くと、確かにそこからは狼の咆哮のような音が無数に聞こえて来る。
「たぶん、当たりだな」
「では行きましょうか」
「合流だな」
「いえ、違います」
「あ?」
ミザロが視線を向けたのは撤退する冒険者たちの方角、しかしその視線は彼らの更に向こうへと続いている。
「我々は戦闘を避けつつ狼王の調査に向かいましょう」
「……はぁ?」
安川が思わずそう言ったのは無理も無い。前線を張っていた二等星や一等星の冒険者が撤退、後方で火力支援を行っていた軍もその火力を前線に送る術を失っている状態だ。今すべきことは迅速な撤退であり、ここに来た目的もそうだったはず。
それが、
「何でわざわざ死にに行くような事を!」
狼王の調査、つまりは先程から巨大な前脚が伸びていた付近へと向かうという事は自分から死地に向かうようなものだ。ミザロは成程、自分の実力に自信もあるだろう、いざとなれば逃げるぐらいはわけが無いかもしれない。しかし安川は違う、彼は身体能力で言えば四等星の中でも中程度、魔法の方も攻撃力よりは補助に向いたものだ。落とし子に囲まれるだけで絶体絶命と言える。
しかし彼のそんな思いに、言葉に、ミザロが頷くことは無い。
「先の事を考えれば現状で狼王がどの程度まで弱っているのかを知らねばなりません。我々の攻撃は通じていたのか、それを知らなければ改めて討伐の為の戦力を送る事も出来ないでしょう?」
「それは、まあ、一理あるが」
この戦い冒険者や軍にとって最も恐ろしい所は、狼王にどれだけの傷を与える事が出来たのかを理解できていない点にある。繰り返された巨大な前脚での一撃は、彼らの与えた攻撃など意味が無かったのかと思わせるに十分だった。
しかし、そこに疑問符を浮かべた者も少なくは無い。ミザロもその一人だ。
「巨大な前脚での攻撃、二度ありましたね」
「ああ、とんでもなかったな。よく生きていられたと感心してる」
「一度目と二度目では明らかに威力が違いました」
「……そうなのか?」
これは彼らが知らぬことだが、一度目に振り上げられた前脚、それは確かに狼王のものだった。しかし狼王の肉体はその時の衝撃によって砕け、既に死している。しかし残った巨大な肉塊は落とし子となり一回り小さな肉体で蘇った。
故に、二度目に振り上げられた前脚はその落とし子の物であり、その質量は一回り小さく、威力も相応に弱まっていた。
「その謎を撤退する前に解いておく必要があります」
ミザロは自分の頭の中にある現段階では推測でしかない事実、それに対して確固たる証拠を探しに行こうとしているのだ。
「それは撤退する前にやるべき事か? 改めて調査員を派遣した方が良いんじゃないか?」
「いえ、今が最もあの辺りへの注意が薄くなっていますから」
「は? ……あ、まさか」
当然だが、落とし子の群れは前線から撤退しようとしている冒険者や軍人を逃すつもりはない。包囲を突破されこそしたものの、そうなったなら後を追うだけだ。その巨体で後ろから追いかけ、押し潰し、一人残らず食い散らす。それがあれらの望みだ。
逆に言えば、今から前線にいる落とし子は全て彼らを追って行くのだろう。
「前線の連中を囮にするつもりか?」
「まさか、たまたまそうなっている状況を活用しているだけです」
唖然とする安川だったがミザロはまるで悪びれもしない。元々彼女は一人で大抵の依頼をこなしてしまう。それはつまり、あらゆる状況を自身の為に上手く使う事に慣れているのだろう。
「行きましょうか」
彼女は当然のように、まるで拒否権など存在しないかのようにそう言った。安川も諦め、覚悟を決めて、彼女の後を追う。
ミザロの手引きにより二人は砕けて陥没した場所から上へ向かった。そして落とし子に追われる二等星達と擦れ違うようにして推定本体のいる場所へと向かう。
「……今更だが、生きて帰れるんだろうな? もしもう一度あの前脚が出て来たらどうするんだ?」
「運が良ければ生き残れますよ」
それは逆に言えば運に天を任せると言っているようなものだが、安川はその事に関して考えるのをやめた。どれだけ考えたところで良い未来は見えそうもなかったからだ。
「それより、近付いてきましたよ」
向かう先に見えるのは巨大な穴。それは前脚が地表へと現れた際に空いたものだろう。あまりに巨大なそれは向こう岸が遠すぎて目に見えないほど。その穴に近付く前に一度止まり、中からどんな音がするのかを安川が探る。
が、
「……ん?」
「どうしました」
「ちょっと待ってくれ」
安川が何かを捉えたのかより深く集中する。
彼の耳に聞こえている音は、反響する音。どこまで続いているのかもわからない巨大な穴の中で反響する音の源は。
「何だ、音が遠くから、その下じゃない場所から聞こえる?」
疑問文となったその言葉を聞きミザロは、即座に穴の中を覗きに行った。巨大で、底が見えず、どこまで続いているのか分からないその穴には、ぱっと見たところ何もいない。しかし彼女の中にはある想像が浮かんでいる。
「何かいるのか?」
それは安川の問いへの返事が出て来ないほど、彼女を自身の思考へと集中させ、やがて結論を出す。
「安川さん、私は戻ります」
「戻る? どこへ」
「軍の所です」
「軍?」
「推定狼王は、地中を移動して我々の退路を塞ぎに来ている可能性があります」
その言葉に安川は先程聞こえた音の意味を完全に理解する。大量の落とし子が地中を掘り進んで軍の元へ向かったように、今度は本体と呼べる巨大なそれが地中から軍の元へと向かっているのだ。逃げようと向かう先からあの巨大な前脚が空へと伸びるその光景は、想像するだに震えが来る。
「俺は、どうすればいい?」
「先程の二等星達へどうにかこのことを伝えてください。私は急がねばなりませんので、方法は任せます」
「分かった」
「では、ご武運を」
そう言ってミザロは目にもとまらぬ速度で走り出す。あっという間に視界から消えた彼女の姿に、安川は改めて自分とは次元の違う冒険者だという事を思い知らされていたが、それはそれとしてやるべきことはやらねばならない。
「まずは追い付かないとな」
そう言って重い身体に鞭を打って彼は走り出す。
瑞葉は広い空間に一人、立ち尽くしている。ロロとハクハクハクは未だ目を覚ますことなく穏やかな呼吸と共に眠っている。二人の様子を見ながら彼女はただ、自分が何をすべきなのかを考え続けていた。
空天赤坂達と共に町へ行く事を拒否してこの場へ戻ってきた彼女は、しかしその目的を自分自身ですら理解していなかった。別れる直前、空天赤坂に言った苦しむ人々の事を見捨てられない、その言葉は嘘では無いだろう。しかしそれだけで全てを説明するのは、少々横暴が過ぎると彼女自身ですら思ってしまう。
「ロロなら、何か……」
無意識の内に、彼女は自身の幼馴染に視線をやっていた。彼がもし起きていればいつものように自分を引っ張ってどこかへ連れて行ってくれるのではないだろうか。そうすれば、きっと誰かを助けて、自分は気付かぬ間に自分の望みを叶える事が出来るのかもしれない。
そんな考えが過り、彼女は思わず自己嫌悪に陥る。
「……私、馬鹿みたいだ」
自分自身の望みすら他人に依存しなければ叶えられないというのは、あまりにも、つまらないというか流されているだけというか、何も無い生き方だ。
命の危険を顧みずここに戻ってきた理由ぐらいは自分自身で説明できるようになりたいと、彼女は思う。
ズズズ。
「ん?」
不意に彼女は足元から振動を感じた。それまでも遠くからの地響きと共に揺れを感じる事は多々あったが、今回のそれは遠くで何かがあったというよりは純粋に足元から伝って来ているように感じる。
「……地震? かな」
思わず地面を、その下を見つめる彼女の横で、不意に一人の少女が、冒険者が、丙族が、目を覚ます。
「……何、言ってる、の?」
「え? ハク! 目が覚めたんだ」
瑞葉はひとまずハクハクハクが目を覚ましたことに喜びの声を上げたが、当の本人は俯き、耳を塞いで、見えない何かを恐れるように戦慄いている。
「……ハク?」
瑞葉はその尋常でない様子に何かがあるのだと感じ、そして彼女の視線が地面の下へと向いている事に気が付く。この揺れはただの地震ではなく、何かあるのだ。しかし今はその解明をすべき時では無い。ゆっくりとハクハクハクの傍へと行き、彼女の手を握る。
「あ、み、瑞葉ちゃん……」
「何か聞こえるの?」
「……瑞葉ちゃんには、聞こえないの?」
瑞葉は困惑しつつもその問いに頷く。それを見てハクハクハクの不安や恐怖はより色濃くなっていくが、瑞葉はただ彼女を抱き締めた。
「ハク、落ち着いて。大丈夫だよ。私は、ハクの味方だから」
そのどこにでもあるような言葉は誰に言われたところで信用できるわけではないが、共に冒険者として長い時を過ごした相手の真剣な表情と態度は、言われずともわかるものだ。その温かさに触れて恐怖と不安に震えていた身体が少しずつ落ち着きを取り戻して行く。
「瑞葉、ちゃん。……もう大丈夫」
瑞葉は彼女の言葉を聞きゆっくりと手の力を抜いて、その表情を見た。
「……大丈夫そうだね」
「うん……」
ひとまず、ハクハクハクは普段の落ち着きを取り戻しているように見えた。しかし、
「でも、声は、まだ、聞こえるよ」
彼女の耳には不気味な、脳裏にこびりつくような声が、聞こえている。
「……何が聞こえてるの? 地震の音じゃなくて?」
「違う、もっと、意志ある声が……」
彼女は目を閉じて耳を澄ませ、気付く。この声は耳を通して聞こえて来る音では無く、直接頭の中に響いてくるような特別な声なのだと。目を閉じ、耳も塞ぎ、そして自分の中に響くその声を聞きとるべく、集中する。
『……ろせ、……つらを』
そして彼女は聞き及ぶ。
『殺せ、殺せ、殺せ! 奴らを、我らを裏切り、非道な行いをした者共を! 一人残らず殺せ!』
その怨嗟に満ちた声を。
「奴ら、って、誰?」
思わず問いが零れ落ちたが、頭の中に響く声は決してそれに反応などしない。ただ、彼女の中でずっと同じ言葉を繰り返し鳴り響く。それはまるで、彼女の心をその一色に塗り潰そうとしているかのように。徐々に、その心を蝕み、深淵へと追い落とそうとしているかのように。
「ハク?」
しかしそれはこの場で叶う事は無い。彼女の傍には共に過ごして来た友がいるのだから。優しく握り締められた手の感触に、ハクハクハクは現実へと意識を引き戻される。
「……顔色、悪いよ? 何が聞こえたの?」
ハクハクハクの顔色は蒼く、冷や汗が頬を伝う。声に僅かな時間触れただけにも関わらず、それが与えた影響は小さくは無かった。もしも今一人きりだったならどうなっていたかはわからない、心の内でそう思ってしまう程に。
「声が、聞こえたの」
「声?」
「殺せ、殺せ、奴らを、裏切り者を、殺せ……、って」
「……奴ら? 裏切り者?」
ハクハクハクは聞き返されたそれに対してただ頷く。要領を得ない言葉だ、瑞葉はそう思った。奴らとは裏切り者とは何なのか、それが全く分からない抽象的な言葉だ。そして様子を見るにハクハクハクもそれが誰なのかは分からないのだろう。これは考えても分からない事だ、より多くの情報を集めなければ。
「……まだ聞こえる?」
しかし瑞葉の問いにハクハクハクは首を横に振った。
「聞こえなく、なった、と思う」
少なくとも、彼女の頭の中に今はその声は響いていない。目を閉じ耳を塞いでもそこにはただ静寂のみが訪れるだけだ。ふと、瑞葉は先程まで感じていた振動が消え去っている事に気付く。声と共に揺れが収まった事を偶然で片付けても良いのか、僅かに彼女は悩んだ、が。
「あ、ロロ!」
それについて考えを深める前にロロが目を覚ます。彼の身体の心配をしている内にそんなことは頭の片隅に追いやられてしまうだろう。
始祖の魔獣、最後の生き残り、三つ首の狼王ドゥアロとの戦いは終わりを迎えようとしている。その争いの結末がどうなるのか、それを知る者は未だ、いない。




