77.死んだもの、生き延びたもの
虎狼ホンソウの国、僻地。三つ首の狼王ドゥアロとの決戦跡地。そこは凄惨たる様子を見せている。大きく陥没した大地、周囲に飛び散った巨大な岩石、衝撃や礫によって大きな傷を負った人々。
そして、この世界にとってあまりにも巨大過ぎた生物だったものの、三つ首の狼王ドゥアロだったものの肉塊。
そう、既に三つ首の狼王ドゥアロは死したのだ。ただし、その肉体は無数の落とし子へと変貌しつつあるが。
三つ首の狼王ドゥアロはそもそも生物としては大きな欠陥を持っていた。その類稀な再生能力は身体が小さな頃にはただただ強力な武器であった。しかし時が経つにつれてそれは変わって行く。どのような傷もたちどころに再生するそれの所為か、その身体はいつまで経っても衰えを見せずただただ巨大化を続ける。それはもうその巨大さ故に動く事すらままならない程に。
そして狼王は自らの意志で人の来ない辺境へと姿を消した。その目的はただ生きる為である。肉体の大部分を地中へと埋めてひたすらに眠りに就く。それは生きていると言えるのかわからない有様であったが仕方ないのだ。狼王は自らが動く時、既にその大きさと重さに肉体が耐えられないであろうことを悟っていたのだから。
事情が変わったのはとある丙族が辺境を訪れた時である。それは人々への、或いは世界への復讐の為に強大な魔物である始祖の魔獣を探し求めていた。彼女の名はハロハロ。ハロハロが辺境を訪れたその時に、狼王そのものである巨大な山に近付いた時。
狼王は内より響く怨嗟の声を聴いた。
狼王とて感情が無いわけではない、そして人が憎くないわけではない。過去に自らが幾度となく人々に襲われた事を覚えている。共に生きていた魔物が討たれた事もある。しかしそんなものはとうに過去へと置き去ったはずだった。
それが今になって心の内に響き渡る。
人間を憎め、人間を殺せ、この世界を破壊し尽くせ!
狼王はその声に突き動かされるように動き始めた。地表に現れている首で周囲を確認しながら地中をゆっくりと動き、そして見つけた村をただただ磨り潰す。ちっぽけな人間が襲い掛かって来ることもあったがそんなものはどうだっていい。どうせ肉体を多少削られた所で痛くも痒くもないのだから。
人間を憎め、人間を殺せ、この世界を破壊し尽くせ!
聞こえる声は鳴りやまない。疲れて休んでいると気が付けばちっぽけな人間の数が増えていた。それでも関係ない。何が出来ると言うのか?
そう思っていたのに、気が付くと竜巻が長年連れ添った首を切り落としていた。
人間を憎め、人間を殺せ、この世界を破壊し尽くせ!
狼王の心に久方ぶりの怒りが沸き上がる。それと同時に心の内の声がより強く鳴り響く。それはまるで己を黒く塗り潰していくように、全てを変えて。
そして狼王は巨大な前脚を振り上げた。
本当は分かっていたはずだ。そんなことをすれば肉体が持たないと。しかし怒りと怨嗟に我を忘れたそれは地面に向けてそれを振り下ろす。
それが地表を砕き巨大な衝撃波を生んだ瞬間、肉体はその威力に耐え切れず崩壊し自身が砕いた地表のように前脚から順々に砕けて行く。
それが狼王の最期だった。
ではそれがこの戦いの終わりなのだろうか?
巨大な岩塊が周囲に散らばる。陽光が石の隙間から漏れてそこで横たわる者の目に差し込んだ。
「ん……、ん?」
ロロは目を覚ます。
「ここは、えっと……。色んなとこが痛いな」
目を覚まし初めに思ったのはなんでこんなところにいるんだっけ、だ。下は砕けた地面でそんなところに寝ていたせいか節々が痛く、暗くてよくは見えないが上は何かに覆われてまるで何かに守られているかのようだ。
少しの間彼はぼーっとしたまま状況を思い返していたが、不意に思い出す。
「そうだ、始祖の魔獣との戦いで」
記憶を遡って見れば狼王がその前脚を振り下ろす直前、共に行動していた皆の周囲を巨大な岩の壁が覆ったのを覚えている。そして直後、凄まじい轟音と共に衝撃波がその壁を砕き。
「そこで気絶した?」
その後の記憶は無い。ただここはどう見ても建物の中ではない、という事は恐らくその場に未だいるのだろうと彼は結論付ける。
そして考える、次にすべきは何だろうか?
「とりあえず誰かいないかな」
彼は即座にその結論に至る。それは自分一人ではあまり良い考えが浮かぶ共思えないと言うごく単純な理由であったがひとまずすぐさま動き出したのだ。
そして、
「……ん」
すぐに彼は見つけた。腹部を砕けた破片に貫かれた一人の冒険者を。それはショウリュウの都から共に来た冒険者であまり交流のある者でこそなかったが、思わずその前で立ち止まる。既に息はしておらずその瞳に光は灯っていない。
「確か、ちょっとでも魔物の被害を減らしたいんだって言ってたな」
虎狼ホンソウの国に来る道中、彼は自分の故郷では魔物の被害が多くそれを見て育ったからこそ少しでも魔物の被害を減らして皆が安心して暮らせるようにしたいと語っていた。
「俺も頑張るぜ」
ロロは彼の拳を握ると、一人、その願いを受け継ぐ。そして再び歩き出した。
瑞葉は夢の中にいた。その夢ではあまりにも恐ろしい天災が町を襲っている。空から巨大な隕石が降って来るのだ。絶望のまま彼女は立ち尽くし、その隕石を見つめることしか出来ない。誰かの呼び掛ける声にも気付かないままに、ただひたすら。
「瑞葉、大丈夫ですか? 目を覚ましてください」
不意に、その声がはっきりと聞こえて彼女は目を覚ます。
「……ふう、やっと起きた」
目の間にはミザロの顔があった。どこか安心したようなミザロの顔が。
「え、っと。ミザロさん?」
「状況はわかる?」
「え?」
冷静でありながらもどこか緊張感の漂うその声に瑞葉は自身の記憶を遡る。そして周囲の状況と照らし合わせて、
「始祖の魔獣、が、振り下ろして、凄い、衝撃が……」
「それだけ覚えてれば大丈夫ね」
ミザロがゆっくりと立ち上がる。周囲には何人かの冒険者がいる。いずれも同じ部隊にいた者達だ。怪我の程度に差はあるものの皆が何とか一命を取り留めておりそれぞれに応急処置をしたり戦いの準備をしたりしているのが見える。
「これは……」
「瑞葉、私たちはこれから撤退するわ」
「え、っと。始祖の魔獣は?」
「今そこで空天赤坂さんが周囲の状況を確認しているわ。状況を把握し次第この場の全員で近隣の町を目指し最速で移動する」
空天赤坂、彼女はザガ十一次元鳳凰の一員であり周辺の索敵などが得意な冒険者だ。そして今は周辺の生物の居場所を全力で探っているところである。
「えっと、この場の全員……」
瑞葉はふと周囲を見渡す。そこにいるのはミザロ、空天赤坂、それに虎狼ホンソウの国の冒険者が三人。たった六人だけだ。
「他の人たちは周りを確認しに行ってるんですか?」
その問いにミザロはどう答えるべきか少し悩んだ。が、彼女にしては珍しくすぐに答えを出す。
「違うわ。どこにいるかはわからない」
「……あ、じゃあ空天赤坂さんが今それを」
「彼女が調べているのは敵の位置であってどこにいるかわからない他の人じゃ無い」
それはつまり、この場の六人だけで急ぎこの戦場を抜け出す、という事を指し示している。瑞葉は血の気が引いて行くのを感じた。
「じゃ、あ、ロロは、ハクは? 他の人たちは?」
「後の事になるわ」
「そんなっ!?」
瑞葉は思わず叫ぶ。言いたいことはたくさんあった、しかし様々な言葉がつっかえて声にならない。どうして声が出ないのかその理由を彼女が探している内に空天赤坂がミザロに視線を向ける。
「準備が出来た様です。皆さん、行きましょう」
ミザロが立ち上がりこの場の皆を先導するように歩き出す。瑞葉は納得のいかない何かを抱えながらもその後ろを付いて行く事しか出来なかった。
ハクハクハクが目を覚ました時、そこは真っ暗でその目では何を見る事も出来なかった。しかし周囲からは幾らか音が聞こえて来る。耳を澄ませばそれが人の声であることはすぐに理解できた。
「ああくそ、全然防ぎ切れなかったな……」
その声は竜神のものだ。ハクハクハクはそれに気付くと何が起こっているのかと尋ねようとしたが声を上げる体力が残っていない。彼女は知らぬ事だが衝撃波によって吹き飛ばされたその身体は幾度となく岩や地面にぶつけられもはや動く事も困難になっている。寧ろ今こうして生き残っているのは彼女が無意識の内に魔力でその身を守っていたからだ。そうでなければもはや原型を留めていたかもわからない。
竜神の足音は遠ざかって行く。どこへ向かおうとしているのかもわからなかったが、もはや彼女にとってそれは遠い遠い世界の出来事。
ゆっくりと彼女は再び意識を手放して行く。
凄まじい衝撃を乗り越えて生き延びた冒険者たちはそれぞれに立ち上がり自らの心のままに動き始めている。狼王の身体を構成していた肉塊は徐々にその姿を落とし子へと変えつつある。
始祖の魔獣、三つ首の狼王ドゥアロは死んだ。しかし戦いは未だ終わっていない。戦う意思を持つ者が残っている限り、それはまだ終わらない。




