76.三つ首の狼王ドゥアロの最期
虎狼ホンソウの国、虎の都より北の方面の大地。今そこにはかつてなく多くの人々が歩みを進めている。彼らは虎狼ホンソウの国または山河カンショウの国から派遣された軍隊であり、或いはそれぞれの国の冒険者たちだ。
彼らは今、始祖の魔獣討伐という重大な任務を負いその歩みを進めている。
その中のとある一団にロロ、瑞葉、ハクハクハクの三人がいる。二十人ほどの部隊で軍が固める大部隊から先行しているのが彼らだ。
「どこまで行っても荒野だ……」
瑞葉が思わずそんな言葉を漏らす。彼らが町を発ってから既に二日ほど経っただろうか。目的地まで予定ではあと一日ほどかかるはずだ。大岩の傍にて休憩を取る一行を見下ろして瑞葉は思わずため息をついて。
「もっと早く行ったら駄目なんですか?」
つい、そんなことをミザロに問う。はっきり言って彼らの行軍速度はかなり遅い。周辺の警戒を密にしているとはいえ流石に遅過ぎる、瑞葉がそう感じる程だ。
しかしミザロは、
「我々が先行し過ぎても意味がありません。あくまで我々は軍の補助の任に就いているわけですから。彼らと行軍速度を合わせる必要があります」
と当然のように述べる。
部隊とは大きくなれば大きくなる程にその行軍速度が遅くなる。今の彼女らは二十人ほどだが、後方に控える軍の部隊は千人ほどいるという事だ。彼らは非常によく鍛えられた精鋭部隊だ。が、だからと言って全体の行軍速度をほんの二十人程度の部隊と合わせるのは難しい。
「まあまあお嬢ちゃん、まさか俺達だけで始祖の魔獣なんて相手にするわけにいかないって。もっと落ち着いて」
横からそう口を出したのは虎狼ホンソウの二等星、絢爛劫火の火鳥羽だ。
冒険者たちそれぞれの部隊には実力の均整が取れるように隊員が割り振られている。そしてそれぞれに二等星以上の者が三人程度は配置されていた。この部隊にはミザロ、竜神、そして火鳥羽の三人。更に三等星が四名と残りを四等星の面々が埋めている。
火鳥羽はその中でこの部隊の指揮権を預かる立場になっている。ミザロはそもそも一人で行動する方が得意な性質であるし、竜神は本人が一番上は性分ではないと断ったので自然とそうなった形ではあるが。
「今はザガ某の空天ちゃんに周辺の探知もしてもらってるし、少し休憩休憩。今の内に休んどかないと後がしんどいからね」
「……わかりました、そうします」
しかし彼は自然と周囲と話をしてそれとなく全体の空気を良くしようとしている。周囲の空気を呼んで行動できる彼を一番上に置いたこの人事は結果的には正解だったと言えるだろう。
火鳥羽は自分が指揮権を預かる皆を後方から見据えた。
「見てろ?」
「うおおお! すげえ! 俺にも出来るかな!?」
山河カンショウの国から来たロロはいつの間にか周囲の者と仲良くなって岩をも断つという秘技を教えてもらっている。彼はこの部隊の空気を常に良くしてくれる。
「へえ、じゃあその炎で塵を燃やしてるのか」
「そうそう。いや、二等星の方に教える程の事じゃないですけど」
「馬鹿言え、私が出来ない事をやってるんだからもっと誇れ。ま、私の方が強いがな」
竜神もあのザガの手綱を取っているだけはあり対人関係に難は無い。自ら積極的に話しかけて周囲との関係性を作っている。或いは、単に自分の知らない魔法や技術に興味津々なだけかもしれない。
どうにも未だ人見知りなのかあまり話せていない者も数名いるが全体の雰囲気は悪くない。火鳥羽は楽しい未来を思い描く。
この戦いが終わったら、打ち上げに誘ってみよう。盛り上がる会の様子を思い浮かべて彼は今から楽しみで仕方無いようだ。
戦いの始まりはいつだって唐突だ。しかしながら今回はそれがあまりに顕著だったと言わざるを得ない。
元々調査によって三つ首の狼王ドゥアロはあまり動かない事が確認されていた。故に戦闘が始まるのはある程度日が経っている事を加味してもまだ先になるはずだったのだ。
しかし虎の都を出て二日と十時間、予定よりもおよそ半日早く彼らは遭遇する。
「ゥウオォーーン」
その遠吠えは三つ首の狼のもの、それは人が見上げざるを得ないほどに巨大なもの。
「今のって……?」
「あの大岩の方から聞こえたよな」
ロロのいる部隊からは遠目に大岩がずっと見えていた。次はあの大岩の辺りで休もうかなどと話をしていたぐらいだ。しかし段々と距離を詰めて行くにつれて気が付くだろう。
あれは大岩などではない。
「動いてないか、あれ?」
誰かがそう告げる。そして皆が気が付くのだ。
「魔物?」
巨大な魔物、それはあまりに巨大な三つ首の狼。
「あれが始祖の魔獣か……!?」
四等星の誰かがその姿に思わず震えながらそう言った。しかしミザロは口を噤んだまま首を横に振り、竜神は無情にも冷たい言葉を彼に投げかける。
「あれは落とし子だな。私らが戦う予定の相手だ」
その言葉に彼は思わず固まる。話は聞いていた、覚悟もして来たつもりだった。しかし実際にそれが目の前に来た時にその覚悟のままに行動できる者などどれほどいると言うのだろうか?
少なくとも彼はそうでは無かったというただそれだけの事だ。
「ま、あれは私がやろう」
そんな彼の横を竜神が通り抜ける。火鳥羽とミザロは他の者に待機を命じており、その後ろに続く者はいない。
「竜神さん一人で行くんですか!? 我々も!」
誰かの言ったその言葉をミザロが手で制する。
「邪魔になりますから」
ただそう一言だけ付け加えて。
竜神の戦いはいつだって派手で大雑把だ。巨大な落とし子を見るや否や大した考えも無しに一人突撃を敢行する。無論、彼女は自分のやるべきことは分かっている。要はああいった邪魔なのを叩き潰して行けばいい。
「よし、行くか」
彼女が魔力を通わせば大地は彼女の意のままに動く。その場に立っているだけで凄まじい速度で自身を敵の元へ運ぶことだって難しくない。
そんな大地を走る小さな異物を見た落とし子はその巨体にある三つの首で彼女の姿を見た。そしてまるで邪魔な羽虫が寄って来た時のように前脚で地面を払う。それは遠くからは大岩に見えた程の大きさ、ショウリュウの都で言えば大勢が詰めている自警団の本部のような大きさのそれだ。地面を払えば人など軽く吹き飛ばしかねない礫が無数に飛んで行くのが見えるだろう。
竜神は前方から襲い来るそれを退屈そうに見ていた。
「……ま、この程度の大きさじゃあな」
彼女が軽く地面を踏めば前方の地面が隆起し礫を防ぎ切る。いや、それだけではない、石柱は彼女のすぐ前方から順々に落とし子に向けて次々と地面から隆起して行く。地面を駆け抜けるように真っ直ぐ突き進むそれが落とし子への攻撃であることは明らかだ。
故に落とし子は当然にそれを躱すだろう。巨体が悠然と宙を舞う。
宙を舞ったその姿は遠目には恐ろしく映るだろう。あんな巨体がまともに動けるなど何の冗談だというのか。今からあれの近くに行き戦わなければならないと言うのか? 自分のすぐ傍で雲を衝くような巨人が踊っている様を想像すればその恐怖は分かりやすいだろうか。
しかし竜神にとってそれは単に隙だらけに見えていた。
「よっ」
彼女が地面を叩けば跳んでいる落とし子のすぐ下から一際巨大な石柱がその身体を貫いて天へと伸びて行く。遠くの、彼女の戦いを初めて見る者達は唖然としている事だろう。
何の事は無い、彼女は初めからこうすることも出来た。しかし敢えて回避しやすい攻撃をして落とし子の強さを周囲に見せつつ、空中という攻撃を回避できない状態へ持ち込み必殺の一撃を確実に決める。
竜神は自身に任された仕事を完璧にこなしたと言えるだろう。
「……駄目か」
ただ問題は。
落とし子の肉体が地面へと崩れ落ちて行く。それは巨大な風穴が空いて今にも千切れそうになっている。当然それは既に死んでいる、或いは生きていたとしてもすぐに死んでしまうだろう。
普通の魔物なら。
「皆さん、備えてください」
安心したように気を抜いた周りの者へとミザロが告げる。既に目の前の戦いは終わったと言うのに何に備えればいいのか、そう思った者も少なくはない。しかし彼らもすぐに気付く。地面へと落ちた肉体はその傷を塞ぎつつあることを、そしてその姿を変貌させている事を。
「来ますよ」
無数の三つ首の狼へと。
竜神は巨大な肉塊が無数の落とし子へ変貌していく様を見た瞬間に無数の石柱で更に追撃を加える。しかしその隙間から零れ落ちるようにして無数の小さな落とし子が周囲へ散って行く。
「やっぱり面倒だな」
彼女はそう言って自らの腕を地面にめり込ませる。そしてそのまま腕を振り抜けば、腕に纏わりつくように装備された石剣により彼女に向かって来た落とし子が打ち砕かれるようにしてその身をバラバラになった。
しかし全ての落とし子が彼女へ向かって行ったわけではない。半分ほどは恐ろしい力を持つ彼女を避けて遠くに見える人間目掛けて、ロロ達がいる方へと駆けて行く。
「やっと出番だな」
ロロはそれを見て剣を構えて前に出る。三等星の中にも先の再生力を見て腰が引けている者もいたのだが彼の姿を見て溜息と共に前に出始める。まさか子供を前線に出して経験豊富な熟練者が後ろで籠っているわけにもいかないだろう。
「奴らの再生力を侮るなよ! 致命傷を与えたと思っても復活するかもしれないからな!」
火鳥羽の声が飛ぶ。
ロロは迫って来る三つ首の狼を前に臆することはない。動きもそう早くなく、そこらの牙獣よりは脅威を感じるがこれよりも強い相手を何度相手にして来たかはもうわからない。冷静に爪や牙を躱しその胴体を両断する。
「よし!」
しかし。
「まだ動いてるぞ!」
後から来ていた者が声を掛ける。それを聞いて見れば首の付いた方の肉体が地面に頭をついて方向を変え自らを切った相手への復讐をしようとしている。それ自体は当然にその声を掛けた者が止めを刺し事なきを得たのだが。
「これはかなり面倒だぞ」
止めを刺す為に、つまりはそれが確実に動かなくなるまでに何度斬り付けただろうか。とりあえず三つ首を全て落としたぐらいではまだ動こうとしていたのは確かだ。後ろ脚側の肉体もしばらくすれば血が止まり顔のような部分を作ろうとしていたぐらいである。
「まだ来てるぞ」
小さくなった落とし子の一体一体は然程脅威とは思えない。しかし恐ろしいのはそれを取り逃がした場合だ。そこら中にこれほどの再生能力を持つ魔物が現れたら世界中大混乱だ。ましてや彼らは落とし子の生態を完全に把握は出来ていない。
もしも落とし子が時間と共に成長するとしたら?
想像はしたくない事だが、そうだとすれば三つ首の狼王ドゥアロが無数に増えてしまう事さえあり得るだろう。
故に彼らは落とし子の殲滅を任されている。取り逃がすことの無いよう、そしてその先にある恐ろしい未来が現実とならないように。
ロロ達が落とし子との交戦を開始したのを見て後方で歩みを進めていた軍の本隊は彼らを迂回し先へ進むことを決める。ここから先、落とし子の数は増えて行くだろう。しかし三つ首の狼王ドゥアロの討伐を目的とする彼らにはそんなものを相手にしている余裕は無い。
「冒険者たちが道を作る、我々は落とし子を無視して進め!」
先頭で指揮を執るショウリュウの都の自警団団長、琳はこの先の戦闘の展望を幾つか描いている。事前に得られた情報から必要な戦力は十分に集まっていると確信する彼は当然その目に勝利以外を描いてはいない。無論、不測の事態は起こるものだがそれを考慮しても討伐は可能だと考えているのだ。後はどれだけ死傷者を減らす事が出来るか、だ。
その為には先鋒を務める自分たちが素早く接敵し彼我の戦力差を見極める事が肝要、そう信じて彼は一段と速度を上げて前に出る。
遠くに見える巨大な山に向けて、三つ首の狼王ドゥアロに向けて。
落とし子の数は多い、が、冒険者たちはそれを冷静に対処していく。二等星の、それも瞬間的な火力が高い者達が先陣を切り巨大な落とし子を一気に打ち倒す。それは無数の小さな落とし子となって復活するのだがそれらは後詰として控えている他の者達が着実に殺し切るのだ。
小さくしてしまえば落とし子の脅威は低い、普段よりも念入りに止めを刺せば良いだけなのだから。数の暴力という意味の恐ろしさこそあれ、彼らはそれに対抗できるだけの人員を揃えて来ているのである。
そう言う意味では彼らは少々拍子抜けしていた。
「こんなもんか?」
ひとまず目の前の落とし子の大群を処理し終え誰かが呟いた。三等星である彼には自分の背丈程度の落とし子など相手にもならない、あっという間にばらばらにしてしまえる程度のものだ。そんな彼を嗜めるように声を掛ける者もいた。
「我々が相手にしているのは所詮欠片だろう? それに無限とも思える程に来るのだ、戦力が必要なのは仕方ない」
「それもそうか……」
落とし子との戦闘はまだまだ続くだろう。なにせこれから軍の部隊が本体である始祖の魔獣との決戦に入る。そうなれば肉体が崩れ落ちた先から落とし子になって行くだろう。軍はそれらとのぶつかり合いを避けて後方にいる冒険者に処理をさせるはずだ。
「まあ本番はこれからって事か」
「でかいやつは二等星に任せて我々は確実に目の前の敵を殲滅するのみ、だ」
そう、本番はこれからだ。
火鳥羽、竜神、ミザロが率いるロロ達のいる部隊が軍の後方、竜神の作り上げた岩石の壁の裏に隠れるようにして戦いの始まりを待っている。いや、彼らだけではない。他の部隊も落とし子を処理しそれぞれに所定の位置に辿り着いて開戦の時を待っていた。
「……あれが魔物なのか?」
冒険者の一人が呟いたその言葉は多くの者の気持ちを代弁していた。
彼らは軍の部隊が豆粒のように見える程の距離にいる、にもかかわらず彼らの向かう先にある物ははっきりと目に見えていた。
あれは山だ。巨大な山がそこにあるのだ。そうとしか見えない。
「あれが三つ首の狼王ドゥアロなのか……?」
「少なくとも、一度戦った我々はそう見ています」
ミザロが問いに答える。思わず問いを投げかけた冒険者は唾を飲み込む。
千人、軍が連れて来た人員の数である。当初、その数を馬鹿げた数だと思った者は少なくない。たった一体の魔物を倒す為に千など、どう戦おうと言うのか? 山のように巨大な魔物だと言われた所でそんなもの想像できるはずが無い。山が動く姿を想像など出来るはずが無い。つまり千と言う人員は過剰な戦力で軍の強さを冒険者にアピールする狙いでもあるのだろう、そんな想像が彼らの中にはあった。
では実際に敵を目の前にしてどうだろうか?
「たったあれだけの数でどうにかなるものなのか?」
山を前にして千人の人などちっぽけなものだ。無論、そこにいるのは選りすぐりの精鋭であることは分かっているが、だからと言ってたった千人で何が出来ると言うのだ。山肌を削ったところであれがどうにかなるとは思えない。
「まあ彼らは軍ですからね。どうにかするでしょう」
しかし少なくともミザロや竜神、火鳥羽は不安そうにはしていない。それは彼らがいざとなればその並外れた実力で以て危機を乗り越えられると信じているからでもあり、それ以上に軍というものの性質をよく理解しているからだろう。
「ミザロ姉、軍って何か俺達と違うのか?」
それを問うたのはロロだ。ミザロは少し悩み、考え、そして。
「まあ、すぐにわかるでしょう」
と言い開戦の合図を待った。
冒険者と軍隊には大きな違いがある。
冒険者とはあくまで元を辿ればただの便利屋だ。善良な意志で以て人々を助ける事を良しとしその仕事に就いた者もいれば、手強い依頼で一攫千金を狙う者もいる、中には単に仕事に困ってという事だってあるだろう。思想信条全てにおいて様々な人々が集う冒険者は漠然とした仲間意識こそあれ実際には極小規模な集団で行動することが多い。
例えばショウリュウの都で有名なザガ十一次元鳳凰もほんの十人程のチームであり、更に実際に依頼をこなす際はそこから二、三のチームに分かれて行う事がほとんどだ。
少人数と言うのは迅速な対応が行いやすい。数人程度なら即日準備を整えて現地へ向かうことだって可能だ。冒険者とは依頼で動くのが少人数故に問題の解決が早い事が良い点として挙げられる。
しかし一方で彼らは個々の実力や性格に大きな差異があるせいで、依頼をこなす際にその精度に大きく差異が出る事になる。同じ魔物退治を依頼したとて即日終わらせてさっさと帰る者もいれば、時間をかけて周囲の情報を集め魔物の現れた原因まで突き止めその解決策まで伝える者もいるだろう。これはどちらが良いと言う話では無く、冒険者はそれぞれで仕事のやり方が異なると言う話だ。しかし依頼を出した側からすれば依然と同じ依頼の解決が同じ方法ではないのを見て思う所があるかもしれない。
さて、冒険者はそのように個人個人の多様性が現れるのが大きな特徴と言えるわけだが、では軍隊はどうだろうか?
例えば山河カンショウの国における軍隊は日々厳しい訓練が行われ個々の実力を伸ばしている。彼らの行う訓練は誰も彼も、新人から熟練の者まで全て同一の過程で行われる。その結果生まれるのは個々人の適正による多少の差はあれど同等の実力を持ち同等の戦闘技術を持つ軍人だ。そこに個性や多様性は無い。いや、必要ない。
軍隊の行う戦術は基本的に数による圧倒的な暴力だ。日々厳しくも皆が同一の訓練をこなして来たからこそ可能な、数による圧倒的な暴力。
眼前に見える巨大な山を前に自警団隊長を務める琳は多少の武者震いを感じていた。これほどの脅威は魔王以来だとさえ思う。しかし彼が怯むことは無い。
後方に控える千の兵に叫ぶ。
「全軍、我に続け!」
「「「「「応!!!」」」」」
千の兵の掛け声は待機している冒険者たちにも聞こえた。いよいよ始まる、それを察した彼らは身構える。
「荒れ狂う嵐よ!」
「「「「「荒れ狂う嵐よ!!!」」」」」
それは魔法の詠唱だ。瑞葉は自身が学んだ書籍の中でその詠唱を見たことがあった。『荒れ狂う嵐よ、眼前の敵を切り伏せん』、それは嵐剣と呼ばれる強力な風の魔法だ。基本の魔法の一つである風刃をより強力にした魔法であり、熟練者はこれで魔物を両断出来るほどの威力を生み出すと言う。
しかしそれを普通に使ったところで山のような巨体の狼王を相手には皮膚の表面を僅かに傷付けるだけに終わるだろう。
「あ、あれ……」
ハクハクハクが驚きを顕わにしながら軍隊の上方を指差す。瑞葉は一体何がと思ったが視線を向ければすぐに気が付く。
「……竜巻」
彼らの上方では風がごうごうと音を立てながら渦を巻く、それはまるで巨大な竜巻のように。そしてそれを起こしているのが凄まじい量の魔力だという事に彼女はすぐに気付いた。
「ミザロさん、あれって……」
「ええ、軍の魔法ね」
それは言葉通り軍の魔法である。個人ではなく、軍全体により放たれようとしている魔法、と言う意味だ。
冒険者が個々で技術を磨く一方で軍は大勢が力を合わせて一つの事を為す。皆が同じ方法で訓練するのもその為であり、全員が同じ技術を身に付ける事で、全員が同じ魔法を同じ方法で放つ事で、それら全てを一つの魔法として練り上げるのだ。
十分に練り上げられた巨大な竜巻を見て琳が号令を挙げる。
「眼前の敵を切り伏せん!」
「「「「「眼前の敵を切り伏せん!!!」」」」」
巨大な竜巻が山に、三つ首の狼王ドゥアロに向けて振り下ろされる。どこに頭があるのかもわからないそれは嵐剣が自らに向けて向かって来ているにも関わらずまるで反応が無い。それはまるで本物の山であるかのように動かない。
嵐剣が山を断つ。ずるり、と、巨大な断面が姿を見せた。
「……やったのか?」
あまりの手応えの無さに琳は思わずそんなことを呟いた。敵は全く動くことなくあっさりと両断されてくれた。無論、事前情報から考えればこれから巨大な落とし子が生まれる事になるのだろうが、それも同じ要領で切り刻んでやれば然程問題は無いだろう。
これが始祖の魔獣の最期なのだろうか?
「……まあ、こちらに嬉しい想定外なら問題は無いか」
最終的に彼はそう結論付ける。
ぼろぼろと崩れ落ちる狼王の肉体の断面、嵐剣で切り裂いたそれはあまり綺麗なものでは無かったが元の形が円形に近いものだったことが見て取れる。おそらくは胴体部分だったのだろうと推測し彼は恐らくは先に再生するであろう首の付いた側はどちらかと目を凝らしたのだが。
「……おい」
「はっ! 如何致しましたか?」
先頭に立っていた一兵卒が敬礼と共に何事かと聞き返す。琳は頭を掻きながら狼王の方を指差して、
「どちらが上半身でどちらが下半身か分かるか?」
そう尋ねた。
今日この日、山河カンショウの国及び虎狼ホンソウの国は三つ首の狼王ドゥアロに対し相応の戦力で以て戦いを挑んだ。千人規模の軍隊は山すらも両断するに相応しい威力を見せつけ三つ首の狼王ドゥアロに大きな傷を与えたのだ。
しかし彼らはまだ気付いていない。軍の誰もが、冒険者の誰もが、この場にいる誰もが気付いていない。
彼らは胴体を両断したのではなく、首の一つを切り落としたに過ぎないことを。
地面が揺れる。
「何だ、地震?」
それは激しい地響きだ、立っているのですら難しい程の大きな揺れ。
「見ろ! 地面が裂けてるぞ!」
それは両断されて落とし子へと変貌しつつある巨大な肉塊の左右。大地が裂けて隆起しているのが見える。
「何か出て来るぞ!」
そしてそこから現れる姿を人々は見るだろう。あまりにも巨大なそれが何であるかを彼らは一瞬理解できないはずだ、しかしすぐにわかる。空に向けて伸びて行くその影は、まるで、
「狼?」
巨大な狼の首だ。
「全軍、魔法用意!」
琳の判断は早かった。彼はそれが、今まで地面に隠されていたそれこそが三つ首の狼王ドゥアロの首だと気付き即座に次の攻撃へと取り掛かる。
脳内では敵の全体像を修正、今まで見えていた山は首の一つに過ぎなかったのだ。三つ首の狼王ドゥアロの本体は恐らく地中にある。頭の一つでさえ山のような巨大さを備えていたにも関わらずそれは氷山の一角に過ぎなかった。末恐ろしい話だが、やる事は変わらないと彼は思う。
まずは今出て来た首を落とす、そしてどんどん小さく解体していき落とし子となったそれらを殲滅。問題と言えば地中の本体をどうやって殺すかだが、まずは目の前の事だ。
彼は後方の兵士が魔力を練り上げたのを確認すると声を張り上げる。
「荒れ狂う嵐よ!」
「「「「「荒れ狂う嵐よ!」」」」」
再び軍の上方に現れる竜巻。二度目の嵐剣が発動しようとしているのだ。それは誰の目にも分かる、敵である狼王にも。
「ウォウゥウウウウゥゥゥ」
「なっ!?」
首の一つが遠吠えを上げた。その咆哮は特別な魔法や技法も何も無いただの遠吠えだ。しかしそれは山のような巨体から放たれる膨大な音の塊でもある。
近くにいる者からすれば。
「なっ、んだこの音!」
「何も聞こえんぞ!」
「耳がっ……!」
あまりの音の大きさに耳を塞がずにはいられないほどだ。そしてそれは人の集中を乱すには十分過ぎる。
それはロロ達の目からも明らかだ。狼王の咆哮に誰もが耳を塞ぎその音が通り抜けるのを待つ最中、ロロは空を見て叫ぶ。
「竜巻が消えてく!?」
「何か言った!?」
「竜巻! が!」
咆哮の中で微かに聞こえたロロの声に瑞葉も空を見上げた。先程まで上がっていた魔法による竜巻が消えて行く。
「何で!?」
大人数で一つの魔法を作り上げるのは凄まじい集中力を必要とする。仮にたった二人で行うにしても一週間は練習が必要だと言われるほどだ。それを彼らは千人で行おうとしている。長年の訓練により可能な魔法の極致ではあるのだが、当然その魔力制御は困難を極める事は言うまでも無い。少なくとも今にも鼓膜が破れそうなほどの凄まじい咆哮の中でそれを行う事は不可能だ。
琳はそれを察すると即座に手信号で指示を出す。兵達はそれを見て即座に隊を三つに分けて後方へと下がって行った。
その様子を見ていた後方の有力な冒険者たちは即座に動き出していた。
「まずいな、これは」
「そのようですね」
竜神とミザロがそう言ったように、あまり良くない状況であることを理解しながら。
三つ首の狼王ドゥアロ、その恐ろしさの本質は再生力、ではない。真の恐ろしさはただただ純粋な質量。天をも掌握するかのような巨大さだ。
「あんなの、人間にどうにかなるような相手じゃ……」
そう呟いた誰かの言葉は正しくその通りだ。理解しているからこそ二等星の実力者やその動きを察した者達は既に撤退の準備を始めている。各部隊に配備された二等星の中には万が一に備えて即座に全員を撤退させられる手段を持った者が揃っている。ロロ達の部隊で言えば竜神がそうだ。
「うわっ!?」
ロロは足元から突然生えて来た岩に思わず声を上げる。
「え、何!?」
「狼王の攻撃か?」
「全員この円から出るなよ」
冷静に竜神が呟く。そして岩に囲まれたその場所は大地を滑るように移動し始め、徐々に狼王から遠ざかって行く。
「作戦は失敗。あそこまででかいとは思わなかったし仕方ないな」
本来ならば軍の魔法で一撃の元に葬る予定だったが結果的には首の一つを落としただけに終わり、残りの首は未だ動いている。もう一度同じことが出来るかはあの激昂した様子の狼王の姿を見るに難しいだろう。
「じゃあこの後は?」
「狼王が追って来るなら体勢を整えて迎撃。動かないなら時間を置いて改めて、だな。その時はもっと大規模な部隊編成になるだろう」
あくまで冷静に今後の予定を語る竜神だったが、それにはある前提が付いて回る。
「私たちが逃げ切れれば、だがな」
狼王の首は撤退を測る冒険者や軍を睨んでいる。そしてその視線が僅かに下を向いた、かと思うと。
「……っ! 来るぞ!」
首が睨み付けていた地面が、たった今冒険者や軍の皆が撤退の為に通っていた地面が砕け、弾けた。そこから現れるのはあまりにも巨大な前脚だ。それは天高く掲げられたかと思うと、
「あ」
そのまま地面に叩き付けられた。
大地は砕け、その衝撃波は何もかもを吹き飛ばす。それが来るとわかっていた竜神は直前で分厚い岩石の壁を作り上げていたがそれを吹き飛ばして尚余りある威力。
冒険者も、二等星も、軍も、何もかも、三つ首の狼王ドゥアロの前ではあまりに小さ過ぎる。或いは、三つ首の狼王ドゥアロがこの世界にとってあまりにも大き過ぎるのか。
いずれにしても、人と三つ首の狼王ドゥアロはの戦いは終わりを告げた。




