90.アルザード16世
凍湖シンシンの国、王城。そこは今混乱の最中にある。多くの兵士が駆け回り侵入者を捕縛しようと躍起になっているのだ。今ここで全身を鎧で覆われながらもそれを感じさせない速度で走っている彼もその一人である。
「お前たち、大丈夫か?」
爆発の起こった方へと走る彼は擦れ違った四人の兵士に声を掛ける。彼らの内の二人は自分で動く事も出来ないのかぐったりとしたまま背負われ動く気配もない。
「爆発の地点には既に敵は居ない。行った時には既にこの二人が倒れているだけだった。俺達は二人を安全な場所に移動させて敵の捜索に回る」
「そうか……、気を付けろよ」
「ああ、お互いにな」
兵士を背負った彼らはそのまま歩き出す。しかし一人走っていた兵士はその場を動かない。背を向けた彼らを見て、躊躇うことなく剣を抜いた。
「駄目かぁ」
直後、先ほど応対していた者が背中の兵士をその場に捨て剣を抜く。
「やはり侵入者か!」
剣を抜くのは一人の兵士の方が明らかに早かった。しかし対する相手はあらゆる動作がより高い水準の速度で動き、結果。
彼らの中間で剣が交わる。交わった位置に置ける有利不利が無いのであればその優劣を決めるのはその剣に込められた威力だ。そしてそれが優れているのは、
「なっ、剣が!?」
侵入者の方だ。兵士の剣が折れ宙を舞う。その間に侵入者は兵士との距離を詰め、足を膝裏に掛け身体を崩しながら頭を地面へと押し付ける。
「よっ」
ガンッ。
兵士の頭が床に叩き付けられる。兜の上からとはいえ衝撃はそれを貫き彼の意識を刈り取った。侵入者の彼は立ち上がると兜を取る。
「あんまり意味無かったかな、これ」
そこに立っているのは山河カンショウの国、ショウリュウの都に拠点を持つ冒険者、ツバサだ。彼こそはこの城に騒乱を引き起こしている一人である。そして彼と行動を共にしている三人もまた。
「何でわかったんだ? どう見ても兵士なのに」
頭を掻きながらそんなことを言う兵士、その声はロロのものだ。
「兵士同士の合図とかあるのかもね」
「あ、ごめん。さっきは大丈夫だったかい?」
「ええ、鎧着てますし」
先ほど床に捨てられた瑞葉は特にその事を気にする風もなく立ち上がる。となれば残るロロが背負っているのは当然ハクハクハクだ。
凍湖シンシンの王暗殺計画、ザガ、竜神、ミザロ、更には今も外で兵士の気を引いているゴウゴウと崎藤の助けもあって彼らは城への潜入に成功していた。そして直後に丁度四人組の兵士を発見するや否やツバサがそれを襲撃、鎧を奪い今に至るというわけだ。
「俺達が入ってることはばれてるのか?」
「どうだろうね。ただまあ、竜神さん達の事はばれてるだろうし、他にもいるかもしれないとは思われてるのは間違いないかな」
「変装はどうしましょう。続けます?」
「一応まだ着ておこうか。少なくとも遠目なら誤魔化せるだろうし」
ツバサの考えは概ね当たっている。派手に動いている竜神、ザガ、ミザロの存在は既に城内に知れ渡っており、更にその三人の対処に一等星が動いている事も既に知られている。兵士たちが城内を駆け回るのはそれ以外にも存在するであろう侵入者を探す為だ。
幸いにも他の者達の奮闘により彼らが今いる場所の付近にはあまり兵士はいないようだが、どれほどの時間が残されているかは未知数だろう。
「王様の部屋はどっちですかね?」
しかし彼らには目的地がどこにあるかは分かっていない。
「さあね。想像でものを言うなら上の方かなとは思ってるけど、謁見の間に向かうのもいいかもしれないし」
ツバサが天井を見つめる。残念ながら彼には透視能力のような便利な能力は存在しない。ただ豪華に飾り付けられたそれを見て溜息するだけだ。
「でもまあ、とりあえず闇雲にでも走るしかないかな。途中で手掛かりが見つかればいいけど」
「じゃあ急ごうぜ」
「そうね」
三人が走り出す。三人が。一人、ハクハクハクだけが不思議とその場に立ち止まり地面を見つめていた。瑞葉がその事に気が付き声を掛ける。
「ハク? どうかした?」
「え? あ、いや……」
彼女は何やら口ごもり、固まってしまう。それは自分の感じているそれをどう言葉にしていいか分からないようでもあり、或いは言ったところで何を馬鹿な事をと笑われるのを恐れているようでもある。
ツバサはそんな彼女の様子を見てその傍へ歩みを進める。
「何か思ってることがあるならぜひ話して欲しい。どうせ僕らには手掛かりも何も無いからね」
そうして彼女にその感覚を話すよう背を押すツバサ、その後ろでは瑞葉とロロが普段と変わらぬ笑みを浮かべている。ハクハクハクは意を決して、今、彼女だけが感じているその小さな違和感、或いは不快感のようなものを話す事に決めた。
「向こう、城の外、から……、何か感じる。まるで、その、何か、近付きたくないような、感じの……?」
「ん? ……二人は何か感じるかい?」
「ロロ、どう?」
「いや、俺って鈍いし」
ハクハクハクが感じているその感覚は例えば溺れ死ぬ夢を見た後は水辺をなんとなく恐ろしく感じるような、そんな漠然とした不安感のようなものだ。これと言って明確な根拠があるわけでも無くただただそれを恐ろしいと感じているだけ。
ましてやそれを他の三人が感じていないと考えるとそんなものは無視しても良さそうなものだが。
「……丙族だけが感じるのかもしれない」
不意にツバサがそう言った。
「そんなことあるんですか?」
「あり得ない話じゃないと思う、虫や動物の中には人間が感知できない何かを感知している種がいるというのは聞いたことがある。それに……」
「それに?」
ツバサは一瞬それを言い淀んだが、しかし黙っていても仕方ないだろうとすぐに話し始める。
「戦争の捕虜の話。丙族だけは連れて行かれたってのが気になってね」
凍湖シンシンの奇襲により幾つかの町が攻め落とされ、その際に町の人々の一部は捕虜となったわけだが、そうなったのは丙族だけだ。他の者は抵抗する者は殺され、それ以外の者は全てが付近に放逐されることとなった。それが何を示しているのかは分からないが、少なくとも丙族に何かがあるのは間違いないのだろう。
「じゃあ行ってみようぜ。何か手掛かりがあるかもしれないし」
少し考えた後、ツバサはそれに頷く。こうして四人はハクハクハクが何かを感じると言う方角へ向けて動き出すのだった。
城の外、一応は敷地内であるそこにやたらと頑強に造られた小さな建物がある。そこの守りは不思議と城そのものよりも堅い。
「ハク、あそこで間違いない?」
「……うん」
小さな建物の周りには兵士が十数人、一切の隙も無く近付く者がいないか警戒している。
「これ以上近付くのは危ないかもね」
「あれだけ厳重に守ってるならあそこに王様がいるって事は無いんですか?」
「その可能性は十分あるけど」
ツバサが考えている可能性は二つある。一つはあそこには王がいるから厳重に守っている。もう一つはあそこには余人に見られてはならぬ何かがあるから守っている。
前者なら計画を遂行するだけだがもしも後者ならどうだろうか。苦労の末にそれを見つけたとして、それにどの程度の価値があるのかは分からない。もしかしたら凍湖シンシンの国が戦争を起こした理由に関わるようなものかもしれない、前線に送られる兵士にそれを見せれば大きな暴動へと発展させられる程のものがあるのかもしれない。しかし一方でそれが公然の秘密のようなもので大した騒ぎにもならず暴いた者の命が無駄になるだけなのかもしれない。
二つの考えの狭間で天秤が揺れる、そしてツバサは決断する。
「一旦、あちらは無視しよう」
「無視ですか?」
「ああ、王がいる可能性は低いと思う」
そもそも王がいる場所に丙族だけが感知できる何かがあると言うのはいまいち関連性が無い事だ。寧ろ王が隠れ潜むならば余人にわからぬ方が良い。故にツバサはあそこに王がいる可能性は低い、そう説明した。
「成程、確かにそうですね」
「じゃああそこには何があるんだ?」
「おそらくは……、何らかの実験施設かな。例えば強力な遺物が発見されてそれを調べているとか」
「……あ、それがあるから凍湖シンシンの国が戦争に乗り出したって事ですか?」
「可能性はあるね」
凍湖シンシンは三大国の内の一国、他の二国と同時に事を起こすのは余りに無謀だ。しかしそれをしたのであれば何か勝算があったはず、その可能性が彼らが見つめる建物の中にある、のかもしれない。少なくともこの機においても厳重に守りを固める理由としては理にかなっているだろう。
「じゃあどこに行きましょう」
「まあ、とりあえず上かな。謁見の間を探しに行ってみようか」
王というのは人々と会う事も仕事の内だ。その偉大な姿をお披露目する謁見の間は王城という性質上欠かせない。この状況でその場にいるかと問われれば少々疑問だが彼らには探す当てがない。
「謁見の間からは王様の部屋に繋がる道もあるかもしれない。守りは堅いだろうけれど行く価値はあると思うよ」
ツバサの言葉に従い一行はその場を離れる。彼らが居た使用人などが通る為の通路、外から来た人々には普段解放されていないその場とは違いより多くの人の目が触れる豪著な空間を目指して進む。
もしも凍湖シンシンの王城に来賓が招かれたとして本来の入り口から城内へ向かえば、まず見えるのはあまり装飾のされていない機能性を重視した城門だ。他の国であれば城門であっても様々な装飾が付けられ華美な見た目で人々の目を愉しませるものだが、この地においてはそれよりも優先すべき事があったらしい。空から舞い落ちる雪はたとえ王城であっても差別も区別もなく降りそそぐ。故にその下を通る者達に万が一にも雪が落ち事故が起きぬよう見た目よりも機能性が重視されているのだ。
城の外見もまた大して面白味は無い。そもそも大部分が雪で覆われ白く染まってしまうのだ、職人たちにしてもやりがいは無いだろう。寧ろ雪の重みで城が潰れてしまわぬことにこそ、その力は発揮されるべきだ。
しかしながら城内はどうだろうか。そこに入ればまるで別の世界へ来たように様々な彩色が人々の目を潤す。凍湖シンシンの国へ来た者達は長旅の中で色味というものに飢えている。どこまで行っても白い景色は心の内すらも寒々しく変貌させてしまうものだ。故に彼らは王城の中に入った時、職人たちがその創造性を遺憾なく発揮し壁や天井に刻み付けられた様々な模様や彩を前に思わず息を呑む。
彼らを出迎えた城の者は言うだろう。
凍湖シンシンの国でここだけは、あの白く重苦しい景色から解き放たれる事が出来たのです。
そんな場所へロロ達一行は足を踏み入れる。
「すげ~……」
ロロは思わず口を開けて壁や天井を見渡す。他の三人も声こそ上げなかったものの思わず見とれている様子だ。もしもこれを手掛けた職人たちが居れば諸手を挙げて喜んでいたであろう景色に違いない。
しかしツバサはすぐに深呼吸をすると自分のすべき事へと意識を向ける。赤と金の絨毯が眩しく写る階段が入り口から正面に向かったところに見える。
「おそらくあの階段を上って行った先が謁見の間だろう」
「よし、行こうぜ!」
四人は人の気配が無いのを確認すると早足で階段を上って行く。その先に国王がいるのかは分からない。しかし彼らにはもうこんなところで止まっている時間など無いのだ。
「ぐわっ!」
「うっ!」
兵士に変装したツバサが先行し謁見の間を守っていた二人の兵士を不意打ちで気絶させる。そして三人は謁見の間へと繋がる扉を見上げる。巨大でかつ様々な色と模様が刻まれたもので見ているだけでも多くの技巧が凝らされているのがよくわかるものだ。ツバサはそれに触れるとゆっくり押し開けた。
「……誰もいないようだ」
謁見の間。広い広いその空間には誰の姿も見えない。
「……何か、寂しいね」
ハクハクハクが思わずそんな言葉を呟いた。白い柱が数本立っており、更には床も、壁も、天井さえも白い。淡い光が作り出す光と影はまるでその白い世界が外で見た雪景色のように感じられる。玉座でさえまるで飾り気のない造りになっていて、城の中にあってそこだけは冷たく色の無い凍湖シンシンの国に数え切れないほど存在する荒野のようだ。
「とりあえず中に入ってくれるかい?」
「向こうに王様の部屋があるかもだもんな」
ロロを先頭に謁見の間へと入って行く。冷たく、無機質な足音が反響する。ロロが立ち止まった後、コツン、コツンと二つの足音が続いた。そして扉が閉まって行く。
「え?」
思わず彼が声を上げて振り返った時、そこにいたのは瑞葉とハクハクハクだけだった。
「ツバサさん?」
思わず扉に手をかけようとしたロロの手を瑞葉が止める。
「……行こう」
そう言った瑞葉の表情を見て、誰もがその意味を悟っただろう。三人は黙って頷くと謁見の間の奥へその足を進める。後ろは振り返ることなく。
ツバサは一人、扉の前で佇む。扉の中から遠ざかって行く足音を聞いて安心したように息を吐いた。
「全く、大変な役目を背負わせてしまったものだ」
彼が触れている扉、そこには触れるまでは気付けないほど微細に魔力が込められていた。おそらくそれは誰かが扉に触れた瞬間にその事が即座に城のどこかに通達されているのだろう。
つまり。
「……来たか」
大勢の兵士がその場を目掛けてやって来るのが見える。これですらおそらくはまだ一部なのだろう。ツバサは剣を抜き戦闘の準備を始める。
「大人しく投降しろ!」
「悪いけどそういうわけにはいかないんでね」
彼はこの扉を守らねばならない。既に自分の位置が割れている以上、自身の役目は王を殺す事から兵士を引き付ける事に変わってしまったのだから。
「さあ、横になりたいやつからかかって来い」
しかし敵の数を見て彼は思う。出来るだけ早めに決着を付けてくれよ、と。
謁見の間は静かだ。そこには誰も居らず自分たちの息遣いすらもやたらと大きな音に聞こえてしまう。ロロ達三人は黙ってその奥に進みどこかに他の場所へ通じる扉は無いかと探し始めた。そして、それは拍子抜けするほどすぐに見つかった。
玉座の更に奥、そこにある扉は壁に同化するような白い色で寒々しい印象を受ける。ロロはその扉の前に立つと瑞葉とハクハクハクを見た。二人は緊張した面持ちで頷く。
「行くぞ」
扉に手をかけそれを開いた。
部屋の中は質素なものだった。どこにでもあるようなありふれた年季の入った家具が並べられ、壁紙や絨毯も端がほつれた安物だ。そして部屋の中央には椅子に座った男が一人。年老いたその男は不躾に部屋へと入って来た三人をぎろりと睨み付ける。
「貴様らは……、兵士ではないな」
瑞葉は思わず息を呑む。その男は瑞葉の義父などよりもずっと歳が上で顔には深い皺があり今にも折れそうな枯れ木のようでさえある。しかしその男の瞳に思わず一歩後ずさる。
かの瞳の中にあるのは強い怒りなのだろうか。
「凍湖シンシンの王様、でいいのか?」
ロロが尋ねる。彼ですら緊張しているのかその額には薄っすら汗が浮かんでいるのが見える。
「余の事を知らずにここまで来たのか」
一瞬、笑みを浮かべた年老いたその男は、しかしすぐにその表情を引き締め彼らを睨み付ける。
「いかにも、余が凍湖シンシンを統べる王、アルザード16世である」
男がそう名乗った瞬間、三人には不思議な、これまでに体験したことも無いような緊張が走る。それが一国を背負って来た者の持つ気迫だったと知る事になるのは随分先の事だ。今の彼らは、ただただ思い思いのやり方で息の詰まるようなその状態を少しでも和らげようとするのみだ。
静寂、一人の老人とまだ大人と呼ぶには幼い三人が対峙し見つめ合う。老人は彼らを値踏みするように、三人は目の前の老人をどうすべきか迷っているように。
最初に声を上げたのは瑞葉だった。
「あの人を、殺せば……、私たちの目的が、果たせる……、よね?」
小声で二人にそう尋ねた。そう、彼らにとって今は千載一遇の機だ。この暗殺計画の中で護衛も無く一人でいる標的、三人が持つ力ならば彼を殺す事は難しくないはずだと、そう思った。
しかし、彼らはどうしても二の足を踏んでしまう。
「どうした? 何もしないのか?」
それはアルザード16世の気迫に負けてしまったからだろうか。それも全くないわけではないだろうが、本質は違う。彼らはこの場に来て初めて気付いたのだ。
彼らは今から人を殺そうとしているのだと。
魔物を殺すのはそう気が引ける事では無かった。幼い頃から畑を荒らす害獣が罠に掛かって死んでいる様子を見て来たのもあるだろう、彼らにとってそれは比較的馴染み深い光景なのだ。話も通じず人々を襲うだけの魔物を退治するのは当然の出来事だ。
人は違う。彼らとて何度か人を相手に戦った事はある。襲われて自衛の為にやむなく、だが。その時だって相手を殺そうとまでは思わなかった。勢いあまって殺してしまう事も無かった。
彼らには人殺しの経験は無い。
それ故か、ハクハクハクが一歩前に出る。
「丙族、に、恨みが?」
短い問い、アルザード16世はその真意を探るように彼女の顔を見た。
「お前は丙族だな」
彼女は少し悩み、やがて頷く。
「丙族だけが捕虜として連れて行かれたのがなぜなのか、それが知りたいのだろう」
再び、頷く。
アルザード16世は僅かに溜息を吐いた。息が白く、立ち昇る。
「この国をどう思う?」
三人はその問いに思わず首を傾げた。唐突に放たれたその問いがハクハクハクの問いとおよそ関わりのあるものだと思えなかったからだろう。それに三人はこの国の事をさして知っているわけではない。転移ゲートで王都付近まで来たと思ったらそのまま流されるままに、今、こうして彼の前に立っている。そんな余裕は無かったのだ。
アルザード16世はそんな三人の様子を察してか自らその問いに答える。
「余はこの国が嫌いだ」
そしてその言葉は三人の想像とはまるで異なる答えだったと言っていい。
「あんたはこの国の王様じゃないのか?」
「いかにも、余はこの国の王だ」
「じゃあ何でこの国が嫌いだなんて……」
国を統べる者がその国を好いているべきだ、などと言うのはある意味では甘えた考えなのかもしれない。彼らが考えるべきは国益を如何にして保つべきかであり、そこに国自体の事を好きか嫌いかはさして重要では無いからだ。
しかしアルザード16世は決して心の底からこの国が嫌いなわけではない。
「凍湖シンシンの国で最も多く人を殺しているものは何だと思う?」
人が死ぬ原因は無数にある。寿命、病気、魔物、喧嘩、細分化して行けば更に多くの事物を挙げる事が出来るだろう。
「……魔物、とかですか?」
その中で瑞葉が口にしたのは魔物だ。強大な魔物は時に町を壊滅させることすらある。山河カンショウや虎狼ホンソウで見て来た事実だ。ならばきっとここでもそれは同じだろう、そう思うのは然程不自然な事ではない。
しかしアルザード16世はその言葉に首を横に振った。そして回れ右をすると部屋の奥にあった窓、その外を見つめる。そしてゆっくりとそこに近付くと窓を開け放った。
「寒さだ」
雪が冷たさを伴って部屋の中へ吹き込んでくる。すぐに窓は閉められそれが入って来たのは一瞬だった。床や家具についた雪はすぐに溶けて透明な水になる。しかしその冷たさの残滓はいつまでも部屋の中に残り続けているような気がした。
「寒さは人々の体力を奪い、降り積もる雪は時に建物さえも破壊し、作物はろくに育たず、かと言って獣を狩るにも奴らは雪に隠れ狡猾に人々を襲う」
それは三人にはとても想像の付かない生活だ。雪のろくに降らぬ土地で生きて来た彼らにとって、この場はある種の異世界と言っても過言では無い。
「余は、この国が嫌いだ。多くの者が寒さに打ち震え、生きる活力を得る事も無く死んでいく」
彼がこの国を嫌っているのは、そういった人々の苦しみをどうする事も出来ない無力感故なのだろう。この土地に押し込められている限り寒さとの縁を切る事は出来ず、苦しい日々を過ごさざるを得ないという現実を変えられない自身への。
この時ロロには目の前の老人がひどく疲れているように見えた。その顔の皺には長く見て来たこの国に住まう人々の苦しみも刻み込まれているような、そんな感覚だ。自分たちが目の前の老人を殺す、その為にここに来たことはまだ覚えている。しかし、本当にそれが正しい事なのか、疑問に思わざるを得ないほどに、彼の苦しみを理解してしまったのだ。
「しかし、それを終わらせられるとしたら……?」
不意に、それまで長く続く苦役に疲弊していた老人の姿が大きく変わった、そんな気配がした。その老人の瞳に宿るのは怒り、憎しみ、哀しみ、愉悦、それらが混ざり合って一言では表現できなようなそんな感情。
「……終わらせる、っていうのは?」
「この国ではあまり遺跡の探索は進んでいない。しかし現状を変える何かは無いかと僅かな人員ではあるが常に行われているものでもある。そして戦争を始める二月ほど前、遺跡発掘部隊がある遺物を発見した」
「遺物……?」
「丙族の魔力を莫大な力に変換できる装置だ」
三人はそれを聞いて思い出す。自分たちが遺跡探索に連れて行ってもらった際にそこにあった遺物の事を。あの時ロロ、瑞葉、ハクハクハク、そして一緒に行っていたサキサキサの四人はその場にあった遺物の内部へと入った。そして彼らが入ると同時に遺物が動き出し無理矢理中から引きずり出された後、丙族であるハクハクハクとサキサキサは凄まじい程に消耗し立ち上がる気力さえ失っていた。
今思えばあれは、丙族の魔力を奪い取り作動するものだったのでは無いだろうか?
「……じゃ、じゃあ、丙族を、攫ったのは……」
その事に気付いたハクハクハクはその目的を理解する。
「莫大な力によりこの地の冬を、寒さを、終わらせる。余は雪が消え、氷の解けた湖で国民に宣言するのだ。これ以上寒さに苦しむことは無い、と」
アルザード16世は丙族の魔力を莫大な力に変換できると聞き、すぐにその事に思い至った。多くの丙族を集めその力を全て熱に変換する事が出来ればこの地の冬を終わらせて白銀の世界に別れを告げる事も可能になるのではないか、と。
「……じゃあ戦争の目的は」
「たとえ丙族と言えど国民の苦しみを無くす為に国民を犠牲にするのでは本末転倒だ。しかし他国の者ならば別だ」
戦争が起こったのはこの地の冬を終わらせる為の犠牲となる丙族を確保する為だ。彼が丙族をどうやって手に入れるべきか考えていた際に不意に入った始祖の魔獣の一報。それは山河カンショウと虎狼ホンソウの両国が多くの冒険者や軍をそちらへ派遣せねばならないことを意味していた。もしもそれに合わせて両国に軍を派遣したならば、どうなるだろうか?
主力の一部を欠いた二か国を相手にするならば勝ちの目はある。奪った町から丙族を連れ去り彼らの魔力で以て装置を起動させることも出来る。
戦争。
その二文字がかの王の頭に浮かぶ。しかしこの時点ではまだ、それはそういう道もあると言うだけの話だった。現実的にそれが民を幸福へ導くかはわからない。主力の一部を欠いたところで二か国とも強大な国家だ、全兵力を差し向けたとて必ずしも勝てると限ったわけではない。その時点では一考した後にすぐさま否定された考えのはずだった。
そんな彼の背を押したのは始祖の魔獣討伐戦から逃げ出したとある冒険者との出会い、或いはとある呪いとの出会い。
結果的にアルザード16世は王としての強権によって軍や冒険者を総動員し二か国へと奇襲を仕掛け、両国の一部の土地を奪い、そこから捕虜として丙族を連れ去り、彼らは今装置を起動させるための贄となる日を待っている。
「あれらの犠牲によって凍湖シンシンの冬を終わらせる。人々はこの白に覆われた世界を捨て未来に希望を得ることになるだろう」
言いながら彼は腰に刺されていた剣を抜いた。あまり使い込まれていないその剣は、しかし切れ味は鋭いようで雑に剣を振るっただけで傍にあった机の角を切り落とす。カンカラカン、とその角が床に落ちて乾いた音を立てた。
「何物にも邪魔だてはさせぬ」
王は三人を鋭く睨み付ける。その言葉が最終通告だとでも言うように、これ以上の話し合いをする気は無いと言うように。
ハクハクハクはその瞳に気圧されながらも強く自身の杖を握り締めた。自身と同じ丙族たちへの同情や彼らをただの装置の贄としか考えていない目の前の王に対する怒り、そういう物が彼女の中には確かにあった。彼らを救い出す事は彼女にとって当然の事で、その為の覚悟を決めようとしている。
瑞葉はもはや話は通じないのだろうと悟ったように目を伏せ、自身の周囲に魔力を漂わせ始める。アルザード16世がこれまでの生涯の中でこの国に対して抱いて来た思いは彼女には完全に理解できたとは言い難い。しかしその一方で民の境遇を思いながら苦しみ抜いて来た事だけは確かなのだろうと感じられた。ここまで来れば互いに大切なものの為に命を張り合うしかないのだろうと、哀しみに耐えるように自身の襟元をぎゅっと摘む。
ロロは……、彼はただ、一歩前に出る。
「何か他の方法は無いのか?」
彼だけはまだ何かを諦め切れないかのようにそう声を掛けた。
「俺は凍湖シンシンに来たのは初めてだし、正直な所ここの人の暮らしがどんなに苦しいものなのかあんまりわかってないんだけどさ。それでも話を聞いてたら凄く大変なんだろうなってことぐらいは分かった」
本来ならこの話をアルザード16世が黙って聞く必要はない。その手に持った剣で目の前の三人を襲いかかっても良いのだ。しかし彼は動かなかった。それは時間が経てば兵が駆け付けるだろうという目算故か、或いは……。
「でもその状況を変える為に別の誰かを苦しめるのは、違うと思うんだ。それでこの国の人たちが救われても、虎狼ホンソウの国も、山河カンショウの国も、多くの人が辛い思いをする。そうなると、やっぱり止めなきゃならないって思うんだ」
アルザード16世は多くの苦しむ民を見て来た。しかし一方でこの数か月、戦争の影響で人々が苦しむのをロロも見て来たのだ。その質や量は大きく異なるのかもしれない。それでも、苦しむ人たちを救いたいという思いは変わらない。
「もっと他の方法は無いかな? きっといい解決策もある、争うよりも協力してより良い暮らしを目指すことだって出来る」
それは、あまりに絵空事めいた言葉だ。三大国がなぜ三大国なのか、なぜ一つの国家にまとまる事が出来なかったのか。それはお互いがお互いに対抗心を抱き隙あらばその地を奪おうと画策しているからでは無いのか。大事に協力する事が有れど、その本質はやはり相容れないからでは無いのか。
そのような言葉は戯言に過ぎぬ。
しかしただそれだけの言葉をアルザード16世は発する事が出来ない。それは思い出したからだろう。自身もまた、そういう道を模索しようとしていた事を。まずは凍湖シンシンの町や村を回り、この計画を信用できる者に話し、そしていずれは自ら志願して装置に入っても良いという者を集めて実験を行う予定だったのだ。それが上手く行き、志願した丙族たちが生きて戻って来れるとわかったなら更に広く志願者を募り、場合によっては他国への援助を依頼する事すら考えていた。
それが、なぜ戦争という最も短絡的にして危険な考えを実行したのか。
「……憎しみは消えぬ、か」
思い出す、ある村へ辿り着き、そこへ虎狼ホンソウの冒険者が来た時の事を。その瞬間より自身の中に燻っていた怒りや憎しみが強く燃え盛った事を。確かにそうだ、元々彼は山河カンショウの国や虎狼ホンソウの国が羨ましく、妬ましく、三大国会議で他の二国の王と顔を合わせる度にその苦労も知らないような表情に憎しみを覚えていた。雪降る地に押し込められ深い皺を刻むほどに苦悩する日々にただただ強い怒りを覚えていたのだ。
故に彼は戦争の道を選んだ。突如燃え上がった怒りと憎しみは止めようと思っても止められるものではなく気が付いた時には既にその道を歩いていたのだ。
ロロの言葉にその事を気付かされた彼は、どこか険の取れた表情で僅かに微笑み、そして剣を構える。
「……事、ここに至ってもはや問答の必要はない。余が死ぬか、貴様らが死ぬか、それだけだ」
彼の放つ圧は正に一国の王が持つべきに相応しいものだった。それを受けてとうとうロロも剣を抜く。
「剣を、下ろして欲しい……」
しかしロロが剣を握る手に力は無い。彼はまだ迷っている。この期に及んで猶も他の道を探そうとしている。
「その理由は無い」
彼のそんな儚い願いを無視してアルザード16世は剣を構え、走り出す。正面からの打ち下ろし、ロロはそれをなんとか防ぐが想像よりも速く強いその一撃に徐々に押し込まれて行く。
「喰らえ!」
しかしここにいるのはロロだけではない、瑞葉が即座に風の刃を二人の間に飛ばす。後ろに下がったアルザード16世は自身を狙う強大な魔力を視た。
「風よ、螺旋を描き貫け!」
ハクハクハクの杖に溜まった魔力が強力な風の槍となって発射される。もしもまともに当たれば三等星の冒険者でもひとたまりもない威力だ。
当たれば、である。
アルザード16世はハクハクハクの視線からその軌道を読んでいたのか、後ろに下がった直後に横に跳んで風の槍を躱す。それは一直線に飛んで行き部屋の壁を破壊して彼方へ消えて行った。
「速い……!」
一連の動きに瑞葉は驚きを隠せなかった。未だ迷っているロロが剣を防ぐので手一杯だったのはまあいい、しかしその後の攻撃をいとも容易く躱す姿は彼女の想像していた王のそれでは無かったのだ。
「余がただ玉座に座っていることしか出来ぬと思っていたのか?」
王の身体より溢れ出る魔力は彼の実力の高さを示している。それは二等星のような高位の冒険者には及ぶべくも無いが、少なくとも現時点の三人よりは上のように感じられた。
「良いのか? 今の一撃で異変を感じた兵はここを目指し駆け付けるだろう」
そして彼らには時間も無い。今の言葉通り、城の壁が破壊され中から魔法が出て来た事を見れば全ての兵士がここを目指してやって来ることだろう。謁見の間の扉をツバサが守っているとはいえ、それがいつまで持つかはわからない。
「ハク! 部屋ごと巻き込んで魔法を!」
「う、うん!」
瑞葉の判断は間違っていない。先の攻撃が避けられた以上、散発的な攻撃は当たらないと見た方が良い。しかしハクハクハクならばその膨大な魔力により面的な制圧をすることが可能だ。
「丙族か、流石の魔力だが」
問題はそれをアルザード16世が黙って見ているはずが無いという事だ。即座に放たれた風弾がハクハクハクへ向かう。
「くっ!」
ハクハクハクも魔法を放ち難なく迎撃したが、それは集中を欠く事を意味する。強力な魔法を放つにはある程度の時間が必要だ、その時間をこの場で取るのは難しい。
「ロロ! もう時間が無い! 二人でハクの魔法を使う時間を稼ぐよ!」
「わ、わかってるけど……」
「そうなるだろうな」
アルザード16世は瑞葉の言葉に応えるように剣を手に前へ出る。狙いは瑞葉だ、最も狙いやすい相手から確実に仕掛ける算段だ。瑞葉は事前に周囲に仕掛けていた魔力を小さな竜巻と化して足止めをするが。
「温い!」
「なっ!?」
腕や頬が切れ血が舞ってもかの王は止まらない。それはこの国を治める中で彼が受けて来た痛みや苦しみに比べればあまりに小さなものなのだ。剣が、瑞葉の頭上に振り下ろされる。思わず彼女が目を閉じたその瞬間。
ギンッ!
剣と剣が激しくぶつかる音。
「一旦落ち着こうってば!」
ロロがアルザード16世の剣を防いでいる。歯を食いしばり決して折れぬ心で。
「貴様は戦うつもりは無いのだろう?」
「だからって、黙って殺させるわけないだろ」
徐々に、ロロの剣がアルザード16世のそれを押し返して行く。
「俺はみんなを守る! それで、かっこいい冒険者になるんだ!」
その声と共に振り抜かれた剣に思わずアルザード16世数歩後ろへ下がった。
「瑞葉、俺は決めたぞ!」
「何を」
「王様を人質に取るんだ」
「は?」
「それで、みんなで考えよう。これからどうするべきかをさ」
「……そんな余裕あるわけないでしょ!」
「ハクハクハクもそれでいいか?」
「え? あ……、その……?」
「聞いてる!?」
アルザード16世は目の前にいる馬鹿な冒険者を見た。考えが足りず愚かで、現実を見ず夢見がちな、しかしどこか憧れを抱いてしまうようなその姿を。自分の中に芽生えたその感情を知った時、アルザード16世の心は決まっていた。
「余を人質に取ろうとは、舐められたものだ」
「やってみなけりゃわからないだろ! 行くぜ、瑞葉援護頼む!」
「あ~、もう! ハクは大魔法準備してて!」
「う、うん!」
ロロが躊躇いなく地面を蹴って前に出る。迷いを捨てた彼の力は、それでもアルザード16世にとってそう大したものではない。ロロが次に繰り出す剣筋を見切り、その間に剣を構える。しかしその手の力は入れずにいた。
剣と剣がぶつかる。ロロはその瞬間には違和感に気付いていた。直後に後ろで見ていた瑞葉とハクハクハクも気付いた。王が剣を持つ手にはまるで力が入っておらず即座に弾き飛ばされ、あとは勢いそのままにロロの剣がアルザード16世の身体を肩口から深く、深く、斬り付ける。
「あ……」
赤い血がロロの頬を染める。
深々と刺さっていた剣がゆっくりと抜けて行く。一人の老人が倒れ、血が床を赤く染める。
静寂、誰もその場を動く事が出来なかった。無論彼らは王の暗殺の為にこの場を訪れた身だ。この結末はある意味ではその願いの通りになったと言える。だがそれはこのような形で成就するべきものだったのだろうか。
「……な、何で?」
最も激しい動揺を見せたのは他ならぬロロだ。彼は思わず剣を手放し地面に倒れた老人を見下ろす。他の二人はともかく彼には既に殺すつもりはなく、他の道を模索しようとしていたところだったのだ。今の一撃も本気の一撃ではあったが、それは先程までの動きを見て目の前の老人であれば防げると確信していたからに過ぎない。
それがなぜ、自らその刃で倒れることを選んだのか、彼には分からなかった。
「……人質になるぐらいなら、ってわけでもないですよね」
ロロはいつの間にか隣に来ていた瑞葉を見る。彼女は困惑こそしていたが、ロロが何と言おうと隙あらば殺そうと考えていた身で、動揺は薄い。しかし彼女にも大量の血と共に床に倒れ伏す老人の考えている事は分からない。
ハクハクハクもまた無言でその姿を見つめる。杖に溜めていた魔力は既に行きどころを失い霧散していた。彼女は最後の一瞬、アルザード16世の表情に笑みが浮かんでいたのを見た。穏やかで、しかしどこか申し訳なさそうに、その笑みを浮かべたのを。
彼らがその場に佇みどうする事も出来ずにいると外が慌ただしくなっていくのが聞こえる。多くの足音が謁見の間になだれ込み、それはそのまま彼らのいるこの部屋へと向かって来る。
「王様! ご無事ですか!」
そして兵士の一人が扉を蹴破らんばかりの勢いで中へ入って来た。そして、立っている三人の少年少女と床に倒れる一人の老人の、彼らの王の姿を見る。
「……ぐっ、捕えろ!」
即座に部屋に幾人もの兵士が現れロロ達が拘束される。手の空いた者は倒れた王の止血を試み医療に通ずる者を呼びに行く。その傷の深さを見れば助かるかもしれないなどと言うのがどれ程希望的観測であるかは分かっていたが、それを理由に立ち止まる事など彼らには出来ない。
「まだ息はある! とにかく止血するんだ!」
声を上げる隊長格の兵士の手に何かが触れる。それは今にも意識を失わんとしているアルザード16世の手だ。彼の口元が僅かに動く。何かを伝えようとしている、そう感じた兵士は即座に口元に耳を近付けた。
その言葉を伝え切るのにかかった時間はどれほどだっただろうか。おそらく一分か二分程度だっただろう。しかし死を予感する痛みと苦しみの中にあったアルザード16世にとってそれは永遠にも近い時間だったかもしれない。それでも彼は、それらに打ち負ける事は無く最後まで自らの言葉を伝えた。王としての最後の責任を果たす為に。
かの兵士が全ての言葉を確かに受け取った事を確認すると、アルザード16世は糸が切れたかのように動かなくなる。凍湖シンシンの国を長らく治めた偉大な王は最期までこの地の事のみを考え、そして己が人生に終止符を打った。




