88.2.竜神とショウキ
凍湖シンシンの国、王城地下。そこには本来存在しない空間が一人の人間の手によって作り出されている。その広大な、しかし何も無い岩に囲まれた空間の主、竜神。彼女は一人自分を追う者の到着を待っていた。
そして地響きと共に天井にひび割れが入る。砕けた天井から岩の破片が次々と落ちて音を立てた。
「入り口が無かったから押し入ったんだけど、問題なかった?」
地面に落ちた岩片の中から一人の男が姿を現す。一目見ただけで相当に鍛え上げている事が分かる肉体それに不釣り合いな柔和な笑みを浮かべた彼の名は。
「破壊竜ショウキ、か」
竜神はその名を呟く。
破壊竜、彼女が覚えているその二つ名は魔王大戦時代に付けられたものだ。曰く。
「巨大な竜さえも破壊する、だったか?」
竜、それは魔王大戦時代に存在したと言われる魔物の一種だ。巨大な体躯を持ちながら自らの翼で飛び上がり爪と牙でもって人々を襲う。そして時には口から強力な炎を吐き町を燃やし尽くしたという。多くの冒険者や兵士がその脅威を前に命を落としたが、彼は単独でその討伐に成功したとか。
「懐かしいね~、そんなこと言われたの随分昔だよ」
「その随分昔から見た目がまるで変わってないみたいだが」
「それは運動の賜物だね。僕は朱鷺姫と違って日々の鍛錬を欠かさないから」
朱鷺姫の事情を知らない竜神は疑問符を浮かべていたがすぐにそんなものは頭の中から掻き消す。そんな事よりも今は目の前の相手をどうするかが問題だ。
「見た目通り肉弾戦が得意って事でいいのか?」
「そうだね。やっぱり冒険者は身体が資本でしょ? まあでも……」
ショウキが拳を握り構える。そして何も無いその場で正拳突きをした。
直後、竜神のすぐ傍を凄まじい風圧が通り抜ける。それはそのまま真っ直ぐに突き進み壁へとぶつかり、岩を砕く破砕音がこの空間へ響き渡る。
「遠距離攻撃が出来ないわけじゃないよ」
「……化け物め」
この空間の壁は竜神の魔力によって多少強化されている。とはいえ直接の打撃で破壊される分には想定内だ。相手は一等星、彼女にとっては格上でしかも既に上にいる時に一度破壊されている。しかし本人が出来ないわけじゃないと言った程度の遠距離攻撃ですら簡単に破壊されるのは、少々頭を抱えるものがあった。
「さて、じゃあそろそろ始めようか。あんまり遅くなると朱鷺姫やアパシアさんが怒っちゃうしね」
ショウキが一歩前へ出る。竜神はそれを見て、彼より早く前に出た。
「え? そっちから来るんだ……」
困惑するショウキ、しかし彼の動きは淀みない。向かって来るならと即座に迎撃の構えを取るのだが。
「おっ?」
直後、彼の立っている地面が上昇する。竜神の魔法は地形をも大きく変化させる、彼の立っているその場所ごと上昇させるのは難しくない。そしてそれと同時に彼の立っている場所の天井辺りが凄まじい速度で下がって来るのが見えただろう。
「ああ、押し潰す気か」
しかし彼はそれを見ても少し驚く程度だ。なぜならば。
轟音。耳がおかしくなってしまいそうな程の。
ショウキの拳が天井から向かって来ていた巨大な岩の塊を軽く破壊する。
「まあこのぐらいなら壊せるけど、どうする?」
「だろうな」
竜神にとってそれは想定内だ。想定内ではあったのだが、問題がある。
対応策が無い。
破壊竜ショウキ、その強みは何といってもその攻撃力だろう。魔力の殆どを自らの強化へと充てた彼は触れる物を全て破壊する。もしも勝とうと思うなら純粋な戦闘においての勝利よりも搦め手を使うのが現実的だろうか。例えば魔法を得意とする高位の冒険者の中には大量の水を生み出し相手を溺れさせたり真空状態を作り出す者もいると言う。物理的な力では抗いがたい攻撃を仕掛ける事が出来れば勝機はある。
が、竜神にはそんな攻撃手段が無い。
竜神の魔法は周囲の地形に魔力を通す事でそれらを強化し自由自在に操るものだ。大量の敵にも巨大な敵にも対処が容易な強力な魔法と言ってよく、実際彼女一人がいれば大抵の魔物の群れは為す術も無く壊滅する。
しかし彼女にも苦手なことがある。自身が強化した岩塊をも容易に破壊する相手に対して何ら方策が無い。
「全く嫌になるな……」
地形を操り巨大な岩塊で圧殺する、それが彼女に出来るほぼ唯一の攻撃なのだ。それを防げる相手は基本的に存在しないのだが、しかし存在しないわけではない。無論、彼女とて格上との戦いに全くの備えが無いわけではないが、相性が悪過ぎた。
「はぁ、せめて爺さんの方が釣れてればな……」
「アパシアさんは容赦とかしないから僕の方が良いと思うけどなぁ」
「なら加減して一発食らってくれるのか?」
「まあそれぐらいなら」
余裕綽綽の笑みでそう言ったショウキに怒りを覚えないわけではない。しかし竜神は冷静に考える。考えるのだが。
「……あ~」
考えれば考える程に頭の中はまとまらずただただ取っ散らかった曖昧な妄想だけが浮かぶばかり。ではそれらをどうにか鎮めて冷静に冷徹に現状を把握しようとしたところで、この現状を覆せる手段などまるで存在しないのではないだろうか。その嫌な想像が現実味を帯びて来た頃、彼女はただただ溜息をつく。
「舐め腐った態度をしやがって」
「え? 何? 何て言ったの?」
「そうだなぁ、私の柄じゃないな、考えるなんて」
「え、何々? 大丈夫?」
竜神はただふらふらとショウキに向かって歩き始めた。その様子はまるで意識のはっきりしない人間のそれで、ショウキなどは敵にも関わらず思わず心配してしまうほどだ。
彼女が何を考えているのか、何も考えていないのか、それは本人にすらわからないだろう。しかしこれだけは言える、彼女は彼女自身の考えに基づき動くのだと。そこにあるのが怒りなのか、哀しみなのか、絶望なのかはわからない。
竜神は拳を構える。
「お、自分の拳で行くの?」
拳を握った彼女を見てもショウキはまだ笑みを浮かべている。それは彼の絶対的な自信を表している。如何な攻撃を受けようとも自分の肉体が傷一つ付くことは無いだろうという。この後の光景を想像し、ショウキもまた溜息を一つつく。
ショウキが居た村は冬になると雪深くに覆われ、人々は毎日雪かきをして村が埋もれてしまわぬように日々を過ごす。雪の少ない日には雪の中でも凍えぬ分厚い毛皮を持った獣を狩りに行く事もあった。毛皮を服に、肉は冬を越す為の食料としていたようだ。貧しく、辛い生活の日々。そのような生活の中で彼が強い肉体を得ようと考えるのは自然な成り行きだったのだろう。
ショウキが二十歳の頃、魔王大戦が勃発し彼はその兵士として徴兵された。その頃には身体も大きく育ち持ち前の力で狩りを主導する立場にあった彼は村を離れるのは心苦しかった。しかし魔王の脅威を放置すればいずれ凍湖シンシンの国も、自らの故郷も大きな被害を受けかねない。選択肢は無かった。
魔王を討伐するための兵士となった彼は多くの戦果を挙げた。魔王が作り上げたという魔物、幾つもの町を滅ぼしたとされる竜すらも彼の拳の前に倒れる。彼には破壊竜という二つ名まで付き他国にもその名が知れ渡っていた。だが彼にとってはそんなものどうでも良かった。一刻も早く魔王を打ち倒し、故郷の苦しくも穏やかな暮らしへ戻りたかった。
月日が経ち、魔王が打ち倒されショウキは故郷へ戻った。正確に言えば、故郷が存在した場所へと戻ったと言うべきだが。ショウキの他にも村からは多くの人手が魔王大戦の為に駆り出され、手の足りなくなった村は徐々に徐々に、日々の苦しみに押し潰されるようにして、魔物か獣か或いは大雪の所為だったのか、最終的に彼らは雪の中へ消えた。共に村を出た友も魔王大戦の中で命を落とし彼はただ一人、涙が雪を融かす。
その後彼は魔王大戦の戦果を認められ王の護衛として招集されることになる。そこにいたのは無敵の肉体と余裕ぶった表情を携えた青年だ。その微笑みはもはや望みなどないと全てを諦め空っぽになっただけなのだろうが。
掲げられた竜神の拳が放たれる。
「あれ?」
地面に向けて。困惑するショウキは地面が動き出すのを見た、それは彼と竜神自身をも囲って行く。完成された石の牢は外から見れば丸い球体だ、中にはショウキと竜神が入っているなどと誰も分かりはしないだろう。
ショウキは暗闇の中でただ呆然としていた。
「どういうつもりかな?」
まるで何がしたいのかわからなかったからだ。
「単に逃げられないようにしただけだろ? 何が分からない?」
竜神は大した事は無いようにそう言った。彼女はやるべき事はやったと言うようにその場に腰を下ろして息を吐く。ショウキはそれを見て呆れたように拳に力を込めた。
直後、狭い空間の中に凄まじい音が反響する。それはショウキが自身を覆う石の牢を殴った音だ。しかしそれはこれまでと違い壊れずショウキの一撃を耐えていた。
「ははは、どうやら耐えるらしい。これでも駄目ならどうしようかと思っていたが」
竜神の乾いた笑いが響く。
「……まさか」
ショウキは魔力視で竜神に残る魔力を視た。彼女は地形を変えると言う大規模な魔法を連発できる、それは凄まじい魔力の量を保有しているという事でもあった。しかし今、目の前に座り込む彼女には魔力などほとんど残されていない。
「残る全魔力をこの石牢に?」
「ああ。どうやら倒すのは難しそうだ。となれば足止めするしか無いだろう?」
そもそも竜神にとってこの戦いの勝利条件というのはショウキに勝つことではない。凍湖シンシンの王を打ち倒す事こそが目的だ。ならばその最大の障害となり得る相手をここで足止めすると言うのは悪くない戦果とも言える。
「自分が死ぬのは怖くないのかい?」
「怖くないと言ったら嘘になるが、それより大事がある時もあるさ」
ショウキは自身にもそう言った想いがあった事を思い出す。魔王大戦に徴兵され村を出た時、恐ろしくなかったわけではない。しかし国を、村を守る為に恐怖を押し殺して戦いに赴いたのだ。
「……上手く行くとは限らないが、それでも?」
村を出た選択はショウキにとって正しかったとは言えなかった。国を守った英雄と呼ばれようが結果的に故郷は滅び彼に残されたものは何も無かった。命を懸けようと失敗する事は少なくない。何もかもが上手く行くわけでない。ならば自らの望みなど捨てて、ヘラヘラと笑って生きる方が楽だ。少なくとも彼はそう思っていた。
しかし。
「上手く行かないとも限らない。私は、全てが上手く行くと願って私に出来る事をするだけだ」
竜神はこの暗殺計画が失敗する可能性などとうに考えていた。寧ろその可能性は十分過ぎる程に高いとさえ思っているだろう。突発的でいい加減で雑な計画、唯一褒められる点と言えば奇襲性が高いことぐらいのものだ。そんな程度の計画に命を懸ける、そう決めたのは単にそれが最も犠牲も少なく戦争を終わらせられるかもしれない、その未来に賭けるなら悪くないと思ったからだ。
「……馬鹿らしいとは思わないかい?」
そう言いながらショウキはこの問いこそが馬鹿らしいと感じていた。何せ彼は竜神の言葉に深い納得を得ていたのだから。過去の自分こそがその考えの元に戦いに出たのだから。
故に。
「馬鹿らしい? はっ、そんなのは軟弱者の考えだな。私はこの全てが上手く行くように自分に出来る事をやるのさ」
竜神のその言葉は眩しかった。
「ほとんど全ての魔力を使った石牢だ。少なくとも三十分は出られないだろうよ。どうする? 私を殺して見るか? それでもこの石牢は崩れないが。それに戦うってんならどうやってでもお前の腕の一本ぐらいは持って行ってやるよ」
ショウキならばこの石牢を破壊する事は不可能では無い。竜神は三十分と言ったが彼の所感を言えば全力の一撃を放てばすぐに破壊する事も可能だろう。但し、その瞬間隙だらけの姿を晒す事にはなるが。
では竜神を先に倒すのはどうだろうか。今の魔力の少ない竜神を、しかもこの狭い空間で逃げる事も敵わない彼女を倒す、簡単な事だ。腕の一本をなどと強がりを吐いたところでそんな手段もきっと無いだろう。
本当に、簡単な事なのだが。
「……参ったなぁ」
ショウキにはもはや竜神を殺す事は出来そうもなかった。未来をより良い者にしようと希望に燃え、強い意志を貫く彼女の瞳は、暗闇の中でも光り輝いている。きっと彼はその瞳の輝きに恋焦がれてしまったのだろう。
どさっ、と音を立ててショウキが座り込む。
「三十分、だったね」
「あ?」
「その間僕は何もしないよ。だから三十分経ったら外に出してね」
「……何だそりゃ?」
困惑する竜神だったが、ショウキの方はどうにも楽しそうでにこにこと笑みを浮かべている。
「その間は暇だからお話しでもしようよ。山河カンショウの国は良い所? 確かショウリュウの都の志吹の宿の所属だったよね? どんな人たちがいるの? 一緒に来たのは誰? 結婚とかはしてるの? 恋人は? この魔法って誰に教えて」
「あ~、いっぺんに聞くな。答えてやるから一つ一つにしろ!」
あははははは、とショウキの笑い声が狭い石牢の中に木霊する。その五月蠅い声には頭が痛くなりそうな竜人であったが、それと同時にほっとしている面もあった。
なんだかよくわからないがひとまず時間稼ぎは成功した。彼女の率直な思いだ。
この三十分の間に一気に全部を終わらせてくれ、そう願いながら彼女は目の前のうざったい男の相手を務める。気を引く為にどこぞで爆発を起こしたザガは上手くやっているのか、残して来たミザロはどうなったのか、ツバサとロロ達はその隙を突いて上手く王の元まで辿り着けるのか。
この狭い石牢の外、未来はどこへ向かって行くのだろうか。




