アザナの付き人
ア・フモセの朝は早い。
日が昇ると同時くらいに起きだして、身支度を整えて屋敷の諸仕事を始める。
アザナ・ソーハの住む王都の家は、商業区の借り家でフモセを除くと使用人が1人しかいない。立地も良く、小奇麗な家だが、王国貴族に連なる者が住むような家とは言えない。庭こそあるが5部屋ほどの小さな家で、大店の隠居が暮らすのような佇まいだ。
フモセは魔法を使って炊事の手伝いをし、配膳など後は年配の使用人に任せてアザナを起こしに寝室へ向かった。
アザナの幼馴染で付き人であるア・フモセは、南方小国の穀倉地帯を出身にする両親を持つ。
両親は不遇な星巡りから、エウクレイデス王国に流れ着き、アザナの父であるエウン・ソーハの従者となり、今は使用人の取りまとめを行う立場となっている。
そのような出世が出来たのも、ソーハ家がエウクレイデス王国の新参者であり、同時に王国の身分制度が緩いからだ。
そんなわけだから、フモセのアザナに対する態度も非常に砕けている。
「さあ、起きてください! アザナ様!」
バンッと扉を開け、バババッと三方のカーテンと窓を開け放つ。
家の中でもっとも日当たりのよいアザナの部屋が、朝の陽ざしでパッと明るくなった。
「う~ん……」
その中心の天蓋付きベッドで、アザナが布団にもぐって光を避けた。
「もう、アザナ様ったら! また夜遅くまで魔具作りしていたんですか?」
魔石を燃料とし、胞体石で制御し、機械式で動く魔具は、アザナの趣味で作られてソーハ家の収入となっている。
フモセは足元に散らばる工作機器や魔石と胞体石を、せっせと片づけつつアザナのベッドに接近する。
まとめたそれらをベッド脇に下ろし、アザナの布団を引きはがす。
「はい、はい、起きましょうね。アザナ様」
「うーん、あと5分……」
「ゴフン……いつもなんですか、ゴフンって!」
丸まるアザナを無理矢理引き起こし、着替えを押し渡す。
フモセは一種の教育係りである。
さらに目付け役でもあり、身の回りの世話もするし、護衛もするし、いざとなったら盾にもなる。
それが彼女の役目だ。
「って、アザナ様。着替えを布団代わりにしてベッドに戻らないでください!」
着替えを被って眠ろうとしたアザナを引っ張り起こす。
それでもなお、ベッドに引かれるアザナを覚醒させるため、フモセは情報を与えることにした。
「アザナ様。今日は赤の月最後の日ですよ。つまり、市場にあの【胞体石】屋さんが来てます」
「……あっ! そうか! それを早く言ってよ!」
瞬時に覚醒したアザナは、フモセの前でパパッと寝間着を脱ぎ始めた。小さい頃からアザナと一緒にいたため、フモセはその光景を見ても動じない。
女子の前で着替えるという、男子として行うとすると高難度に当たる行為をあっさり終え、アザナはフモセを伴って食堂へと向かった。
アザナがなかなか起きなかったため、配膳はすっかり終わっていた。しかし年配の使用人も然る者で、それを見越してスープなど冷めてはいけない食事は、しっかりと保温してある。
軽い食事を手早く腹に収め、アザナは市場へ出かけた。
当然、付き人であるフモセも市場について行く。
アザナの住む区画は商業区で、家屋敷は商売に熱心なエッジファセット公が手配した物である。抜け道を少し歩くと、王都で最も大きいマーケットの中心へ抜けた。
雑踏、雑踏、人、色彩、金、食、物。
溢れるそれらの中心に出たアザナは、喜々として市場を駆ける。フモセもそれに続いた。
小さい子供とはいえ、アザナの運動神経は抜群である。フモセも負けてはいない。
雑踏を縫い、食物が溢れる朝市場を抜けた。
そこは古道具など、ちょっと色あせた物が露店が並んでいた。
「いらっしゃい! アザナの坊ちゃん! 1か月ぶりですな」
胞体石屋がアザナを見つけ、露店から声をかけてきた。
「久しぶりです。なにかいい出物はありませんか?」
「2つほどあったが、1つは売れちまった」
「なんで取っておいてくれないんですか!」
「安心しろ。売れたのはいろいろ混じった正体不明な怪しいシロモンだ。残りの一つは坊ちゃんが探して置いてくれっていってたもんだよ」
「ついに手に入ったんですか! 計算尺の魔胞体陣が入った石を」
「おう。坊ちゃんが書いた図の通りだから、これだろう?」
「そう! これこれ! これがあればいちいち頭の中で使用者が対数計算しなくも、自立で動く魔具ができるぞ……ん? 魔胞体内側のこれは……反射損失の計算もできるっぽい? 対数だけじゃないとすると、もしかして通信用の魔具の制御用かな? 高周波発生装置……いや、それなら反射損失の計算はいらないし、ぶつぶつ……」
胞体石を解析しながら、誰も理解できない言葉を、ひたすらぶつぶつ呟くアザナは危ない。
「相変わらず、おたくの坊ちゃんはナニいってるかわからんな」
「安心してください。私もです」
フモセは鬼教官アザナの猛特訓で、魔法学園に入学できるほどの実力者になっているが、元は正せば普通の女の子である。
天才アザナについていけるわけがない。
やがて解析を終えたアザナは、支払いをしながら愚痴をこぼす。
「ありがとう、とりあえず試験品に組み込めるよ。でもできれば、もう1つのも取っておいてくれれば……」
「2つ一緒に買えるほど、お小遣いがあるのかい?」
「ぐ、それはそうだけど」
ソーハ家は家計が苦しい。
いくら特産の儲けがあっても、本拠地である領地と寒村を発展させるために余分なお金などない。仕方なくアザナは小金を稼ぐが、趣味で消えてしまう。
アザナは残りの僅かなお金で、買える物はないかと商品を漁り始めた。こうなると長いので、フモセは近くの花屋を覗いた。
花をしばらく眺めていると、ふいに男性が隣りに立った。正気に戻ったフモセは、その男性を見上げる。
巡回兵十人隊長のスロウプだ。難しい顔で花を眺め、喉を鳴らすような唸り声を上げている。
彼はこのあたり担当で、フモセやアザナもいろいろお世話になっている。――と、いうよりアザナが迷惑をかけている。
「スロウプさん。おはようございます」
「っ! あ、ああ。フモセさん。おはよう」
真剣過ぎてフモセに気がついていなかったらしい。スロウプは驚いた顔でフモセに挨拶をした。
「孤児院のアマセイさんへのプレゼントですか?」
「い、いやぁ実はそうなんですよ」
スロウプはいい歳をした中年男性だが、悲しいかな独身である。
彼が御熱心なアマセイは、孤児院を経営している美人のエルフで、このあたりの巡回兵たちの憧れの君だ。スロウプもアマセイを狙っているが、ライバルは内外に多い。
フモセはそんな彼のために、女性が……とくにエルフが好みそうな寄せ植え鉢をアドバイスした。
「すまないね、フモセさん」
「いえ、いつもアザナ様がお世話になってますから」
発明品の暴走や、アザナの引き起こす騒動を、かたっぱしから片づけてくれているのは、ほかならぬスロウプだ。
お礼を兼ねて恋の手助けなど、当然の事とフモセは考えていた。
「最近、孤児院に出入りする金持ちがいましてね……。寄付してくれるので孤児院の経営は良いらしいですが、こっちは気が気じゃないですよ」
鉢植えを抱え特徴的な斜め笑顔で恋の悩みを、10歳児のフモセに語るスロウプはあまり冴えるとはいえない。
「大丈夫ですよ。アマセイさんは治安維持をしてくれる巡回兵の皆さんに、いつも感謝してますから」
「そう言われると楽になるよ。じゃ、わたくしはこれで」
敬礼をし、スロウプは市場の雑踏に消えて行った。
と、同時に、アザナのいる胞体石屋で炸裂音が鳴り響いた。
「わっ! これ、暴走した?」
「ま、魔力を注がんでくださいと、いつも言ってるでしょ! 坊ちゃん!」
アザナが原因だ。
「どうしたんだ! ああ、またアザナ様ですか!」
せっかく去ったはずのスロウプが戻ってきて、騒動を収めることとなった。
* * *
「ティティアはなかなか戻ってこないね」
市場で小さな騒動を起こした日の放課後――。
学園では何事もなく1日が終わった。
アザナはフモセとアリアンマリとヴァリエと共に、校舎を後にしながら呟いた。
そうだね、とアリアンマリが相槌を打ち、ヴァリエがうなずく。
「そろそろ長期休みですが、このまま戻られないのでしょうかぁ?」
「心配だね。お家の問題は片付いたらしいけど、なんで戻ってこないんだろう?」
「なんでだろ?」
アザナは首を捻り、アリアンマリはそれを真似る。
「もしかしたら、ディータ姫様の薨御でいろいろ問題が……あら? なんの音でしょ~?」
感覚の鋭いヴァリエが、ふと学園の空を見上げた。
その先から、不思議な音が聞こえてきた。
フシュッ、バシュバッバッ……、シュバッ!
そんな断続的で不規則な噴出音が近づいてくる。
学生たちも異変に気が付き、目の良い者から空を指差して叫んだ。
「空を見ろ!」
「なんだあれは!」
「鳥か!」
「低空飛行艇か!」
「いや……」
「またザルガラだ!」
正20面体陣に包まれたザルガラが、あちこちへと軌道を変えながらアザナに向けて飛んでくる。
「わぁ……。まるでファン○ルだ!」
アザナがまた聞きなれない言葉を口にした。もう誰も「それはなに?」などと訊ねない。
「すごいすごい! ザルガラ先輩は姿勢とか自分で制御してるんだ! すごいなーっ!」
正20面体陣の面から魔力を放出して軌道を変えている。ということは、魔法について苦手なフモセでもわかる。噴出力と方向を調整しないと、バランスが狂ってクルクルと回転しながら吹き飛んでしまうだろう。そんな魔法だと理解できた。
さながら人を入れた紙風船が、あちらこちらの見えない手で叩かれて飛び回るような軌道の飛行魔法だと、フモセは感じたが口には出さなかった。
「わぁ、すごいすごい! ザルガラ先輩、新しい魔法ですか!?」
上空まで飛んできたザルガラに、アザナは飛び跳ねながら声をかけた。
「そうだ! オマエに挑戦するため編み出した新式魔法【天空の八つ玉】だ!」
ザルガラも嬉しそうに返事をする。
「くはははっ! 直線にしか進めない【王者の行進】を全方向に配し、落下制御などという半端な浮遊方法ではなく、正20面体陣内の浮力を空気に浮く程度に制御! こうして加速すればするほど空気に乗り上げて浮くってわけだ!」
あちこち飛びながら、ザルガラ自慢気に語る。落ち着かない浮遊だ。
「すごい! なるほどなー。制御の簡単な立方体陣にして、加速と速度より高機動性を重視したわけですね。これなら3次元軌道と姿勢制御で、普通の飛行魔法より運動性が優れてる!」
「お、おう……。そうだ!」
戸惑いながら嬉しそうなザルガラだったが、解析を始めようとしたアザナに向けて手の平を翳して止めさせた。
「おっと解析はさせねーぞ。まずは防御と移動を兼ねたコイツで、これから勝負……」
「ほう、ケンカかね?」
「そうケ……あ、じゃなくて、競争……そう、これは競争用。これから競争するんすよ、教頭先生」
いつの間に現れたのか。
意気軒高なザルガラの背後に、険しい表情のベクター教頭が立っていた。
もちろん女装などしてない。だが、ザルガラの返答と態度の如何によっては、明日から女装をしてくるかもしれない。
そんな教頭に咎められたザルガラは、みるみる元気が失われていく。
「いやー……、マジでちょっと新しい魔法で、アザナと校舎一周とかして競争をしようかなぁってね」
振り向きもせず、今の今までの露わにしていた戦意を隠し、必死の弁明で誤魔化す。
ケンカや決闘など騒動を起こすたびに、恐ろしい女装をするというベクター教頭の捨て身の教育。
埒外者のザルガラにも有効なようである。
「そうか。では安全に配慮して行いたまえ」
どこか残念そうに、ベクター教頭はそう言い残して去っていた。
「競争ですか? 負けませんよ! だってボクも速いもん!」
アザナも負けじと飛行魔法を準備する。アザナのそれは光を振り撒き、飛ぶ姿も美しい飛行魔法だ。
ザルガラのような断続的な加速と移動ではなく、放たれる矢のように弾け飛ぶ軌跡を描く。
ちなみに魔胞体陣を利用して多重加速する高速移動魔法は、飛行魔法とフモセは認めていない。
「ばっか、ちげーよ。誤魔化しただけだって! だから……いや、ちょっとまて」
強気なザルガラだったが、ちらりと校舎を振り返ってみて――。
「なんか校舎でドレスを持って、こっちチラチラ見てるおっさんがいるから競争にしよう」
――日和ったな。
野次馬たちは、呆れと安堵の表情で肩を落とした。
「わかりました。じゃあ安全に飛べてレースできるところに行きましょう」
アザナは良い場所があるんですと、飛行魔法を解除して校外へザルガラを誘う。
いったん魔法を解除して、ザルガラはアザナの案内に続いた。
しばらく歩き、街を抜け、王都を横切る運河へとザルガラを案内した。
「ここです! 川のすぐ上なら低空飛行艇も来ません」
橋の上で広い運河を指差し、アザナが胸を張って言った。ここはユスティティアの飛行魔法を訓練した場所だ。運河だが行き交う船が少ない辺鄙な航路で、落ちても水なので危険ではない。
「な、なんか人が増えてねぇか?」
ザルガラは増えた野次馬たちを見回し言った。道中、アザナとザルガラが対決すると話題になり、街の人たちが互いに呼び合って、見物人数が増えてしまった。
「娯楽が少ないですからね…………この世界」
アザナが呟く。最後の「この世界」という声は小さかった。
「確かになぁ、劇場も常設上演じゃねーしな。くっそ、オレたちは見せモンかよ」
牙を見せ、野次馬を威嚇するザルガラ。だが野次馬も然る者で、のんきに賭けを始めたり露店を開いたりしている。
「とっとと始めるぞ! これ以上増えたらかなわん!」
「わかりました!」
2人は勝負方法を取り決める。
運河にいくつかブイを浮かべ、それらを規定のコースで飛び、対岸の旗を取って先に戻って来た者が勝ち。
妨害はなし。ただし旗は1つなので、持っている相手から素手で奪うのはあり。というモノだった。
フモセは何となく危ないのでは? と思ったが、見守っている学園の生徒も多いので、事故があっても大丈夫だろうと判断した。
「はーい、じゃあ、アザナ様にポリヘドラ先輩。よーい……」
ヴァリエが手を振り上げ、アザナとザルガラが身構える――。
「どんっ!」
アリアンマリの投影立体陣が爆発音を立てた。
一斉に飛び出すアザナとザルガラ。
速さではアザナ。しかし慣性を完全に殺せず、最速では大きくカーブする形になる。
機動力ではザルガラ。噴出で強引に軌道を変えるため、肉体に負荷はかかるようだが、投影している正20面体陣で対策をしている。
加速はほぼ互角で、ブイまでの距離が長いとアザナが優る。だが、ブイが入り組んだ場所では断然ザルガラ有利。
機動力を生かし、対岸の旗を取ったはザルガラだった。
「はっはーっ! やったぜ!」
機動力を生かし、左右上下に飛び回ってアザナの追撃を躱すザルガラ。
しかし、アザナも負けてはいない。
アザナの飛行魔法は、上昇力に優れている。急速に上昇し、落下を利用した最加速でザルガラの旗を奪いかかる。
「あ、ば……」
「きゃぁっ!」
ザルガラの飛行魔法は噴出する魔力がある。攻撃力はないが、近くにいる物を吹き飛ばす。
巻き込まれたアザナが錐揉みして、コースからはじき出された。
だが、その手には旗が握られていた。
ザルガラは自分の手を見て、旗がないことを確認してから、アザナに飛びかかった。
錐揉みしているアザナに、軌道制御の難しいザルガラが――。
当然として、アザナを掴んだザルガラは制御を失い、2人は抱き合って運河へと墜落した。
「アザナ様!」
フモセとヴァリエが叫んだ。アリアンマリは悠長に笑っていた。
アリアンマリは2人が水に落ちたくらいで、どうなるとは思ってないようだ。
「ぷはっ! てめぇ、アザナ! 良くもやりやがったな!」
「ふう……。ザルガラ先輩が、無理矢理抱き付いてくるからですよ」
「だ、抱き付いてねーよ!」
水面に顔だした2人は、さっそくじゃれ合い始めた。
派手に落ちたがなんとも無いようで、フモセは胸を撫で下ろす。ヴァリエは2人のじゃれ合う姿を、微笑ましく眺め、アリアンマリは嫉妬深く口を歪める。
運河で仲良くじゃれ合う2人は、野次馬たちの目からも微笑ましく見えた。和やかな野次馬を見て、賭けが成立したのかとフモセは不思議に思った。しかし、両者脱落に賭けた者がいたようで、胴元から金を受け取っていた。
「誰だよ! 両者脱落に賭けた野郎は! って、おいこら! 抱き付くな! アザナ!」
野次馬にまでケンカを売り始めるザルガラ。アザナはそんなザルガラに抱き付いて、対岸まで泳ぐのに楽をしようとしていた。
水しぶきの向こうで、楽しそうな2人を眺め、フモセは心からの安堵を呟く。
「よかった。アザナ様にお友達ができて」
20160620 崩御→薨御に修正




