変わらない気持ち
2人が店に入ろうとすると、ドアが開きトーマンが姿を見せた。
「これはこれは。お元気そうですな」
トーマンはいつもの人懐っこい笑顔を見せながらルービスの頭をなでた。
「トーマン!」
ルービスは泣きたいくらいに嬉しいのに、トーマンはそれほど驚いている様子もない。ルービスはそれが少し不満だった。
「殿下、ここで一泊しますか?」
「・・・できるか?」
「それは殿下次第でございます」
ディーブは頭を掻いて、ルービスの顔を一瞥した。
「・・・今日はここに留まろう」
ルービスはディーブと共に部屋を一つ借りた。城の部屋とは比べ物にならないほど狭かったが、普通の宿よりは大分広い。
ケディ達にはトーマンから宿の用意とと事情を話してもらえるということだ。ルービスがケディ達の特徴を伝えようとすると、トーマンは「心得ています」と得意そうな顔をして出て行ってしまう。どうやら最初のやりとりを店の中から見ていたようだ。
「トーマンにはなんでも先回りされちゃう。いつか、驚かしてやりたいな」
ルービスはトーマンの後ろ姿を見ながらつぶやいた。
「彼は先回りするのが仕事だし、感情をやたらと表に出さない訓練もしている。いつも近くにいる私から見れば、彼はルービスのことをとても気に入っているし、今日だって会えて喜んでいるよ。彼が人の頭をなでるなんて、私から見れば飛びついて抱きしめているのと同じくらいだよ」
「そうなの?」
ルービスはそれを聞いて顔を明るくさせる。「今だって心の中ではスキップしているはずだ」というディーブの解説に、スタスタと軽快に向かいの店に向かうトーマンの後ろ姿がかわいらしく見えた。
窓から半身乗り出すようにして見つめるルービスに、ディーブも重なるように窓のそばに立った。
「・・・あまり風に当たると風邪を引いてしまうよ。この辺はチュチタと違って冷え込むからね」
ルービスが振り返るようにディーブを見上げると、ディーブは優しく微笑んだ。間近にディーブを感じて恥かしくなり、ルービスは再び外に視線を移した。
「ど・・・どうしてこんなところにいたの? ずいぶん移動が速いんじゃない?」
「ああ・・・」
ディーブは胸元から地図を取り出し、中央のテーブルに広げた。ルービスも自然と着席する。
「今回はアクシデントがあってね。このユリ領に入れなかったんだ」
ディーブはサーブ王国の手前の東側に位置するユリ領を指して説明した。ネハ国を出るころに使者がやってきて領内が落ち着かないため危険であると判断したと、迂回を言い渡されたという。新兵の行進はネハ国を出発するとすぐにカツタフォルネ国からマラハラ国へ入り、半周して現在はマラハラ国からカツタフォルネ国に向かう途中だという事だった。
「アクシデントって・・・落ち着かないってなにか不穏なことが?」
ルービスはカツタフォルネの出来事を思い出して身震いした。
「領内で紛争が起こっているという可能性は高いだろうな」
ディーブも深刻な表情をして地図を見つめた。
「情報はまだとり続けているし、チュチタにも報告をしている。大きな問題に発展すると深刻だ。・・・そうだ、白い塔」
ルービスは不安な気持ちのままディーブの顔を見つめた。
「白い塔がサーブ王国のものだったって言ったね」
「そう。尖った白い塔。あれはサーブ王国にあるものだって聞いたの」
「・・・尖った塔・・・」
ディーブは窓の方をちらりと見て首を振った。
「ここから見えはしないだろうな。反対の方角だ。・・・まさかサーブ王国のシンボル塔がきみの家から見えたなんて、そんなことがあるのだろうか」
「天気のいい日にしか見えなかった。いつも霞んでいたし。遠いとは思ったけど、まさか最北端の国の塔だとは私も思ってなかった」
「ルービス」
ディーブの目には心配を通り越して恐怖の色が見えるような気がして、ルービスはさらに不安になる。
「サーブ王国は危険だ」
予期していた言葉がディーブの口から出る。ルービスはディーブの視線に耐えきれずうつむいた。
「何かの間違いであってほしい。あとで一緒に確かめよう」
ディーブはうつむいたままのルービスのもとに寄り、視線を合わせるように傍らにしゃがんだ。
「・・・もしサーブ王国のシンボル塔であるなら・・・、諦めてもらえないか」
「え・・・?」
ルービスは思わずディーブの顔を見た。真剣な表情でこちらを見つめている。
「そんなこと、できないよ」
ルービスは視線をそらして弱弱しくつぶやいた。
「なにがそんなに危険なの? 国交がないからわからないだけでしょ?」
「そう、今は国と国が敬遠しているから実態はよくわからない。だがだいぶ前にはチュチタ国とサーブ王国は仲が良かったんだ。・・・私が生まれる2年前にサーブ王国で反乱が起こり・・・反乱を起こしたのは名もわからぬ異国の男だったらしいが・・・、その男が前サーブ王を殺して自らをサーブ王と名乗って王国を乗っ取ったのだそうだ。チュチタとの貿易も、交わすはずだった同盟も断ってすべての国々を敵視している。その男が建てたのがあのシンボル塔だと言われている」
「じゃあ、私の父は国交が絶たれてからサーブ王国に向かったということ? だって母親に「あの塔に言ってくる」って言い残したんだもの」
「・・・いや、そうとも限らない。シンボル塔が出来上がった後、どれほどの間があって反乱が起こったかはよくわかっていない。反乱が起こった時は混乱していたからね、情報はいまだにはっきりしていないんだ。ただ、無名の異国の男があのシンボル塔を指揮して建築し、それに驚き喜んだ王が近くに呼び、反乱が起こったというのが一番信用されている情報だ。どちらにしろ、反乱が起こったのとシンボル塔が完成したのは同じ時期ではあるようだ」
ルービスは考え込んだ。
「私、父は国交が途絶えてしまったためにサーブ王国から出られずにいると思っているの。だから戻って来れなかったって」
「わかるよ」
「もし国交が絶えたあとなら父もサーブ王国には入れなかったはずだもの。そしたら戻ってきたはずよ」
ルービスは同意を求めるようにディーブを見た。ディーブも頷く。
「だからこそ危険なんだ。・・・それに、国交を絶ってからはだれもサーブ王国を行き来したことはない。使者さえ門前払いだ。とてもきみが入れるようなところではないんだよ。・・・それに、唯一の国境門はユリ領と接する場所にある。おそらくマラハラからユリ領に入っていくつもりだったろうけれど、今はユリ領も危険なんだ」
「わかってる・・・。わかってるけど」
ルービスは自分には諦めるわけにはいかない理由をうまく言葉にする自信がなかった。世間を知らず、無鉄砲に行動している自分は痛いほどわかっていた。だが今ここで諦めてしまったら自分はどうすればいいのかわからない。
「ルービス、せめて私が戻ってくるのを待ってはくれないか」
「戻ってくる?」
「新兵の行進がチュチタに戻ったら、私はまた必ずここに戻ってくるよ。そうしたら一緒に行こう」
「そんな・・・」
ルービスはディーブの真剣な表情をしっかりと見つめ返した。
「そんなことだめだよ。そんなことできるはずない。・・・それに、待つなんて私はもう嫌なの」
「私が信用できないか?」
ディーブは哀願するようにルービスの手を取って両手で包み込む。ルービスは切なくなった。
「違う…、信用とかじゃなくて。・・・あ、そういえば私のことはどうなったの? 国外へ出たことが分かって大変だったんじゃ・・・」
ルービスはディーブの立場を思いだしふいに国外脱出のその後が気になった。すでにディーブには迷惑をかけている。ディーブは話の内容が突然変わって、少しキョトンとした表情をしたが、すぐに微笑む。
「心配いらないよ。国は国外に出たとは思っていないみたいだ。私のところまで密使は来たけれど、私のもとにいないことが分かったらルービスが失踪したと国中捜していると報告があった。国内ではお尋ね者だけどね」
「Dの立場は?」
ルービスの言葉にディーブはふっと笑った。柔らかい笑みで、ルービスの心を温かく包み込む。
「そんなことを気にしていたのか? 私はなにも変わらないよ。婚約者がいなくなってしまったのは私のいないところで起こったことだからね。きっと戻ったら宮殿中が土下座してくれるだろうね。私は芝居をするまでもなく、君がいないことを嘆き悲しむ」
ディーブはルービスの頬に手をかけた。
「みんな同情するだけだ」
愛おしそうにルービスを見つめるディーブの目の色は、さっきまでとは違う。ルービスは緊張した。
「ルービスの母君の気持ちが分かるような気がするよ。愛する人間が自分から離れたところにいるなんて、身が裂かれるような気持ちだ。・・・ずっと、片時も君のことを忘れることはできなかった。ずっと心配していたんだ。ルービス、会えて本当に良かった」
ディーブはためらいがちにルービスを抱きしめた。ディーブの震える息づかいが耳元で聞こえる。ルービスは全身に安堵と愛情の余波が染み渡っていくのを感じた。
「私も同じ・・・」
ルービスはそう言いながら、実を言えばあまりにも立て続けにいろいろなことが起こって、ディーブを思い出すことがあまりなかったことに気づいた。
「本当に? 嬉しいよ」
ルービスが複雑な気持ちで自問自答しているというのに、ディーブはルービスの言葉を受けてさらに抱きしめる力を強くしてきた。ディーブの爽やかな香りがルービスを包み込む。人と抱き合うことがこんなに体の芯から幸せな気持ちにさせてくれるものなのか、とルービスは再び何も考えずにディーブに身を委ねた。
2人はずいぶん長い間抱きしめあっていた。ルービスは短い期間を過ごした城の夜を思い出していた。2人は毎晩ベッドの中でこうして抱きしめあって眠りについた。あんなに幸せだった夜はない。
ふとディーブの腕の力が緩んだ気がして、ルービスも顔を上げた。ディーブの高揚した顔が間近にあった。目が合うと、すぐに近づいてくる。
ルービスはディーブの唇を受け入れた。優しく、控えめに、ディーブはゆっくりとルービスに口づけをした。
その唇が、頬に、首筋に、次第に下に降りて行ったとき、ルービスは緊張と混乱で体に力を入れた。
すると、ルービスのお腹が大きい音を立てて鳴った。
予期しない音にディーブは動きを止め、2人で顔を見合わせた。ルービスの顔は真っ赤だ。
「そういえば、まだ何も食べていなかったな」
ディーブはいつもより大きく笑って立ち上がった。
「食事を持ってきてもらおう」




