第32話
土方隊が、正木時茂の背後へ食い込んだ。
「二百、止まるな!」
土方歳三の声が響く。
「敵の隊列を分断しろ!」
北条綱成と正面から戦っていた正木軍は、突然その背後を襲われたことで大きく乱れた。
「敵が後ろから来たぞ!」
「回れ! 後ろを固めろ!」
だが、土方はそれを許さない。
二百の兵を横へ広げ、正木軍の隊列を押し潰すように進んでいく。
その中心で、正木時茂はなおも北条綱成と対峙していた。
「時茂様!」
家臣が叫ぶ。
「後方が破られています!」
「分かっている!」
時茂は槍を振るった。
綱成の槍を弾き、そのまま一歩踏み込む。
「だが、俺がここを離れれば綱成が更に押し込んでくる!」
時茂は北条綱成を睨む。
「地黄八幡をここで止める!」
綱成も槍を構える。
「ならば、俺も貴様を通さん!」
二人の槍が激突する。
その間にも、土方隊は正木軍を押していた。
少し離れた場所では、正木時忠が戦場を見ていた。
「兄上が危ない!」
時忠は馬を向けようとする。
「行かせん!」
しかし、綱成の重臣間宮康俊が時忠の前に立ちはだかった。
「貴様退け!兄上の援護に行かねばならぬ!!」
時忠は叫ぶが。
「ならば、俺を倒していけ!」
間宮康俊は、それは当然許さないとばかりに槍を構えた。
康俊を見て時忠が斬り込む。
「邪魔をするな!」
康俊は受け止める。
「戦場では、目の前の敵を捨てて別の場所へ行くことはできん!」
「兄上が討たれる!」
「だからこそ、お前をここから通すわけにはいかん!」
二人の刃が激しくぶつかった。
時忠は何度も突破を試みるが、康俊は一歩も退かない。
正面を率いている里見義弘もまた、時茂の救援へ向かおうとしていた。
「時茂殿のところへ行く!」
だが、その前に一人の男が立つ。
福島綱房、間宮康俊と同じく北条綱成の片腕と呼ばれる男だった。
「ここから先へは通さん」
綱房が槍を構えると義弘が槍を構える。
「時茂殿が危ない!」
「知っている」
綱房は冷静に答えた。
「だからこそ、俺がお前を止める」
「貴様!者共掛かれ!!」
義弘は兵たちと共にが突っ込む。
綱房が槍を刺し、義弘軍の動きを食い止める。
二人の槍が激しく交差し合う
「時茂殿を見殺しにするつもりか!」
「俺にも命令がある!」
綱房は一歩も退かない。
「ここを守れと、綱成様に命じられている!」
義弘は突破出来ぬ状況に歯を食いしばった。
その戦場を、高台から見ている男がいた。
里見義堯。
義堯は戦場全体を見渡していた。
正木時茂は北条綱成に釘付けにされている。
その背後には土方の二百。
時忠は間宮康俊に止められ、義弘も福島綱房に抑えられている。
つまり時茂は孤立していた。
「……まずいな」
義堯が呟く。
側近が問う。
「義堯様、いかがなさいますか」
義堯は土方を見る。
あの男が、二百を自在に動かしている。
「……」
義堯は目を細めた。
「別働隊の奴を止めなければならん」
「しかし、時茂様が――」
「分かっている」
義堯は答えた。
「時茂を救援したいところだが、時忠も義弘も動けぬ」
そして、戦場をもう一度見渡す。
「ならば、儂が行く」
側近が息を呑む。
「義堯様自らですか?」
「そうだ」
義堯は槍を手に取った。
「別働隊を正面から攻める」
そして、時茂の位置を見る。
「時茂と挟み撃ちにすれば、あの別働隊も止められる」
義堯は馬に乗った。
「時茂には、まだ戦う力がある」
「儂が別働隊を引きつける。その隙に時茂が後ろから叩く」
義堯はそう決断した。
「行くぞ!」
里見義堯自らが、戦場へ向かって動き始める。
だがその頃には、戦場の一角で別の動きが始まっていた。
「土方さん!」
沖田総司が駆け寄った。
土方は振り返る。
「沖田か」
「正木時茂、どうします?」
土方は時茂を見る。
北条綱成と槍を交えているが強い。
しかも、土方隊が背後を突いてもなお、綱成の相手を続けている。
「俺が相手をしている暇はねぇ」
土方は戦っている二百の兵を見た。
「俺はこいつらを指揮する」
そして沖田を見る。
「お前に任せる」
沖田は時茂を見る。
「……俺が?」
「ああ」
「分かりました」
沖田は刀を抜いた。
「任せてください」
土方は再び兵へ向き直る。
「土方隊前へ!」
「おおおおおっ!」
土方隊が動くと、それとは別に沖田は一人、時茂へ近づいていった。
時茂は北条綱成との戦いを続けていた。
「時茂様!」
家臣が叫ぶ。
「背後が持ちません!」
「ならば、お前たちで止めろ!」
「しかし――」
「俺は綱成を止める!」
時茂は振り返らない。
家臣たちが時茂の代わりに土方隊へ向かうが、次々と押し返される。
「押せ!」
土方隊の怒号。
「崩すな!」
正木家臣の叫び。
少しずつ確実に、正木軍が崩れていく。
その中を、一人の若者が歩いてくる。
時茂が気づいた。
「……何だ?」
沖田だった。
刀を手にしている。
時茂は沖田を見て、思わず笑った。
「貴様が俺の相手か?」
「はい」
「北条も、随分と若い者を寄越したものだ」
時茂は沖田の顔を見る。
若い。
あまりにも若い。
「帰れ、小僧」
「それはできません」
「命を捨てたいのか?」
沖田は刀を構えた。
「あなたを止めるように言われていますから」
時茂は鼻で笑う。
「刀で俺の槍を止めるつもりか?」
「やってみます」
「面白い」
時茂が槍を構える。
「ならば、来い!」
時茂自慢の槍が走った。
沖田は身を捻ってかわす。
「!」
二撃目。
沖田は半歩下がる。
三撃目。
刀で槍の柄を弾いた。
ガキィン!
時茂の目が変わった。
(こいつ……)
若いのに、槍の間合いを知っている。
「貴様、槍を知っているな」
「ええ」
沖田が答える。
「昔、槍の上手い仲間がいました」
「仲間?」
「原田左之助という男です」
沖田は一瞬だけ笑った。
「槍が、とても上手でした」
時茂は槍を握り直す。
「ならば、その男から教わったものを見せてもらおう!」
時茂は再び突く。
沖田はかわす。
槍が戻る。
また突く。
沖田はさらに踏み込む。
「何っ!」
時茂が驚く。
沖田が槍の内側へ入った。
時茂は槍を短く持ち替え、柄で打つ。
沖田は刀で受ける。
それでも退かない。
「……!」
時茂は驚きを隠せなかった。
刀と槍、普通なら槍が有利だ。
間合いが違うし、攻撃できる距離が違う。
まして、自分は槍大膳と呼ばれるほどの槍の使い手。
それなのに目の前の若者は互角に戦っている。
時茂は一度、沖田から距離を取った。
槍先を低く構え、呼吸を整える。
沖田も刀を下げず、静かに相手の足運びを見ていた。
周囲では、正木兵と土方隊が激しくぶつかっている。
怒号と鉄の音が飛び交う中、二人の間だけが不気味な静けさに包まれた。
「貴様……」
時茂が息を吐く。
「一体、何者だ」
「沖田総司です」
沖田が答える。
「ただの剣士ですよ」
「ただの剣士が……」
時茂が笑った。
「俺と互角に戦えるものか!」
時茂は再び踏み込んだ。
今度は正面からではない。
槍を大きく払って沖田の刀を外へ追いやり、そのまま横薙ぎに振り抜く。
沖田は身を沈め、槍の下をくぐった。
だが、時茂はそれを読んでいた。
槍の石突が地面を打ち、反動で穂先が跳ね上がる。
沖田の顎を狙った一撃だった。
沖田は首を反らしてかわす。
頬を槍先がかすめ、赤い筋が走った。
「逃がさん!」
時茂が槍を返す。
沖田は後退しながら二度、三度と刀で受け流した。
攻撃を受けるたびに腕へ衝撃が伝わる。
時茂の槍は重く、速い。
一度でもまともに受ければ、刀ごと弾き飛ばされる。
沖田は正面から力で対抗するのをやめ、槍の軌道を見極めながら、わずかな隙を探した。
時茂はそれを許さない。
突き、払い、引き戻しなど駆使して、槍はまるで生き物のように沖田へ襲いかかる。
「どうした、小僧!」
時茂が吠える。
「先ほどの勢いはどうした!」
沖田は答えず、槍をかわした。
そのまま一歩踏み込む。
時茂は柄を立てて刀を受け止め、沖田の肩へ肘を叩き込んだ。
沖田の身体がよろめく。
「終わりだ!」
時茂がこれで仕留めるとばかりに槍を突き出す。
沖田は地面へ身を投げるようにしてかわした。
槍先が背後の土をえぐる。
沖田は転がりながら立ち上がった。
時茂はすぐに槍を引き戻す。
「まだ立つか!」
「まだ、倒れていませんから」
沖田は息を整えながらも笑みを浮かべていた。この戦国の世に来て漸く五体満足で戦える喜びに。
時茂の額にも汗が浮かんでいる。
互いに傷を負い、互いに決定打を逃していた。
「面白い……」
時茂も低く笑った。
「これほどの剣士が、北条にいたとはな」
「あなたも、強いですね」
「当然だ!」
時茂は槍を握り直す。
「俺は正木時茂。槍大膳と呼ばれた男だ!」
その名乗りとともに、時茂は最後の一撃へ入った。
槍を引き、大きく踏み込む。
沖田の目が鋭くなった。
槍が伸びる。
沖田は紙一重でかわした。
そして――槍の内側へ入る。
「――そこです!」
刀が閃いた。
時茂の肩口が斬れる。
「ぐっ!」
それでも時茂は槍を振るう。
沖田はかわす。
もう一歩踏み込む。
時茂が槍を戻す。
だが、間に合わない。
沖田の刀が再び閃いた。
「――!」
時茂の身体が止まる。
槍が、手から落ちた。
カラン――。
時茂は数歩よろめいた。
「……見事」
そして、膝をつく。
沖田は刀を下ろした。
「俺が……刀の若者に負けるとはな……」
時茂は自分の胸元を見て苦笑する。
沖田が静かに答える。
「貴方は強かったです」
時茂が顔を上げる。
「……そうか」
その言葉を最後に正木時茂は力を失った。
沖田は倒れた時茂を見下ろした。
周囲では、まだ正木兵と土方隊が激しくぶつかっている。
一瞬でも遅れれば、敵兵が時茂の首を持ち去る。
沖田は刀を納めると、腰の脇差を抜いた。
そして時茂のもとへ膝をつく。
「……正木時茂殿」
敬意を込めて、その亡骸に手を合わせる。
「見事な槍でした」
次の瞬間――沖田はその首を取った。
血に濡れた首を手に立ち上がる。
そして、戦場の中央へ向かって高らかに声を上げた。
「北条軍、近藤家家臣沖田総司!」
一度、息を吸う。
「正木時茂、討ち取ったり!」
その声が戦場を貫いた。
「正木時茂、討ち取ったぞ!」
「槍大膳は討死だ!」
土方隊の兵たちが叫ぶ。
それに呼応するように、北条軍からも鬨の声が上がった。
「おおおおおおおっ!」
「沖田殿が槍大膳を討ったぞ!」
里見軍では、沖田の名乗りが微かに聞こえ
「……何?」
義堯が振り返った。
「申し上げます!」
伝令が駆け込んでくる。
「正木時茂様、討死!」
「何……時茂が」
だが、その直後だった。
戦場のあちこちから声が聞こえる。
「正木時茂、討ち取ったり!」
「槍大膳が討たれた!」
義堯は目を見開いた。
そして戦場を見ると兵たちが、明らかに動揺している。
「時茂様が討たれた!」
「槍大膳が……!」
「どうする!」
「敵が来るぞ!」
周囲の里見兵にも動揺が広がる。
義堯は沖田を見る。
若い侍に見える。だがその手には、正木時茂の首。
「……あの若者が」
義堯は低く呟いた。
時茂の死。
それだけではない。
その死を、敵軍の前で堂々と名乗り上げた。
兵たちは、それを聞いた。
そして今、戦場全体が「槍大膳は討たれた」と認識している。
ここで戦い続ければ、動揺はさらに広がる。
義堯は拳を握った。
「……撤退だ」
側近が驚く。
「義堯様!」
「撤退する!」
義堯の声が響く。
「これ以上は戦わん!」
そして全軍へ命令する。
「法螺を吹け!」
「全軍、退け!」
「負傷者を運べ!」
「時忠と義弘にも伝えろ!」
義堯は戦場を睨む。
「今日の戦は、ここまでだ!」
法螺が鳴り響く。
ブォォォォォ――。
里見軍に撤退命令が伝わっていく。
正木時忠は康俊との戦いの最中、時茂の戦死、その直後にその音を聞こえた。
「撤退……」
時忠は時茂のいた方向を見る。
そして、遠くにいた沖田の姿を見えた。
その沖田の手に掲げられた兄の首。
「兄上……」
時忠は歯を食いしばった。
だが、義堯の命令は覆らない。
「……退くぞ!」
義弘もまた、綱房との戦いを止めた。
「クッ⋯撤退だ!」
里見軍が少しずつ戦場から離れていく。
その中で沖田は、正木時茂の首を静かに見つめた。
勝ったが、喜びはなかった。
あれほどの槍使いだった。
最後まで、一歩も退かなかった。
「……強い人だったな」
沖田が呟く。
そこへ土方が歩いてくる。
「沖田」
「はい」
土方は時茂の首を見る。
そして沖田を見る。
「よくやった」
沖田は頷いた。
「はい」
「それと――」
土方が少しだけ笑う。
「名乗り、聞こえたぞ」
沖田も微笑んだ。
「戦場ですから」
土方は頷いた。
「そうだな」
その先では、里見義堯が馬上から二人を見ていた。
義堯の目に、沖田の姿が焼き付いている。
「沖田総司……」
義堯は静かに呟いた。
「覚えておこう」
そして馬首を返す。
「今日のところは退く」
里見軍は戦場を離れていった。
その背中を見送りながら、土方は刀を納めた。
沖田もまた、静かに首を下ろした。
槍大膳・正木時茂。その最期は、戦場全体に響き渡る沖田総司の名乗りとともに刻まれた。




