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第27話

軍議は続いていた。


義堯は地図の上に指を置いた。


「まず、我らが取るべき場所はここだ」


指したのは、下総と上総の境に近い一帯だった。


正木時茂が身を乗り出す。


「ここで北条を迎え撃つのですか?」


「いや」


義堯は首を横に振った。


「ここで勝とうとは思わぬ」


時茂が眉をひそめる。


「では、何のために?」


「北条に、ここを取らせる」


一同が顔を見合わせた。


義弘が地図を見る。


「……わざと退く?」


「そうだ」


義堯は即答した。


「ただし、逃げるのではない」


「戦って、退く」


時忠が頷く。


「敗走を装うわけですか」


「そういうことだ」


義堯は地図上の道筋を指でなぞった。


「まず前衛を置く」


「少数でよい」


「北条が来れば、二、三度槍を交える」


「そして、少しずつ退く」


土岐為頼が尋ねる。


「敵に勝ったと思わせる?」


「その通り」


義堯は笑った。


「綱成は勇将だ」


「こちらが退けば、必ず追う」


「だが、ただ退くだけでは追ってこぬ」


義堯の指が地図の別の場所へ移る。


「だから、ここに兵を隠す」


時茂の目が光った。


「伏兵ですか」


「お前だ」


「俺を?」


「そうだ」


義堯は頷く。


「お前の槍隊をここに伏せる」


「北条の前衛が進み、我らが退く」


「敵が追ってきたところで、お前が横から叩く」


時茂が笑った。


「なるほど!」


「だが、そこで終わりではない」


義堯の指がさらに動く。


「時忠」


「はっ」


「お前は時茂とは別に兵を率いろ」


「兄上が北条の側面を叩いたら、お前は逆側から回り込む」


「挟むのですか?」


「違う」


義堯は首を横に振った。


「挟むと思わせるだけだ」


「……?」

「北条は挟撃を受ければ、必ず周りを警戒する」


「その瞬間、追撃の勢いが止まる」


義堯はそこで地図の中央を指した。


「そこへ義弘」


「はい」


「兵をまとめて正面から押し返せ」


義弘が頷いた。


「つまり、時茂と時忠で敵の動きを止め、私の軍と私の軍が――」


「違う」


義堯が遮る。


「お前は勝とうとするな」


義弘が驚く。

「……勝とうとしない?」


「敵を押し返したら、追うな」


「深追いするな」


義堯は強く言った。


「北条軍の目的は我らを叩くことではない。上総を制圧することだ」


「ならば、こちらが押し返したとき、綱成は必ず考える」


義堯は綱成の姿を思い浮かべるように目を細めた。


「『里見は思ったより弱くない』とな」


「そして、一度兵を引く」


「それを待つ」


時茂が尋ねた。


「何を?」


「北条がもう一度来るのをだ」


「……」


義堯は笑った。


「一度の伏兵で綱成を倒せるとは思っていない」


「だが、二度、三度と同じことを繰り返せば、北条は我らの動きを警戒する」


「そして、今度は追ってこなくなる」


時忠が言った。


「では、策が失敗では?」


「いや」


義堯は首を振る。


「それでいい」


「なぜなら、その時には北条軍も前進を止めている」


義堯は地図を見る。


「北条が止まれば、庁南武田を救うという目的も果たせぬ」


「そして時間が稼げる」


土岐為頼が感心したように呟く。


「戦って勝つのではなく、戦そのものを長引かせる……」


「そうだ」


義堯は頷いた。


「里見に必要なのは、一日の大勝ではない」


「十日でも二十日でも、上総に北条を釘付けにすることだ」


そして、義堯はもう一つの駒へ目を向けた。


「庁南武田だ」


義弘が顔を上げる。


「庁南武田?」


「北条がこちらと戦っている間に、庁南武田には城を固めさせる」


義堯は地図の上で、庁南武田の城を指で囲んだ。


「城を囲む。そして北条に、城を落ちるかもと思わせる」


「だが、落としはせぬ」


「城が落ちなければ、綱成は必ず焦る」


「庁南武田を救うために、綱成は攻め急ぐ」


「我らを追えば、城へ近づく」


「我らが退けば、さらに追ってくる」


「そこで伏兵を出す」


義堯の策が、一本の線になっていく。


時忠が呟いた。


「北条が、こちらの思惑通りに動くように仕向ける……」


「そうだ」


義堯は頷いた。


「戦場では、敵を斬るより先に、敵の考えを斬る」


時茂が豪快に笑った。


「面白い!」


「つまり俺は、綱成を釣る餌ですな!」


義堯も笑う。


「そういうことだ」


「ただし、お前は餌で終わるな」


「喰いついたところで、相手の喉を食い破れ」


時茂の顔から笑みが消え、鋭い表情になる。


「承知!」


義堯は最後に全員を見渡した。


「そして、もう一つ重要なことがある」


「北条に、里見が苦戦していると思わせる」


「だが、決して大敗したようには見せぬ」


「少し退く」


「少し勝つ」


「少し兵を失う」


「そして、また戦う」


義堯は地図を見つめた。


「北条にとって最も嫌なのは、勝っているのに戦が終わらぬことだ」


その言葉に、土岐為頼が頷いた。


「綱成を疲れさせる」


「そうだ」


「兵糧を使わせる」


「そうだ」


「そして、北条軍が焦ったところで――」


義堯の指が、地図上の一点に止まった。


「本隊をぶつける」


一同が息を呑む。


「その時こそ、時茂」


「はっ!」


「槍大膳の出番だ」


時茂が槍を握り締めた。


「楽しみにしております」


義堯は静かに笑った。


「北条綱成は勇将だ」


「だからこそ、勇将には勇将の戦をさせぬ」


そして最後に、義堯は冷たく言った。


「綱成に『勝てる』と思わせる」


「追わせる」


「疲れさせる」


「そして――」


義堯の目が鋭く光る。


「勝てると思ったところで、初めて本当の里見を見せる」


軍議の者たちは、それぞれの役目を理解した。


正木時茂――伏兵。

正木時忠――側面を脅かす別働隊。

里見義弘――本隊を率いて押し返す。

土岐為頼――後方と兵站を固める。

そして義堯自身は、戦場全体を見る。


勝つために戦うのではない。


北条が「勝てる」と思う戦場を、義堯自身が作り出す。


それが、里見義堯の戦だった。

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