第21話
木下藤吉郎秀吉の手腕により、高幡城は日に日に豊かになっていった。
石田散薬は武蔵のみならず、相模、伊豆、甲斐へと販路を広げ、領内には商人や職人が集まり始める。
だが、その繁栄を快く思わない者もいた。
ある日、藤吉郎のもとへ数人の商人が駆け込んできた。
「奉行様、大変です!」
「最近、市場で石田散薬が安く売られております!」
藤吉郎は眉をひそめた。
「うちより安いだと?」
「はい。ですが効き目が悪く、飲んだ者から苦情が相次いでおります」
その報告を聞いた土方の表情が険しくなる。
「……偽物か」
藤吉郎は即座に商人たちを集め、聞き取りを始めた。
「誰から仕入れた」
「売っていた者の顔は覚えているか」
調査を重ねると、一人の行商人が口を開く。
「武蔵南部の山中にある倉から仕入れております」
「安く卸してくれるので、多くの商人が買っていました」
藤吉郎は静かに頷いた。
「場所は分かりました」
そして土方と沖田へ向き直る。
「申し訳ありません。私は腕っぷしには自信がありません。拠点の制圧は、お二人にお願いできますか」
沖田は笑顔で頷いた。
「もちろんです」
土方は刀に手を添え、不敵に笑う。
「任せろ」
その夜、土方と沖田、そして選抜された兵三十名は、夜陰に紛れて偽造薬の拠点を包囲した。
藤吉郎が集めた情報は正確だった。
「囲め!」
土方の号令とともに兵たちが一斉に突入する。
「敵襲だ!」
拠点の者たちは刀や槍を手に抵抗するが、高幡城の兵は近藤と沖田による天然理心流の鍛錬に加え、土方が取り入れた実戦訓練を積んでいる。
敵は次々と制圧され、ほどなく戦いは終わった。
倉の中には大量の偽物の石田散薬が積み上げられていた。
沖田が袋の中身を確認する。
「……間違いありません。偽物です」
土方は静かに頷く。
「証拠は押さえた。頭を連れて来い」
やがて縄を掛けられた売人たちの頭目が引き出された。
しかし、その男は恐れるどころか、不敵な笑みを浮かべていた。
「へっ……俺を捕まえたところで何も分かりゃしねぇ」
「俺を斬ったところで、また同じことが起きるだけだ」
頭と思われる男は発言に兵たちがざわつくが、土方は怒るどころか、静かに笑みを浮かべた。
「……面白ぇ」
土方のその笑みを見た沖田は心の中でため息をつく。
(よりによって歳さんを挑発するなんて……歳さん、完全に火が付きましたね)
一方、その場にいた藤吉郎は思わず一歩後ずさった。
(ひぇぇ……近藤様は豪快、沖田様は優しい。でも土方様だけは絶対に敵に回したらあかん……)
頭の男はなおも強がる。
「証拠なんざ出るもんか。好きにしやがれ」
土方はゆっくりと男の前にしゃがみ込んだ。
「そうか。俺は頑固な奴は嫌いじゃねぇ」
「しかしな⋯口を割らせる方法はいくらでも知ってる。お前のその強気、何処まで持つか楽しみだ」
土方の言葉に、男の顔色が変わるが、もう既に逃げ道は無い。そして土方の目には、一切の迷いも情けもなかった。
「牢へ入れろ。少しゆっくり話を聞かせてもらおうか」
数刻後。土方の厳しい取り調べを受けた頭の男は、ついに泣きながら観念した。
「言う……全部言う……」
「俺たちに偽の石田散薬を作らせたのは……。」
男は震える声で黒幕の名を口にした。
「岩付城主……太田資正様です」
その名を聞いた藤吉郎は目を見開く。
「太田資正……」
男の供述に近藤も腕を組む。
「名門太田家の当主か」
男はさらに言葉を続けた。
「⋯太田様は、近藤らは北条に取り入り、これから力を付け始めて勢力を伸ばすかもしれぬ」
「このままでは氏康様が、あの百姓上がりどもを重用するのは名門太田氏の当主として、それだけは許せないと」
「手始めに石田散薬の信用を失わせれば、近藤らの評判は落ち、氏康様の人の見る目の無さを示すことが出来ると⋯」
男の供述に土方は静かに息を吐いた。
太田資正。
かつて扇谷上杉氏の重臣として仕えた名将。
しかし河越夜戦で主君・上杉朝定が討ち死にすると、周囲の国衆と同様に、やむなく北条氏へ従った。
だが心の奥では反北条の思いを捨てきれず、その機会を狙い続けていた。
近藤は静かに言う。
「つまり我らが狙いではない。氏康公への当てつけというわけか」
藤吉郎は頷く。
「近藤様方は氏康様から好意的に見られております」
「だから近藤様方の信用を失わせれば、氏康様からの新たな信頼関係を築くことを潰し、そして氏康様の面目も潰せると、一石二鳥と考えたのでしょう。」
沖田は悔しそうに拳を握る。
「私たちまで政争の道具にされたんですね」
土方は首を横に振る。
「だが黒幕は分かった」
近藤は立ち上がった。
「相手は岩付城。だが領地は隣接していない上、今は戦をする相手ではない」
「しかし証拠も証人も揃った。この件は氏康公に裁いていただこう」
藤吉郎も深く頷く。
「この場合、それが最善の方法です」
「これは近藤家と太田家だけの問題ではありません。北条家そのものに関わる問題ですと氏康様に願い出ましょう」
こうして近藤らは、押収した偽薬、売人たちの供述、そして太田資正が黒幕である証拠を携え、小田原の北条氏康へ報告することを決断した。
この報告が、後に氏康自ら裁きを下すことになる「太田資正事件」の幕開けとなるのであった。




