第19話
駿府、今川家臣・松下嘉兵衛の屋敷。
木下藤吉郎秀吉は庭先で薪を割りながら、大きくため息をついた。
「……このままで終わるのか」
藤吉郎は武家奉公こそしているものの、身分は低く、いくら働いても出世の道は見えない。
松下嘉兵衛は藤吉郎の働きを認めてはいたが、今川家は家柄を重んじる風潮が強く、百姓上がりの藤吉郎が重く用いられることは難しかった。
藤吉郎は空を見上げる。
「ここじゃ出世する可能性が無さそうだな。故郷の尾張へ戻って……うつけという噂の織田信長様に仕えれば、何か変わるかもしれん」
そんなことを考えていた時、一人の旅姿の男が屋敷を訪ねてきた。
男は藤吉郎を見ると、小さく笑った。
「ようやく会えたな」
藤吉郎はその男を初めて見る人物だが、自分が覚えていない可能性もあるので首を傾げながら尋ねる。
「どちら様で?」
男は静かに名乗る。
「土方歳三」
その名に聞き覚えはないが、どこか只者ではない雰囲気があった。
「少し話をしないか」
歳三の言葉と態度に飲み込まれ、藤吉郎は素直に歳三の求めに応じ、その足で二人は町外れの茶屋へ移った。
茶屋に入り歳三は茶を2つ注文し、いきなり本題を切り出す。
「武蔵高幡城の話は知っているか」
歳三の言葉に藤吉郎は目を見開いた。
「もちろん知っています。百姓や町人の間でも噂ですよ。農民を集めた連中が城を奪ったとか」
土方は笑みを浮かべ、出てきた茶を一口含み、更に言葉を続ける。
「その"連中"の一人が俺だ」
藤吉郎は思わず身を乗り出した。
「まさか!」
歳三は静かに頷く。
「近藤勇。沖田総司。そして俺、土方歳三」
「この三人で高幡城を治めている。」
藤吉郎はしばらく言葉を失っていた。
「……本当だったのか。」
土方は続ける。
「俺たちも、お前と同じだ」
「百姓上がり。家柄も後ろ盾もない」
「だからこそ、自分たちの力だけで成り上がろうとしている」
歳三の言葉に藤吉郎の表情が変わる。
歳三の言葉には、見栄も偽りもなかったからだ。
「身分ではなく、実力で人を評価する」
「農民だからと差別はしない」
「働いた者が報われる国を作る。そのために国を治めている」
土方は藤吉郎を真っ直ぐ見つめた。
「木下藤吉郎。俺たちの国へ来ないか。お前の力が必要だ」
茶屋は静まり返る。
藤吉郎は俯き、長い間考え込んだ。
やがて、小さく笑う。
「不思議なもんや。儂は尾張へ戻って、織田信長様に仕えようと思っていた。けど……」
顔を上げる。
「百姓が百姓を集めて国を作る。そんな話、面白い話初めて聞きましたわ」
「面白い。実に面白い」
土方も笑みを浮かべる。
「返事は」
藤吉郎は勢いよく立ち上がった。
「この木下藤吉郎、この命を懸けて近藤様にお仕えいたします!」
土方は静かに立ち上がり、その手を差し出した。
「歓迎する」
二人は固く握手を交わした。
その日の夕刻、藤吉郎は松下嘉兵衛のもとを訪れた。
「嘉兵衛様」
「お願いがございます」
松下嘉兵衛は穏やかに頷く。
「何だ、藤吉郎」
藤吉郎は深々と頭を下げた。
「私はこの家を辞し、新たな主君に仕えとうございます」
嘉兵衛は驚かなかった。
むしろ、どこか覚悟していたような表情だった。
「……やはり行くか。お前ほどの男が、このまま終わるとは思っておらなんだ」
藤吉郎は顔を上げる。
「申し訳ございません」
嘉兵衛は静かに笑った。
「謝る必要はない。武士とは、自ら仕える主を選ぶものでもある。それで新しい主の名は敢えて聞かぬが、その主は、お前の才を認めてくれるのだな」
「はい。身分ではなく、実力で評価してくださいます」
嘉兵衛は大きく頷いた。
「そうかならば行け。お前なら、どこへ行っても必ず大成するだろう」
藤吉郎は深く礼をした。
「これまで、本当にありがとうございました」
松下嘉兵衛は最後に藤吉郎の肩を叩いた。
「出世したら、また顔を見せに来い」
藤吉郎は笑顔で答える。
「その時は、胸を張って帰ってまいります」
こうして木下藤吉郎秀吉は駿府を後にした。
目指す先は武蔵国・高幡城。
百姓から成り上がろうとする三人のもとへ、新たな仲間が加わろうとしていた。




