第18話
大石氏との和睦が成立してから、数日が過ぎた。
高幡城では新たな問題が浮かび上がっていた。
城内の執務室で近藤勇、土方歳三、沖田総司の三人は、山のように積まれた書状や帳簿を前に頭を抱えていた。
「これは年貢の報告か……」
「こちらは石田散薬の注文書です」
「こっちは城の修繕願いですね……」
沖田は大きくため息をついた。
「もう限界ですよ。朝は兵の稽古、昼は巡回、夜は書状の整理。師範代だけでも忙しいのに、これ以上は身体がいくつあっても足りません」
近藤も苦笑する。
「兵も増え、領民も増え、国としては喜ばしいことだが、三人だけでは政務が回らんな」
土方は腕を組み、静かに口を開いた。
「だから今日は、その話をするために集まってもらいました」
二人の視線が土方へ向く。
「実は以前、石田散薬を売るために小田原や駿府を回っていた時、一人の男を探していました」
沖田が首を傾げる。
「探していた?」
土方は静かに頷く。
「見つけました。今は駿府で松下嘉兵衛に仕えている男です」
近藤が尋ねる。
「名は」
土方は迷うことなく答えた。
「木下藤吉郎秀吉です」
その名を聞いた瞬間、近藤と沖田は顔を見合わせた。
「……まさか、本当に、この時代にいるんですか」
沖田が思わず声を漏らす。
土方は頷いた。
「ああ、まだ松下嘉兵衛のもとで武家奉公しているが、身分は高くない。だが、あの男の才覚は俺たちが誰より知っている」
近藤は腕を組みながら考え込む。
「しかし歳、その木下藤吉郎が、本当に我らの誘いに応じるだろうか」
沖田も続ける。
「そうですよ。今は松下家に仕えているのでしょう。わざわざ見ず知らずの私たちのところへ来てくれるでしょうか」
もっともな疑問だった。
土方は盃を手に取り、一口酒を飲むと、小さく笑った。
「来ます。俺には、その勝算があります」
近藤が静かに尋ねる。
「その根拠は?」
土方は即座に答えた。
「藤吉郎は、俺たちと同じだからです」
「同じとは……?」
沖田が聞き返す。
「百姓上がりですよ。武門の名家でも、公家でもない。自分の力一つで世に出ようとしている男です」
土方は二人を見回した。
「俺たちも同じでしょう」
「天然理心流の道場から始まり、新選組を作り上げた」
「家柄や血筋ではなく、自分たちの力だけでここまで来た」
近藤は静かに頷き、土方はさらに言葉を続けた。
「藤吉郎も今川家では才能があっても、身分が低いせいで大きく取り立てられる望みは薄い。だからこそ、自分を正当に評価してくれる場所を求めているはずです」
沖田は納得したように頷く。
「つまり、ここでは身分ではなく実力で評価してくれるから来てくれると」
「ああ」
土方は力強く答える。
「近藤さんは農民だからと剣を教える相手を選ばなかった」
「沖田も門人を身分で差別したことは一度もない」
「ここでは、身分で人を測る者はいない」
「だから藤吉郎は来る。ここなら、自分の才覚だけで勝負できると必ず感じるはずだ」
部屋は静まり返った。
やがて近藤がゆっくりと笑みを浮かべる。
「なるほどな、確かに、お前の言うとおりだ。我ら自身が百姓から身を立てた」
「だからこそ、同じ境遇の者の気持ちは分かる」
沖田も笑顔で頷く。
「もし木下藤吉郎秀吉を迎えられたら、兵百人を得るより大きいかもしれませんね」
土方は即座に首を振った。
「百人どころじゃない。城の内政、商い、人材登用。俺たち三人に足りないものを、あの男一人が補ってくれる」
近藤は立ち上がり、力強く言った。
「よし、迎えに行ってくれ。歳、お前に一任する」
沖田も笑いながら言う。
「ぜひ会ってみたいですね」
「天下人になる前の木下藤吉郎秀吉に」
土方は深く頷いた。
「必ず連れて帰ります。この高幡城の未来のために」
三人は静かに盃を合わせた。
その決断が、後に高幡城を戦国屈指の繁栄へ導く、一人の男との運命の出会いへとつながっていくのであった。




