第16話
小田原城。
近藤勇、土方歳三ら一行八名は、北条三郎時長の案内で無事に小田原へ到着した。
北条家の本拠だけあって、城内は厳重な警備が敷かれている。
供の者たちは案内された控えの間で待機することになった。
しばらくすると時長が近藤らのもとへ戻ってくる。
「氏康様よりお達しです。会談には、近藤殿と土方殿のお二人のみお入りください。」
近藤は静かに頷く。
「承知した」
土方も異論はなかった。
二人は刀を預け、時長の案内で奥へと進んでいく。
やがて、広間の襖が開かれた。
上座には、関東の雄・北条氏康。その傍らには、長老・北条幻庵が控えていた。
近藤と土方は、武家の礼法に則って静かに一礼する。
「高幡城主、近藤勇にございます」
「家臣、土方歳三にございます」
その立ち居振る舞いに、氏康はわずかに目を細めた。
(礼法を心得ている。ただの一国人や野武士ではないな。)
新選組時代、会津藩主や幕臣らとの面会を重ねてきた二人にとって、武家の作法は自然と身についていた。
氏康は穏やかに口を開く。
「面を上げよ」
二人が顔を上げる。
しばし互いを見つめ合う静寂が流れた。
やがて氏康が本題を切り出す。
「近藤。そなたは、なぜ高幡城を奪った」
広間の空気が張り詰める。
近藤は一歩も引かず、真っ直ぐ氏康を見据えた。
「理由もなく、人の稼ぎを掠め取ろうとする。それが武士のやることとは、私には思えませぬ」
「我らは商いを守るために戦いました。もし、それが間違いであったというなら――」
近藤は静かに膝を正した。
「この場で首を刎ねていただいても構いませぬ。」
その言葉に居並ぶ家臣たちが息をのむ。
土方は苦笑しながら口を開いた。
「近藤さん……少し言い過ぎです」
広間にわずかな笑いが漏れる。
土方は改めて氏康へ向き直った。
「我らは争いを望んだわけではありません」
「ですが、武力で財を奪われるのを黙って見過ごすこともできませんでした」
「どうか、公正なるご裁断をお願いいたします」
氏康は二人をじっと見つめた。
(命惜しさに言葉を飾る者ではない。だからといって、無礼でもない)
やがて氏康は静かに笑みを浮かべた。
「よい。話は理解した」
「高幡城の件については、北条が立会人となり、大石との和睦を進めよう」
近藤と土方は深く頭を下げる。
「かたじけなく存じます」
しかし氏康は、なおも二人を見つめていた。
「……だが、一つ聞かせてくれ」
近藤と土方は顔を上げる。
「お主らは、一体何者なのだ」
その問いに、二人は思わず顔を見合わせた。
土方も答えに窮する。
自分たちが幕末から来た新選組であるなど、到底語れることではない。
しばし沈黙が続いた後、近藤が静かに口を開いた。
「何故、この世に生を受けたのか。それは、私どもにも分かりませぬ」
「ですが、分からぬのであれば、ただ全力で生きるのみ。その先の評価は、後の世の人々に委ねましょう」
広間は再び静まり返る。氏康はその言葉を聞き、静かに頷いた。
「……面白い男だ」
幻庵もまた、穏やかな笑みを浮かべていた。
こうして氏康は、後日の大石氏との和睦交渉に北条家から立会人を派遣することを正式に約束した。
近藤と土方は使命を果たし、供の者たちと合流すると、高幡城への帰路につく。
この会談は、後に北条家と近藤勢力との信頼関係の礎となる出来事として語り継がれることになる。
その夜、近藤らは北条家の計らいで、小田原城下の屋敷に宿を与えられていた。
供として連れてきた六人は既に休み、部屋には近藤と土方だけがいた。
卓には酒と簡素な料理が並ぶ。
近藤が盃を持ち上げた。
「無事に終わったな」
土方も盃を合わせる。
「ええ」
二人は酒を口に運び、しばらく無言だった。
やがて近藤が静かに笑う。
「氏康公は、さすが関東の覇者だ」
土方も頷く。
「威圧するわけでもないのに、場を支配していました。こちらが一言発すれば、その真意まで見抜こうとしていた」
近藤は感心したように言う。
「人を見る目がある。俺が首を刎ねても構わぬと言った時も、顔色一つ変えなかった」
土方は苦笑した。
「近藤さんは、ああいう場で大胆なことを言い過ぎですよ。こっちは肝が冷えました」
近藤は豪快に笑った。
「ははは。だが嘘は言っておらん。正しいと思うことを貫いただけだ」
土方も笑いながら酒を飲む。
「それは分かっています。だから私も止めませんでした」
少しして、近藤は真顔になった。
「幻庵殿も只者ではない」
「あの方は一言も無駄を話さなかった」
土方も同意する。
「氏康公が武なら、幻庵殿は知」
「二人で北条を支えているのでしょう」
近藤は盃を置く。
「そして、案内してくれた時長殿」
「あの若さで礼を尽くし、決して我らを見下さなかった」
土方は頷いた。
「北条家は家臣の教育が行き届いていますし、更に有能な家臣も大勢いるでしょう。だからこそ、ここまで勢力を広げられたと思います」
しばらく沈黙が流れ、近藤が小さく呟く。
「敵にはしたくないな」
土方は即座に答えた。
「ええ。北条と戦えば勝てません。今の我々は国人領主として認めてもらうことが先です」
「氏康公と信頼関係を築ければ、それだけで武蔵での立場は大きく変わります」
近藤は静かに笑う。
「歳、お前は昔からそうだった。剣より先に、その先を考える」
土方も笑った。
「近藤さんが前に出る人なら、私は後ろを考える人ですから」
二人は盃を重ねる。
「総司にも、この話を聞かせてやりたいな」
近藤がそう言うと、土方は笑った。
「きっと『土産話を楽しみにしていますよ』なんて言っているでしょう」
二人は顔を見合わせて笑った。
笑いが収まると、近藤は夜空を見上げる。
「この時代の氏康公に会えたのは、大きな収穫だった」
土方も静かに頷く。
「ええ。北条は力だけで人を従わせているわけではありません。だからこそ、多くの国人が従うのでしょう」
窓の外には、小田原城の天守が月明かりに照らされていた。
幕末では刃を交えることのなかった北条氏。
しかし戦国の世では、その当主・北条氏康との出会いが、近藤らの運命を大きく変えようとしていた。




