第45章:真っ黒なクッキーの涙と、キッチンでの情熱的な口づけ
翌朝、天の端がまだうっすらと白みかけ、夜の帳は完全に退ききっていなかった。
メシアは早々に目を覚まし、目をこすりながら万魔殿のロイヤルキッチンへと足を向けた。大小姐の専属護衛兼生活係として、彼は毎朝、あの偏食で高慢なお姐さまのために焼きたてのストロベリータルトやスコーンを自らオーブンで焼き上げることにすっかり慣れきっていた。
だが、キッチンの廊下の突き当たりまで差し掛かったところで、メシアは思わず足を止めた——キッチン内には温かな灯りがともり、それだけでなく、何やら奇怪な黒煙と「ドンドンッ」というまるで鉄を叩くような激しい騒音が響き渡っていたのだ。
「まさか、敵襲か……?!」
メシアは瞬間的に腰の剣の柄を強く握り締め、険しい表情を浮かべながら、慎重にキッチンの大扉を押し開けた。
目の前に飛び込んできた光景に、戦場を駆け抜けてきた真龍の勇者少主は、まぶたを激しく痙攣させ、その場で文字通り石化した。
見渡す限り広く豪華なキッチンの中、木製のテーブルの上には、めくるめく……しかし見るも無惨な恐ろしい光景が広がっていた——岩のように硬く黒煙を上げる焦げたパン、正体不明の漆黒の気体を放つ焦げたクッキー、そしてまるで強烈な魔法で爆撃でもされたかのように散乱する小麦粉の山。
そして、この「闇の料理」の山の中央で、ディア大小姐は自分には全く似合わない、サイズが大きすぎるレースのエプロンを身にまとい、白く美しい小柄な身体を真っ白な小麦粉と黒い煤ですっかり汚しながら、真っ赤な顔をしてアタフタと麺棒を握りしめ、目の前にある泥のようなケーキの生地と必死に格闘していたのだ。
「こ、これは一体……どういうことなんだ……」メシアは引き攣る口元を押さえ、声すら小刻みに震えていた。
物音に気づいたディアブラの全身が、激しくビクッと揺らめいた!
彼女は慌てて麺棒を背中に隠し、小麦粉で汚れた小さな手でエプロンの裾を緊張のあまり強く掴みしめた。潤んだ深紅の血の瞳は少年の目をまっすぐ見ることができず、両頬は蒸気が噴き出しそうなほど熱くなり、もじもじとためらった挙句、蚊の鳴くような細い声でぶつぶつと呟いた。
「リ、リヴァイアサンあの臭いクラゲが……もし……本当に人を愛しているなら……みんな自分で料理して相手に食べさせるものよ、って言ったから……」
「はぁっ?!」
メシアはポカンと口を開け、魂の深部から湧き出る途方もない困惑の声を漏らした。
メシアがその巨大なショックからまだ立ち直りきらないうちに、ディアブラはトコトコと小さな足音を立てて突如として駆け寄り、真っ赤に染まった顔のまま、大柄な少年を無理やりテーブル席へと引っ張り下ろした!
「本王に座れと言っているんだ! そんな愚かな声を出すな!」
ディアブラは両手をテーブルにつけて身を乗り出し、勢い込みつつも目はあちこちと泳いでいた。そして二本の繊細な指で、あの皿に山積みにされた黒炭の中からひとかけら、ひときわ硬く、謎の焦げ臭い香りを放つ「黒炭クッキー」をものすごくいとおしそうに、かつ厳かに摘み上げると、震えながらメシアの口元へと差し出した。
大小姐は両目を固く閉じ、長い睫毛を激しく震わせながら、恥ずかしそうに自身の小さくピンク色に潤った唇を「あーーっ」と開けて模範を見せた。
「あーんっ! 本王に言われて、これをお食べ!」
目の前にある、どう見ても流星錘代わりに使えそうな「木炭クッキー」と、その上で期待に満ちあふれ、真っ赤に火照った大小姐の愛らしい顔を見比べながら、メシアはごくりと生唾を飲み込んだ。
『これを食べたら死ぬ……絶対に死ぬ……だがこれは、大小姐が初めて僕のために作ってくれた……』
少年の中で、壮絶な生死をかけた決断が下された。彼はそっと目を閉じ、激しく震える唇を大きく開き、その黒炭をひと口でガブリと噛み砕いた!
『カリッ……!』
甲高い乾燥した音が響いた直後、酸味、苦味、焦げ臭さ、生臭さ、そして何らかの未知の魔物の体液を思わせる破滅的な味覚の嵐が、メシアの口腔内で轟音とともに爆発した! その風味はダイレクトに彼の魂を貫き、真龍の勇者の血統が持つ耐性すらも完全に崩壊させた!
「オエェーーーーーーッ!!」
この上なく凄惨なえずき声とともに、胃の腑がひっくり返ったメシアはもはや耐えきれず、その場で『バシャッ』とディアブラの全身めがけて盛大に吐き戻してしまった!
漆黒のキッチンのなか、時間はまるでその瞬間で完全に凍りついたかのように静まり返った。
嘔吐物と小麦粉を全身に浴びたディアブラは、その場でポツンと突っ立ったまま、目の前でテーブルに突っ伏して白目を向き、泡を吹いている少年を見つめ、長く息の詰まるような静寂の中に閉じ込められた。
メシアが吐き終え、キッチン全体の空気が凍りついた地獄の混乱のなか、隅っこで過剰稼働していた魔導電子レンジが、遅ればせながら激しく揺れ動き始めた!
『ブーン、ブーン……轟音ッ!』
黒煙と焦げ付く熱光がガラスの扉の向こうで荒れ狂い、レンジの筐体そのものが台の上から飛び跳ねそうなほど激しくガタガタと揺れた!
「きゃっ! 本王のストロベリーケーキが焦げちゃう!」
ディアブラは自分の惨めな姿も小麦粉まみれなのもすっかり忘れ、焦燥に駆られてエプロンの裾を持ち上げながら、レンジの扉へと突進しようとした。
『ドガァァァン————!!』
内部で圧縮された狂暴な魔力に耐え切れず、魔導レンジが瞬間的に大爆発を起こした! 燃え盛る無数の金属片や、黒焦げのケーキの漿液が、弾片のごとく四方八方へ激しく飛散する!
「大小姐、危ない!」
千鈞一髪の瞬間、メシアは口元に残る恐ろしい余韻すら気にかける余裕もなく、真龍の勇者としての本能的な反射で猛然と飛び出し、片手で小柄なディアブラを力強く抱き寄せると、自らの身体を盾にして、その広い背中を以て彼女を必死に庇い続けた!
『ドォーン!』
巨大な衝撃波が二人をまとめて吹き飛ばし、床一面に散らばる熱い小麦粉と黒煙のなかをゴロゴロと二回転して転がった。
数秒後、爆発の余波が次第に静まり、キッチンは火の粉と立ち込める焦げ臭い匂いに包まれていた。メシアはディアブラの上に覆いかぶさるように重なり、荒い息を整えていた。彼の命がけの庇護のおかげで、ディアブラは髪の毛一本すら火の粉に触れることはなかった。
少年はゆっくりと顔を上げ、眩い黄金色の真龍の金瞳に焦りと不安の色を宿しながら、かすれた声で尋ねた。
「大小姐……怪我はありませんか? どこか痛むところは……」
ディアブラは彼にしっかりと抱きしめられ、少年の胸元から伝わる力強い心臓の鼓動と滾るような体温を感じるうちに、先ほどまでの慌てふためいた心が一瞬にして落ち着きを取り戻した。
頬は燃えるように熱く、血が出そうなほどに赤く染まっていた。木炭クッキーを身を挺して噛み砕き、爆発の瞬間にはためらうことなく自らの肉体で火の粉を遮ってくれたこの不器用なバカ保鑣を見つめながら、ディアブラの深紅の血の瞳には、次第に幾重もの涙の膜が潤んでいった。
彼女は細く微かに震える小手を伸ばし、メシアの煤で汚れた頬をそっと優しく撫でた。
メシアはその手に導かれるように視線を向け、彼女の小さな両手に目を留めた——本来なら白く柔らかく、水桶すら持ち上げられないはずの尊い両手は、今や包丁で切った無数の小さな傷痕や、高温のオーブンで負った赤く腫れ上がった火傷、そして拭い去れない漆黒の油汚れで満ちていた……。
自分のためにこの目も当てられないほどのデザートの数々を用意しようと、この高慢なお姐さまは……一体どれだけの痛みに耐え、どれほどの苦労をしてくれたというのだろうか?
メシアの瞳は、言葉にできないほどの胸の締め付けられるような切なさと愛おしさで満たされていた。彼は思わず手を伸ばし、ディアブラのその傷だらけの小さな手を優しく包み込むように握りしめ、赤く腫れた傷痕を慈しむように撫でながら、かすれながらもどこか深い愛の籠もった声で呟いた。
「大小姐……どうしてこんなに自分を傷つけたりして……本当にバカだな、あなたは……」
少年のその瞳に溢れんばかりの深い愛情と優しさを見て、そして間もなく訪れる永遠の別れの現実が脳裏をかすめ、ディアブラの中でずっと抑え込んできたすべての理性が、傲慢が、そして矜持が、この瞬間に完全に音を立てて崩れ去った!
言うが早いか——
ディアブラは一瞬の躊躇もなく、その小さな両手で少年の襟元を力強く引き寄せ、自らの可愛らしい小さな顔をぐっと持ち上げると、メシアの唇へと自分のそれを激しく重ね合わせた!
『……っ!』
突然の不意打ちのキスに、少年の瞳は驚愕で見開かれ、頭の中が真っ白になった。
だが、次の瞬間、少年は優しく目を閉じ、その小柄で震える魔王の身体をしっかりと抱きしめ返し、その熱に応えた。
甘く、切なく、そしてどこか塩辛い涙の味がする、キッチンでの情熱的な口づけ。
それは、すべての痛みを分かち合い、永遠を誓い合う最初で最後の、愛の証明そのものだった——!
——台所の扉の外。
心配のあまりずっと後を追ってきたリヴァイアサンは、今、重厚な木枠の扉に背を預けていた。
隙間から漏れ出るかすかな灯火と、息が詰まるほどに優しく静まり返った空気——深海を統べし者は、一瞬だけ呆然と立ち尽くす。彼女は顔を上げ、廊下の天井に差し込む斑駁な日光を見つめた。その唇には、ほんのりと切なく、それでいてどこまでも吹っ切れた祝福の笑みが浮かんでいた。
リヴァイアサンはそっとスカートの裾を払い、扉の向こうで抱き合うふたりを邪魔することなく身を翻した。腕を組み、手のひらの中で千年の時を刻んできた古のアクアマリンの信物を、最後に一度だけ胸へと強く押し当てる。そして、誰の耳にも届かないほどの小さな声で呟いた。
「前世では、私があなたを千年間見守り続けた……だから今生は、あの子にあなたを守らせてあげましょう」
彼女は繊細なドレスの裾を整え、その扉を開けることも、寄り添う恋人たちを邪魔するような音を立てることもなかった。
身を翻したリヴァイアサンの青い髪が、廊下を吹き抜ける朝風に揺られ、まるで白波のようにたなびく。彼女は気品に満ちた背筋を優雅に伸ばし、静寂に包まれた長い石造りの廊下を、夜明けの最初の光を踏みしめながら——一歩、また一歩と、どこまでも強く、そして優しく、その先へと歩みを進めていった……




