第十三章:美食家と極上のソウルフード
第一幕:霧深き森の迷宮と暗き羽衣
「それじゃあ、所羅門の神殿へ行って、お前の指輪を探しに行こうか、お嬢様」
メシアはさきほどの重苦しい空気を笑い飛ばすように、温かく揺るぎない眼差しをディアブラに向けながらそう言った。
一行は海岸を後にし、神の島の中心にそびえ立つ巍峨たる所羅門神殿へと歩みを進めた。だが、神殿の外縁をなす、古木が天を突くように生い茂る幽暗で不気味な濃霧の森に足を踏み入れた途端、周囲の景色が奇妙な輪郭を帯びてグルグルとループし始めた。いくら前へ前へと歩を進めようとも、辿り着くのは必ず最初の一本の枯れ木の前だった。
ディアブラはふっと足を止め、蛇のように這い回りうねる幽暗な霧を見回しながら、美しい眉をわずかにひそめて低く呟いた。
「よくないな……私たちは罠に嵌められたようだ」
その言葉を聞いた瞬間、メシアとオフィーリアの表情が引き締まり、ほぼ同時に『カキィィン!』と腰の長剣を抜き放った。二人は一前一後でか弱きお嬢様をしっかりと背中合わせに庇い、臨戦態勢の完璧な防御陣形を敷く。傍らに控える深海を統べるリヴィアタンもまた、幽藍の瞳を細め、その美貌に警戒の光を宿して上空を真っ直ぐに見上げた。
だが、ディアブラだけは心底うんざりしたように、長いため息をひとつ吐き出した。
千年前、この七大魔神の頂点に君臨していた彼としての記憶が——この見慣れた歪んだ術式の癖を一瞬で思い出させていた。彼女はその小柄で端整なお顔をぐいと持ち上げ、濃霧に覆われた空を仰ぎ見ると、呆れ返ったトーンで大声で怒鳴りつけた。
「いつまでそんな幼稚な真似をしている! お前だな、ベルゼブブ!」
◇
声が響いたその瞬間、頭上の樹冠を覆っていた濃い霧が左右へと静かに割れていった。
修長でしなやかな、妖艶な曲線を描く人影が、半空から優雅に舞い降りてくる。彼女は両腕をふわりと広げ、夜闇に舞う暗黒の蝶のごとく軽やかで美しい軌跡を描いていた。
その女性は、華麗かつ神秘的な暗紫色の羽衣をまとい、口元には気だるげで色っぽく、だが危険な笑みを浮かべていた。彼女は上から見下ろすように一同を見下ろし、古の気高さと威厳を帯びた澄んだ声を響かせた。
「我が名は魔王が御許、財宝の門番——『暴食のベルゼブブ』。諸君、招かれざる客が何の用かしら? まさか我が主がこの地に遺していった至高の財宝を盗みにでも来たのかしら?」
いかにもお役所仕事然とした、正義感に満ちあふれた芝居じみた物言いをするベルゼブブを見て、ディアブラの額の青筋がピクピクと激しく脈打った。彼女は歯ぎしりしながらベルゼブブをキッと睨みつけた。
「白々しい真似をするな! お前、最初に顔を見た瞬間から我がを絶対分かってただろッ!」
だが、ディアブラが後半のセリフを言い終えるより早く——!
シュッ!!
ベルゼブブの姿が、一瞬にして人間の目には捉えられないほどの漆黒の残影へと変化した! 常識を軽々と超越したその恐怖の速度は、超一流の剣士であるメシアとオフィーリアですら、いかなる防御反応も起こす余裕を与えなかった!
次の瞬間、ベルゼブブはすでに音もなくディアブラの背後へと回り込んでいたのだ!
「お嬢様——ッ?!」
メシアの瞳孔がギュッと縮み、背筋に冷たい汗が走った。
ベルゼブブはスラリと伸びた雪白の指を伸ばし、ディアブラの華奢でか弱き肩を優しく、だが絶対的な支配力をもって抱きしめた。彼女はわずかに身をかがめ、少女の白く滑らかな首筋へと顔を寄せると、目を閉じて、貪欲かつ陶酔しきった様子で深く息を吸い込んだ。
「んふぅ……なんと香醇で、なんと美味しそうで、涎が垂れるほどの素晴らしい匂いなのかしら……」
ベルゼブブの両眼が異様な熱狂の光に染まり、その声は極限の満足と陶酔感に満ちあふれていた。
「間違いないわ……これこそ、ディアブロ様の魂の匂いだわ~♡」
そう言い終えた瞬間、ベルゼブブはこらえきれなくなったのか、なんと口からタラリと涎を垂らし、『ポタッ』という音とともにディアブラの気高いレースの襟元に正確に直撃させたのだ!
「離せ!」
「お嬢様から離れろ!」
このあまりにもふざけた、しかし不気味な光景を目撃したメシアとオフィーリアが激怒の怒号を上げ、冷たい光を放つ二振りの剣が猛烈な風圧を纏ってベルゼブブの咽喉へと突き進んだ!
一方、その場で固まっていたディアブラは、首筋に伝わる生温かく濡れた液体を感じ取り、その身体を激しく震わせた。恐怖で真っ青になっていた小さなお顔が、たったの一秒で再び真っ赤に爆発した——だが今回は、恐怖ではなく、その場で即死しかねないほどの激しい怒りと羞恥心によるものだった!
「ベルゼブブ——ッ!! この死に損ないのメスバエめ、我が貴い衣服に自分のヨダレを垂らしたなァァァッ!!」
ディアブラは羞憤のあまり、森を揺るがすほどの絶叫を張り上げた!
◇
第二幕:暴食の告白と千年の飢え
ベルゼブブは暗紫色の羽衣をふわりとなびかせながら、優雅に半空へとふわりと浮き上がった。彼女は小さくため息をつきながら自分の身体を揺らすと、先ほどまでのふざけたからかいの色を消し去り、その瞳の奥に極めて深く、底知れぬ哀しみと疲弊の影を浮かべた。
「ディアブロ様……この僕は、ただあなた様と些細な冗談を交わしたかっただけです。おわかりですか……僕がひとりでこの場所を守り抜くことが、どれほど孤独で過酷であったかを……」
ベルゼブブのふざけた態度が消え失せ、澄んだ声は千年の風霜と血塗られた歴史の重みを帯びて、重苦しく響いた。
「あなたが千年前、この島で隕落されてからというもの、広大な魔界は果てしない内乱と大災厄の渦に呑み込まれました。かつてあなた様の直下で実力を誇った『七大幹部』どもはそれぞれに割拠し、自ら王を名乗って争い始めた。あなた様が遺した至高の権能とソロモンの財宝を奪い取ろうと、この千年もの間、彼らはどれほどの精鋭軍団を差し向け、この神殿を血の海に染めようと襲撃してきたことか!」
ベルゼブブは雪のように白い手のひらで自身の胸元をそっと押さえ、その口調には言い表せないほどの不遇、孤独、秘めた哀愁が滲んでいた。
「この千年の長きにわたり、僕はたったひとりでこの荒涼とした神殿を守り続け、あらゆる勢力からの容赦ない包囲を耐え抜き、日夜あなた様の王としての御帰還を待ち望んでおりました……ですが、僕がこれほどまでに苦しみながら待ち続けた末にやってきたのは、万魔の至尊たる強大な陛下ではなく……ディアブロ様の魂の香りがするだけの、『あまりにもか弱く美味しそうな肉塊』でした」
そこまで語ると、ベルゼブブの美しく深い大きな瞳から、ぽろりと透明で熱い大粒の涙が零れ落ちた。
その涙は彼女の絶品の頬を伝い、下の濃霧の中にポタリと落ちていく。
彼女は、目の前で小柄でか弱く、簡単な魔法すら使えなくなっているディアブラをじっと見つめた。その眼差しは、底知れない悲哀から、次第に極限までねじ曲がった狂熱的、病的で執着に満ちた光へと変貌していった。
ベルゼブブはふたたび幽霊の如くスーッとディアブラの耳元へと滑り寄り、吐息を漏らしながら、この上なく誘惑的で優しい声で囁いた。
「ディアブロ様……あなた様は今、あまりにも苦しく、あまりにも痛々しい。そのか弱き人間の肉体では、昔の偉大な力など到底耐え切れないでしょう……いっそ、僕がその魂を一口残らず美味しくいただいて差し上げましょうか?」
ベルゼブブは艶かしく舌なめずりをし、その双眸にはぞっとするような紫の光が宿った。
「あなた様の魂が僕と完全に一つに融合すれば、僕はあなた様の完全無欠の至高の力を手に入れることができる! そうすれば私たち二人が『ひとつに合わさり』……ふたたび魔界を平定し、この世界を統べるのです!」
「この頭のイカれたメスバエがぁぁぁっ!! 頭の狂った告白をするな気違いめ!!」
ベルゼブブのあまりに病的な愛の告白と『丸呑み宣言』を聞いたディアブラは、全身に鳥肌が総立ちになり、紙のように真っ青になったお顔で必死に足をバタバタさせて暴れ回った!




