第十二章:千年前の裏切りと鎖心の石
第一幕:冷たい砂浜での再会と修羅場
嵐が過ぎ去ったあとの『神の島』の荒涼とした黒い砂浜に、救生艇が波に打たれて打ち上げられていた。
ディアブラは全身ずぶ濡れのまま砂浜に膝をつき、泥と砂を両手で固く掴みしめながら、まだ乾ききらない涙の跡をその頬に残したまま、ただ呆然と遠くの波荒い大海原を見つめていた。傍らではオフィーリアが焦燥の色を浮かべて辺りをせわしなく見渡し、少年の行方を懸命に探している。
その時、遠くの海面で突然眩い青色の水飛沫が爆発した!
バシャァァッ——!
一筋の堂々たる人影が波を踏みしめて砂浜へと見事に着地し、その腕には、気品高くもどこか冷ややかな威厳を纏った湛藍色の髪の美女をしっかりと抱きかかえていた。
「ゲホッ……お待たせしました、お嬢様。随分と心配かけちゃいましたね」
メシアは体についた海水を軽くパタパタと払い落とすと、砂浜にいる少女たちに向けて爽やかに手を挙げて挨拶した。
ディアブラの身体がピタリと硬直し、その瞳が大きく見開かれた。少年が何ひとつ怪我もなく目の前に立っているのを確認した瞬間、半ば半狂乱になっていた彼女の胸のつかえがようやく下りた——だが次の瞬間、少年の傍らにぴったりと寄り添い、その腕にしがみついている美貌の女性の姿をとらえたとき、彼女の視線は凍りついた。
「リ……リヴィアタン……ッ?!」
かつての部下の姿を認め、さらにそのリヴィアタンが自分に向けて挑戦的かつ独占欲に満ちた熱い視線を送っているのを見た瞬間、傲嬌な小間使い令嬢の紅き瞳は一気に激しい怒りの炎を燃え上がらせた!
「き、貴様ぁ……この下等な人間め! さっき溺れたのは、すっかり本王の部下と密会でもしてたからなのか?! それにリヴィアタン! 早くその手を離せ! こいつは本王の専属雇われ傭兵なのだぞ——!」
砂浜の空気が一瞬にして凍りついた。
リヴィアタンはメシアの腕をさらに強く引き寄せ、美しい青の瞳の中に冷徹さと強い決意を宿した。彼女はゆっくりと視線を転じ、全身びしょ濡れになって顔を真っ赤に怒らせているディアブラを見下ろすと、千年の歳月を経た重みを帯びた、どこか落ち着いた口調で告げた。
「千年前、人魔大戦が最も残酷を極めていた頃……勇者ミサール様は神の島へと向かう航海の中で海難に遭い、深海へと沈みかけました。瀕死の彼を救ったのは、他でもない私だったのです。そして共に過ごすうちに、私たちは……深く愛し合うようになりました」
リヴィアタンの瞳が次第に冷ややかさを帯び、かつての魔王と瓜二つのディアブラの顔を真っ直ぐに射抜いた。
「だが、この出来事は瞬く間に魔王ディアブロの耳に入ることになりました。魔王は、私が勇者を救ったその背信行為を許すはずもなく、極限の禁呪を発動させ、私を万丈の深海の果てにある無きが如き牢獄へと永遠に鎮圧したのです」
「勇者ミサール様は、私を魔王の手から解放するため……迷うことなく立ち上がり、この神の島へと足を踏み入れ、ディアブロとの間に相討ちとなる終末の決戦を繰り広げました。あの戦いで戦死した魔王の封印が解けたことで、私はようやく自由の身を得ることができました。ですが、私はこの海域を離れることはなかった……千年の長きにわたり、私は漆黒の深海に潜み、我が勇者様が帰還する日をずっと、ただ待ち続けていたのです」
◇
第二幕:明かされる世界の秘密と『鎖心の石』
語られた千年の秘められた過去に、傍らのオフィーリアはあんぐりと口を開けたまま絶句した。リヴィアタンと、目の前にある麻布の服を着た少年に交互に視線をやりながら、当時の伝説的大戦の裏にこれほどまでにドラマチックで代償の大きな愛の物語が隠されていたとは夢にも思っていなかったのだ。
一方、砂浜に座り込んでいたディアブラは、完全に思考回路を停止させていた。
千年前、魔王ディアブロだった彼の記憶の片隅には——確かに裏切った部下を処罰・鎮圧したおぼろげな印象が残っていた。
だが、まさか毎日自分の洗濯物を渋々洗い、一見するとどこにでもいるような農村のガキにしか見えない目の前の少年が、千年前には自分の部下を救うために自分自身と命懸けの死闘を繰り広げた当事者だったとは……!
「き、貴様……このずるい人間め……!」
ディアブラの小さなお顔は赤みと蒼白さが入り交じり、胸が激しく上下した。傲嬌な天性から昔の覇王としての威厳を取り戻そうと冷たく鼻を鳴らしたい衝動に駆られたが、リヴィアタンがメシアにぴったりと密着している姿を見ていると、なぜだか胸の奥底から得体の知れない酸っぱさと激しい羞憤がこみ上げてくるのだった。
海風が神の島の冷たい砂浜を吹き抜ける中、リヴィアタンはそれまでの柔らかな情愛や敵意をふっと引っ込め、ただひたすらに重々しい表情を浮かべると、千年の間隠され続けてきた残酷な真実を静かに語り始めた。
「勇者ミサール様……そしてディアブロよ、あなたたちには知っておかなければならないことがある。あの日の戦いで、『主宰者の剣』が魔王の心臓を貫き、その膨大な魔力を深海の隧道の中に深く封印し尽くした」
リヴィアタンは振り返り、遠くに見える真っ黒に淀んだ海底の亀裂を指し示しながら、声を低く落とした。
「いまこの新世界に広がる山川も大地も、すべてはディアブロの肉体と魔力によって養われ、支えられている。そして、あの神兵こそが、世界全体の霊力の均衡を保つ『鎖心の石』なのだ。もし今この瞬間に『主宰者の剣』を引き抜いてしまえば……封印された魔力は完全に制御を失って暴走する。ディアブロの魔力による安定した支えを失ったこの、ようやく芽吹いたばかりの世界は……一瞬にして崩壊し、再び完全な虚無へと帰すことになるでしょう」
「なっ……なんだって……?!」
傍らにいたオフィーリアがハッと息を呑み, 反射的に腰の剣の柄を固く握りしめた。
そして、誇り高く頭を掲げ、ただひたすら魔王としての雄姿を取り戻すことだけを考えていたディアブラ自身も、その場で呆然と固まってしまった。彼女は自らのこのか弱き人間の肉体に目を落とし、それから遠くに見える、何気なく人々が平和に暮らしている街並みや生命の気気配を思い浮かべた。
もし剣を引き抜けば、世界が滅びる?
では、自分がここまで血眼になってこの島にやってきた目的は、いったい何だったというのか?
海岸一帯は、息をのむような圧倒的な静寂に包まれた。
◇
第三幕:少年の選択
誰もがこの逃れられない絶望的な二者択一の前に立ち尽くす中、麻布の服をまとった農村の少年は、不意にふうっと小さく息をついた。
メシアは体についた砂を何気なく手で払い落とすと、そこには微塵の迷いも後悔もなく、それどころかどこか肩の荷が下りたような、驚くほど軽やかで開けっぴろげな笑みを浮かべていた。彼は目の前の深海隧道を一瞥し、軽く肩をすくめて言った。
「そうですか……それなら、僕はもうそのボロボロの剣なんてそんなに欲しくなくなっちゃいましたね」
「メシア——ッ?!」
ディアブラとオフィーリアの二人が声を揃えて驚愕の叫びを上げた。
少年はクルリと振り返り、その澄んだ両眼で目の前の仲間たちを優しく見渡すと、口元にこの上なくあたたかな弧を描いてみせた。
「千年前の僕は、誰かを救い、何かを守るために戦いました。もし自分の武器を取り戻す代償が、みんなが暮らしているこの世界を滅ぼすことだとしたら、そんな剣はあそこにそのまま鎖心の石として刺さったままで十分ですよ。それに……」
少年はそこで少し言葉を切ると、視線を特に、傲嬌な表情を浮かべたままで呆然としているディアブラと、自分を深く見つめているリヴィアタンの二人の顔に順に留め、揺るぎない決意と包み込むような優しさをその瞳に満たした。
「いまのこの世界には、僕にとって何よりも大切な家族がいて、守りたい街があって、自由があって……そして、君たちがいるからね」




