5. あなたに本当に感謝しているの
数日後、馬車はアルバニルへと到着した。シャルル様に続いて馬車を降りる。そこには太陽を受けて白く輝く城がそびえ立っていた。
「おかえりなさいませ、王太子殿下」
「ああ、留守の間すまなかったな」
貴族や騎士、侍従が並び頭を下げるのを見て、シャルル様は一切戸惑うことなく頷く。道中は護衛の騎士に混ざって食事を摂ったり、自ら御者台に座る姿も見ていたので本当に王族なのかと思っていたけれど。
……本当に王太子なのね。
半ば呆然としてシャルル様を見ていると、どうした? と尋ねられてハッとした。
「いえ、なんでも……」
「そうか。こっちだ。あなたが嫌でなければまずは姉上とフィリップに会ってもらいたい」
はい、と頷いて歩き出したシャルル様の斜め後ろをついて行く。ふと、周りからの視線に気がついた。
向けられている視線が好奇なものであるとすぐに分かった。王太子であるシャルル様が他国から連れて来た貴族。それも顔に大きな火傷痕があるなど、目立って当然。
覚悟していたことではあったけれど、実際にこうして人目に晒されると少し堪えるものがある。視線は自然と下へと落ちた。
「見て、あの方、なんて酷い怪我なの……」
「どうしてあのような方を王太子殿下が?」
「あの醜い傷痕はどうにかならんのか?」
ヒソヒソと聞こえる言葉に息が苦しくなる。床だけを見つめて歩く。ふと、右隣に誰かが並ぶ気配がした。
「お気になさることはございません。リズ様は誰よりも美しいですから」
小さな気遣うような声。騎士の一人だった。道中でもよく気遣ってくれた人。
「ニコラス……ありがとう」
感謝を述べるとニコラスはにこりと笑んで、前を向いた。だけどわたくしの隣から動く気はないようでずっと並んで歩いている。
大きな体が周りの人たちを遮る。ふと、ある可能性に気が付いた。
「もしかして、隠してくれているの?」
後ろではなく横。それも左ではなく右。わたくしから周りの人が見えないように、周りからもこの火傷の痕が隠れるように。
ニコラスはもう一度にっこりと笑った。
「お邪魔でしたら下がります」
肯定も否定もせずにそれだけ。この国には……シャルル様の周りには優しい人が多い。先程までの息苦しさが嘘だったかのように消えた。
ありがとう、と小さくお礼を言うと、前を歩くシャルル様が振り返った。
「ニコラス、お前だけいい格好をするな。リズの隣は私の場所だ」
拗ねたような声。ニコラスは笑い混じりに、呆れたように、はいはい、と返す。
「周りの目がある間はお控えください。私はあなたの場所を奪おうなどと考えておりませんから」
「本当だろうな?」
「本当です」
小声で交わされる親しげな二人のやり取り。それを聞いているとなんだか嬉しくて、楽しくて、自然と笑みが浮かんだ。
途端、ひっ、と小さな、本当に微かな悲鳴が聞こえた。
「なんて不気味な笑顔なの……」
失敗した、と思った。
シャルル様が、道中を共にした騎士達が優しかったから、普通に接してくれていたから忘れていた。わたくしは醜く、不気味なのだ、ということを。
さあっと熱が引いていくような感覚。凍りついたように動かない表情筋。
ニコラスの気遣うような視線に気が付いたけれど、もう顔を上げることはできなかった。
城内でも好奇の視線は変わらず、俯いたまま歩き、かなり奥まで進んだ頃、ここだ、とシャルル様は一室の前で足を止めた。
シャルル様は自らノックをすると、返事がある前に扉を開けた。
「ただいま戻りました、姉上。留守を預かっていただきありがとうございます。義兄上にもよろしくお伝えください」
「お礼を言うのはこちらよ。わざわざ隣国までありがとう。でもどうして皆をここに集めたの?」
中へ入ったシャルル様とお姉様のそんな会話が聞こえ、わたくしの心臓はうるさく打ち出した。
シャルル様のお姉様、カトリーヌ様。確か23歳だと聞いた。優しいけれど気が強く、怒ったら怖いのだ、とシャルル様はおっしゃってられた。
わたくしのこの顔を見てなんと思うのかしら……。
「大丈夫ですよ。カトリーヌ様は聡明でお優しい方です。シャルル様のお姉様ですから」
ニコラスが声をひそめて言った。ええ、とだけ頷く。分かっている。分かっているから、尚更……。
「それで、彼女には会えたの?」
「ええ、会えました。とても美しい方でしたよ。姉上も会いたいでしょう?」
「え? それはもちろん会いたいわよ。会ってちゃんとお礼を言いたいもの」
開いたままの扉の向こうから聞こえるのは不思議そうな声。それで察してしまった。もしやシャルル様は、カトリーヌ様にわたくしのことを話していないのでは。
さらに鼓動が速くなった時、ニコラスがどうぞ、と部屋の中を示した。
「そうおっしゃると思って連れて来ました」
「はあ!?」
シャルル様とカトリーヌ様の声が聞こえ、ニコラスに背中をそっと押され、反射的に足を進めた。うるさいほどに打っている心臓と、緊張からくる吐き気。それを全部無視して、部屋へ入ると一気に空気が変わった。
壁際に並んだ護衛騎士や侍女、侍従。その中心にはシャルル様と向かい合って、とても美しい女性が立っていた。シャルル様と同じ色の長い髪。とてもよく似た顔立ち。それから、その横にあの時の子供の姿。
皆が息を呑んだのが分かった。
「リズ、こちらが私の姉上と甥のフィリップだ」
そう言って笑うシャルル様と呆然としてわたくしを見るカトリーヌ様とフィリップ様。まるで時が止まったような二人の視線が向いているのはただ一点。わたくしの頬。
笑わないよう、表情を動かさないよう、細心の注意を払って膝をつく。
「リズ……と申します。お会いできて嬉しいです」
名字を名乗るか迷って、やめた。ほとんど捨てられたようなわたくしにとってあそこはもう帰る場所でもないから。
「……あ、ごめんなさい、立ってちょうだい」
ハッとした様子の声。慌てて伸ばされた手に促されて立ち上がる。
「わたくしは降嫁した身よ。王族じゃないわ。それに……頭を下げるのはこちらの方だもの」
カトリーヌ様はそう言うと深々と頭を下げた。その横でフィリップ様も同じように頭を下げる。
「や、やめてください……」
こんなことをされても困る。しかし二人は顔を上げない。
「ごめんなさい。それから、ありがとう。あの時、あなたが庇ってくれなかったら……」
「大変申し訳ありませんでした。深く反省しております」
カトリーヌ様に続いて、舌足らずな声がハキハキと喋る。その喋り方が初めて会った時のシャルル様と少しだけ被った。
「お気になさらないでください。感謝も謝罪もわたくしには必要ありません」
なんて言っても本当に気にしないことなんてできないことは分かる。顔を上げた二人の目はわたくしの頬や首へ向いていて、自責の念に駆られているのはその表情を見ただけで分かる。
だけどそんな顔をされるのがわたくしは一番辛い。
「……本当に、ごめんなさい。まさかそんなにも酷い痕になっているなんて……」
カトリーヌ様の声は揺れていた。何か言わなければ、と思うが、いいえ、と答えることしかできなかった。
大丈夫ですから、と笑うのは簡単。でも皮膚の引き攣りで歪む笑顔など見せたらきっとこの方はもっと心を痛めるだろうから。
部屋の中に沈黙が降りる。騎士や侍女が視線を下げているのが見える。まるで見てはいけない、と言うように。
ごめんなさい、こんな醜い姿を目の前に晒して。
心の中で謝罪した時だった。
「目を逸らすな」
鋭い声が部屋の中に響いた。
「護衛を怠った騎士の、フィリップを躾けられなかった侍女や侍従の、フィリップを正しく導けなかった姉上の、私の、それからフィリップ本人の罪の結果だ。目を逸らすな。その心に刻み込め。私たちが一人の女性の人生を捻じ曲げてしまったのだと。それがお前達にできる償いだ」
シャルル様だった。見回す鋭い目。真っ直ぐなその声は部屋の中に響いた。
その言葉に促されてこちらへ向くいくつもの視線。
「あ、あの、わたくしは……」
見られても困る。なんて言えずシャルル様に視線を向けたが、シャルル様は厳しい表情のまま騎士達を見ていてわたくしを見ない。
そんなわたくしに気が付いたのか、カトリーヌ様がさりげなくシャルル様の隣に立ち、肘で小突くのが見えた。
「馬鹿、あなたデリカシーなさすぎよ。火傷の痕を見られて喜ぶ令嬢がどこにいるってのよ」
聞こえた小さな声に、その通りです、と心の中で同意する。シャルル様は自らの失敗を悟ったように、あ、と大きく口を開いた。
「す、すまない、リズ。やっぱり見るな。皆目を逸らせ」
「……いえ」
悪気があったわけじゃないのは分かる。本当に、立派な方だとも思うから。
カトリーヌ様はゆっくりとわたくしの前に立つと、細い指でわたくしの手を取った。
「リズ、と呼んでもいいかしら?」
「もちろんです」
「わたくしは母として、あなたに本当に感謝しているの。わたくしにできることならなんでもするわ。何かあったら相談してちょうだい」
目が微かに潤んでいるような気がした。柔らかく握られた指先からじんわりと体温が伝わってくる。
母親というのはなんて愛情に溢れているのだろう、と思った。
「ありがとうございます」
小さくお礼を言うと手が離され、わたくしはシャルル様と共に部屋を出た。




