4. 私はあなたを諦めたくない
馬車が王都を出た頃、向かいに座る殿下は静かに言った。
「すまない。あの者達のあなたの扱いに耐えかねて思わず口を挟んでしまった……」
そう言って浮かべた笑みは本当に申し訳なさそうで。ガラガラと車輪の音に紛れないよう、少し声を張った。
「いいえ」
本当は一緒に来るつもりなんてなかった。神殿に入り、この顔を人前に出さずに生を送るつもりだった。でもこの方を見ていたら……気が付いた時には頷いていた。
「殿下のお心に、感謝しております。謝罪など、必要ありません」
これほど喋ったのはあの火傷の日以降初めてだ。そのおかげか、引き攣った頬でも痛みや違和感が少なく喋ることができるようになってきたような気がする。もしくはわたくしがそれに慣れたか。
「殿下ではなくシャルルと呼んでくれ」
シャルル様は、リズ、とわたくしの名前を呼ぶ。お父様やセドリック様以外の男性にこうして名前を呼ばれたのは初めてで、なんだか照れ臭い。どんな顔をしたらいいのか分からずに視線を彷徨わせると、シャルル様はふっと笑った。
柔らかくて、温かい微笑みだった。
さて、とシャルル様は話題を変える。
「リズが望むならこの馬車は先の街の神殿で止めよう。あなたが選ぶのだ」
「ならば、」
止めてください、と言おうとしたが、それは口に出る前に手で遮られた。
「だが、私は先ほども言った通りあなたを幸せにする自信がある。だから一緒に来てもらえると嬉しい」
少し照れたような笑み。胸の内にじんわりと温かい何かが広がった気がした。思わず頷いてしまいそうになる気持ちを抑えた。
「先ほど聞いたでしょう? わたくしは、『顔だけ』なのです。ご一緒しても、何もできません」
「本当に『顔だけ』の者ならば、子供を庇って熱湯を浴びることなどできるはずがない」
静かな瞳だった。じっと見つめるその目から逃げるように体ごと斜めに向けて右頬と首を隠す。
「このように醜いわたくしが、おそばにいたら、シャルル様にご迷惑が、かかってしまいます」
少し長く続けられた言葉に内心で微笑む。コツを掴んで、もう少し時間が経てば、前と同じように喋ることができるかもしれない。
シャルル様の表情が曇る。それで言葉を間違えたことに気が付いた。
「勘違いなさらないで、ください。わたくしはあの日、子供を庇ったことを、後悔しておりません。あの子が誰でも、わたくしの身体は、きっと勝手に動いていたことでしょう」
目を伏せるとシャルル様やあの子の金色の髪が浮かぶ。美しいあの色がわたくしの目を引いてくれてよかった。あの時、気が付いてよかった。心の底からそう思う。
口元が自然と緩んだ。
「……分かっている。あなたの心は美しい。だからこそ、私は……」
馬車の音に馴染むように、シャルル様の静かな声が聞こえた。目を開けて、痕は隠したまま、目だけでシャルル様を見る。
どうしてだろう。何度も繰り返された言葉だと言うのに、この方の口から出た『美しい』がこの上なく嬉しい。
……わたくしはそれだけで満足だわ。
「わたくしは神殿へ」
「ま、待て!」
またもや言葉が遮られる。シャルル様は、「待て」と「ちょっと待て」を何度も繰り返しながら、視線を彷徨わせる。
「待て、ええと……ほら、あれだ」
言葉を探している。わたくしを留め置くために。
そう思うのはあまりにも都合が良すぎるかしら。
「いきなり妃など言い出したのは悪かった。妃でなくとも良い。だから……」
視線を彷徨わせ、言葉を探しながら必死な様子で言葉を紡ぐその姿に、シャルル様の素が見えた。
「……そう、あれだ、恩人を神殿に置いてきたなど知られたら、私はきっと姉上からとんでもなく怒られてしまう」
それは子供のような表情だった。思わず笑いがこぼれる。わたくしよりも年上なのに。先程まではあんなにも凛々しかったのに。
「笑わないでくれ。姉上は怒ったら本当に怖いんだ。義兄上もフィリップも裸足で逃げ出すほどなんだぞ」
「フィリップ、様? あの子のことですか?」
シャルル様と同じ色の髪の子供。元気いっぱいの笑顔を思い出す。シャルル様は一瞬だけ戸惑うような素振りを見せ、そうだ、と頷いた。
「どうか私と一緒に来て欲しい。姉上やフィリップにも直接礼を言う機会をもらいたい。妃にならなくとも良い。それでも何があろうと私が守る。私があなたを幸せにしてみせる」
「……シャルル様はお優しい方ですね」
幼い頃から一緒に育ってきた婚約者も、妹も、親ですら、醜くなったわたくしを疎んだのに。他人であるシャルル様はわたくしを望んでくれる。
「きっとシャルル様と共にいたら、わたくしは誰よりも幸せになれるのでしょう」
「ならば……」
シャルル様が微笑む。つられてわたくしも笑みが浮かんだ。そして、突きつけられる。この右頬が、首が、引き攣るたびに。現実が。
「ですが、やはりご一緒することはできません」
国が変わっても美醜は同じ。この顔ではシャルル様と共に在れない。
シャルル様はわたくしの言葉を聞いて、目を大きく見開いた。ダメだ、とその口が動く。
「わたくしが選ぶのだと、おっしゃったではありませんか」
「言った。確かに言った、が……すまない、やはり私はあなたを諦めたくない」
考え込むシャルル様を見ると何故だか涙が出そうになった。
「……分かった。ならばこうしよう」
シャルル様はそう言って、どこか躊躇うように口を開いた。
「私の元には今文官が足りていない。一緒に来て私の臣下となって欲しい」
思わずシャルル様の方を向いていた。首の皮膚が引き攣ったが、それにも構えないほど驚いて。
「あなたの元婚約者の作った書類を見た。その中にいくつか、明らかに作り手が違うと見られる物があった。あれは誰にでも作れるような物ではない。あなただろう?」
「あれを、見られたのですか……?」
これまでセドリック様の婚約者として隣で補佐をしてきた。セドリック様は二つのことを同時にできるほど器用な方ではないから。だからわたくしは自然と書類仕事にも手を出してきた。
全てセドリック様の名前で提出した物だけれど。
「あなたは決して『顔だけ』ではない。何故その優秀さを隠しているかは知らないが、その力を私に貸して欲しい。火傷の痕など、隠す方法はいくらでもある」
わたくしはわたくしのできることを意識して隠してはいなかった。ただ、婚約者としてセドリック様を立て、セドリック様よりも前に出ないようにしていただけ。それがわたくしに求められていたことだったから。
誰も気が付かなかったことを、どうして初めて会ったこの方が気付くのだろう。
「私と共に来てくれるか?」
それが最後の一押しだった。涙が目から溢れた。胸が痛いほどに詰まって、喉がひくりと動くたびに皮膚が引き攣る。
突きつけられる現実。それでも込み上げる想いはただ一つだけ。
この方と共にいきたい。
首が勝手に頷いていた。
「……あなたは涙まで美しい」
シャルル様はそう言ってホッとしたように笑った。馬車はもう止まろうとしなかった。




