3. あなたを幸せにする自信が私にはある
コツ、コツ、と響く自信にあふれた足音。この足音をわたくしはよく知っている。キャシーとお父様の視線が廊下の先へ向き、聞こえたのはやはりよく知った声だった。
「オースティン侯爵、キャシー、外に見慣れない馬車がありましたが、来客ですか?」
セドリック様だった。
「アルバニルの王族の方です」
お父様が答えるのを聞きながら、殿下は、誰だ? と小さくわたくしに問うた。
「バックナー公爵家の、セドリック様です」
引き攣る頬を無理に動かして答えると、殿下は、知っている名だ、と廊下の方へ視線を向けた。その先にはセドリック様に腕を絡めるキャシーの姿がある。
「確か、あなたの婚約者だったのでは?」
そんなことも調べてられていたのね、と心の中でため息をつく。
「昨日までは」
短く答えると殿下は怪訝そうに眉をひそめた。何もかもタイミングが悪すぎる。火傷によって引き起こされた今の状況を、この方に知られる気などなかったのに。
セドリック様は殿下の足元へ膝をつくと、公爵家の人間らしく、礼儀正しい挨拶をした。それを受けた殿下はセドリック様を立たせて、すぐに聞く。
「婚約を解消したのか?」
「はい。今の私の婚約者はこちらのキャシーでございます」
当たり前のような笑みで答えるセドリック様。キャシーがうふふっと嬉しそうに笑う。
「理由を聞いても?」
殿下は硬い表情でセドリック様を見る。
「おやめ、ください……」
小さな声しか出なかった。殿下はそれにわたくしを見た。しかしセドリック様には聞こえなかったようで、ふっと笑う。
「当然ではありませんか。美しさにしか価値がなかったというのに、その美しさを失ってしまったのですから」
胸が締め付けられた。昨日も聞いた言葉。分かりきった言葉。それに何かを思うことはない。だけど、この方の前では言われたくなかった。
殿下の目がわたくしへ向く。真っ直ぐな瞳。何もかもを見透かすような瞳。
自分がとてつもなく惨めで、恥ずかしくて、火傷をした時と同じくらい顔が熱くなったような気がした。咄嗟に背中を向ける。セドリック様の声は続いた。
「無価値なうえにそのような醜い顔で隣に立たれるなど、ね……」
顔が熱くて、息苦しくて、唇を噛んだ。
分かっている。自分の顔が醜いことも、もうセドリック様の婚約者としての役割を果たせないことも、わたくしには価値がないことも。分かっているから、神殿に行くから、だからこの方の前でそれ以上言わないで……!
しかしそれを口にすることはできず、ただ俯いた。背後でセドリック様やキャシーやお父様が笑っていることは分かる。だけど殿下がどんな顔をしているのか、それだけが分からない。知りたくない。
セドリック様とキャシーは如何にわたくしが美しかったか、それがどう失われてしまったのかを惜しむように話す。聞きたくないけれど耳に入る言葉に、出て行って、と叫びたくなった。
しかし、それを遮ったのはわたくしではなかった。
「もう良い。彼女がどんなに美しかったのかは分かった。お前達が彼女をどう見ていたのかも分かった」
そんな言葉と共に深いため息も聞こえた。
「だから、神殿に入るのか?」
その『だから』に何が込められているのか、考えることも嫌で、ただ小さく頷いた。
「この国で神殿に入るということがどういうことか、私も知っている。入れば一生出ることはできない。菓子もドレスもない。結婚はおろか、恋をすることも叶わない。そこにいるだけで後ろ指を指される」
もう一度頷く。神殿とは今の世において処刑されるほどではないような罪を犯した貴族が行く場所であるとされている。もちろん望んで行くこともできる場所だが、世間では神殿に入ることは罪人であることと同義。
良いのか、と静かな声が聞こえた。振り向いて口元に笑みを浮かべる。右頬が突っ張る。きっとこの笑みはとてつもなく醜いものだろう。
セドリック様とキャシーが不快そうに眉をひそめるのが見えた。しかし殿下は表情ひとつ変えず、真っ直ぐな目でわたくしを見ていた。
「わたくしは、もう、役割を、果たすことが、できませんもの」
途切れ途切れの言葉。ちゃんと言葉を発することも、笑うこともできないこの顔。
セドリック様はバックナー公爵家を継ぐことが役割。わたくしはセドリック様の妻となって二つの家を繋ぎ、公爵となったセドリック様を隣で支える役割。だけど、それを果たすことはもうできない。
なんの役割も果たせず、食事を摂り、美しい服を着て、立派な屋敷に住む。そこにいるだけで、消費するだけで何もできないわたくし。それは罪人と何が違うのだろう。
「役割、か」
殿下は噛み締めるように呟いた。
「あなたは18歳、だったな?」
突然の話題の転換。よく理解できずに頷くと殿下は、私は20だ、と言った。
「どうだ?」
「何が、でしょうか」
「私もそろそろ相手を探す必要がある。アルバニルの王太子妃に……私の妃にならないか?」
「は……?」
何を言われたのかすぐに理解できなくて、間抜けにもポカンと口が開いたようで、右頬の引き攣りにハッとした。
冗談を、と口にしようとした途端、きゃあ! と華やいだ声が聞こえた。
「王太子妃ですって! わたくしが!?」
キャシーだった。お父様がそれにハッとしたように殿下を見て、キャシーを見て笑う。
「よかったな、キャシー!」
再び呆然とするわたくしの耳に、何を言っているんだ、と呟く殿下の声が届いた。
「殿下、リズはご覧の通り醜い顔ですから。ぜひこちらのキャシーをどうぞ。美しいでしょう?」
「侯爵、キャシーは私の婚約者でしょう!」
セドリック様が慌てた様子でお父様を止める。その間にもキャシーはきゃあきゃあと王太子妃の座に嬉しそうにはしゃいでいた。
「すみません、セドリック様。あちらは王太子様ですから。婚約はこれまで通りリズとお願いします」
「冗談じゃない……!」
「リズ、これまで通りうちにいていいぞ。よかったな」
なんて、当事者であるはずの殿下を他所に話が進んでいく。
言葉が出なかった。喜ぶキャシーにも、怒るセドリック様にも、見事なほどに手のひらを返すお父様にも。
驚きを隠せないのか、ポカンとして3人を見つめる殿下の横顔を見る。先程まで引き締まっていた表情が緩んでいるせいか、少し可愛らしくも見えた。
ふふ、と密かに笑うと、殿下はハッとしたようにわたくしを見て、そして、バツが悪そうに少しだけ口元を緩めた。
「申し訳、ありません。先ほどのお話は、聞かなかった、ことに。どうぞ、国へ、お帰り、ください」
去るなら早く去った方がいい。わたくしもこれ以上家族のみっともない姿を晒したくない。
しかし殿下は首を縦に振らない。再び引き締めた表情でキャシー達の方を見ると、はっきりと言った。
「私が望むのはお前じゃない」
「しかし、殿下、リズはもはや価値のない……」
お父様の言葉を殿下は、黙れ、と遮った。
「あなた方にとって『価値がない』娘でも、私にとっては千金にも値する娘だ」
それまでうるさいほどにはしゃいでいたキャシーが、心底不思議そうに首を傾げた。
「だけどわたくしの方が美しいですよ? 前は同じくらいでしたけど、お姉様は化け物のように醜くなってしまいましたもの」
悪意など一切感じさせない表情。子供のように純粋。故に胸を刺すほど残酷な言葉すらも平気で吐く。
大丈夫。わたくしは慣れているから。
そう自分に言い聞かせ、深く息を吐いた時、鋭い声が聞こえた。
「外見と内面の美しさが比例してない人間はこれまでも見てきたが、お前ほどの者は見たことがない。それから、バックナー公爵とも面識はあり、そう悪い印象はなかったが息子がこんなのだとは知らなかったな」
キャシーが何を言われたのか分からない、といった顔でお父様を見る。そのお父様は顔面蒼白。セドリック様も顔に焦りを浮かばせている。
そして、殿下は目に怒りを燃やしたままわたくしを見た。
「命令だ、リズ。私と共に来い。このような者達と一緒にいるよりも、神殿に入るよりも、あなたを幸せにする自信が私にはある」
刺すような真っ直ぐな目。威厳を含んだ声。光に煌めく金色の髪。
否と言うことなどできなかった。そして、わたくしは神殿へ行くためにまとめた荷物を持って、殿下と共に馬車へと乗った。




