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14. この程度の傷痕に気落ちしません

 城内へ戻る扉へ向かう。庭を抜ける直前、ガサリと葉の揺れる音がした。無風の夜の葉擦れの音。


 わたくしが足を止めるのとニコラスがため息をつくのは同時だった。



「盗み聞きとは品がよろしくありませんよ」


「ひ、人聞きが悪い言い方をするな」



 そう言いながら低木の陰から出てきたのはシャルル様だった。きっちり整えられていた金色の髪は乱れて葉がついている。



「人聞きが悪いも何も、まごうことなく盗み聞きです。何の為に私が出たのか、本当にあなたはデリカシーに欠ける……」



 呆れたように言うニコラスの隣でわたくしは考える。


 いつから聞いていたのだろう。何を聞いたのだろう。自分の言動を思い出して血の気が引いていく。


 あれを、見られた……。


 恥ずかしい、だなんて言葉では表せない。絶望だ。


 もうシャルル様の近くになんていられない。仕事が一段落したら城を出るべき? いや、明日にでも、今夜にでも出て行くべき?


 シャルル様とニコラスの会話を右から左へ聞き流し、今後の身の振り方を考えていた時、城の扉が開いた。


 光が筋となって地面に落ちる。そこから出てきた人は真っ直ぐにこちらへ来ると、少し離れたところで足を止めた。急に絶望が晴れた。


 シャルル様とニコラスがそちらを見て、息を呑む。


 わたくしを見る静かな瞳。



「……やっと、わたくしのお顔を見てくださいましたね、お母様」



 整った顔立ち、艶のある髪、どこまでも先を見通すような真っ直ぐな目。それから、一切の感情を排した無表情。


 同じ顔、とシャルル様の呆然とした呟きが耳に入った。



「あなたは、あなたの居場所を見つけられたのね」



 無表情。淡々とした声。だけどそこに愛を感じることができるのは、わたくしがお母様の娘だからなのだろうか。


 意識せず、口元が緩んだ。



「はい、お母様の教育おかげです。……それに、お母様に似て生まれてよかった」



 この美しさのおかげで、火傷の痕があってもシャルル様の目に留まることができた。そう言うとお母様は、そうかしら、とシャルル様を見た。



「例えあなたが侯爵に似て生まれていたとしても、そのお方は“そう”だったのでは?」


「当然です。私はリズの見た目に惚れたわけではない」



 きっぱりと言い切ったシャルル様に、お母様は一度頷いた。



「それよりも、私はあなたにいくつか聞きたいことがある」


「なんなりと」



 短く答えるお母様の表情は動かない。わたくしもここで生活する上で笑わないように気を付けていたけれど、ここまで表情を変えないというのはできていなかったと思う。あらためて、お母様はすごい。



「何故リズが家を出される時に何も言わなかったのです?」


「わたくしは侯爵の妻ですから」


「娘が神殿へ入ってもいいと?」



 お母様が僅かに片眉を上げる。シャルル様の言葉が気に障ったのか、あまり機嫌がよさそうには見えない。



「リズはわたくしの娘。本気で嫌なら手段はいくらでも教えて育てました。大方、あの家にいるよりも神殿にいる方がマシだと考えたのでは? 事実、リズの不在によって我が家は没落寸前です」



 淡々と発される言葉に、ふふ、と笑いがこぼれた。その通りではあるけれど、全てをわたくしのせいにしないで欲しい。お母様だって没落へ向かうお父様達を見ていただけなのに。


 シャルル様が真偽を問うようにわたくしを見る。それには気付かないふりをした。肯定しても否定してもきっと意味がないだろうから。



「ならば妹の方は……何故ああも違う?」



 シャルル様が離れた場所へ立つキャシーへ視線を向ける。お母様もそちらを見て、やはり表情を変えないまま答えた。



「学ぶ気もない者に教育を施すほど、わたくしは暇ではありません。……そうですね、言うなれば今回のことが教育です」


「教育というには懸かっているものが大きすぎると思うのだが……」



 シャルル様が苦々しく笑う。



「あなたはこの先どうするつもりですか? もしよろしければ我が国でぜひ」


「せっかくのお誘いですが、導かなければならない娘がもう一人いますので」


「まさかここから侯爵家を立て直すつもりか? 不可能だ」


「わたくしは侯爵夫人であり、あの娘の母です。侯爵家と娘の未来を守ることは当然。不可能はありません」



 知っている。お母様が『侯爵夫人』という役割を果たしてきたことを。知っている。お母様がわたくしを愛しているように、キャシーも愛していることを。



「……さすが、あなたのお母上だ」



 シャルル様が声をひそめて言う。ニコラスも苦笑してわたくしを見た。


 コツ、とお母様のヒールが鳴る。



「リズ、こちらのことは気にしなくていいわ。あなたはあなたの役割を果たしなさい」



 お母様はわたくしの前で足を止め、細い指先でわたくしの右の頬を撫でた。



「一貴族として生きるには大きすぎる傷痕だけど……よかったわ」



 それだけ言うとお母様はキャシー達の方へと歩き出す。


 知っていた。わたくしが家を出ることにさしたる反対をしなかったのは、この大きな痕がわたくしの貴族人生において大きな障害となるから。家を出て好きに生きていい、というお母様の意思だったのだと。


 知っていた。わたくしが火傷を負い、寝込んでいる時、お母様が何度も部屋へ来たこと。眠るわたくしに声を掛けることもなく、ただ眺めていたこと。決まって、眠っている時だけ来ていたこと。まるで、顔を合わせることを恐怖するように。不安を隠すように。だから、わたくしは目を開けることができなかった。


 ……やっと、わたくしを見てくれた。


 振り向いて、お母様、とその背に呼びかける。振り返ったお母様に、歪んでいるであろう笑みを向けた。



「わたくしはこの程度の傷痕に気落ちしません。お母様の娘ですから」



 嘘。本当はすごく落ち込んだ。不気味だと言われるたびに、目を逸らされるたびに。どうにか消せないかとここへ来てからも色々な書物を読み漁った。今でも鏡に映る自分の顔を見てため息をつくこともある。


 だけど、お母様の前では強がりたいと思った。



「知っているわ」



 そう言って、お母様は今度こそ歩いて行く。笑顔の一つも浮かべずに、お母様らしい表情で。だけどわたくしには分かった。


 知っているわ、と答えたお母様の唇が震えていたこと。月明かりに照らされた美しいお母様の表情にお母様の心が映っていたことを。

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