15. 心は変わりません
光を反射して煌めく装飾品を外し、大きく膨らんだドレスから夜着へ着替えると一気に肩の力が抜けた。
侍女が下がり、一人きりの部屋の中。ベッドに腰掛けて深く息を吐く。パーティーはそう嫌なものではない。だけどこうして着飾った後はそれを解くことも大変で疲れる。
今日は特に。
パーティーはもう終わったかしら、と暗い窓の外を見て思う。あの後嫌そうな顔をしながら会場へ戻ったシャルル様もお部屋に戻っている頃かしら。
灯りを落としてもう寝よう。そう思った時、コンコン、とノックの音が響いた。
突然のことにビクリと肩が揺れる。侍女が戻って来たのかもしれない。
「どうぞ」
答えると同時に開く扉。そこに立っていたのはシャルル様だった。正装を解いた楽な格好。髪がまだ少し濡れていることが分かった。
「な、何故……」
思わず立ち上がると、シャルル様は、急いで来た、と濡れた髪を指先で摘んで微笑んだ。
「い、いけません。夜に部屋を訪れるなど、人に見られたら……」
「いい。見られても。私はあなたの言葉を聞いた。自惚れでなければあなたは」
「お待ちください」
考えるよりも先にシャルル様の言葉を遮っていた。それ以上は口にしてはいけない。それを言葉にしてしまえば、わたくしは……。
シャルル様は微笑む。どこか不安そうに、悲しそうに、困ったように。
「待つから、部屋に入れてくれないか?」
「……お入りください」
突然夜に訪ねて来たというのに部屋に入る許可は求めるのね、とどうでもいいことを考える。
シャルル様はホッとしたように笑うと部屋に入り、椅子へ腰掛けた。わたくしは立ったまま、それを見る。
「……先ほどのことは、」
「待て」
今度はわたくしの言葉が遮られた。
「先に私に喋らせてくれ。まず、盗み聞きしたことはすまなかった」
そして、シャルル様は深々と頭を下げる。
心臓がうるさい。
シャルル様は何を言おうとしているのか、聞くべきでない。なのに、聞きたいと思っている。この場から逃げ出したいのに、留まりたいとも思っている。露呈した自分の醜さを恥じると同時に安堵もしている。
相反する感情を抱えて、心臓が速く、大きく打っている。恐怖か、緊張かーー期待か。
「だが私は嬉しかった。せがむ妹にあなたが頷かなかったことが。家に帰らないとはっきりと言ったことが。どうしようもなく嬉しかったんだ」
コクリ、と喉が動く。もうすっかり慣れた皮膚の引き攣りを感じた。
「『シャルル様はお姉様のなの?』という問いにはっきりと頷いてくれたらもっと嬉しかったが……」
苦笑してシャルル様は言った。だけどわたくしは笑えなかった。
「……いつから、盗み聞きを?」
「あ、いや、少しだ。あの妹の後に会場を出たからな。ほんとに少しだけ。信じてくれ」
キャシーが来てから。それなら一番見られたくなかったところは見られていない。けれど、もう今までと同じ顔をしてシャルル様の隣にいることなんてできない。
わたくしはシャルル様が美しいといったわたくしでいられなかったのだから。
喉がヒクリと震える。胸の内の冷たいものが込み上げ、涙となってあふれた。
ガタン、と椅子が音を立てる。目に見えて狼狽えるシャルル様がいた。
「な……っ! す、すまない、本当に。もう盗み聞きはしない。だから」
「明日にはここを出ます」
心は決まった。他に道はない。
何もなかった顔をしてシャルル様の隣にいても、一度感情を抑えられなかったわたくしが、いつまたあの醜い心を表に出してしまうのか。その時に幻滅されるくらいなら、このまま離れてしまいたい。
「だ、ダメだ……っ!」
シャルル様が大きく踏み出してわたくしの前に立つ。逃がさない、とばかりに強く腕が握られた。
涙は次々とこぼれて止まらない。
「み、見ないで、ください……っ! こんな、こんな醜いわたくし……シャルル様のおそばにいるなど許されません」
どれだけ腕を引いてもシャルル様の手は解けなくて顔を伏せる。
今のわたくしがこの真っ直ぐな目に映ることなど許されない。
「醜くなどない!」
「醜いのです! わたくしは、本当はシャルル様がおっしゃるほど美しくなどありません……!」
美しくありたいと思った。シャルル様がわたくしを見てそうおっしゃったから。だけど、
「……本当は悔しくて仕方がありませんでした。必要ないと言われたことも、化け物のようだと言われたことも。だから家を出ました。わたくしがいなくなって困ればいいと思ったのです……!」
醜い。恥ずかしい。こんな気持ち、一生口にするつもりなどなかったのに。なのに止まらない。涙も言葉も。
「先ほど、セドリック様やお父様に言い返した時、わたくしは笑っていたのです。戻って来いと、わたくしを必要とする二人を見て、嬉しかった……これを醜いと言わずしてなんと言うのでしょう……! わたくしはもうシャルル様のおそばにいられません……」
は、と息が漏れる。握られた腕が少し痛くて、喋って動いた頬が引き攣って。顔が上げられなかった。シャルル様が今どんな顔をしているのか、見ることができなかった。
「……そんなこと、」
「言わないでください」
シャルル様がなんと言おうとしたのか分かる。だから止めた。
涙が床に落ち、いくつもの跡を作る。
「わたくしはわたくしが嫌い……こんなことを言ってもシャルル様はきっと否定してくださると思う、わたくしが本当に嫌い……」
嫌だ。ズルくて醜いわたくしが。
「……羨ましい。欲しいものを欲しいと言うことができ、シャルル様に体を寄せることができ、愚かでもお母様に愛される、可愛いキャシーが」
羨ましい。心の底から、吐き気がするほどに羨ましい。
グイ、と強い力で腕が引っ張られた。気が付けばシャルル様の金色の髪が目前にあり、体中にシャルル様の体温を感じた。
「ならば言えばいい。あなたも欲しいものを口にくればいい。私が全て叶えてやる。私に体を寄せたいなら好きなだけ寄せればいいし、あなたが望まずとも私はこうしてあなたを抱き締める。あなたがどんなに愚かだったとしてもあなたのお母上はあなたを愛したと思うし、私もあなたを愛する」
背に回された腕に力が入る。その強さが心地よくて、あたたかくて。
「誰かを妬む気持ちを醜いなど私は思わない。だがあなたがそれを醜いと思うのなら、あなたが羨ましいと思う暇もないほどの幸福をあなたにあげよう。あなたが自分を嫌うよりも多く、私はあなたを愛そう」
耳元で聞こえる言葉に更に涙があふれる。それはわたくしの頬を濡らし、シャルル様の服を濡らす。それでもシャルル様は腕を解こうとはしなかった。
「あなたの心を知りたいとずっと思っていたが、やっと聞くことができた」
あなたは美しい、とシャルル様は囁くように言う。
「そもそも、私はあなたが美しくとも醜くともどちらでもいいのだ。あなたがあなたである限り、私の目には美しく映るのだからな」
シャルル様がふっと笑い、体を離す。その目には柔らかな光が灯り、本当に愛おしいものを見るような目だった。
シャルル様の指がわたくしの頬の涙を掬う。そのまま指は火傷の痕へと伸び、ツルリとした肌をゆっくりと撫でる。
「これがあなたの美しさの証拠だ。あなたはこれを誇れど恥じる理由はない」
涙はいつの間にか止まっていた。
シャルル様の目に映るわたくしと目が合う。ここに見える熱はシャルル様のものか、わたくしのものか。
「リズ、どうか私のそばにいてくれ。あなたが少しでも私を好いてくれているのなら。心が少しでも変わったのなら。私はあなたを誰よりも愛している」
胸の内でふるりと何かが震えた。
もうダメだと思った。誤魔化すことなんてできない。
「……心は変わりません」
そうか、とシャルル様は眉を下げて笑う。
頬を撫でる手が離れる。それを握って止めた。
「わたくしの心は最初からシャルル様と共にあったのですから」
シャルル様の目が大きく開く。
手が震えた。本当に口にして良かったのか、と。まだわたくしには何が正しいのか分からない。本当にこんな不気味な痕を持つわたくしがシャルル様の隣にいていいのか迷っている。
だけど、それでも……
「初めて会った時、あの馬車の中で、わたくしはシャルル様と共に生きたい、と、そう思ったのです」
この方から離れたくない。ポカンと口を開けたシャルル様は呆然としたまま。
「それは本当か?」
「ええ」
「な、何故、言わなかったのだ」
「わたくしはシャルル様の臣下であるだけで幸せでした。だけど……どうやら気が付いていなかったのはシャルル様だけのようです」
腕が引かれる。瞬きの間にわたくしはシャルル様の腕に閉じ込められていた。
「言ってくれないと分からないだろう。ニコラスが言うには、私はどうやら鈍感なようだからな」
「ええ、知っております」
ふふ、と笑うと抱き締められる力が更に強くなった。
「私は、自惚れてもいいのか?」
「自惚れではありません」
この火傷を負ったあの日の痛みをよく覚えている。あの時、フィリップ様を庇ったことを後悔はしていない。だけど大きな傷痕を見て何度も絶望した。この痕がなければ、と何度も思った。
それでもこれのおかげでシャルル様と出会えた。シャルル様と一緒にこの国へ来ることができた。この、傷痕のおかげで。
シャルル様はおっしゃった。あなたを幸せにする自信がある、と。その通りだった。とても幸せで、もう信じられないほど幸せでーー。
「シャルル様がわたくしにくださった幸せ以上の愛を、あなたに差し上げたい。受け取っていただけますか?」
「もちろんだ。受け取って、私もそれ以上の愛をあなたへ返そう」
「ふふ……それでは終わらないではありませんか」
ああ、とシャルル様はわたくしから体を離す。こちらを見る瞳が僅かに濡れているように見えた。
「終わらないのだ。私とあなたはいつまでも一緒にいるのだからな」
胸が詰まる。込み上げる幸福に、これ以上の愛など無理かもしれない、と口元が緩んだ。
笑みを浮かべた唇が震える。涙がひとつ、目からこぼれる。
シャルル様の美しい金色の髪がぼやけ、煌めいていた。




