13. シャルル様すらもわたくしから奪おうとするの?
パーティー会場を出ると、喧騒は分厚い扉に阻まれた。
「お話をするのなら場所を変えましょう」
お父様とセドリック様は何か言いたそうに、だけど何も言わずに頷いた。
二人を連れてゆっくりと歩き、外へ出る。前庭に出ると、大きな月が空にぽっかりと浮かんでいた。
会場を出る前にニコラスと目があった。わたくしがあの場を出たことはきっとシャルル様に伝えてくれるだろうから大丈夫。キャシーのことは不安だけど、お母様もあの場にいるから……。
「リズ、もうここでいいだろう」
お父様がもう言葉が抑えられないとばかりに言う。それに足を止めて振り返った。パーティーの為に正装している二人。セドリック様はともかく、お父様の身につけているものはどれも質の悪い物であった。
どうやら我が家はよほど困窮しているよう。それにしてはキャシーは綺麗なドレスを着ていたようだけど。それも、わたくしの見たことがない新しい物を。
「何故帰って来ない。お前がいなくなってからうちがどれだけ大変だったか分かるだろう。書状の返事もしないとはなんだ」
揺れる声で自らの苦境を語り出すお父様。
曰く、家計を管理していたわたくしがいなくなったことでキャシーの無駄遣いを止める人がいなくなったり、気が付いたら家財と共に家人が数人いなくなっていたり、わたくしを追い出したことをよその家から強く責められたりした。
とのこと。語るほどに赤くなっていく顔はわたくしへの怒りを募らせているのだろう。
かける言葉が見つからない。キャシーの無駄遣いは論外。怪しい動きをしていた家人はわたくしが目をつけていたし、よその家との親交を深めていたのもわたくし。どれもその気になれば防ぐことができたものばかり。
「これまで育ててやった恩を忘れたか! お前一人でそんな豪華なドレスを着て、装飾品を身につけ」
「それで、お父様はわたくしに何をお望みですの?」
言葉を遮って聞くと、お父様は怒りをあらわに大きな声で言った。
「戻って来い! お前のせいで我が家はめちゃくちゃだ!」
それはどう考えても家人を御せなかったお父様と、無駄遣いばかりするキャシーのせいだろう。断じてわたくしのせいではない。
なんと言うべきか、言葉を選んでいるとそれまで黙って立っていたセドリック様が歩み出て来た。
「リズ、お父上もこう言っている。ご家族のために帰って来い。今戻ればお前はまた幸せを手にすることができるだろう」
言葉を選ばずに言うと、イラッとした。
自分には関係ない。帰って来て欲しいと言っているのはお父様だ、というふうに、涼しい顔をして。
この無駄に高い鼻っ柱をへし折ってやりたい、と素直に思った。
どうしてだろう。いつもは抑えられる感情が今日はどうもあふれ出て止まらない。考えて、脳裏に浮かんだのはキャシーの姿だった。
苛立ちは更に募る。
「あいにくと、わたくしはセドリック様の最初の書状しか目にしておらず、それ以降の書状になんと書いてあったのかは存じ上げませんが……推測するに、公爵に怒られたのでしょう?」
セドリック様の顔が強張る。
「全てバックナー公爵家の総意だというような顔でご自分の意思を語り、独断でわたくしとの婚約を解消した上にキャシーとの婚約を結び……それは公爵も怒るでしょうね」
セドリック様のお父様、バックナー公爵とわたくしは良好な関係を築いていた。わたくしが顔だけでないことを公爵は認めてくださっていたし、セドリック様とわたくしの関係もよくご存知だった。それから、キャシーのことも。
「本日、公爵でなくセドリック様が出席されたのもわたくしに頭を下げるよう、公爵がおっしゃられたから。違いますか?」
セドリック様へ視線を向ける。硬く握られた拳が震えているのが見えた。
「わたくしは、こうなることが家を出たあの日からなんとなく分かっておりましたよ」
お父様やキャシーが来られることは想定外ではありましたが。そう続けると、セドリック様は鋭い目でわたくしを見て、黙れ! と叫んだ。
真っ赤な顔に怒りと羞恥が見える。
従順だったわたくしが言い返すなんて思ってもいなかったのだろう。
「お前が! お前が全て悪いんだ! 子供なんて庇って火傷をするから! 美しさしか取り柄がないと言うのに!」
「この期に及んでまだそんなことをおっしゃいますか。美しさしか取り柄がないわたくしでしたら今頃こんなことになっていないと分かりませんか? それとも分かりたくありませんか?」
「黙れ! 私を侮辱するか。王太子に気に入られたからか? 偉くなったものだな。今謝れば許してやるが」
怒りを通り越して呆れる。多少能力に劣っても、悪い人でも馬鹿な人でもないと思っていたのだけど。
深いため息が出た。もういいわ、と思う。ここまで言い返したのだから、今更取り繕うこともできない。
真っ直ぐにセドリック様を見据える。どうせこの人の隣に立つ日は二度とない。
「黙るのはあなたです!」
こんなにも大きな声を出したのはいつ以来だろう。右頬が引き攣り、ピリ、とする。お父様がビクリと肩を震わせ、セドリック様の顔から赤みが抜けていくのが分かった。
「わたくしを必要ないとおっしゃったのはあなた方。そして、戻って欲しいと思っているのもあなた方。頭を下げるべきはわたくしではなくあなた方です。……どうぞ? 今謝れば考えて差し上げますよ?」
呆然とする二人を促す。誰かに向かってこのような言葉を吐いたのは初めてだと言うのにスラスラと言葉は出て来て、自らの才に少し笑いそうになってしまった。
少しの沈黙の後、セドリック様の顔が再び真っ赤になった。怒りに震える体が月明かりの下で見える。
さぞ屈辱だろう。ざまあみなさい。
唇の端が上がる。皮膚が引き攣るのが気になっても、笑みを消すことはできなかった。
なんと醜い笑顔だろう。なんと醜い心だろう。なんと醜いわたくしだろう。シャルル様には見られたくない。きっと幻滅されるから。
「リズウゥゥゥゥ……!」
あまりの怒りに、獣のように叫んだセドリック様は地面を蹴ってわたくしの方へと駆ける。
言葉ではともかく力で敵うわけがない。わたくしはここで殺されるかもしれない。だけど後悔も恐怖はない。やっと吐き出すことができた。この胸に溜めた屈辱も怒りも羞恥も悔しさも、全てを。
感情を出すというのはなんと清々しい気分なのか。
……それに、やはりわたくしがシャルル様の隣に立つことはできない。あの方の隣に立つ他の女性を見るくらいならここで死んでしまった方がきっと幸せなのだ。
怒りに燃えるセドリック様の目が近付き、伸ばされた手がわたくしへ届く。
ーー直前、セドリック様が宙を舞った。
瞬きの間だった。目の前には見慣れた騎士の背中。ドサリとセドリック様が地面へ落ちる音が聞こえた。
「一人で行くな、とシャルル様からのご伝言です」
ニコラスだった。
「み、見ていたの?」
声が揺れた。あれを、わたくしの醜い心を見たのだろうか。ニコラスは笑みを浮かべると、いいえ、と首を振った。
「今来たところです。間に合ってよかった」
「そう……」
ほっと息を吐く。よかったと言いたいのはわたくしの方。
「お話は終わりましたか? シャルル様が最初はリズ様と踊るのだ、と言って聞かないのです」
その声はわがままを言うシャルル様を嗜める時と同じだった。まるでお父様も、地面に伏してこちらを見上げるセドリック様も視界に入らない、と言わんばかり。
ええ、と返事をしようとした時だった。
「お父様! どうにかしてちょうだい!」
高い声と共にキャシーがこちらへ駆けてくるのが見えた。
「おや、ようやく追い払えたようですね」
笑い混じりの声でニコラスが言う。誰が追い払ったかなどは聞かなくとも分かる。
「わたくしシャルル様と結婚したいの。あんな素敵な人他にはいないわ。ねえ、お父様。どうにかして」
甘えるような声で言うキャシーは可愛い。だけど、どうしようもなく腹が立つ。
ふと、キャシーがわたくしを見た。
「ねえ、お姉様からもシャルル様に言ってちょうだい」
そう言いながらわたくしの方へと来るキャシー。ニコラスが警戒するようにわたくしの前に立つ。それを手で制した。
「それにそのネックレス素敵ね。わたくしに譲ってくれないかしら?」
「残念だけど、これはシャルル様から贈られた物なの。あなたにあげることはできないわ」
キャシーはいつも人の物を欲しがる。いや、人の物も欲しがる。そして手に入れる。
装飾品も新しく仕立てたドレスも、服も、読みもしない本も、キャシーはわたくしにねだり、それでもダメならお父様にねだり、わたくしから全てを取った。……そう、セドリック様も。
悪意はない。奪ってやろう、なんて思っていない。この子はただそれが欲しいだけ。奪われた方がどう思うかなんて考えてもいない。
「どうしてシャルル様がお姉様に贈り物をするの? シャルル様はお姉様のなの?」
キャシーは不思議そうに首を傾げる。
シャルル様はわたくしのではない。だけどそれを口にして否定できなかった。わたくしが、それを認めたくないのだ、と心のどこかで理解していた。
どうしてこの子の前ではこんなにも黒い心があふれるのだろう。
キャシーは否定しないわたくしを見て勘違いしたようだった。
「ねえ、それならシャルル様もちょうだい。お姉様はいつもなんでもくれたもの。ネックレスもシャルル様もくれるわよね?」
言葉があふれる。頭からではなく、心から。いけない、と思ってもそれを飲み込むことはできなかった。
「……あなたはなんでも持っているじゃない、キャシー」
自分でも驚くほどに静かな声だった。波打つ心とは真逆に。
「あなたが望めばわたくしは装飾品もドレスもあげたわ。お父様だってセドリック様だって、わたくしではなくあなたを選んだじゃない。今のわたくしが持っているものなんてほとんどないのよ」
家を出たあの時、この手に残ったものは少しの荷物と火傷の痕だけ。そんなわたくしをシャルル様は必要とし、仕事と生活を与えてくれた。
鼻の奥がツンとし、喉が震えた。それを隠して声を絞り出す。
「それなのに、シャルル様すらもわたくしから奪おうとするの?」
声は少し揺れていた。
キャシーはポカンとしてわたくしを見る。この言葉で理解できたのだろうか。
「お父様、わたくしが家に戻ることはないとお思いくださいませ。セドリック様も、公爵によろしくお伝えくださいませ」
それだけ言い、キャシーに、お父様に、セドリック様に背中を向けた。




