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第1話 就職先、ゼロ

 神代標が二度目に目を覚ましたとき、登校時刻は二時間ほど過ぎていた。


 枕元の端末が、控えめな警告音を繰り返している。


 午前十時四十七分。


 画面には不在着信が四件、学校からの自動通知が三件、そして担任からの短いメッセージが表示されていた。


《生存しているなら、三限の適性再測定には出席しろ。榊原》


「生存確認から始まるのか」


 標は端末を伏せた。


 身体を起こそうとして、背中に鈍い痛みが走る。


 戦場で受けた傷ではない。


 薄い寝具と、歪んだベッドのせいだった。


「ひどいな」


 十一年間、泥の上や装甲車の中で眠ることには慣れている。それでも、このベッドは寝心地が悪かった。


 寝返りを打つたびに金属製の枠が軋み、薄い敷布団の下にある硬い板が背骨へ当たる。


 元の世界で所属していたアマテラスの仮眠室より狭い。


 攻略部隊の寝台に快適さを期待したことはなかったが、少なくとも体格に合わせて調整されていた。


「改善が必要だな」


 口にしてから、標は動きを止めた。


 改善したいと思った。


 以前なら、眠れる場所があるだけで十分だと考えていたはずだ。


 固い。


 狭い。


 もっと長く眠りたい。


 そんな不満を持てることが、妙に嬉しかった。


 標は両手で顔を覆った。


 指の間から、小さく息を吐く。


「本当に戻っている」


 眠気がある。


 空腹もある。


 身体はだるく、もう一度横になれと訴えている。


 生存に不要な欲求が、自分の内側で騒いでいた。


 元の世界で最後に眠気を感じたのは、いつだっただろう。


 作戦終了後に横になることはあった。だが、それは機械の冷却に近い。必要な時間だけ目を閉じ、時刻になれば起きた。


 眠りたいから眠るのではない。


 食べたいから食べるのでもない。


 身体を維持するために、決められた行動を繰り返すだけだった。


 それが今は、空腹で腹が痛い。


「まず食うか」


 標はベッドから足を下ろした。


 立ち上がった瞬間、膝が揺れた。


 壁へ手をついて身体を支える。


「弱い」


 現在の肉体は二十三歳。


 健康状態そのものは悪くない。


 しかし、元の身体とは比較にならなかった。


 筋肉量が少ない。


 体幹が弱い。


 魔力循環路も細く、長期間まともに使用されていない。


 十一年間戦場にいた標からすれば、訓練前の子供に近い。


 もっとも、この世界の神代標も魔法学校へ八年間通っている。一般人よりは鍛えていた。


 それでも、最前線の攻略部隊員とは基準が違った。


 標は壁から手を離し、ゆっくりと屈伸する。


 足首、膝、股関節、腰、肩。


 関節の可動域を確かめ、次に魔力を流そうとした。


「……細いな」


 体内へ意識を向ける。


 魔力の総量は少ない。


 元の身体の半分どころではない。四分の一にも届いていなかった。


 魔力を流すための経路も未成熟で、無理に高出力の身体強化を行えば、筋肉より先に神経と血管が損傷する。


 これでは次元断どころか、戦闘用の短距離転移すら危うい。


 けれど、技術は残っている。


 魔力を知覚する感覚も、空間座標を捉える感覚も消えていない。


 この世界の神代標が持っていた記憶と、自分の十一年間が、奇妙なほど自然に混ざり合っていた。


 標は机の上を見た。


 空の栄養飲料。


 安価な携行食品。


 使用期限間近の割引パン。


 財布の残額は、端末上の電子通貨を含めて三万八千二百円。


 今月の寮費と食費を差し引けば、自由に使える金はほとんどない。


 企業採用通知はゼロ。


 戦闘資格の更新審査も、前回は不合格。


 卒業まで半年。


「金もないのか」


 標は眉を寄せた。


 雇用先がないことは素晴らしい。


 命令を聞く必要がない。


 上官もいない。


 休暇申請を却下される心配もない。


 しかし、金がないのは困る。


 金がなければ、質の良い寝具も食事も手に入らない。


 働かずに暮らすためには、最初に稼ぐ必要がある。


「矛盾しているな」


 働かないために働く。


 気に入らないが、十一年間働き続けるよりはましだ。


 標は棚を開いた。


 乾燥麺が一つ残っていた。


 紙製の容器に粉末調味料を入れ、室内の簡易給湯器へ置く。


 給湯器の側面には、小さな火属性術式と水属性術式が刻まれている。


 水を生成し、火で温める生活魔道具だ。


 標は術式へ目を向けた。


「損失が多すぎる」


 水を一杯作るために投入された魔力の半分以上が、属性変換の段階で失われている。


 さらに加熱にも別系統の術式を使うため、効率が悪い。


 元の世界なら、水道から水を入れ、無属性魔法で分子運動だけを加速させる。魔力消費は百分の一以下で済む。


 だが、この世界ではそれが普通らしい。


 給湯器が音を立て、容器に湯を注いだ。


 標は三分待った。


 時計を見ながら、本当に三分待った。


 待ち時間すら妙に新鮮だった。


 蓋を開ける。


 湯気とともに、濃い香辛料の匂いが立ち上る。


 標は箸で麺を持ち上げ、口へ運んだ。


「……うまい」


 自分でも驚くほど素直な言葉が出た。


 安価な乾燥麺だ。


 麺は柔らかすぎる。


 スープは塩分が多く、人工調味料の味が強い。


 元の世界でも同程度の携行食はいくらでも食べた。


 それなのに、今は味がする。


 塩辛い。


 熱い。


 わずかに辛い。


 舌から伝わる刺激が、失われたはずの感覚を叩き起こしていく。


 標は無言で麺を食べ続けた。


 一口ごとに腹の空洞が満たされる。


 身体が熱を持ち、額に薄く汗が浮かぶ。


 気づけばスープまで飲み干していた。


「これで百八十円か」


 標は空になった容器を見つめた。


 高級料理を食べれば、どれほど美味いのだろう。


 元の世界で報酬として入った金は、ほとんど使わなかった。


 休暇がない。


 基地から出る時間もない。


 欲しい物もない。


 口座の数字だけが増え続け、何に使うか考えたことすらなかった。


 今なら使い道が分かる。


「まず、食費だな」


 次に寝具。


 防音。


 空調。


 広い浴室も欲しい。


 できれば他人が入ってこられない家がいい。


 出入口は不要だ。転移すれば済む。


 立地も地上である必要はない。


 標の頭の中で、快適な生活に必要な設備が次々と並び始める。


 問題は金だけだった。


 端末が再び鳴った。


《三限開始まで、あと二十二分です》


「面倒だな」


 適性再測定を欠席すれば、担任が寮まで来る可能性がある。


 現在の自分が、どの程度動けるのかも確認したい。


 標は仕方なく制服へ着替えた。


 濃紺の上着に、銀色の校章。


 国立関東第三魔法学校。


 十五歳から二十三歳までが通う、八年制の魔法教育機関。


 標が所属するのは、専門後期課程の最終学年だった。


 制服の胸元には、二本の細い線と一つの空白がある。


 二本は取得済みの基礎資格。


 空白は固有異能資格がないことを示していた。


 鏡を見る。


 黒髪。


 目立たない顔立ち。


 痩せた身体。


 元の自分とほとんど同じ容姿だが、頬に戦傷はなく、目つきも以前より弱々しい。


「気に入らないな」


 標は鏡の中の自分を睨んだ。


 戦場で相手を威圧する必要はない。


 だが、見るからに扱いやすそうな人間と思われるのは損だ。


 姿勢を正し、顎をわずかに引く。


 それだけで、鏡の中の印象が変わった。


 目の奥に、十一年間の戦場が戻る。


「この程度でいい」


 標は部屋を出た。


 ◇


 学生寮から校舎までは、徒歩で十二分。


 魔法を使えば短縮できるが、現在の肉体を把握するため、標は歩くことにした。


 空は青い。


 天穴は見えなかった。


 元の世界では、都市部から空を見上げれば、必ずどこかに天穴の影があった。


 黒い裂け目。


 防衛艦隊。


 迎撃術式の光。


 それがないだけで、空が異様に広く見える。


 校内へ入ると、多くの学生が行き交っていた。


 十五歳ほどの基礎課程生から、標と同じ二十代前半の最終学年までいる。


 年齢の違う学生が、同じ制服を着ている。


 中庭では、火属性魔法で飲料を温める者がいた。


 風を起こして髪を乾かす者。


 小型の鳥へ変身し、校舎間を飛ぶ者。


 半透明の獣を召喚し、荷物を運ばせる者。


 平和だった。


 能力が、戦争ではなく日常生活のために使われている。


 標は足を止め、小さな鳥に変身した学生が窓から教室へ入るのを見た。


「変身する必要があるのか?」


 階段を上れば済む。


 変身能力は使用するほど侵食が進む。


 微量とはいえ、日常生活で無駄遣いする技術ではない。


 だが、この世界では軽度の能力使用は推奨されているらしい。


 能力への習熟。


 社会への適応。


 日常的な訓練。


 記憶の中では、教師たちもそう説明していた。


「管理が雑だな」


「何がですか?」


 背後から声をかけられた。


 標は振り返る。


 茶色の髪を肩で切り揃えた女子学生が立っていた。


 六波羅綾音。


 同じ最終学年。


 中堅物流企業、六波羅運輸の経営一族。


 風属性魔法と、移動経路を感知する異能《経路眼》を持つ。


 転移前の標へ露骨な敵意を向けなかった、数少ない同級生でもある。


 ただし、親切だけが理由ではない。


 彼女は無属性魔法が物流に応用できる可能性を調べており、低適性者だった標へ何度か話を聞いていた。


「能力の使い方だ」


「また零属性魔法の話ですか?」


「無属性だ」


「教科書上は零属性魔法です」


「どちらでも同じだろ」


「分類上は違います。零属性は属性変換に失敗した魔力の総称で、無属性という正式分類はありません」


「俺のいたところでは無属性だった」


 綾音が足を止めた。


「俺のいたところ?」


「寝ぼけている」


「そうでしょうね。二時間以上も遅刻していますから」


 綾音は標の顔を覗き込んだ。


「昨日より顔色はいいですね」


「昨日の俺を覚えているのか」


「同級生ですから。それに、昨日の神代君は、採用結果を見て死人みたいな顔をしていました」


 標は端末に表示されていた採用通知ゼロを思い出した。


 この世界の自分にとって、それほど深刻な出来事だったらしい。


「就職先がないくらいで死ぬ必要はない」


「普通は困りますよ。卒業後の生活がありますから」


「金なら別の方法で稼げばいい」


「その別の方法がないから、皆さん就職するんです」


「探せばある」


 標が歩き出すと、綾音も隣に並んだ。


「やけに前向きですね」


「前向きではない。雇われたくないだけだ」


「昨日までは、どこでもいいから雇ってほしいと言っていましたけど」


「気が変わった」


「一晩で?」


「よく眠ったからな」


 綾音の視線が鋭くなった。


 彼女の異能は、物理的な道だけではなく、人や物の移動に関する魔力の流れも感知する。


 標の周囲には、以前とは異なる空間の揺らぎがあるのかもしれない。


「神代君」


「なんだ」


「昨日、何かありましたか?」


「二度寝した」


「その前です」


「覚えていない」


 嘘ではない。


 この世界の神代標が、転移の直前に何をしていたのかは曖昧だった。


 採用結果を見た。


 将来を悲観した。


 眠れずに端末を眺めていた。


 そこまでは記憶にある。


 その後、元世界の標が重なった。


 二人の人格が衝突した感覚はない。


 どちらかが消えたわけでもない。


 昔から一人だったように、記憶だけが連続している。


「そうですか」


 綾音はそれ以上追及しなかった。


 代わりに、小さな包装を差し出す。


「食べます?」


「何だ」


「栄養補助食品です。寝坊したなら朝食も抜いたでしょう」


「さっき食った」


「珍しいですね」


「いくらだ」


「差し上げますよ」


「無料ならいらない」


 綾音が目を瞬いた。


「どうしてですか?」


「無料の物は、後で別の対価を要求される」


「警戒しすぎでしょう」


「金を払えば、これは俺の物になる」


「では百五十円で」


「市販価格は百二十円だ」


「手数料です」


「三十円も取るのか」


「嫌なら結構です」


 綾音は包装を引っ込めようとした。


 標はその手から栄養補助食品を取る。


「百三十円」


「百四十円」


「百三十五円」


「成立です」


 綾音の端末へ送金する。


 標は包装を制服の内側へしまった。


「本当に変わりましたね」


「そうか」


「以前の神代君なら、何も言わずにもらっていました」


「それは良くないな」


「なぜです?」


「借りは、相手が値段を決める。購入なら、値段を決めるのは双方だ」


 綾音は一瞬黙り、やがて小さく笑った。


「その考え方は嫌いではありません」


「俺もだ」


「ご自分の考えでしょう」


 二人が校舎へ入ったところで、三限開始の鐘が鳴った。


 ◇


 適性再測定は、最終学年用の第七実技棟で行われていた。


 広い測定室の中央に、円形の魔法装置が設置されている。


 壁際には標の同級生が並んでいた。


 鳳城麗華。


 獅堂蓮司。


 久世玲央。


 真壁直人。


 冬月澪奈。


 御影士門。


 いずれも卒業後の進路が決まっている上位学生だ。


 標と綾音が入室すると、何人かが視線を向けた。


「三限にも遅刻するかと思ったぞ」


 声をかけてきたのは真壁直人だった。


 背が高く、短く整えた黒髪と、快活な顔立ちを持つ。


 大企業の出身ではない。


 それでも防御型変身能力《城塞巨人》と、人命救助の実績によって政府系部隊から内定を得ている。


 性格も明るく、教師や後輩、女子学生からの評判は非常にいい。


「大丈夫か? 昨日の採用結果を気にして眠れなかったのか?」


「よく眠った」


「そうか。それならいいんだ」


 直人は心から安心したように笑った。


「一般魔導職の追加募集もある。無理に天蓋士を目指さなくても、神代には神代に向いた仕事があるはずだ」


 悪意はない。


 本当に一切ない。


 だからこそ、標は返答に困った。


「俺に向いた仕事を、お前が決めるのか?」


「そういう意味じゃない。ただ、無理して危険な道に残る必要はないって言いたくて」


「頼んでいない」


「……そうか。悪かった」


 直人は素直に謝った。


 この手の人間は苦手だった。


 敵意があれば排除できる。


 悪意があれば代価を払わせられる。


 しかし善意だけで余計なことをする人間は、処理方法が難しい。


「真壁君は優しすぎるのです」


 澄んだ女の声がした。


 鳳城麗華が測定装置の側に立っている。


 赤みを帯びた長い髪。


 隙のない姿勢。


 防衛企業最大手、鳳城グループの令嬢。


 炎の鳥型変身能力《焔凰装》を持つ、学年首席候補の一人だった。


「適性のない人間を戦場へ残すことは、本人だけでなく周囲を危険にさらします。進路変更を促すのは差別ではありません」


「誰も差別だとは言っていない」


 標が答える。


「では、理解しているのですね」


「お前の意見に興味がないと言っている」


 測定室が静かになった。


 麗華の眉が、ごくわずかに動いた。


 転移前の神代標は、彼女へ言い返したことがほとんどなかった。


 鳳城グループへの就職を望んでいたからだ。


 推薦を得るため、麗華の実習班で雑務を引き受け、何度も頭を下げていた。


 だが、採用されなかった。


 ならば機嫌を取る理由もない。


「採用されなかったからといって、八つ当たりは見苦しいぞ」


 獅堂蓮司が口を挟んだ。


 筋肉質な身体。


 金色に近い茶髪。


 大手戦闘企業、獅堂戦技の後継候補。


 変身能力《金剛獅子》と雷属性魔法を併用する、攻撃型の能力者だった。


「鳳城はお前のために言っている」


「俺のために言うなら、俺が求めたことを言え」


「その態度で、どこが雇うと思っている」


「雇われないと言っている」


「負け惜しみか?」


「事実だ」


 蓮司が鼻で笑った。


「採用通知が一件もない人間が言えば、確かに事実だな」


 周囲から小さな笑い声が漏れた。


 標は気にしなかった。


 その程度の挑発で感情を動かすほど、元の世界は平和ではなかった。


 代わりに蓮司の身体を見る。


 肩、腰、足の運び。


 鍛えられてはいる。


 だが変身能力へ依存しているため、生身での重心移動が甘い。


 戦場なら三秒。


 能力を使わせなければ一秒で殺せる。


「何だ、その目は」


「弱いと思っただけだ」


「……誰が?」


「お前が」


 蓮司の表情が消えた。


 右手の皮膚に、金色の獣毛が浮かぶ。


 侵食反応。


 感情の高ぶりだけで能力が漏れている。


 標は呆れた。


「実技棟で許可なく変身するな」


 低い声が響いた。


 測定室の奥から、一人の男が歩いてくる。


 榊原宗一郎。


 四十二歳。


 標たちの担任であり、元A級天蓋士。


 左目の上に古い傷があり、現在は風属性魔法と感知術を専門に教えている。


「獅堂。次に漏らしたら侵食管理点を減点する」


「……失礼しました」


 蓮司の皮膚から獣毛が消える。


 榊原は標へ視線を移した。


「神代」


「何だ」


「教師には敬語を使え」


「分かりました」


「返事だけは早いな」


 榊原は標の顔を数秒見つめた。


 感知能力を使っている。


 魔力の波長。


 呼吸。


 視線。


 昨日までとの違いを探っているのだろう。


「体調は」


「空腹と眠気があります」


「健康そうで何よりだ」


「同感です」


 榊原の眉間に皺が寄った。


「採用結果を見て自暴自棄になったわけではないな?」


「採用されなくて喜んでいます」


「……後で面談だ」


「断ります」


「教師命令だ」


 その言葉に、標はわずかに目を細めた。


 命令。


 聞き慣れた言葉だった。


 だが、以前ほど腹は立たない。


 榊原の命令には、標を危険な場所へ送り込む意図も、能力を使い潰す意図もない。


 単に担任として状態を確認したいだけだ。


「料金は?」


「取るのは私の方だ。遅刻二時間分の指導料を請求したいくらいだ」


「なら相殺で」


「成立していない。測定位置につけ」


 標は円形の装置へ向かった。


 壁際で、黒髪の女子学生が測定端末を操作している。


 黒瀬千景。


 零属性魔法と魔道具工学を専攻する研究科の学生。


 固有異能はなく、属性適性も低い。


 戦闘組の学生からは目立たない存在として扱われている。


 彼女は標の顔を一度見た後、すぐ端末へ視線を戻した。


「最終学年の適性再測定を始めます」


 榊原が全員へ説明する。


「今回は企業への追加提出資料と、卒業実習の班分けに使用する。測定項目は魔力容量、瞬間出力、持続出力、制御精度、属性変換率、異能出力、侵食率だ」


 最終学年はイベントが多い。


 企業説明会。


 共同研究発表。


 国内外の学校が参加する天蓋祭。


 国家資格試験。


 企業インターン。


 そして卒業実習。


 残り半年の評価次第では、内定先や所属部隊すら変わる。


 学生たちが緊張するのも当然だった。


「鳳城から」


 麗華が装置の中央へ進む。


 手のひらを測定柱へ触れた。


 赤い光が彼女の周囲へ立ち上る。


《魔力容量、七八六二》


《瞬間出力、A》


《持続出力、A》


《制御精度、A》


《火属性変換率、九一・六パーセント》


《異能総合評価、A》


《侵食率、一二・四パーセント》


 測定室に感嘆の声が広がる。


 火属性変換率九割超え。


 学生としては国内最高水準。


 麗華は当然という顔で装置を降りた。


 続いて蓮司。


《魔力容量、八三〇六》


《瞬間出力、A》


《持続出力、B》


《制御精度、B》


《雷属性変換率、八七・二パーセント》


《異能総合評価、A》


《侵食率、一五・八パーセント》


 真壁直人は攻撃力こそBだったが、防御評価Aを記録した。


 久世玲央は光属性と集団強化能力で、支援評価A。


 冬月澪奈は氷属性変換率八九パーセント。


 上位学生たちの結果が続く。


「次、神代」


 榊原に呼ばれ、標は装置へ上がった。


 周囲の空気が緩む。


 上位学生の測定が終わり、誰も標の結果には期待していない。


 過去の記録は、


《魔力容量、六八四》


《瞬間出力、E》


《持続出力、E》


《制御精度、D》


《属性適性、該当なし》


《異能、未発現》


 同年代の戦闘課程平均を大きく下回る。


 今回も似たような結果になると思われていた。


「手を置いてください」


 千景が小さな声で言う。


 標は測定柱へ右手を触れた。


 冷たい金属。


 内部には複数の属性術式が重なっている。


 魔力を流す前に、標は装置の構造を読み取った。


 入力された魔力を属性ごとに分解。


 変換されなかった残余を零属性魔力として測定。


 入力と出力の差から制御損失を計算する。


 単純な構造だ。


 ただし、前提が間違っている。


 この装置は、魔力を使用すれば必ず一部が失われると想定している。


「始めろ」


 榊原が言った。


 標は身体の奥にある魔力へ触れた。


 少ない。


 細い。


 だが、操作できる。


 ほんの一滴だけ、測定柱へ流す。


 元の神代標が零属性魔法として使っていた、形のない魔力。


 標にとっては無属性魔法。


 属性を与えず、そのまま循環させる。


 測定装置の内部を通り、再び自分の身体へ戻す。


《魔力容量測定中》


《推定値、六九一》


 以前とほとんど変わらない。


 周囲から予想どおりだという空気が流れる。


《瞬間出力測定》


「神代。正面の標的へ基礎衝撃を撃て」


 十メートル先に、人型の標的が立っている。


 零属性魔法の基礎術式。


 魔力を塊として射出し、対象へぶつけるだけ。


 この世界では属性魔法を使えない者が、最低限の自衛手段として学ぶ技術だった。


 標は右手を上げた。


 人差し指を標的へ向ける。


 元の世界で、何千何万回と繰り返した動作。


 ただし現在の肉体に合わせ、出力を最低限へ落とす。


 圧縮。


 固定。


 射出。


 白い魔力弾が飛んだ。


 小さな音を立て、人型標的の額へ当たる。


 標的はほとんど動かなかった。


 蓮司が笑う。


「それで攻撃のつもりか?」


 標は答えない。


 測定装置を見ていた。


 千景も同じ場所を見ている。


《瞬間出力、E》


《標的損傷、軽微》


《投入魔力量、三・〇〇〇》


《検出出力、三・〇〇〇》


《損失量――》


 表示が止まった。


 装置の内部で、小さな警告音が鳴る。


《再計算中》


《損失量――測定限界未満》


《制御効率、一〇〇・〇パーセント》


 室内が静かになった。


「故障か?」


 榊原が千景へ尋ねる。


「確認します」


 千景の指が端末上を走る。


 入力計測器。


 出力計測器。


 残留魔力。


 周辺への放散量。


 すべて正常。


「測定器に異常はありません」


「そんなはずがない」


 榊原が装置へ近づく。


「魔力を使用して、損失がゼロになることはない」


「理論上は」


 標が言った。


「循環させれば、失う必要はない」


「循環?」


「使い捨てるから減る。戻せばいい」


「放出した魔力を、どうやって戻す」


「道を作る」


 榊原は意味が分からないという顔をした。


 当然だった。


 この世界の術式は、魔力を属性へ変換し、現象を起こした後は大気中へ拡散させる。


 回収するという発想そのものがない。


 千景だけが、標的の額を見つめていた。


 魔力弾が当たった場所から、細い魔力の線が測定装置へ戻っている。


 それは標の腕を通り、体内へ再吸収されていた。


「もう一度だ」


 榊原が言う。


「同じ出力で撃て」


「料金は?」


「神代」


「冗談です」


 標は再び指を向ける。


 二発目。


 三発目。


 四発目。


 白い魔力弾が、寸分違わず標的の額へ当たる。


《投入魔力量、三・〇〇〇》


《検出出力、三・〇〇〇》


《損失量、測定限界未満》


《投入魔力量、三・〇〇〇》


《検出出力、三・〇〇〇》


《損失量、測定限界未満》


《投入魔力量、三・〇〇〇》


《検出出力、三・〇〇〇》


《損失量、測定限界未満》


 装置が連続して警告音を鳴らした。


《測定値が理論上限を超えています》


《循環率を再計算します》


《計測基準が存在しません》


「出力はEだろうが」


 蓮司が苛立った声を上げる。


「弱い魔法を効率よく撃っただけだ。何の意味がある」


「意味はある」


 答えたのは標ではなかった。


 黒瀬千景だった。


 普段ほとんど発言しない彼女が、測定端末から顔を上げている。


「出力三の術式を四回使用したのに、神代君の体内魔力量が減っていません」


「測定器が間違っているんだろ」


「三系統で同時測定しています。全部同じ結果です」


 千景の声が、わずかに震えていた。


 恐怖ではない。


 興奮だった。


「仮に大規模術式でも同じ効率を維持できるなら、必要魔力量は現在の理論値の数十分の一になります」


「仮定の話だ」


 麗華が冷静に言う。


「魔力容量が少ない事実は変わりません。高出力を出せなければ、実戦では――」


「高出力が必要なのか?」


 標が尋ねる。


 麗華が標を見る。


「敵を倒すためには当然でしょう」


「頭部の核を撃ち抜くのに、全身を焼く必要はない」


「外相種の核を、零属性衝撃で破壊できると?」


「できる」


 標は平然と答えた。


 出力が足りないなら圧縮すればいい。


 正面から通らないなら、背後から撃てばいい。


 外殻が硬いなら、外殻の内側へ射出口を作ればいい。


 この世界の学生たちは、魔力量と火力を強さだと思っている。


 間違いではない。


 ただ、あまりにも効率が悪い。


「神代」


 榊原の声が低くなる。


「もう一度聞く。昨日、何があった」


 標は答えなかった。


 測定柱へ触れたまま、自分の魔力を見る。


 量は少ない。


 出力も低い。


 身体は弱い。


 元の世界で使っていた力の大半は、今すぐには扱えない。


 それでも、技術は残っている。


 この世界が、その技術を知らないことも分かった。


 標は周囲を見渡した。


 大企業の令嬢。


 英雄候補。


 政府部隊の内定者。


 世界の常識を疑わない上位学生たち。


 全員が、今までと違う目で標を見ていた。


 恐れではない。


 まだ疑いにすぎない。


 だが、昨日までの無関心は消えている。


 標は口元をわずかに歪めた。


「よく眠ったと言っただろ」


 測定装置が、最後の結果を表示する。


《魔力容量、E》


《瞬間出力、E》


《属性適性、該当なし》


《制御精度――測定不能》


 適性のない落ちこぼれ。


 その評価は変わっていない。


 ただ一項目だけを除いて。


 黒瀬千景は、画面に表示された文字から目を離せなかった。


 この世界には存在しないはずの結果。


 魔力を失わず、術式だけを成立させる技術。


 もし本当に再現可能なら、魔法文明の前提そのものが変わる。


 そして神代標本人は、その価値に驚いた様子すらなかった。


 まるで、できて当然であるかのように立っている。


 千景は端末を握りしめた。


「神代君」


「何だ」


「その魔法を、誰に習ったんですか?」


 標は少しだけ考えた。


 エリアス。


 紅霞。


 アマテラスの仲間たち。


 死んでいった転移能力者。


 世界中の研究者と戦闘員。


 自分が生き残るために積み重ねた十一年間。


 答えは、いくらでもあった。


「仕事で覚えた」


「仕事?」


「ああ」


 標は測定装置から手を離した。


「ひどく割に合わない仕事だった」


 それだけ言って、測定台を降りる。


 榊原が止めるより先に、標は出口へ向かった。


「どこへ行く」


「昼休みです」


「まだ測定が残っている」


「空腹なので」


「待て、神代」


「面談なら食事の後にしてください」


 標は振り返らなかった。


 食欲がある。


 金も欲しい。


 眠気も残っている。


 やるべきことは多かった。


 まず腹を満たす。


 次に、まともな寝具を買う。


 そのために金を稼ぐ。


 幸い、この世界には、標が当然だと思っていた技術を誰も知らない。


 知らない技術には価値がある。


 価値がある物には、値段をつけられる。


「悪くないな」


 昨日まで就職先が一つもなかった学生は、誰にも聞こえない声で呟いた。


「売れる物は、ありそうだ」


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