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第9話 退路を決めてから戦え

 神代標が購入した運動器具は、一般的な学生向けのものだった。


 可変式の重り。


 訓練用の帯。


 握力器。


 姿勢維持用の不安定な台。


 どれも高級品ではない。


 合計金額は、四万八千円。


 もっと高性能な魔導式訓練器具もあったが、標は選ばなかった。


 自動で負荷を調整する。


 正しい姿勢を教える。


 筋肉の疲労を測定する。


 便利ではある。


 だが、その程度なら自分でできる。


「これで十分だな」


 早朝。


 標は両足へ重りをつけ、学生寮の床に立っていた。


 右足を前へ出す。


 腰を落とす。


 踏み込む。


 通常の訓練なら、足へ固定された重りの分だけ負荷が増える。


 標はさらに零属性魔法を使い、身体の動きとは逆方向へ抵抗を加えた。


 踏み込む瞬間には、後方へ。


 身体を戻す瞬間には、前方へ。


 膝関節は魔力で支え、筋肉だけへ負荷を集中させる。


 一歩。


 二歩。


 三歩。


 十歩目で、太腿が震え始めた。


「弱い」


 数日前よりは動ける。


 それでも、元の身体には遠く及ばない。


 標は負荷を少し下げた。


 筋肉を壊せば、訓練ではなく損失になる。


 強くなるために、翌日の行動へ支障を出すのは効率が悪い。


 呼吸。


 心拍。


 筋肉の震え。


 関節の角度。


 零属性魔法で、自分の身体を外側から観察する。


 この世界で零属性魔法は、属性を持たない弱い魔力として扱われている。


 物を押す。


 小さな衝撃を与える。


 魔力の形を整える。


 それ以上の価値を見いだす者は少ない。


 標にとっては違った。


 零属性魔法は、余計な性質がない。


 熱も。


 冷気も。


 電気も。


 外相種由来の特殊効果もない。


 だから、思いどおりに加工できる。


 抵抗。


 支持。


 摩擦。


 圧力。


 姿勢制御。


 扱う人間の技術が高ければ、何にでも使える。


 標は両手へ訓練用の帯を巻いた。


 左右へ引く。


 零属性魔法による負荷を、動作の途中で変える。


 最初は軽く。


 筋肉が縮むほど重く。


 限界直前で負荷を抜き、関節を守る。


 市販の魔導訓練器具より、細かい。


 標が理解しているのは、零属性魔法だけではない。


 どの筋肉を。


 どの順番で。


 どこまで使えば。


 戦場で必要な動きにつながるか。


 十一年間の経験がある。


 腕を太くするための訓練ではない。


 武器を振る。


 倒れた人間を引く。


 瓦礫を越える。


 姿勢を崩さず、転移先を認識する。


 攻撃を回避した直後にも、正確に門を開く。


 そのための身体を作る。


 二十八分後。


 標は運動を終えた。


 汗を拭き、朝食の準備をする。


 卵。


 肉。


 野菜。


 パン。


 以前なら、栄養補給は薬剤だけで済ませていた。


 今は違う。


 食べることそのものに価値がある。


「運動した後の方が、うまいな」


 標は肉を一切れ食べた。


 身体を鍛える。


 食欲が増える。


 よく眠れる。


 よく眠れば、また身体が回復する。


 悪くない循環だった。


 ◇


 第四演習室には、すでに四人が集まっていた。


 真壁直人。


 鳳城麗華。


 冬月澪奈。


 御影士門。


 部屋の中央には、茨城県第十七天穴管理区域の立体地図が表示されている。


 周辺都市。


 外周防壁。


 旧避難施設。


 地下物流区画。


 崩壊した建物。


 空間歪曲反応が検出された地点。


 天穴そのものは、すでに存在しない。


 数年前。


 この地域上空に天穴が開いた。


 降下してきた外相種と天蓋士部隊が交戦。


 コアを保持した個体が討伐され、天穴は崩壊した。


 現在残っているのは、戦闘跡と外相汚染だけだ。


「二分遅刻だ」


 士門が言った。


「廊下で榊原に止められた」


「理由は?」


「実習中の転移門使用料について」


 直人が困惑した顔をする。


「本当に学校から金を取るのか?」


「追加業務だからな」


「同級生の救助にも?」


「授業内で必要な待機は学校が払う。実際に使った場合の料金は、現在交渉中だ」


「事故が起きた場合くらい、無料で助けてくれてもいいだろ」


 標は直人を見る。


「助けないとは言っていない」


「では、料金は後から?」


「学校が払えばいい」


「命を助けるのに金の話をするのは――」


「真壁」


 士門が遮った。


「今は料金の是非を話す時間ではない」


「でも」


「神代の転移を部隊計画へ組み込むなら、使用条件を決める必要がある」


 士門は標へ視線を向けた。


「料金も、その条件の一つだ」


「話が早い」


「必要な情報だからだ」


 士門が地図の横へ、五人分の資料を表示する。


「まず、能力を開示する」


 最初に自身の情報を開いた。


《御影士門》


《魔力容量 C》


《射撃評価 A》


《固有能力 標定》


「視認した対象へ、魔力による標点を付与できる」


 士門が説明する。


「維持可能数は六。持続時間は、距離と対象の魔力抵抗による。無機物なら最長十二時間。低位外相種なら三十分程度」


「標点をつけると?」


 標が尋ねる。


「位置を追跡できる。遮蔽物の裏へ移動しても、方向と距離が分かる」


「他人へ共有は?」


「簡易情報なら、班員端末へ送れる。ただし俺が意識を失えば消える」


「座標精度は」


 士門が標を見る。


「三百メートル以内なら、誤差五センチ未満」


 標は少しだけ興味を持った。


「使えるな」


「転移先の基準にできるか?」


「できる可能性は高い」


 御影士門の能力は、単独では派手ではない。


 敵を倒す力もない。


 防御もできない。


 ただ、見失わない。


 対象の正確な位置を把握し続ける。


 通常の部隊でも索敵と射撃支援に有用だ。


 標の転移門と組み合わせれば、価値はさらに上がる。


 標自身が見ていない場所でも、士門の標点を基準に出口を形成できるかもしれない。


「後で試す」


「実習前に確認したい」


「ああ」


 次は直人。


《真壁直人》


《魔力容量 B》


《固有能力 城塞巨人》


「分かっていると思うが、変身によって防御力と筋力が上がる」


「最大維持時間は」


 士門が尋ねる。


「通常出力なら一時間。最大出力は十五分ほど」


「現在の侵食率は?」


「一〇・一パーセント」


 標は直人を見る。


 少しずつ上昇している。


「最大出力は使うな」


 標が言った。


「必要なら使う」


「訓練で必要になる状況なら、すでに中止判断が遅い」


「誰かが危険なら」


「自分を壊して助けるのか」


「助けられるなら」


「その後は誰が助ける」


 直人が言葉に詰まる。


 標は立体地図を指した。


「お前の役割は、攻撃を受けることではない」


「前衛の役割は、仲間を守ることだ」


「違う」


 標は即答する。


「敵の進行を止め、味方が行動できる時間を作ることだ」


「結果として攻撃を受ける」


「必要な分だけだ」


「敵の攻撃を全部止めなければ、後ろへ届く」


「後ろを移動させればいい」


 標は自分を指す。


「今は俺がいる」


 直人が黙る。


「お前がすべて受ける必要はない。攻撃が来る場所から、味方をどかす。敵の向きを変える。攻撃自体を別の場所へ送る」


「転移を前提にしすぎるのは危険だろ」


「だから条件を決める」


 標は地図の横へ、新しい項目を表示した。


《転移支援可能》


《転移支援不能》


「俺が意識を失った場合」


「座標を把握できない場合」


「強い空間異常が発生した場合」


「魔力制御が乱れた場合」


「門を維持できないほど広範囲の攻撃を受けた場合」


「その状況では、転移支援はないものとして動け」


 直人は表示を見る。


「でも、使える間は?」


「お前は盾ではなく、壁になれ」


「同じでは?」


「盾は攻撃を受ける」


 標は直人の胸を指す。


「壁は敵の進路を決める」


 直人はすぐには答えなかった。


 これまで、強い身体を得た自分の役割は、誰より前に立ち、すべての攻撃を受けることだと考えていた。


 標の言う役割は違う。


 敵を止める。


 追い込む。


 攻撃方向を限定する。


 味方が戦いやすい場所へ、戦場そのものを整える。


「分かった」


 直人が答える。


「試してみる」


「最大出力は?」


「訓練では使わない」


「それでいい」


 次は澪奈。


《冬月澪奈》


《魔力容量 B》


《氷属性適性 A》


《固有能力 凍結領域》


 指定範囲の温度を奪い、物質の動きを低下させる。


 地面。


 空気中の水分。


 外相種の関節。


 装備。


 範囲を広げるほど、魔力消費が増える。


「閉鎖空間では、広範囲凍結を使いません」


 澪奈が説明する。


「建物の強度を低下させる可能性があります」


「敵だけ凍らせられるか?」


 標が尋ねる。


「直接触れるか、十分近ければ」


「離れていた場合は?」


「氷を伸ばして接触させます」


「転移孔に魔法を通した経験は」


「ありません」


「今日試す」


 澪奈が僅かに眉を寄せる。


「私の氷が、門の途中で失われる可能性は?」


「ない」


「根拠は?」


「俺の門は、物質と魔力を区別しない」


「絶対ですか?」


「少なくとも、元の――」


 標は途中で止めた。


「これまでの経験では」


「また、説明できない経験ですか」


「ああ」


「分かりました」


 澪奈は追及しなかった。


 続いて麗華。


《鳳城麗華》


《魔力容量 A》


《火属性適性 A》


《障壁適性 A》


《固有能力 熾翼炉》


「体内で火属性魔力を増幅し、攻撃と障壁へ転用します」


 麗華が説明する。


「最大出力では、第二種外相種の外殻を正面から破壊可能です」


「燃費は」


 標が尋ねる。


 麗華の眉が動く。


「もう少し他の聞き方はありませんか?」


「何分使える」


「通常戦闘なら二時間。高出力を連続使用した場合は二十分」


「最大出力は?」


「五分程度です」


「短いな」


「通常の学生と比較すれば長い方です」


「使わなければ、もっと長い」


「当然でしょう」


「お前は火力を出しすぎる」


 麗華の表情が硬くなる。


「前回の実戦評価の話ですか?」


「ああ」


「敵を早く倒すために、必要な出力を使いました」


「必要以上だった」


「確実に倒すためです」


「敵以外にも当たる」


「制御しています」


「広い範囲をな」


 標は模擬戦闘記録を表示した。


 麗華の攻撃。


 火炎の翼が敵を正面から飲み込む。


 威力は高い。


 同時に、背後の壁や路面まで焼いている。


「敵の外殻を破るために、周囲ごと焼いている」


「実戦では、威力不足の方が危険です」


「当てる場所を選べば、威力はいらない」


「あなたの転移を使えと?」


「ああ」


 麗華は腕を組む。


「自分の攻撃の出口を、他人に任せることになります」


「嫌か」


「当然です。誤った位置へ出されれば、味方を傷つける」


「なら契約しろ」


「契約?」


「出口を作る条件を決める」


 標は新しい項目を表示した。


《鳳城麗華の攻撃転送条件》


《本人の明示承認》


《味方識別完了》


《出口周辺の安全確認》


《射線内の障害物確認》


《攻撃終了合図》


「俺が勝手に転送しない」


「私が許可した場合だけ?」


「ああ」


「緊急時は?」


「事前に決めた合図を使う」


「あなたは、戦闘中まで契約書を作るのですね」


「曖昧な連携は事故になる」


 麗華は表示された条件を見る。


 確かに、間違ってはいない。


「分かりました」


「試すか」


「そのための演習でしょう」


 最後に、全員の視線が標へ向く。


《神代標》


《魔力容量 E》


《固有能力 転移門》


《零属性制御 測定不能》


《実戦評価 A以上》


「開示できる能力範囲は?」


 士門が尋ねる。


「門型転移」


「それは知っている」


「小型転移孔の多重形成」


「同時にいくつだ」


「大きさによる」


「今日使える範囲で」


「人間が通れる門なら二つ。拳程度なら十二。指先ほどなら三十以上」


 四人の表情が止まる。


「三十?」


 澪奈が聞き返す。


「ああ」


「国家評価では、そこまで公開されていません」


 麗華が言う。


「聞かれなかった」


「普通は自分から説明する情報でしょう」


「値段がついていない」


「戦闘中に、三十個の転移孔を維持できるのか?」


 士門が尋ねる。


「今の身体では、短時間なら」


「転移できる物は」


「物質。人間。魔力。光。音。空気」


 直人が眉を寄せる。


「光と音?」


「門を通る」


「では、角の向こうを見ることも?」


「できる」


「会話を別の場所へ送ることも?」


「できる」


「なぜ国家評価で使わなかった」


「必要なかった」


 士門が地図を見る。


「通信障害が起きても、門を使えば声を送れる?」


「距離と空間異常次第だ」


「光を通せるなら、標点を付与するための視界も作れる」


「ああ」


 士門の目が変わる。


「俺が直接見ていない場所へ、視界を転送できるか?」


「出口の座標が取れれば」


「一度標点をつけた物体を運ばせる。そこを基準に視界を開く」


「使えるな」


 二人の話が急速に進む。


 麗華が割って入った。


「待ってください」


「何だ」


「神代君の能力を前提にすると、通常の班編成とは役割が変わります」


「ああ」


 標は当然のように答える。


「御影君は、単なる射撃手ではなく座標観測」


「冬月さんは、近距離制圧だけでなく遠隔凍結」


「私の火力も、射程や遮蔽物の制限を受けない」


「真壁君は、敵の向きを制限する役割になる」


「そうだ」


「では、神代君は?」


 標は少し考えた。


「運び屋」


「違うでしょう」


 麗華が即座に否定した。


「あなたは、全員の能力を好きな位置へ配置する」


「好きな位置ではない。必要な位置だ」


「同じです」


「違う」


「少なくとも、通常の支援役ではありません」


 士門が立体地図へ、複数の線を表示する。


「神代がいる場合、距離と遮蔽物の意味が変わる」


「敵の背後へ攻撃を出せる」


「負傷者を後方へ送れる」


「通信が切れても、一時的に接続できる」


「補給も可能」


「相手の攻撃を別方向へ逃がすことも」


「条件次第で」


 標が補足する。


「つまり」


 士門が標を見る。


「お前は戦闘員ではなく、戦場そのものを操作する」


「大げさだ」


「国内四十八位を二秒で倒した人が言っても説得力がありません」


 澪奈が冷静に言った。


 直人が地図を見る。


「これなら、誰も傷つかずに戦えるかもしれない」


「それは違う」


 標が言う。


「傷つかない戦場はない」


「でも、転移があれば」


「頼りすぎるな」


 標の声が低くなる。


「転移があるから、無理をしていいと思うな」


 四人が標を見る。


「帰れる」


「助けてもらえる」


「補給が届く」


「そう考えた部隊は、撤退判断が遅くなる」


 元の世界。


 標の門があることを理由に、限界を超えて進んだ部隊があった。


 負傷すれば戻せる。


 弾薬は追加できる。


 退路は標が維持する。


 そうして、転移能力者へすべての責任を預けた。


 転移経路が干渉された瞬間。


 全員が死んだ。


「転移は保険ではない」


 標が言う。


「使える手段の一つだ」


「なら、撤退条件を決める」


 士門が即座に応じた。


「魔力残量」


「負傷者数」


「通信状態」


「空間歪曲値」


「残存外相種の推定数」


 複数の条件が並ぶ。


 麗華が加える。


「神代君の転移精度に異常が出た時点で、即時撤退」


「俺だけではない」


 標が直す。


「誰か一人でも、能力制御に明確な異常が出た場合」


「軽度の異常でも?」


 直人が尋ねる。


「外相汚染区域だ。悪化してからでは遅い」


 澪奈が頷く。


「地下区画では、魔力残量四十パーセントを下回った者は前線から外す」


「私は二十パーセントでも戦えます」


 麗華が言う。


「戦えることと、帰れることは別だ」


 標が返す。


「帰還分を残せ」


「転移で戻れる場合は?」


「転移が使えない場合の分だ」


 麗華は反論しなかった。


 士門が全員を見る。


「通常指揮は俺が取る」


 直人が少し驚く。


「御影が?」


「神代は指揮をしたくないだろ」


「ああ」


 標は即答した。


「面倒だ」


「鳳城は?」


「異論はありません」


 麗華が答える。


「御影君の方が、部隊指揮の訓練経験は多い」


「神代には、空間移動に関する拒否権を与える」


 士門が続ける。


「転移不能または危険と判断した場合、理由を説明する時間がなくても中止できる」


「いい」


「鳳城は火力使用について同様の拒否権」


「承知しました」


「冬月は、建物崩壊や環境変化の危険を判断」


「はい」


「真壁は、前衛継続が不可能と判断した場合、自分で下がれ」


 直人が苦い顔をする。


「自分で?」


「お前は限界まで残ろうとする」


「誰かが前にいなければ」


「だから、限界になる前に言え」


 士門の声は厳しい。


「倒れてから交代するのは、交代ではない」


「……分かった」


 標は士門を見る。


「指揮官としては、まともだな」


「褒め言葉として受け取る」


 ◇


 能力確認のため、模擬訓練が行われることになった。


 第四演習室の壁が動き、内部構造が変化する。


 崩壊した地下施設。


 狭い通路。


 複数の小部屋。


 遮蔽壁。


 通信妨害装置。


 疑似外相種。


 訓練目的は三つ。


 模擬負傷者の救出。


 地下設備からの情報回収。


 指定地点への到達。


 制限時間は十五分。


「神代」


 訓練開始前。


 榊原が監視室から通信を入れた。


《今回の転移門使用について、学校側の試験予算が承認された》


「いくらだ」


《班全体の待機料として二十万円》


「一人一万円と言った」


《教員を含めても、訓練参加者は十七人だ》


「端数は?」


《管理費だ》


「門を使用した場合は?」


《追加で一回二万円。ただし、訓練上必要と認められた場合のみ》


「安い」


《授業だぞ》


「仕方ない。受ける」


《お前は本当に、学校から金を取ったな》


「先生が見積書を出せと言った」


《後悔している》


 通信が切れる。


 直人が標を見る。


「学校から二十万円もらうのか」


「ああ」


「俺たちを助けるために?」


「転移支援の試験費用だ」


「言い方を変えただけでは」


「契約書では重要だ」


「今は集中しろ」


 士門が二人を止める。


「開始後、俺が先頭で索敵。真壁が二番。冬月、鳳城、神代の順」


「俺が最後か?」


 標が尋ねる。


「後方から全体を見ろ」


「悪くない」


《訓練開始》


 扉が開いた。


 五人が地下施設へ入る。


 最初の通路。


 照明は半分が停止。


 床には瓦礫。


 士門が小型金属片を取り出した。


「標点を付与する」


 指先で触れる。


 金属片に、薄い青い印が浮かぶ。


「神代」


「投げろ」


 士門が暗い通路の先へ金属片を投げた。


 十メートル。


 二十メートル。


 床を転がり、曲がり角の先で止まる。


「標点位置、前方二十七・四メートル。右へ三・二メートル」


 士門が位置を読み上げる。


 標は指先に、小さな黒い孔を開いた。


 出口は、標点のすぐ上。


 孔を通じて、向こう側の光が見える。


「疑似外相種二体」


「種類は」


「四足型。待ち伏せ」


「共有できるか?」


 標は孔を少し広げ、士門の正面へ移動させる。


 士門が孔越しに敵を見る。


 視認。


 標定。


「二体とも付けた」


 班員端末へ位置情報が表示される。


 遮蔽物の向こうに、二つの印。


 麗華が僅かに目を見開く。


「壁越しでも見える」


「御影の能力だ」


「神代君が視界を作ったからです」


 士門が短銃を抜く。


「接敵せずに倒せるか」


「できる」


 標は銃口の前へ、小型転移孔を開いた。


「出口を敵の後頭部へ」


「安全確認は?」


「敵の後方に味方なし。模擬設備への損害もない」


「撃つ」


 二発。


 銃声は標たちのいる場所で響いた。


 弾丸は黒い孔へ消える。


 遮蔽物の向こう。


 二体の疑似外相種の後頭部へ、ほぼ同時に命中した。


《個体一、停止》


《個体二、停止》


「消費魔力は?」


 士門が尋ねる。


「誤差だ」


「弾薬二発」


「通常なら、真壁が接敵して冬月が拘束。鳳城か御影が撃破ですね」


 澪奈が言う。


「時間と魔力を使わずに終わった」


「進むぞ」


 士門は結果へ酔わず、前進を指示した。


 次の区画。


 通信妨害が始まる。


 端末へ雑音。


 監視室との接続が切れた。


「予定どおり」


 士門が手信号を出す。


 音声通信がないことを想定し、事前に決めた合図。


 停止。


 前方注意。


 左右確認。


 標は指先ほどの転移孔を五つ開いた。


 一つは士門の耳元。


 一つは直人。


 澪奈。


 麗華。


 最後は自分。


「聞こえるか」


 声が、全員の耳元から直接届く。


 直人が驚いて周囲を見る。


「通信までできるのか」


「音を通しているだけだ」


「外部通信は?」


「出口の座標が取れれば」


「監視室は?」


「固定位置だ」


 標は訓練開始前に確認していた、監視室の壁際へ小さな孔を開く。


《こちら第七班。聞こえるか》


 数秒後。


 孔の向こうから榊原の声。


《聞こえている。通信妨害装置は正常稼働中だぞ》


「空間は妨害されていない」


《反則ではないのか、それは》


「能力試験だろ」


《……続行しろ》


 転移孔が、即席の通信網になる。


 電波も。


 魔導通信も使っていない。


 単に、離れた空間を耳元へつないでいるだけ。


「神代」


 士門が言う。


「今後、通信断が起きた場合の復旧方法として使える」


「俺が位置を知っていればな」


「連絡拠点へ標点を置く」


「それなら移動しても追える」


 次の運用が、その場で作られていく。


 ◇


 通路の先で、天井が崩れた。


 訓練用の仕掛け。


 瓦礫が落ち、直人と後方三人の間を遮る。


「真壁!」


 麗華が声を上げる。


「無事だ!」


 転移通信を通じて、直人の声が届く。


 士門は直人と同じ側。


 標、麗華、澪奈が反対側へ分断された。


「迂回路は?」


 士門が尋ねる。


 標は地図を確認する。


「二百メートル先」


「時間がかかる」


「瓦礫を転移させる」


「崩落が進む可能性は?」


 澪奈が壁へ触れる。


 冷気を薄く流し、構造を確認。


「上部は安定しています。中央の三つを除けば、支えにはなっていません」


「三つに印をつけろ」


 澪奈が位置を示す。


 標は、それ以外の瓦礫の下へ門を形成した。


 出口は、訓練区域外の廃材置き場。


 門を少しずつ動かす。


 瓦礫が重力で落ち、別の場所へ消えていく。


 支えとなる三つだけを残す。


 通路が開く。


「四十秒」


 士門が計測していた。


「通常なら、真壁が除去して三分以上」


「俺でも一分半はかかる」


 直人が言う。


「それに、崩落の危険がある」


 澪奈が標を見る。


「転移は、物を動かすのではなく、不要な物だけを消せる」


「移しているだけだ」


「結果として同じです」


「止まるな」


 士門が再び進行を促した。


 ◇


 模擬負傷者は、地下二階の小部屋にいた。


 人型模型。


 右脚に重傷判定。


 意識不明。


 周囲には疑似外相種が三体。


 士門が標点をつける。


「正面一。左右に一体ずつ」


「廊下が狭い」


 直人が前へ出る。


「俺が止める」


「右の個体だけ押さえろ」


 士門が指示。


「左は冬月。中央は鳳城」


「出口を作る」


 標が言う。


 直人が変身。


 灰色の装甲が全身を覆う。


 疑似外相種が突進する。


 直人は正面から受け止めず、肩を入れて進路を右へ曲げた。


 壁へ押しつける。


「こうか!」


「それでいい」


 標が答える。


 攻撃を受け止めるのではない。


 敵の行き先を制限する。


 左側。


 澪奈が手を上げる。


「凍結します」


「転送」


 澪奈の手の前へ、転移孔。


 出口は左側個体の後脚。


 氷が孔を通り、敵の関節へ直接まとわりつく。


 脚部だけが凍る。


 床や壁は凍らない。


 敵が動きを止める。


「局所凍結成功」


 中央個体が、負傷者模型へ向かう。


 麗華の背中に、赤い光が広がった。


「出力二十パーセント」


「出口を模擬核前へ」


「味方なし?」


「確認済み」


「転送を承認します」


 麗華が火炎を放つ。


 大きさは、人の腕ほど。


 これまでの麗華なら、敵全体を飲み込む炎を使った。


 今回は違う。


 火炎が標の門へ入り、疑似外相種の胸部。


 外殻の内側。


 模擬核の直前へ現れる。


《模擬核破壊》


 個体が停止した。


 周囲への損害なし。


 魔力消費は、通常の一割以下。


 麗華自身が、一瞬反応できなかった。


「今の出力で……」


「当てる場所が正しければ十分だ」


 標が言う。


 士門が拘束された二体を射撃。


 戦闘終了。


「負傷者を搬送する」


 直人が模型へ近づく。


「持つ必要はない」


 標が止める。


「病院へ送るのか?」


「訓練用医療区画へ」


「意識不明だ。門を通過させるには誰かが支える必要がある」


「担架を転送する」


 標は模型の下へ薄い門を開く。


 出口側では、訓練用担架の上。


 門を少しずつ上へ動かす。


 模型の身体が、その場から消え。


 医療区画の担架へ、同じ姿勢のまま現れた。


《模擬負傷者、医療区画到着》


《搬送時追加損傷なし》


 直人が門の消えた床を見る。


「触らなくても運べるのか」


「物と同じだ」


「人間だぞ」


「だから慎重にやる」


「でも」


「負傷者を持ち上げること自体が、追加損傷になる場合もある」


 士門が言う。


「脊椎損傷や瓦礫による圧迫がある場合、姿勢を変えずに搬送できる価値は高い」


「医療利用だけでも、白鷺が欲しがるわけですね」


 澪奈が言う。


「話は後だ」


 標は先へ進む。


「情報端末が残っている」


 ◇


 最後の目的地。


 地下設備室。


 中央には、回収対象となる模擬記録端末が置かれている。


 その周囲には、六体の疑似外相種。


 さらに、天井付近へ飛行型二体。


「数が多いな」


 直人が言う。


「通常なら、ここが最終戦闘です」


 麗華が火属性魔力を集める。


「広範囲攻撃なら、一度で処理できます」


「設備も壊す」


 標が言う。


「出力を抑えます」


「八体へ別々に当てられるか?」


「無理です」


「なら、俺が分ける」


 標は八つの小型転移孔を形成した。


 一つの入口。


 八つの出口。


「一発を分けるのですか?」


「孔の直前で炎を分割しろ」


「そんな制御は――」


「できる」


「なぜ断言できるんです?」


「お前の制御なら可能だ」


 麗華が標を見る。


「私の技術を、いつ確認したのですか」


「前回の訓練」


「一度だけでしょう」


「十分だ」


 標は麗華の炎を見ていた。


 出力は過剰。


 だが制御そのものは荒くない。


 大きな炎を維持しながら、味方を避けていた。


 細かく分ける訓練をしていないだけで、能力はある。


「失敗した場合は?」


「入口を閉じる」


「炎がこちらへ戻ります」


「別の出口へ捨てる」


「安全区画は?」


「確保した」


 士門が敵八体へ標点をつける。


「位置固定」


 澪奈が室内の空気を冷却し、敵の移動速度を下げる。


「五秒なら止められます」


 直人が前へ立つ。


「抜けた奴は止める」


「鳳城」


 士門が言う。


「やれるか」


 麗華は深く息を吸った。


「やります」


 背中の熾翼炉が光る。


 火炎を生成。


 普段より細く。


 威力を抑え。


 一本の槍のように整える。


「放ちます」


 火炎が入口へ入る直前。


 麗華は炎を八つへ分割した。


 標が門を接続。


 八方向。


 すべて標点の直前。


 火炎が同時に現れる。


 一体目。


 二体目。


 三体。


 四体。


 地上の六体。


 天井の二体。


 すべての模擬核へ直撃した。


《個体一、停止》


《個体二、停止》


《個体三、停止》


 停止判定が連続する。


 八体。


 全停止。


 戦闘時間。


 一・六秒。


 麗華は、自分の手を見る。


「出力は?」


 士門が尋ねる。


「……通常攻撃一回分以下です」


「八体を倒したのに?」


 直人が驚く。


「私の攻撃だけではありません」


 麗華は標を見る。


「御影君が位置を固定した」


「冬月さんが動きを止めた」


「神代君が出口を作った」


「真壁君が、失敗時の防衛線を作った」


 一人の能力ではない。


 五人。


 すべての役割がつながっている。


 標が記録端末を回収する。


《全課題達成》


《所要時間 六分十一秒》


 制限時間十五分。


 過去最高記録は十一分四十秒。


 ほぼ半分。


 負傷者なし。


 被弾なし。


 設備損傷なし。


 魔力消費。


 鳳城麗華、予定量の一四パーセント。


 冬月澪奈、一一パーセント。


 真壁直人、八パーセント。


 御影士門、九パーセント。


 神代標。


 測定誤差以下。


「また誤差以下か」


 直人が表示を見る。


「門を何十個も開いただろ」


「小さい門は、ほとんど減らない」


「お前の魔力容量はEなんだよな?」


「ああ」


「本当に?」


「測定器に聞け」


 監視室との通信妨害が解除される。


《第七班、訓練終了》


 榊原の声。


《神代》


「何だ」


《転移門の使用回数が多すぎる》


「契約では一回二万円だったな」


《大型門の話だ!》


「書いていない」


《お前、最初から小型孔も一回ずつ請求するつもりか?》


「三十六回」


《七十二万円になるだろうが!》


「待機料と合わせて九十二万」


《却下だ!》


「契約違反か?」


《協議する!》


 通信が切れる。


 直人が額へ手を当てた。


「訓練が終わって、最初にする話がそれか?」


「重要だ」


「九十二万円……」


 澪奈が呟く。


「今日の訓練施設の運用費より高いのでは?」


「能力の価値だ」


「学校が破産します」


「国に請求すればいい」


 麗華だけは、別の表示を見ていた。


 全員の魔力消費。


 戦闘時間。


 被害。


 これまで自分は、強い火力を持つ者が戦場を決めると思っていた。


 鳳城総合産業も同じ思想を持つ。


 高性能の魔力炉。


 高出力兵器。


 強固な障壁。


 敵より強い力を用意し、正面から押し返す。


 標は違う。


 出力を上げていない。


 新しい力も生み出していない。


 五人が元から持っていた力を、最も効果の高い場所へ移しただけ。


 それだけで、八体の敵が一秒で消えた。


「神代君」


「何だ」


「あなたは、自分を弱いと言いましたね」


「ああ」


「今も、そう思っていますか?」


「身体は弱い。魔力も少ない」


「ですが、あなたがいると、私たち全員の戦い方が変わる」


「お前たちが元から持っている力だ」


「使える場所へ届けるのは、あなたです」


 麗華は、停止した疑似外相種を見る。


「まるで、全員の能力を自分の能力として使っている」


「違う」


 標は記録端末を士門へ渡す。


「借りているだけだ」


「何が違うのです?」


「所有権だ」


 麗華は数秒黙った。


「そこですか」


「重要だ」


 士門が僅かに口元を緩める。


「少なくとも、勝手に使わないなら問題ない」


「ああ」


「契約条件を守る限りは、だが」


「当然だ」


 士門は班員全員を見る。


「今日の結果を基準に、管理区域での行動計画を修正する」


「もう終わっただろ」


 直人が言う。


「訓練結果を反映するまでが班会議だ」


「真面目すぎないか?」


「外相汚染区域へ行く」


 士門の声が硬くなる。


「管理済みでも、遊びではない」


 直人も表情を改める。


「分かった」


「神代」


「何だ」


「今日のように戦える保証は?」


「実際の空間歪曲次第だ」


「最悪の場合は」


「小型孔も作れない」


「その場合、俺たちは通常編成として動く」


「ああ」


「最初から、転移がない前提の計画も作る」


 標は士門を見る。


 それでいい。


 転移があることを前提にしながら。


 転移がなくても崩れない。


 その部隊なら、少しは信用できる。


「御影」


「何だ」


「お前が指揮官でいい」


「最初から、その予定だ」


「今、正式に認めた」


「光栄だな」


「給料は出ないぞ」


「求めていない」


 標は少しだけ笑った。


「変わった奴だな」


「お前にだけは言われたくない」


 ◇


 同日夜。


 茨城県第十七天穴管理区域。


 地下監視施設。


 職員が空間歪曲値の記録を確認していた。


「また上がっています」


「どの程度だ」


「基準値の一・二倍。警戒値には届いていません」


「残留汚染だろう」


「ですが、周期があります」


 画面に波形が表示される。


 上昇。


 低下。


 再び上昇。


 一定の間隔。


 まるで、何かが向こう側から位置を探っているような波形。


「コア反応は?」


「検出されていません」


「なら天穴ではない」


 天穴が開く場合、転移門を維持するコアの反応が先に現れる。


 少なくとも、これまでの観測ではそうだった。


「空間歪曲だけが発生する例は?」


「閉鎖直後ならあります。ですが、ここが閉鎖されたのは七年前です」


「機器の故障を疑え」


「昨日交換したばかりです」


 職員は黙った。


 地下施設の監視映像。


 崩れた通路。


 誰もいない設備区画。


 画面の端。


 空間が、ほんの僅かに揺れた。


 黒い線。


 髪の毛より細い。


 一瞬だけ現れ。


 すぐに消えた。


「今のは」


 職員が映像を巻き戻す。


 同じ場所。


 何もない。


「映像異常だ」


「空間計測器も、同時刻に反応しています」


 室内に警告音が鳴る。


《空間歪曲値上昇》


《基準値 一・五倍》


「管理局へ報告しろ」


「訓練は?」


 翌日。


 国立関東第三魔法学校の卒業実地訓練が、この管理区域で予定されている。


 職員は一瞬迷った。


「現時点では警戒値未満だ」


「ですが」


「報告だけ上げる。中止判断は上が決める」


 映像の中。


 黒い線が、再び現れた。


 今度は先ほどより長い。


 誰もいない地下区画で。


 この世界では、まだ観測されたことのない何かが。


 ゆっくりと。


 地球側の空間へ、爪をかけ始めていた。


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