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第10話 天から落ちるもの

 茨城県第十七天穴管理区域へ向かう車内で、神代標は契約書を読んでいた。


《卒業実地訓練における転移支援試験》


《待機協力費 二十万円》


《大型転移門 一回二万円》


《小型転移孔 十回につき二万円》


《緊急救命目的の使用については、事後協議》


 前回の模擬訓練で、小型転移孔を三十六回使った。


 学校側は当初、一回二万円という契約を大型門だけに適用するつもりだった。


 しかし契約書には、門の大きさが書かれていなかった。


 四十二分の交渉の末。


 小型孔は十回で一単位という条件に落ち着いた。


「安いな」


 標が呟く。


 向かいの席に座っていた榊原宗一郎が、額に手を当てた。


「まだ言うか」


「俺が譲歩した結果です」


「授業で使う能力に、使用回数ごとの料金を請求する学生が他にいると思うか?」


「他の学生にも、学校が必要とする特別な役割があるなら払えばいい」


「鳳城の火炎一発に料金を払うのか?」


「鳳城が学校から撃てと命じられ、通常授業以上の責任を負うなら」


 標は顔を上げる。


「払うべきでしょう」


「本人が聞いたら、何と言うだろうな」


「請求すると思います」


 隣の座席から声がした。


 鳳城麗華だった。


「聞いていたのか」


「聞こえるように話していたでしょう」


「では、料金表を作るか?」


「今回は結構です」


 麗華は窓の外を見る。


「ですが、神代君の意見には一理あります」


「鳳城まで影響されるな」


 榊原が顔をしかめた。


「鳳城グループの装備を学校実習へ提供する際も、無償ではありません。能力者個人だけが、社会貢献を理由に無償で働くべきだというのは不公平です」


「学生の授業と企業契約を一緒にするな」


「今回は、国家戦略指定候補の能力を使った実証試験でもあります」


 御影士門が資料から顔を上げずに言った。


「通常授業の範囲を超えているのは事実です」


「御影まで」


「契約内容が明確な方が、部隊運用上も安全です」


 榊原は反論を諦めた。


 車内には第七班の五人。


 標。


 真壁直人。


 鳳城麗華。


 冬月澪奈。


 御影士門。


 加えて榊原と、実習担当教員。


 前後を走る車両には、他の学生班と現役天蓋士が乗っている。


 今回の実地訓練には、国家異能管理局からも監督官が派遣されていた。


 同行する現役天蓋士の一人は、国見だった。


 国家天蓋士ランキング国内四十八位。


 能力評価で、標に二・四秒で敗れた男。


 休憩地点で顔を合わせた際、国見が最初に言った言葉は、


「再戦日はいつにする」


 だった。


 標は、


「二十万円を先に払え」


 と答えた。


 まだ入金はない。


 ◇


 管理区域へ近づくにつれ、車窓の景色が変わっていった。


 住宅地が減る。


 道路の両側へ、黒金防壁建設が施工した巨大な隔壁が現れる。


 道路上には複数の検問。


 外相汚染物質を検出する門。


 物資搬入用の六波羅運輸の車両も見えた。


 荷台には医薬品、飲料水、補修部品。


 さらに外相種との戦闘に備えた魔力回復剤が積まれている。


「六波羅の車がありますね」


 澪奈が言った。


「この管理区域の定期補給契約を受けています」


 綾音は同行していない。


 だが、事前に送られてきた資料には、六波羅運輸が担当する補給経路が記載されていた。


 東海道国際物流機構ほど大量には運べない。


 その代わり、封鎖区域内へ少量の物資を高頻度で届ける仕事は、六波羅の得意分野だった。


「天穴が閉じた後でも、これだけ物が必要なのか」


 直人が尋ねる。


「監視施設、汚染除去設備、防壁、残存外相種の討伐部隊」


 士門が答える。


「人間がいる限り、補給は必要だ」


「天穴が発生した直後は、もっと多い」


 麗華が補足する。


「避難民への食料、医薬品、防壁資材、兵器、能力者用の回復剤。道路が破壊されている場合もあります」


「運べなければ、戦う前に終わる」


 標が言った。


 元の世界でも同じだった。


 戦闘能力者は、敵を倒す。


 だが。


 弾薬がなければ。


 食料がなければ。


 治療薬がなければ。


 そして、魔力が切れれば。


 どれほど強い能力者でも戦えない。


 車列は、最終検問で止まった。


 全員が車外へ出る。


 空気には僅かに金属のような臭いが混じっていた。


 外相汚染。


 人体に即座の害を与える濃度ではない。


 それでも長時間浴びれば、魔力経路や固有能力へ影響する可能性がある。


 学生たちは簡易防護服を着用。


 侵食測定器を手首へ装着する。


「全員、現在値を確認しろ」


 榊原が指示する。


「基準値から一パーセント以上上昇した場合、即時申告。体調不良、幻覚、感情変化、能力制御の異常も同様だ」


 標は自分の測定器を見る。


《侵食率 測定範囲内》


 転移能力発現後も、数値に大きな変化はない。


 少なくとも、現在の測定技術では。


「神代」


 国見が近づいてきた。


 灰色の戦闘服。


 背中には短槍。


「今日は学生として行動しろ」


「その予定です」


「異常が起きた場合は、教師か現役天蓋士の指示に従え」


「合理的なら」


「命令だ」


「契約にありません」


「お前な」


「国見さん」


 標は少しだけ口調を改めた。


「俺が従うことで危険になる命令には、従えません」


 国見が標を見る。


「自分の判断の方が正しいと?」


「空間転移に関しては」


「それ以外は」


「国見さんに従います」


 国見は数秒黙った。


「……それでいい」


「まともですね」


「何がだ」


「全部自分に従えと言うかと思いました」


「現場で、専門家の意見を無視する指揮官は長生きしない」


「再戦を急ぐ人には見えません」


「それとこれは別だ」


 国見は真顔だった。


 ◇


 管理区域中央。


 かつて天穴が開いた場所は、巨大な空き地になっていた。


 地面には、直径数百メートルにわたる黒い焼損跡。


 周囲の建物はすでに撤去されている。


 複数の慰霊碑。


 天穴発生時に死亡した住民と天蓋士の名前が刻まれていた。


 空には何もない。


 雲。


 青空。


 鳥の姿はない。


 七年前。


 この場所の上空へ、巨大な裂け目が開いた。


 外相種が降下。


 市街地へ広がった。


 天蓋士部隊は三日間戦い、コアを保持していた外相種を討伐。


 天穴は閉じた。


 その後も残存個体の掃討に二か月。


 汚染除去と区域封鎖に数年。


 天穴は閉じれば終わりではない。


 地域全体へ傷を残す。


「訓練内容を再確認する」


 管理区域責任者が、学生たちの前に立った。


 五十代の女性。


 左頬に、外相種の爪痕が残っている。


「本日の活動区域は外周部および旧地下物流区画。天穴そのものは存在しない」


 立体地図が表示される。


「昨夜、地下区画で空間歪曲値の上昇が確認された。そのため、当初予定していた地下深部への立ち入りは中止する」


 学生たちがざわつく。


「訓練は、地上および地下第一管理層のみで行う。異常反応地点からは二百メートル以上離れる」


 士門が手を上げた。


「空間歪曲の原因は特定されていますか」


「機器異常、残留汚染、新規天穴の前兆を含めて調査中だ」


「コア反応は」


「検出されていない」


「では、新規天穴の可能性は低いと?」


「現行理論上は低い」


 標は、その言い方を聞き逃さなかった。


「現行理論上」


 確実ではない。


「訓練を中止しない理由は?」


 標が尋ねる。


「監視値は警戒基準未満。地上区域の安全性は確認されている」


「黒い線が見えたという記録は」


 責任者の表情が僅かに変わる。


「どこで知った」


「資料にありませんでした。今の反応で分かりました」


「神代」


 榊原が止める。


 責任者は数秒迷い、答えた。


「監視映像に、一時的な黒色線状反応が記録されている」


「空間裂隙か」


「現時点では映像異常の可能性も排除できない」


「計測器も反応したのでは?」


「同時刻に微小な歪曲反応があった」


 標は立体地図を見る。


 地下区画。


 黒い線。


 コア反応なし。


 元世界で、似た兆候を何度も見た。


 ただし、初期の天穴発生ではない。


 もっと小さな。


 先遣型。


「訓練を中止した方がいい」


 標が言った。


 周囲が静まる。


「理由は」


 責任者が尋ねる。


「空間の向こう側から、こちらの座標を探している可能性がある」


「何を根拠に」


「経験です」


「どこで得た経験だ」


「説明できません」


「それでは訓練中止の根拠にはならない」


「なら、最低限」


 標は地下区画の地図を拡大する。


「ここと、ここと、ここ」


 三つの位置を指した。


「監視員を増やしてください。黒い線がもう一度出た場合、近づかずに区域を封鎖する」


「なぜ三地点だ」


「地下構造上、空間を固定しやすい」


「理論的な説明は?」


「別料金です」


 責任者の眉が動く。


 榊原が標の肩をつかんだ。


「今は金の話をするな」


「情報には価値があります」


「緊急時だ」


「だから先に言っています」


 国見が責任者へ近づく。


「監視員を増やしてください」


「国見」


「学生の勘だけで訓練を中止する必要はない。ただし、対策コストは低い」


「現場人員には限りがある」


「私の部下を回します」


 責任者は国見と標を交互に見る。


「分かった。三地点を追加監視する」


「ありがとうございます」


 標は国見へ言った。


「礼を言うくらいなら、最初から素直に説明しろ」


「説明できないものはできません」


「お前の過去は本当に何なんだ」


「高くなりますよ」


「いつか払ってやる」


 ◇


 訓練が始まった。


 第七班の最初の課題は、倒壊した管理施設内からの模擬負傷者救出。


 転移能力の使用は、原則として緊急時または試験項目に限定。


 士門が指揮。


 直人が先頭。


 澪奈が構造の安定性を確認。


 麗華が残存外相種への対応。


 標は最後尾で全体を見ている。


「標点を付与」


 士門が小型金属片を施設内部へ投げる。


 壁の向こう。


 位置情報が端末へ送られる。


「前方十一メートル。右側に空間あり」


 標が指先へ小さな孔を開いた。


 出口は金属片の上。


 孔越しに、崩れた廊下が見える。


「残存個体なし。床が抜けている」


「迂回する」


 士門が即断する。


「転移で越えないのか?」


 直人が尋ねる。


「訓練の目的は、転移なしでも動けることだ」


 標が答える。


「使えない場合を先に確認する」


「昨日と同じだな」


「ああ」


 班は迂回路へ進む。


 転移孔による索敵は使う。


 だが移動は自分たちの足。


 崩れた階段。


 汚染された部屋。


 停止した設備。


 途中、低位外相種を模した訓練機が二体現れる。


「右を止める!」


 直人が前へ出る。


 装甲化。


 敵を正面から受けず、壁側へ押し込む。


「冬月」


「凍結します」


 澪奈が敵の後脚だけを凍らせる。


「鳳城、出力一〇」


「承認を」


「出口位置、安全確認済み」


「転送を承認します」


 麗華の炎が小型孔を通る。


 訓練機の模擬核へ直撃。


 一体停止。


 士門がもう一体を射撃。


 戦闘終了。


「所要時間四秒」


 士門が記録する。


「魔力消費も予定以下」


 麗華が自分の手を見る。


「前回より自然に撃てました」


「慣れただけだ」


 標が答える。


「出口を信頼できるようになったからです」


「勝手に出していない」


「だからです」


 麗華はそれ以上言わなかった。


 ◇


 第一課題終了。


 第二課題。


 模擬補給物資の搬送。


 地上拠点から、地下第一管理層まで。


 通常なら、複数人で箱を運ぶ。


 標は大型門を一度だけ開いた。


「接続確認」


 門の向こうに地下区画。


 士門が標点を確認。


 澪奈が床の安定性を確認。


 麗華が周囲を警戒。


 直人が箱を押す。


 物資六箱。


 所要時間十八秒。


《大型門使用 一回》


「二万円」


 標が呟く。


「現場で金額を数えるな」


 榊原の声が通信から聞こえた。


「記録は必要です」


《学校側でも記録している》


「信用の問題です」


《お前、まだ学校を信用していないな》


「名前を消されたばかりですから」


 通信が止まる。


 榊原は反論できなかった。


 物資搬送終了。


 次の課題地点へ移動しようとしたとき。


 士門が足を止めた。


「待て」


「どうした」


 直人が尋ねる。


「標点の一つが動いた」


「どれだ」


「監視用に入口へ置いた金属片」


 士門の端末。


 地上拠点近く。


 移動している。


「誰かが拾ったのでは?」


 澪奈が言う。


「動きが速い。地面の下だ」


 標が即座に小型孔を開く。


 出口を標点付近へ。


 暗い。


 土。


 配管。


 何かが通過した痕跡。


「地下を移動している」


「残存外相種か?」


 直人が構える。


「管理局へ報告」


 士門が通信を入れる。


《第七班より本部。地下移動反応を確認。位置情報を送信》


《こちら本部。監視機器に反応なし》


「標点は移動中。現在、北東へ時速四十キロ相当」


《速すぎる。学生班はその場で待機》


「了解」


 士門が全員へ停止を指示する。


 標は黒い孔を維持した。


 標点。


 土。


 一瞬。


 何かが見えた。


 細い。


 白い外殻。


 長い四肢。


 戦闘個体には見えない。


 背中へ黒い球体を抱えている。


「見つけた」


「何を」


 麗華が孔を覗く。


 すでに何もいない。


「先遣体」


「既知の外相種ですか?」


「この世界では知らない」


 標の声が低くなる。


「神代?」


 直人が標を見る。


「全員、地上へ戻る」


「本部からは待機命令だ」


 士門が言う。


「待機していれば、頭上が開く」


「何が」


「天穴だ」


 直後。


 管理区域全体に警報が鳴り響いた。


《空間歪曲値急上昇》


《警戒基準を超過》


《全訓練を中止》


《学生は指定避難地点へ移動》


 地面が震える。


 天井から埃が落ちる。


 照明が明滅。


 標は地上の座標を捉える。


「門を開く」


「全員通過!」


 士門が指示。


 黒い線。


 地上避難区画へ接続。


 直人。


 澪奈。


 麗華。


 士門。


 最後に標。


 全員が通過した瞬間、門を閉じる。


 地上へ出た。


 そして。


 空が割れていた。


 管理区域の上空。


 高度、およそ二百メートル。


 黒い線が、雲を裂くように横へ広がっていく。


 巨大な眼。


 光の存在しない向こう側。


 空間の裂け目から、白い外殻を持つ外相種が落下し始める。


 一体。


 二体。


 十体。


 さらに。


「天穴……」


 直人が呟いた。


 警報。


 防壁が展開。


 管理区域の自動迎撃装置が起動する。


 地上へ落下する外相種へ、魔力砲が向けられる。


《新規天穴発生》


《危険度暫定二》


《全学生、即時退避》


《現役天蓋士は迎撃配置へ》


 国見が槍を抜いた。


「学生は門で区域外へ送れ!」


「料金は」


「後で国へ請求しろ!」


「記録しました」


「本当に請求するのか!」


「国見さんが言いました」


「今は早くしろ!」


 標は大型門を開く。


 出口は、最終検問の外側。


 避難用広場。


「全学生、門へ!」


 榊原と教員が誘導する。


 複数班。


 負傷者はいない。


 混乱する学生を、直人が入口へ押し込む。


「走れ! 止まるな!」


 澪奈が門周囲の地面を凍らせ、落下物を防ぐ壁を作る。


 麗華が空から降る小型外相種を焼き払う。


 士門が危険個体へ標点を付与。


「左上、飛行型三!」


「鳳城」


「出力二十。転送承認!」


 麗華の炎を、標が三方向へ分ける。


 三体撃破。


 門を通過する学生。


 十人。


 二十人。


 五十人。


 現役天蓋士が防衛線を形成する。


 管理区域の中央。


 大型外相種が着地。


 四本の腕。


 全身を覆う装甲。


 周囲の地面が砕ける。


「コア保持候補!」


 管理区域責任者が叫ぶ。


《大型個体へ攻撃を集中》


 魔力砲。


 火炎。


 雷撃。


 国見を含む現役天蓋士が突撃する。


 大型個体が咆哮。


 腕を振る。


 複数の天蓋士が吹き飛ばされる。


 それでも攻撃を続ける。


 天穴は閉じない。


「違う」


 標が呟いた。


 士門が聞き取る。


「何が違う」


「あいつはコアを持っていない」


「なぜ分かる」


「目立ちすぎる」


「強い個体が持つとは限らないということか」


「ああ」


 コア保持個体は、天穴を維持する。


 敵側にとって、最優先で守るべき存在。


 最も強い個体へ持たせる場合もある。


 だが。


 強い個体が前線で暴れれば、攻撃が集中する。


 標の元世界では、その戦術は早い段階で使われなくなった。


 代わりに。


 小さい個体。


 逃げる個体。


 戦闘へ参加しない個体。


 地下や瓦礫の中に隠れる個体。


 天穴を閉じる方法を知る人類ほど、囮の大型個体へ引きつけられた。


「さっきの先遣体だ」


「地下を移動していた?」


「背中に黒い球体を持っていた」


「コアか」


「おそらく」


 士門が端末を見る。


「俺の標点が、まだ残っている」


 地図。


 北東へ移動していた反応。


 現在は停止。


 場所は、地下監視施設。


 昨夜、黒い線が最初に記録された地点の近く。


「本部へ報告する」


《第七班より本部。コア保持個体候補を確認》


《学生は退避しろ!》


「位置情報を送る。地下監視施設、区画B―七」


《根拠は》


「黒色球体を保持する先遣型個体。神代が確認」


 数秒の沈黙。


《大型個体がコア保持候補として交戦中だ》


「そちらは囮の可能性が高い」


《学生の推測で部隊を動かせない》


 標が通信へ割り込む。


「なら天穴が閉じるまで大型を殴り続けろ」


《神代標、命令系統を――》


「一分後にも外相種が追加で落ちてきます」


 実際。


 天穴から新しい影。


 さらに十数体。


「国見さんを一人貸してください」


《学生の指揮下へ現役天蓋士を置けと?》


「転移で国見さんをコア候補の前へ送る」


《座標は》


「御影の標点がある」


《安全確認ができない》


「俺が先に視界を開く」


 標は小型孔を形成。


 士門の標点を基準に、地下区画へ接続。


 暗い監視施設。


 壊れた機械。


 中央。


 白い外殻の細長い個体。


 戦わない。


 壁際で身体を丸めている。


 背中には、黒い球体。


 周囲には護衛個体が二体。


 映像を本部へ送る。


《確認した》


 管理区域責任者の声が変わる。


《コア反応を再走査》


《……微弱反応あり! 球体と一致!》


《大型個体は囮だ!》


「国見を呼べ」


 標が言う。


 数秒後。


 国見が大型個体との戦闘から離脱。


 標たちの前へ走ってくる。


「状況は」


「地下にコア保持個体。護衛二」


「門で送れるか」


「人間一人分なら」


「学生は退避しろ」


「出口を維持する人間が必要です」


「お前はここに残れ。他は避難」


「御影も必要」


「標点維持か」


 士門が頷く。


「俺は残る」


「駄目だ」


 榊原が二人の間へ入る。


「学生二人を実戦区域へ残せるか」


「俺が残る」


「神代」


「俺が逃げれば、国見さんの帰還門が消えます」


「外から維持できるのか?」


「できる」


「なら避難地点へ移動してから開け」


「空間歪曲が強くなっています。距離を伸ばせば精度が落ちる」


 榊原が歯を食いしばる。


 正しい。


 標の能力へ口を出せるほど、知識がない。


「俺も残る」


 士門が言う。


「標点が消えれば、出口座標が不安定になる」


「御影!」


「任務に必要です」


「これは訓練ではない!」


「だからです」


 榊原の顔が歪む。


 国見が短槍を地面へ立てた。


「私が二人を守る」


「国見」


「門を開くまでここにいる。内部へ入った後は、神代が地上側。御影は標点維持」


「学生を戦闘へ参加させる気か」


「参加させない」


 国見は標を見る。


「門から一歩も動くな」


「分かりました」


「危険を感じたら、私を置いて閉じろ」


「契約にありません」


「命令だ」


「それには従いません」


「神代!」


「国見さんを置いて閉じれば、再戦料を取れません」


 国見が一瞬黙る。


「……必ず回収しろ」


「当然です」


 榊原は二人を見る。


 止めたい。


 だが。


 天穴からは外相種が降り続けている。


 コアを破壊しなければ、被害は拡大する。


「三分だ」


 榊原が言った。


「三分で戻らなければ、門を閉じて二人も退避する」


「五分」


「三分!」


「四分」


「今、交渉するな!」


「四分で成立です」


 標が門を開いた。


 高さ二メートル。


 幅一メートル。


 地下監視施設へ接続。


 門の向こう。


 コア保持個体。


 護衛二体。


 国見が槍を構える。


「出口の安全は」


「右の護衛が十二メートル。左が八。保持個体は十五」


 士門が位置を読み上げる。


「入った瞬間、左が来る」


「左は俺がずらす」


 標が小型孔を二つ形成。


「右は」


「国見さんが倒してください」


「片方だけか」


「二十万円分です」


「お前は……」


 国見が笑った。


 初めて、戦闘前に。


「行くぞ」


 門を通過。


 地下へ着地。


 予想どおり、左の護衛個体が飛びかかる。


 標が出口をずらす。


 護衛の前脚だけが小型孔へ入り、壁の反対側へ出る。


 勢いのまま自分の身体を壁へ叩きつける。


 右の護衛。


 国見の槍。


 風。


 一閃。


 外殻が割れる。


「一体!」


 国見が前進。


 コア保持個体は逃げようとする。


 戦わない。


 細い脚で、奥の通路へ向かう。


「御影」


「標点、維持中。前方六・二メートル」


「国見さん、槍を投げてください」


「射線がない」


「俺が作る」


 国見が槍を引く。


「コアを狙う」


「個体ではなく球体へ」


「分かった」


 投擲。


 槍が黒い門へ消える。


 出口は、逃げる個体の背後。


 黒い球体から十センチ。


 槍が現れる。


 直撃。


 黒い球体へ亀裂。


 音はなかった。


 光もない。


 ただ。


 天の裂け目が揺れた。


 管理区域上空。


 巨大な天穴の縁が崩れ始める。


《天穴収縮を確認!》


《コア損傷!》


「まだです!」


 士門が叫ぶ。


「標点が動いている!」


 地下。


 球体は砕けていない。


 亀裂から黒い何かが漏れ、保持個体の体内へ沈み込もうとしている。


「コア移動か」


 標の表情が変わる。


 元世界でも後期に現れた。


 外殻が破損した際、近くの個体へ移る型。


 この世界では、まだ知られていない。


「国見さん!」


「見えている!」


 国見が護衛個体を蹴り飛ばし、槍を引き抜く。


 だが。


 黒い塊が、倒れた護衛の胸へ移ろうとしている。


「間に合わない」


 標は右手を伸ばした。


 黒い塊の周囲へ、小さな門。


 出口は。


 上空。


 閉じかけた天穴の直下。


「何をする気だ!」


 榊原の声。


「コアを孤立させる」


 門を閉じる。


 黒い塊だけが、地下から消える。


 上空へ現れる。


 保持する個体がいない。


 移動先もない。


 コアは意識を持たない。


 自ら戦わない。


 自ら逃げない。


 空中へ投げ出された黒い塊は、ただ落下する。


「鳳城!」


 標が叫んだ。


 避難誘導を終え、防衛線に残っていた麗華が空を見る。


「上空二百。黒い球体!」


 士門が標点を共有。


「見えました!」


「最大出力はいらない! 出口は俺が作る!」


「出力三十!」


「転送承認!」


 麗華の火炎。


 標が上空へ門を開く。


 火炎がコアの目前へ現れる。


 直撃。


 黒い塊が赤く染まる。


 亀裂。


 崩壊。


 今度こそ。


 天穴が閉じ始めた。


 空の裂け目が細くなる。


 向こう側から落ちかけていた外相種が、途中で切断される。


 空間が閉じる。


 黒い線。


 消滅。


 青空が戻った。


《天穴消失を確認》


《コア反応、消失》


《新規降下停止》


 管理区域全体に、歓声は起きなかった。


 まだ地上には外相種が残っている。


 大型の囮個体。


 飛行型。


 小型個体。


 天穴が閉じても、戦闘は終わらない。


「国見さん、戻ってください」


 標が地下への門を維持する。


 国見が門を通過。


 続いて槍。


 門を閉じる。


「所要時間」


 士門が端末を見る。


「二分四十八秒」


 榊原が二人へ駆け寄る。


「無事か!」


「ああ」


「はい」


「勝手なことを」


 榊原は怒鳴ろうとした。


 だが。


 二人が無事であることを確認すると、続きが出なかった。


「……後で説教だ」


「有料ですか?」


「お前が払え」


 国見が標の肩を叩く。


「よくやった」


「二十万円」


「今それを言うのか」


「再戦料とは別です」


「分かった。払う」


「本当に?」


「今の一撃で、私一人ではコアを壊せなかった」


 国見は空を見る。


「情報、座標、転移、鳳城の火力。全部が必要だった」


「俺の門だけでは壊せません」


「分かっている」


 国見は標へ手を差し出した。


「だから部隊なんだ」


 標はその手を見る。


 書面はない。


 契約でもない。


 それでも。


 今回は握った。


「後で請求書を送ります」


「余韻を壊すな」


 ◇


 天穴消失から四十七分後。


 管理区域内の外相種はすべて討伐された。


 学生に重傷者なし。


 管理職員に軽傷者三名。


 現役天蓋士に重傷者二名。


 死者なし。


 危険度二の新規天穴発生としては、異例の被害の少なさだった。


 天穴の発生から消失まで。


 六分三十二秒。


 従来の最短記録を大幅に更新。


 だが。


 国家異能管理局の会議室では、別の問題が議論されていた。


「コア保持個体が、主降下開始前に地球側へ侵入していた」


「微小空間裂隙を利用した先遣型」


「コア損傷後、別個体へ移動を試みた」


「いずれも国内初確認です」


 現行戦術では。


 天穴が開いた後。


 降下した外相種の中からコア保持個体を探す。


 それが常識だった。


 今回。


 コア保持個体は、主天穴が開く前から地球側へ入り込んでいた。


 地下へ隠れ。


 安全を確保してから天穴を開いた。


 さらに破壊されかけたコアが、別個体へ移ろうとした。


 外相種側の戦術が変化している。


 あるいは。


 人類が、これまで気づいていなかっただけなのか。


「神代標は、なぜ先遣体を知っていた」


「本人は経験としか答えていません」


「二十三歳の学生が、国内未確認型を?」


「過去の記憶に不自然な点があります」


「人格変化との関連は」


「調査中です」


「強制聴取は」


「推奨しません」


 管理局職員が答える。


「現在の能力抑制技術では、本人を完全には拘束できません」


「国家戦略指定を急げ」


「制限を強めれば、国外へ移る可能性があります」


「では、どうする」


「契約するしかありません」


 室内が静まる。


「彼は、契約を守る相手には協力します」


「金で国家安全保障を買うのか」


「能力者個人の善意へ依存するより、安定します」


 ◇


 管理区域外の臨時休憩所。


 標は、六波羅綾音と通信していた。


《状況は聞きました》


「早いな」


《六波羅運輸の車両が現場にいます》


「補給車か」


《はい。幸い、社員に負傷者はいません》


「そうか」


《神代君》


「何だ」


《今回、何回門を使いましたか》


「数えていない」


 綾音が黙った。


「冗談だ。記録はある」


《大型門が四回。小型転移孔は、確認できる範囲で二十七回》


「学校契約分は請求する」


《緊急事態発生後は、国および管理区域側との事後協議になります》


「国見さんが払うと言った」


《個人へ請求するのですか?》


「コア討伐支援二十万円」


《安すぎます》


 標が少し黙る。


「高いと言われると思った」


《天穴を六分で閉鎖したんですよ》


「俺一人ではない」


《それでも、神代君がいなければコア保持個体の特定も、地下への突入も、上空へのコア分離もできませんでした》


「いくら取れる」


《最低でも数千万円》


 標が姿勢を正した。


「数千万?」


《天穴が一分長く開けば、外相種が追加降下します。討伐費、都市被害、負傷者、補給費、区域封鎖期間。それらを考えれば、億単位の損失を防いだ可能性があります》


「国見さんから二十万を取るのはやめる」


《当然です》


「国へ請求する」


《六波羅運輸が交渉します。成功報酬は――》


「四パーセント」


《今回は天穴緊急対応です。専門法務と政府交渉が必要になります。八パーセント》


「高い」


《数千万円規模です》


「五」


《七》


「五・五」


《六・五》


「六」


《成立です》


 仮契約が送られてくる。


 標は署名した。


《天穴緊急対応報酬交渉委任契約が成立しました》


「六波羅」


《何です?》


「現場の魔力回復剤が少なかった」


《不足したのですか?》


「今回は足りた」


《では問題ないのでは》


「長引けば切れていた」


 標は、管理区域の補給所を見る。


 使用済みの魔力回復剤。


 疲労した天蓋士。


 能力を使い果たし、座り込む者。


 天穴が閉じるまで、わずか六分。


 それでも複数の天蓋士が、魔力残量を半分以下まで減らしている。


「この世界の補給は脆い」


《六波羅運輸への営業提案ですか?》


「まだいい」


《まだ?》


「今の技術では、運べる物が足りない」


 魔力回復剤では遅い。


 量も少ない。


 元世界なら。


 蓄魔器を送る。


 伝送者のパスをつなぐ。


 後方拠点の魔力を、前線へ直接流す。


 だが、この世界には、その前提となる技術がない。


 今話しても、商品にならない。


「忘れろ」


《分かりました》


 綾音は追及しなかった。


《ところで、天穴を閉じた感想は?》


「疲れた」


《それだけですか》


「腹が減った」


《食事は学校側から出るそうです》


「無料か?」


《災害対応参加者への支給です》


「返還義務は」


《ありません》


「なら食べる」


 通信が切れる。


 標は立ち上がった。


 視線の先。


 第七班の四人が待っている。


 直人は装甲を解除し、疲れた顔をしていた。


 澪奈は侵食値を確認。


 麗華は自分の手を見つめている。


 士門は、戦闘記録を整理していた。


「神代君」


 麗華が顔を上げる。


「最後の攻撃。私の火炎を使いましたね」


「ああ」


「事前に承認しました」


「ああ」


「コアの位置を、完全に捉えていたのですか?」


「御影の標点があった」


「それだけではないでしょう」


 黒い塊。


 落下。


 移動先。


 門を開く判断。


 迷いがなかった。


「あなたは、あのコアを知っていた」


 標は答えない。


 士門が端末を閉じる。


「今は聞くな」


「ですが」


「話せない理由がある」


 麗華は標を見る。


 数秒後。


「分かりました」


 引いた。


 ただし、納得はしていない。


「いつか、話してください」


「値段次第だ」


「あなたは」


 麗華は呆れたように息を吐く。


 だが。


 少しだけ笑った。


「そのときは、鳳城が払います」


「高いぞ」


「国内第二位を甘く見ないでください」


「では、予約として一千万」


「内容を確認する前に払うと思いますか?」


「思わない」


「なら言わないでください」


 直人が二人を見る。


「お前たち、少し仲良くなったか?」


「なっていません」


 麗華が即答する。


「同意だ」


 標も答える。


 士門が歩き出す。


「食事へ行くぞ」


「先に反省会では?」


 澪奈が尋ねる。


「食べながらでいい」


 標が言う。


「無料だからな」


 誰も反論しなかった。


 ◇


 その夜。


 管理区域の地下。


 コア保持個体が潜んでいた場所を、調査員が確認していた。


 黒い球体は消滅。


 保持個体と護衛個体も討伐済み。


 壁には、最初の微小裂隙が開いた痕跡。


「ここから侵入したのか」


「人間が通れる大きさではありません」


「先遣体は、身体を変形させた可能性があります」


「転移反応の残留値は」


「通常の天穴と一致しません」


 調査員が測定器を見る。


 反応は一つではない。


 微小裂隙。


 主天穴。


 そして。


 そのさらに奥。


 もう一つ。


「二重反応?」


「機器異常です」


「昨日もそう言った」


 調査員は黙る。


 地球側へ開いた天穴。


 その向こう。


 人類からは観測できない場所に。


 別の空間接続反応が、一瞬だけ残っていた。


 まだ小さい。


 安定もしていない。


 コア保持個体も地球側にいた。


 だから、今回の天穴は従来どおり閉じることができた。


 だが。


 外相種側は、確実に変化している。


 次も同じとは限らない。


 誰もいない地下区画で。


 測定器の波形が。


 もう一度だけ。


 二つの山を描いた。


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